侯爵と王女
支度を終えて貴賓室を後にし、侍女に案内されながら朝食の会場へと向かう。
一つ目の角を曲がったところで、向こうから年配の貴族がやってくるのが見えた。
すれ違いざまに、彼は私にも聞こえるような音で舌打ちをしてきて、思わず耳を疑う。
挨拶がないだけならまだしも、王族に舌打ちをするなどここがアクア国内ならば即刻追放の大事件だ。
ノエルが一歩前に出て「ラミー侯爵」と、下から貴族を睨め上げる。
「このお方はエイデン皇子殿下の大切なお客様です。挨拶もなく、その態度。どういうおつもりですか?」
侍女が貴族を叱責するなど、普段ならば決して許されないこと。
ノエルは貴賓室対応の侍女ということもあり、特別な権限を与えられているのかもしれない。
ラミー侯爵と呼ばれた男は反省する様子もなく、舐めるように私の全身を見つめてきて、からからと嗤った。
「どうもこんにちは、アクアの女狐さん。どうやら貴女は皇子殿下のお気に入りのようですねぇ。色で殿下を誘惑したのかな? 狙いはイグニスの土地でしょうか? それとも鉱物?」
「ラミー侯爵。いい加減になさらないと人を呼び、貴方を捕らえることになりますよ」
ノエルは真っ赤な顔をして眉を釣り上げながらでも、努めて冷静に振る舞っている。
私のために怒ってくれているのだと思うと胸がじんと熱くなるけれど、きっとこのまま彼を裁いたって何も解決しない。
「ノエル、私はいいの。はじめまして、ラミー侯爵。私はアクア王国第三王女で、こちらではスティーリアと呼ばれています」
穏やかに挨拶をすると、侯爵は言葉を無くしてぎょっとしていて。
恐らく私が我を忘れて怒鳴りつけるか、怖がって侍女に全てを任せるだろうと、思っていたのでしょう。
いぶかしげに見つめてくる侯爵に、にこりと微笑みかけて口を開いた。
「私は誓って、皇子殿下を誘惑したことはありませんし、今後する気もございません。ですが、それほどに私を魅力的だと思っていただけているのならば、貴賓室付きの侍女たちの努力と技の賜物です。イグニスは素晴らしい侍女をお抱えですね」
予想外の対応続きだったのか、侯爵は牙を抜かれた獣のように狼狽えていて。
一方のノエルは感激した様子で、胸を張っていた。
「ラミー侯爵。私の目的は、鉱物でも土地でもありません。両国の和解と安寧、ただそれだけなのです」
ゆっくり諭すように語ると、侯爵は半ばやけになったように笑い声をあげていく。
「ははは! キツネかと思えば、単なる夢見るお姫様でしたか。よほど平和ボケされていると見える。戦争はねぇ、始まったからにはもう止まりませんよ。前線では互いに仲間を殺され、故郷を蹂躙された憎しみが連鎖して膨れつつある。古の教えを軽んじた愚鈍なアクアの民は、消えてなくなるのです!」
「ラミー侯爵、無礼ですよ!!」
噛みつくような勢いのノエルを左手で制止し、首を横に振る。
「憎しみの連鎖が続いているのならば、それを断ち切る方法を探します。和解への道は、見えないだけできっとどこかにあるはずですから。ただ、侯爵……私を憎むのはともかくとして、アクアの民を侮辱する発言は看過できませんね」
微笑みを絶やさぬまま、彼をまっすぐに見つめる。
内から湧き上がる怒りを抑えながら視線を送ると、彼はぷいとそっぽを向いた。
「おや、こんなところでどうされましたか、なにかトラブルでも?」
見回りの兵士が私たちを見つけて駈けてくる。
侯爵を睨みつける王女と険しい表情の侍女、苛立った様子の侯爵の組み合わせは明らかにおかしいけれど、私は作り笑顔を浮かべて首を横に振った。
「いいえ、少しご挨拶をして立ち話をしていただけですよ。ね、ノエル? それではラミー侯爵、ごきげんよう」
――・――・――・――・――・―・――
「……あれで本当に良かったのですか?」
ノエルが呟くように言う。
「いいの。問題は彼の行動じゃなくて、もっと根深いところにある。不敬罪で裁いたって、私のプライドが満たされるだけだろうから、しないほうがマシ。古の教えというのはよくわからなかったけれど、侯爵一人説得できないで戦争をやめさせるなんて、無理でしょうから」
正直なところ腹立たしい気持ちは残っているけれど、仕方ない。
感情的な王女の話なんて、イグニスの民は聞こうともしてくれないだろうし、皆、戦争で頭に血が上ってしまっている。
感情の渦に巻き込まれれば和解なんて不可能になるだろうし、私は常に理知的であらねば。
納得がいっていなさそうなノエルと共に歩き続けると、今度は廊下の奥に白の軍服をまとう金髪の男性を見つける。
エイデンだ。
ゆったりと歩く私たちは、ちょうど朝食会場の前で顔を合わせる形になった。
「本日はお招きにあずかり、ありがとうございます」
エイデンが私の前に来たとき、ドレスを軽く摘んで右足を斜め後ろに引き、お辞儀を行う。
そっと顔を上げていくと、なぜかエイデンは目を丸くしており、惚けたように立ち尽くしていた。




