心と愛への背徳行為
「探したのよ。あなたが変な気を起こしたのではないかと思うと、心臓が止まりそうだったわ……っ」
俺の顔を見た途端に、大きな瞳から涙を溢れさせた母は、泣きながらそう告げた。
憔悴した顔の両親は、ひどく気落ちしていた。
アルファと結ばれることが幸福の必要条件だと信じ、彼らなりに考えうる最高の幸福を俺へ準備したつもりだったのだろう。
おそらくは、所詮はベータでしかない修一に執着しすぎる俺を心配して。
物の道理が分かっていない年若い息子に、オメガとしての幸福を与えてやろうとしたのだ。
これは、親の愛だ。
分かっている。
でも、納得は出来なくて。
「心配かけて、ごめんね」
シーツの中に蹲り、顔を伏せたまま、家出を謝ることしか出来なかった。
「……ぐすっ、ううん、大丈夫よ」
「母さん、暫くは半狂乱だったけれどね。でも修一くんが、『必ず返す』と連絡をくれたから」
「…………そっか」
俺の予想した通り、両親と婚約者に連絡をしたのは、修一だった。
俺の携帯電話の履歴から彼らにメールを送り、居場所を伝えたのだ。
やはり最初から修一は、俺と逃げる気も、死ぬ気もなかったのだろう。
俯いて失恋の悲嘆に浸ろうとした俺を、父はほんの一言で、更なる絶望に落とした
「修一くん、明日日本を発つらしい」
「え?」
思いがけない言葉に、俺はパッと顔を上げて父の顔を凝視した。
詳細を尋ねなければと口を開くが、舌が震えるばかりで、言葉は出てこない。
そんな俺の様子を憐れみながら、父はそっと俺から目を逸らして続ける。
「修一くんは、ベータとは思えないほど優秀だからね。アメリカのラボに行くことになったらしい。……もう日本に戻らないつもりらしいよ」
その行動が、俺のためだということは、あまりにも明らかだった。
きっと俺の……俺から修一への未練を断ち切るため、なのだろう。
そして、俺が、幸せなオメガとして生きていく道の妨げとならないための決断なのだろう。
修一がいる限り、俺は惑い、苦悩し続けるだろうから。
「愛されているね、貴志」
「……さぁね」
父から慰めるようにかけられた言葉に、俺は投げやりに吐き捨てた。
「ふざけてるよ……俺は、一緒に連れて行って欲しかったのに」
アメリカでも、この世の果てでも、地獄でも。
どこでも良いから修一と一緒に居たかったのに。
そう言って嘆く俺に、父は愚かな子供を見るように眉根を寄せた。
「……馬鹿だな、貴志。アルファと番ったオメガが、アルファと離れて生きていける訳がない」
ため息とともに告げられるのは、アルファとオメガの大原則だ。
死んだら生きているはずがないのと同レベルの、覆るはずのない自然の摂理。
「そうよ。そんなこと、あなたもよくわかっているでしょう?だから、修一くんはあなたから離れたのよ。あなたが心置きなくアルファと結ばれることができるように」
まるで修一の心を代弁しているかのように、優しく話しかける母さんの顔には、真摯な愛情が浮かんでいる。
その顔を眺めながら、俺はぼんやりとした頭で、心の欠片をぽろりと落とした。
「そんなこと分かってるよ。でも修一は、ちっとも分かってなかったんだ。……俺は、修一と離れて、生きていたくなんかなかったのに」
***
予定通りに盛大な結婚式を挙げ、俺は番持ちのオメガとなった。
俺を溺愛する夫は、俺を社交の場に連れ出すことはなく、家の中に閉じ込めた。
外で仲良し夫婦の真似事をしなくて済んで、むしろ俺はありがたかった。
世間になんと言われても気にはならない。
自分の評判も、夫の評価も、心底どうでも良かった。
いや、むしろ、オメガの妻を溺愛するアルファには、ありがちな行動だから、気にもとめられなかったのかもしれないが。
結婚から数年の間、ヒートのたびに腹から溢れるほどに子種を注がれ、立て続けに孕まされた俺は、三人のアルファを産んだ。
けれど三人目の出産で生死の境を彷徨ってから、俺に甘い夫は避妊を心がけるようになったので、俺はこの十年程、気楽な一人暮らしを楽しんでいた。
そう、一人暮らし。
夫は、修一に似ていた。
そして、夫によく似た子供もまた、どこか修一の面影が見え隠れしてしまう。
己の生んだ子供を見て、定期的に発狂するように泣き喚く俺に手を焼いた夫が、俺を屋敷の中の別棟に隔離したのだ。
俺と、子供達の心の安定のために。
あの雨の日に抉り取られた俺の心の一部は、再生することなく、癒えぬままだ。
腹を痛めて産んだ自分の子供は、確かに可愛かったはずだ。
誰に似ているとも分からない、猿のような顔立ちの赤子を、愛おしさに泣きながら抱きしめた日もあった。
けれど、絶えず血を流し続けている俺の精神は、徐々に蝕まれていき、どうしようもなかったのだろうう。
結婚して十年目の夏。
長男の顔に、初めて『修一』の影を見た日から、母性なんてものは憎悪と恐慌の狭間に落下して、二度と還ることはなかった。
そしてたとえ発情していたとしても、俺が自ら望んで夫に手を伸ばすことはなくなったのだ。
たしかに理性は本能を超えられない。
けれど、本能も、心の叫びをかき消すことは出来ないのだ。
「愛しているよ」
「僕の運命の番」
「君は、ただ生きてここに居てくれればいい」
「それだけで僕は満足だよ」
多分、俺の夫はとても優しいのだろう。
俺を心の底から愛している。
他の男を想い続ける俺を。
夫は、俺が『アルファの摂取不足』で倒れないように、毎日朝晩と顔を見にくる。
あまりに長く番から離れていると、オメガは心身共に不調になると信じているのだ。
都市伝説のようなそれが、本当かどうかは知らない。
望むと望まざるとに関わらず、俺はこの「番」から離れたことがないから。
高価な抑制剤でヒートを受け流し、どうしても耐えられない時だけ肌に触れる夫の手を受け入れる。
そんな気まぐれすら許されるほどに、甘やかされていた。
オメガの体は欲望に正直で、運命に従順だから、俺の体は夫のことを拒ばない。
きちんとアルファのフェロモンに欲情するし、触れられればドロドロに溶けて熱い蜜を零す。
逞しい肉体に組み敷かれれば喉は意図せぬ艶かしい嬌声をあげ、涙腺は勝手に崩壊して歓喜に咽ぶ。
突き刺されれば子宮はビクビクと収縮して夫の熱を喜び、熱い種を絞り出そうとするのだ。
きっと俺のオメガの本能は、ちゃんと夫に惹かれている。
けれど、心だけは、いつまでも修一を求めるのだ。
「馬鹿げた話だよな」
夫に抱かれながら他の男を想う。
夫に愛されながら他の男を求める。
人に知られれば、なんという裏切りだと詰られるだろう。
極上のアルファに愛されていながら、ベータを求める身の程知らずで狂ったオメガめ、と。
けれど俺にとっては、夫を裏切っているのではない。
修一を愛しながら、夫に抱かれることが裏切りなのだ。
最初から。
ヒートの熱に堕ちて、修一ではない男の手を取った時。
俺は、これは背徳行為だと思った。
俺の心と愛に対する背徳なのだ、と。




