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【運命】は必ずしも【幸福】と結びつかない〜二世代にわたって運命の番に翻弄されるαとβとΩの恋の話〜[R15 BL]  作者: 燈子
いつか離れる日がくると知っていたのに 本編〜βとΩと運命の恋〜 [Ω視点]
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二十年前の夢のつづき


「……もう、春か」


結婚して二十年目の春。

ベッドから見える窓の外の景色に、四季の移り変わりを感じて、俺は目を細めた。


一年前のある日から、俺は床に臥すことことが多くなった。

心の張りを失い、表情も感情も抜け落ちて、まるで人形のようになった。

抜け殻のような俺を、夫は健気にも毎日見舞い、そして愛を囁いていた。

けれど、それもどうでも良かった。

心を置き忘れたような顔で笑って見せる俺に、夫は悲しげに眉を落としていた。


薄紅の花弁が風に舞う様は儚げで潔く、けれど見る者の記憶へ鮮明に己の姿を刻みこむ強かさがある。


「修一のいるアメリカにも、同じ桜が咲くのかな」


一年前。

修一がテレビでインタビューされているのを見た。

ベータで初めて、バーバード大学の教授となった修一を、「あり得ない快挙」「現代の東洋の奇跡」と賛美する司会者に、修一は少しだけしわの目立つ口元に困ったような笑みを載せた。


