22.守護者の牙
人どころか、動物の影すら見えない森の中。
その男は一人、自身に襲い掛かる蔦と対立していた。
「……もうこんなに成長しているのか。まずいな」
蔦の絡みつきに合わせ、男は軽く身をひねり、刃や魔法を放つ。斬撃は空間を切り裂き、光を帯びた蔦が粉々に砕け散った。
しかし、成長の速度は尋常ではない。切っても切っても、蔦は再び這い上がってくる。男は冷たい息を吐きながら、戦況を見極める目を光らせた。
「そこか」
刃が蔦の根元の一点を貫く。途端に蔦は勢いを無くし、地面の奥へと引っ込んでいった。
服についた土を払い、男が一息ついて顔を上げると、樹々に紛れて紫の瞳がこちらを見つめていた。
「……狼?」
大きな黒狼。普通の人間であれば悲鳴を上げ逃げていくか腰を抜かしてしまうだろう。しかし男は臆せず、その姿を観察する。
目を凝らせば、毛の先端が淡く発光している。
それにわずかばかり目を見開くと、男はゆっくりと近づいていった。手のひらに黒球を作り出し、黒狼の方に差し出す。微かに漂う残り香のような魔力が、黒球に吸われていった。
「この魔力は……。狼、俺を案内してくれ」
じっと見つめ返す黒狼。尻尾がひと振り揺れ、まるで“ついてこい”とでもいうかのようだった。
男と黒狼は、闇夜にその姿を潜ませながら、静かに進んでいった。
「本当に、ここか?」
黒狼が案内した先は、帝都の外れ。繁華街から少し離れた路地の一角だった。
ふす、と鼻息を漏らし、黒狼は崩れた壁の穴に滑り込む。男は気配を殺し、周囲に注意を払いながら後を追った。
道なき道を進み、建物内の部屋に出る。しかし、部屋の中は空で人の気配はない。
先に進んだ黒狼は、備え付けのクローゼットの前で座り、男をじっと見つめていた。
「これを開けるのか? ……っ」
手を伸ばし、扉を開く。途端に、魔力の波が襲い掛かってきた。濃密で、まるで重い泥のよう。クローゼットの先には人一人がようやく入れるような通路があり、黒狼は迷うことなく先へと進んでいく。
中はまるで迷路のように入り組んだ構造をしていた。普通の人であれば、あまりの複雑さと、常にのしかかる魔力の圧で身体の調子を崩すだろう。
やがて、一回り小さく、やけに頑丈なドアの前で黒狼は足を止めた。ぴったりと閉じられたはずの隙間から、魔力が漏れ出ている。
「案内ご苦労。下がっていろ」
男は作り出した黒球を刃に変形させ、一振りで扉に亀裂を入れた。
扉の向こう。目に飛び込んできたのは、紫水晶でできた巨大な薔薇の樹。部屋いっぱいに枝葉を伸ばし、大輪の花がこれでもかと咲き誇っている。
その中央。枝分かれした幹の部分に、女性の姿があった。
蔦が全身を縛り上げ、癒着している。髪は樹と同じ、紫色に光っていた。
男が樹をよじ登り、その女性を見下ろす。その目は、冷たく何の感情も浮かんではいない。刃を構えると、一気にその胸につき降ろそうとした。
「何故止める」
低い唸り声をあげ、黒狼が女性と男の間に踊り出る。
「ここまで魔力を蓄えた人間は危険だ。この場で、殺す」
男は力強く斬撃を振るう。鋭い刃が空気を切り裂き、黒狼の身体に迫った。
黒狼は身を翻し、牙を剥いて突進する。その動きは、まるで闇が躍るかのように俊敏だった。
刃と牙がぶつかるたび、鈍い音が響く。交錯する攻撃と防御の中、部屋の中は戦場のように揺れた。
ジリリリリリリ―――
途端に鳴り響く警告音。男も、黒狼も、互いに見合ったままピタリと動きを止めた。
「……仕方ない。今は、見逃してやる」
手伝え、と男が女性の胸に向けていた刃先を、蔦に向ける。一点ずつ、素早く確実に。そのたびに、薔薇の樹全体が大きく軋んだ。
まるで奪われてたまるかとでもいうように、蔦や根が襲い掛かる。それを、黒狼は次々と噛みつき、踏みつけ、枝葉を削ぎ落としていった。
「ここから離れるぞ」
開放された女性を抱え上げた男が、黒狼に声をかける。未だ荒れ狂う薔薇の樹の元から抜け出すと、男は何かを薔薇に投げつけた。
ドンッッッ
地面が大きく揺れる。激しい炎と衝撃で、薔薇の樹が粉々に砕けていく。
「行くぞ」
男は女性を抱え、黒狼と共に部屋を後にする。通路を抜け、壁の穴から外へ。
2人と一匹はざわつき始めた帝都から、ひっそりと離れていった。




