第百七十六話『禁断魔法』
揃って首を傾げる息子と義娘にネルギウスは頬を緩ませる。その愛らしさは彼の心に癒しを与えた。
少し頬を緩ませながら、彼は話を続けた。
「その瞬間まで存在していなかった過去の報告が、その瞬間に現れた。そして、彼女がそこに現れた時、同時に彼女は王宮内にいた」
ネルギウスはあるがままを語っている。けれど、アルヴィレオはそれをあるがままに受け取る事が出来なかった。
存在していない過去とは、即ち虚構だ。同じ人物が二か所に存在するとしたら、一方は偽者だ。けれど、父王の瞳はこう語る。いずれも本物であると。
存在していない、存在した過去。二か所に存在する同一人物。それは大いなる矛盾だ。彼はその矛盾を解き解す為の鍵を持っていなかった。
「……時間を遡ったのですか?」
けれど、フレデリカは違った。彼女は鍵を持っていた。
「フリッカ……? 今、君は何と言ったんだい……?」
「時間遡行だよ、アル。それ以外、思い当たらない」
「……あり得ないよ、それは。だって、それは……、御伽噺の中でしかあり得ない……」
アルヴィレオはらしくもなく狼狽えた様子を見せた。
時間遡行を題材とする本は、そのすべてがフィクションという要素を前面に押し出した小説や絵本であり、御伽噺の題材の一つというのがこの世界の人々の共通認識だった。
―――― 禁忌は御伽噺の中に封じ込めるに限るか。
それはバルサーラ教の成り立ちを知ったハロルドの言葉だ。
彼は時に纏わる研究を始めとした、望ましくない研究を御伽噺に封じ込めた。
それは荒唐無稽な夢物語である。それを研究する者は愚かである。そういう意識を人々に根付かせる為に。
愛するフレデリカの言葉でさえ、受け入れ難いと感じてしまう。アルヴィレオはまさにハロルドの術中に嵌まっている。
「思い出してよ、アル。エルフランはロズガルドだった。つまり、彼女は五百年前に存在していた事になるでしょ? だけど、わたしは幼児の頃の彼女を知っているの。それどころか、彼女が赤ん坊だった時の写真も見た事がある」
「それは君と彼女がアースで生きていたのが五百年前よりも更に……、いや……、そうか!」
アルヴィレオも気付いたようだ。
フレデリカとエルフランが異界で生きていた時代、それが五百年よりも更に前だったという可能性はあり得ない。何故なら、フレデリカの前々世であるシャロンが滅びたのが三百年前の事だからだ。
転生のタイムラグを考慮したとしても、三百年以内に生まれた筈の子供が五百年前にいた。それこそが時間遡行という現象を実証している。
「……そうだ、その通りだ。どうして、ボクは……」
ヒントは既に彼の中にあった。にも関わらず、答えに辿り着けなかった。アルヴィレオは己の蒙昧さに頭を抱えた。
「落ち着くのだ、アルヴィレオよ。そうなるように仕組まれていたのだ」
「……仕組まれていた? 一体、誰が……、何を……?」
「ハロルド・カルバドルだ。彼は『七つの禁断魔法』を御伽噺の中に封じ込めた。あくまでも空想の中でしかあり得ないものと、そう誰もが思い込むように」
「『七つの禁断魔法』……? 聞いた事がありません」
それはフレデリカも同様だった。彼女もうんうんと頷いている。
「当然だ。その為の封印なのだからな。『七つの禁断魔法』とは理論上実現可能な、実現させてはいけない魔法の事だ。中でも、時への干渉は最大のタブーだとハロルドは考えた。世界の理さえ破壊されかねないとな」
その通りだろうと、フレデリカは感じた。タイムスリップを題材とした作品は、その多くが世界そのものに多大な影響を及ぼす。それも良くない方向にばかりだ。
「ジュドはその禁断魔法を会得したという事なのですか!?」
青褪めた表情を浮かべるアルヴィレオに対して、ネルギウスは首を横に振った。