「ベータとは言っても、しょせんは同じ人間ですからね。そこをあまり褒められると、居た堪れません」


ベータであるがゆえに旧態依然な学問の世界で蔑まれて邪魔されたことも、ベータであるがゆえに過剰に賛美されたこともあった。

そう認めた上で、修一はまっすぐな目で言い切る。


アルファもベータもオメガも、同じだ、と。


「人間の本質に性など関係ありません。心を決め、諦めず努力を続けたから今があるのです」


だから、性ではなく、自分の業績しごとを見て欲しい。


そう穏やかな顔で語り、修一はくしゃりと笑う。

謙虚さの中に明確に表示された性差別への反論に、世間は息を呑んだのだ。


「修一は、すごい……」


録画してあるインタビューを何度も繰り返し見ながら、俺は静かに息を吐く。

二十年ぶりに目にした修一は、すっかり四十歳の成熟した男の顔をしていた。

年相応の落ち着きと色気を兼ね備え、完成した美しさをもつ男だ。


そして。

つい目をやってしまった左の薬指には、無骨な鉄の輪が巻きついていた。

まるで枷のようなそれは、誰かが修一を拘束している証だ。


それを見た瞬間、自分の中の何かが崩れていくのを感じたのだ。


自分は他の男と結婚して、子供まで産んでいるくせに。

引き裂かれた恋人は、俺だけを思っていてくれると信じていたのだ。

あの当時の関係が、恋人であったかすら、怪しいものなのに。


けれど、すっかり抜け殻のようになった俺は、むしろ穏やかに日々を過ごすようになった。

現世への執着がさっぱり失せて、もう何一つ望むものはない。

繰り返す一日を、ただゆるやかに息をして過ごす。

テレビの中の修一に目を細め、修一の健康と成功を喜んで、彼の幸せを祈って過ごすのだ。

それはある意味、とても満ち足りた毎日だった。


俺は、満足していた。

満足していた、はずだったのだ。






こんな、幸せなど。

望むことすらしていなかった。






「ただいま、貴志」

「しゅ、いち」


私室の扉を許しもなく開き、現れたのは、夢にまで見た男だった。

目を見開いたまま固まる俺に、幻覚が笑いかける。


「やっと会えた」

「う、そ……本物のわけ……」

「本物の修一だよ」


信じられないと首を振り、怯えるようにベッドの中で後ずさる俺に、修一は困ったように苦笑する。

目を閉じたら消えてしまうのではないかと不安で瞬きすらできない俺の頭を、懐かしい仕草でふわりと撫でて、優しく告げた。

まるで昔のように。


「薬を持ってきたんだ」

「え?」


掌に乗っているのは、褐色の小さな錠剤。

これは何かと問いかける俺の視線に、修一は深い笑みを見せた


「これは、……オメガの『性』を抑える薬だよ」


ヒュッ、と息を呑んだ俺を、修一は静かに見つめた。


「オメガの本能を、ほとんど完璧に抑え込む。発情期の過剰なヒートも、番契約による制限も外れる」

「嘘だ、そんな薬、ありえない……」


呆然と呟く俺に、修一は得意げに「嘘じゃない、本物だ」と請け負う。


「俺がお前に、嘘なんかつくわけないだろ」


パチリと、昔に比べてやけに上達したウインクを見せて、修一は俺の手を取った。


「これを内服すれば、お前は解放されるんだ。オメガの鎖から」


オメガの性から自由になる。

己の心のままに選択し、心のままに生きる。


それは、青臭かった頃の俺が抱いていた、途方もない夢だ。

ヒートやフェロモンに振り回されることなく生きたいと願っていた幼い俺が、いつか作りたいと願っていたもの。

己の意思でオメガの性を抑えることのできる、夢のような薬。

けれど同時に、生まれついての性を殺すそれは、きっと悪魔のような薬だ。


掌に載せられた小さな粒に俺は戸惑い、そしてパニックに近いほど高揚していた。


「どうし、て……どうやって……」

「作ったんだよ」


途切れ途切れの俺の言葉に、修一は当然のような声で、とんでもない事を言った。


「なっ!?」


いっそ人の領域から外れた効果を持つ薬を、自分が作ったのだとこともなげに告げて、修一はわざとらしいほど大仰に説明した。


「お前の代わりにお前の夢を叶えようと思った。叶えられるまでは日本に戻らないと決めた。でも、大変だったよ。なにせ、これまで数多のアルファが挑戦し、達成出来なかった偉業だよ?褒めてくれよ」


まぁ、アルファは本気でオメガの性を潰そうとなんてしていなかったんだろうけど。

そう笑って、修一は目を細める。


「間に合って良かった。貴志の正気があるうちに」


言葉を失って、修一を見上げるばかりの俺に、修一は泣きそうに顔を歪めた。


「本当に、良かった……俺たちがまだ生きているうちで」

「しゅう、いち……」


抑えきれないような涙声で囁いて、修一はそっと俺の頬を両手で包み込んだ。

額を合わせるように、そっと顔を近寄せた修一が、吐息のよな声で聞いた。


「ねぇ、貴志。まだ俺のこと愛してる?」

「っ、ば、かやろ」


自信なさそうに問いかける声に喉が詰まって、俺は白髪の混じる黒髪を乱暴にかき混ぜながら、涙声で詰った。


「愛してなかったら、こんなに延々と、お前のことばっかり求めなかったよっ!」


形の良い頭を痩せた胸に抱き込んで、俺は声の限りに叫んだ。

これまので苦しみを全てぶつけるように、理不尽極まりない怒りをぶつけた。


「お前、来るの遅いんだよっ!俺が、どんなに」


あの雨の夜、一緒に逃げてくれなくてどれほど悲しかったか。

この二十年の間、俺がどれほど修一に会いたかったか。


子供のように泣き出した俺を、優しく胸に閉じ込めて、修一は笑う。


「そっか……じゃあ、頑張ってよかった……」

「ひっ、こ、の、大馬鹿野郎っ」


しゃくりあげながら、厚い胸板を叩いて詰る。

さぞ聞き取りにくいだろう俺の話を、修一はただ静かに頷いて聞いてくれた。

筋力の落ちた細腕では大したダメージもなく、俺の泣きながらの告白を聞いて

修一は穏やかに笑むばかりだ。


「……修一、お前、結婚したんじゃなかったの?」

「へ?」


途切れた罵倒の合間にこぼした問いかけに、修一は素っ頓狂な声を上げて固まった。


「結婚?俺が?誰と?」


さも突拍子もない事を聞いたと言わんばかりに、まじまじと俺を見下ろしてくる視線に居心地の悪さを感じて、俺は目を逸らす。

流した視線の先は左の薬指。

そこにはテレビで見た、枷のような輪っかは存在していない。


「……去年、インタビューされてた時、指輪してたじゃないか」

「え?……あぁ、なるほど」


一瞬の思考の後で、納得したように頷き、修一は嬉しげな顔をした。


「っていうか、見てくれたんだ」

「……うっさい!テレビつけたらやってたんだよ!」


本当は、修一の教授就任が話題になった時からそわそわしていたし、インタビュー番組はかなり前から録画予約していた。

そんなことは教えてやらないけれど。


「とにかく!指輪してたじゃないか。……どこの誰に貞操を誓ったんだよ、お前」


他の男との結婚指輪を嵌めながら口にしていいはずもない文句だが、修一は特に気にした様子もなく、あっさりと答えを告げた。


「貴志だよ」

「は?」


悪戯が成功した子供のような顔で、修一は満足げに口を開いた。


「お前への愛の誓いだよ。オメガがうなじを守る貞操帯の首輪みたいな……お前以外への愛は誓わないっていう誓い」


衝撃に目を見開いて固まる俺を見下ろし、少し照れたような顔で「あと、虫除け?」と付け足した。

わざとらしいほど気障な仕草で、修一が肩を竦める。


「地位を得ちゃうとモテちゃうからさ?」

「っ、ばか言ってろ」


パシン、と肩を拳で小突く。

昔のようなリズムで進む会話が、気の遠くなるほどに嬉しかった。


「お前、どうやってここに来たの?」

「ん?貴志の御夫君が、連れてきてくれたんだよ」

「はぁ?」


俺を溺愛する夫が、俺を連れ出そうとする男の侵入を許すだろうか?