「それはない。仮に禁断魔法を会得していたとしたら、今頃はジュドにとって都合の良い世界に作り変えられていた筈だからな」
「では、一体……」
「多分だけど、地球に行ったんだと思う」
そう口にしたのはフレデリカだった。
「君の故郷に?」
「うん。多分だけど、エルだけじゃなくて、ハロルドも時間遡行者なんだと思うの。前々から不思議だったんだけど、カルバドル帝国が建国されたのは三百年以上前の事でしょ。地球とこの世界の時間の流れが違うとは思えないし、転生のタイムラグは大体150年くらいだと思うの。わたしが生きていた21世紀に生まれた技術をハロルドが知る事は出来なかった筈なんだけど、この世界に存在していて……、だから、アレ? ってなってさ。だから、転生のタイムラグの考え方に間違いがあるのかなって思ってたんだけど、時間を遡ったのなら納得がいくの。そうなると、時間遡行者がエルとハロルドの二人になるでしょ? その二人は国籍も性別も年齢も違う。だけど、共通点が一つだけある」
「……そういう事か!」
アルヴィレオもようやく彼女の思考に追いつく事が出来た。
フレデリカはエルフラン・ウィオルネの姿を幼馴染の姿そのものだと言っていた。そして、ハロルド・カルバドルに出生記録はない。ある時、どこからともなく現れたと言われている。
「二人共、肉体ごと世界を渡っている。それが時間遡行の原因という事か」
「そうとしか思えない。わたしみたいに、魂だけで移動すると150年が経過して、肉体ごと移動すると時間を遡る。原理は分からないけど、そこには再現性があるもの」
「私も同じ考えだ」
ネルギウスはフレデリカの考えを肯定した。
「そして、ジュドもその事を把握している可能性が高い。にも関わらず、世界の改変が目に見える規模で起きていないのはエルフランとハロルドの例を見ても遡る時間が一定ではないからだろう。ネルゼルファーをアース経由で遡らせたのは実験だったのではないかと考えている」
「……実験ですか」
「ハロルドが危惧した通り、時間遡行には世界の理すら破壊する可能性がある。やりようによっては、勇者や七王ですらも敵ではなくなるだろう程の力になる。だが、それは使いこなせた場合に限る。エルフランとハロルドの例を見ても、世界移動によって遡行出来る時間には差異が生じている。加えて、二人はアースからこの世界へ移動して来た人間だ。この世界からアースへ移動した場合にも、時間遡行が発生するかは分からない」
「少なくとも、時間遡行自体は成功していますね。数か月前にパシュフル大陸に現れたという事は」
「そうだ。そして、ネルゼルファーはマリア・ミリガンとザインに挑んだ。結果、ザインが彼女を返り討ちにした。その後の行方は追えていない」
「マリア・ミリガンとザインに? 何故……」
不可解だと、フレデリカは首を傾げた。過去を遡った時、ジュドが真っ先に行うべきはアガリア王国の力を削ぐ事である筈だ。
剣聖を擁するカルバドル帝国と言えば、以前まではラグランジアと裏で手を結んでいた国でもある。
「優先順位だろう」
ネルギウスは言った。
「この世界で、ジュドが最も警戒する存在は私やライではない」
「へ、陛下やライ以外に……?」
世界最高の頭脳と世界最強の武力を差し置いて、警戒すべき存在など思い当たらない。
困惑するフレデリカに彼は言った。
「マリア・ミリガンだ。彼女こそ、ジュドはもっとも恐れている。だからこそ、時間遡行と存在しない筈の超級戦力という必勝の策を彼女にぶつけたのだ。実際、ジュドは正しい。この世で最も恐れるべき存在は剣聖マリア・ミリガンだ。事実、私やライでは多大な代償を払わねば退ける事が出来なかったであろう事態に対して、彼女は一人の死者も出さずに完全勝利を遂げてみせた」