俺を奪われまいと、恥も外聞も容赦もなく、叩き潰そうとするなら分かるけれど、その逆などありえない。

そんな物分かりの良い夫ならば、俺はきっと、家の外に出ることも許されない、なかば幽閉のような人生を送らなくても良かったはずだ。


疑わしげな目で見つめる俺に、修一は更にありえないことを言った。


「御夫君は、貴志と離婚するってさ。同意を得ず無理矢理に貴志を番にしたことを、ずっと後悔していたって。可愛い息子を三人も与えてくれた、もう十分だってさ」

「……嘘だ、そんな訳がない」


本当は違うのだろう?

さっさと本当のことを言いやがれ。


そう目で脅しかければ、修一は苦笑いして目を逸らした。


「うーん、鋭いね」

「自分の夫のことくらい、少しは知ってるよ。あの人はそんなに、甘くない」


俺に対してどれほど甘くとも、夫は仮にもアルファだ。

己の番であるオメガに対して激しい執着を持つ彼らは、逃げられるくらいなら殺すだろう。

しかも夫は、俺が運命の番だと信じている。

そんな『慈悲』を施すことはありえない。

どれほど言い募り縋り付いたところで、冷たい目で、一刀の元に切り捨てるだろう。


「ふふ、さすがだな。ちょっと妬けるよ」

「誤魔化すな」


戯けたようにウインクをする修一に、焦れて答えを急かす。

修一が、何かとんでもないものを引き換えたのではないだろうか、と怯えていた。

けれど俺の焦燥など知らぬ修一は、なんの曇りもない晴れ晴れとした笑顔を浮かべた。


「俺が賭けに勝ったのさ」

「カケ?」


意味が分からず眉を顰めて聞き返した俺の言葉を、修一は朗らかに肯定する。


「そう。貴志が俺を忘れず、そして、『番のアルファ』から離しても貴志が壊れないような状況を整えること。それが可能なら、貴志を手放すって、さ。……二十年前のことだよ」

「っう、そ」


俺を捨てて行ったはずの修一と、俺を手に入れたはずの夫。

二人がいつ、どうやってそんな話をしたのか。


「お前を解放してくれって頼んだら、番のアルファからオメガを引き離せば狂うぞ、って脅されてね。アルファから引き離しても問題がない状況を作れたら、手放してやるって言われたんだ」


それは、あり得ない話だ。

オメガは番を解消されたり、番から離されると狂う。

番は本能の契約であり、一度結べば死ぬまで解除されないが、アルファと死別すると後を追うオメガがほとんどだと聞く。

それほどに、オメガの本能は番のアルファに執着しているのだ。


「無理言うなよと思ったけどさ。でも貴志が狂うのは嫌だったし……だから、留学して、なんかもう、めっちゃくちゃ頑張った訳だ」


ひょうきんに、そしてあっさりと修一は言うが、その偉業は『頑張った』の一言で済ませられるはずもない。

修一の名前は間違いなく、医学史に残る。

人類の歴史を変えかねない、大発明なのだ。


「不可能に近いはずの条件を、よくもまぁクリアしたと、我ながら呆れるよ」

「……本当、だな」


能力と同じくらいプライドが高いアルファ達は、基本的に負ける賭けなどしない。

だから、きっと。

勝つはずの賭けに、夫は負けたのだろう。


「不可能を可能にするんだから、愛って、すごいよな?」


そして修一は、負けるしかなかった賭けに、勝ったのだ。


まるで二十歳の頃に戻ったような若々しい顔で、お茶目に笑う修一の顔を呆然と見上げた。

二十年ぶりの愛おしい顔を見ていたいのに、どんどんと歪み、水の中に滲んでいく。

次から次へと溢れ出る涙を、修一の太い指がそっと拭った。


「なぁ、貴志」


愛情深い声が、優しく俺の鼓膜を撫でる。

潤んだ世界の真ん中で、優しい茶色の瞳が真摯に俺を見つめていた。


「俺は今でも、お前が一番大事なんだ。なぁ、……俺と一緒に生きてくれるか?」

「……っ、うん、うんっ!」


柔らかな声のプロポーズに、俺は左指の枷を外し、シーツの中に沈めて温かな胸に飛び込んだ。

がむしゃらに飛びついた俺を受け入れてくれた腕は、求めればいつだって助けてくれた幼い頃と変わらない優しさだ。

修一の腕の中は、相変わらずこの世のどこよりも落ち着く場所だった。


「生きていて、良かった」


涙とともにこぼした呟きは、二十年ぶりの純粋な喜びだった。


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