信じられない。それがフレデリカとアルヴィレオの偽らざる思いであった。
賢王と勇者に出来ない事など、他の誰にも出来ない筈だ。ネルギウスを超える頭脳やライを超える武勇を持つ者などあり得ないのだから。
「もっとも、その時はまだザインが行動を共にしており、彼の協力があってこその結果だったようだがな。それはともかく、ネルゼルファーは彼女によって退けられた後、行方を眩ませている。あらゆる情報網に、アガリア王国内に滞在している彼女以外の彼女の痕跡は発見されていない。恐らく、剣聖に挑む事以外の命令を受けていなかったのだろう。その為、未来に送り込まれるタイミングまで、待機状態にあると考えられる」
「何故でしょうか? すぐに帰還させなかったのは」
「推測になるが、ジュド自身が彼女を支配下に置いている自覚を持てる状態の時まで、彼女と自身が遭遇しないようにする為だろう。彼女を手中に収められたのは想定外の事だろうからな。自覚前に遭遇した場合、疑心暗鬼になり、彼女を手中に収めるという結果が消滅してしまう危険性もある」
「タイムパラドックスを危惧したわけですね。命令を剣聖討伐に絞ったのも、それが理由だとしたら、多用はして来ないと考えて良さそうですね」
「だが、試行回数を重ねれば実用化も可能かもしれない。加えて、ハロルドは時間遡行を実現可能と考えていた」
「ですが、時間移動の魔法でしたら、未来の何処かで会得出来れば良いだけでは? にも関わらず、アガリア王国が安泰なままという事は、逆説的にジュドが禁断魔法を会得する未来は存在しないという事ではないですか?」
「……だと、良いのだがな」
断定は出来ない。そもそも、ネルギウスには時間移動に纏わる知識が足りていなかった。
その知識に触れるべきではないという、先人達の教えに倣って来た為だ。禁断の果実を手の届く場所に置くべきではないと。
それを過ちとは考えていない。だが、今は必要に迫られている。
「ゲームでは、最終学年になってから戦争が始まりました。それ以前から、不穏な動きはありましたが、時間移動と思われる現象は起きていませんでした」
「だが、起きている。言った筈だぞ、フレデリカ。ゲームの知識を当てにするなと」
ネルギウスが叱りつけると、フレデリカは俯いた。
「言いたい事は分かる。多少なりとも、参考にすべき点があると考えているのだろう? だが、お前がお前である時点でそのゲームのシナリオ通りにはならないのだ。人間一人の人格の差異を軽視するな。恐らく、ゲームのわたしはネルゼルファーをジュドに差し向けなかったのだろう。そして、『捨て駒にしても惜しくない魔王』を得た事で時間移動の実験に踏み切った可能性がある。何度も言うが、そのゲームの知識は捨て置け」
「……はぃ」
「フリッカ……」
フレデリカ・ヴァレンタインとしての人生の中で、どうしても重視せざるを得なかったのだろう。だからこそ、執着してしまうのだろう。
それは一種の呪いだ。
前世の記憶自体はあっても良い。だが、この世界の未来を描いたゲームの知識に限っては忘れてしまった方がいい。その為にも、ネルギウスは厳しい姿勢を崩さなかった。
「猶予は残されていないと見た方が良い。故に、私も決断を下す」
「父上……?」
「ラグランジア王国を攻め落とす。ジュド諸共、王を討つ」
その言葉を聞いた時、フレデリカの脳裏にはライの姿が浮かんだ。ラグランジア王を討つという事は、彼の父を討つという事だ。
そして、魔王すら返り討ちにしたジュドに挑める者など、このアガリア王国はおろか、世界全体を見ても限られている。
ネルギウスはマリアを信用ならないと言っていた。ならば、彼が次にジュドへ差し向ける刺客は――――、
「わたしが行きます!!」
「フリッカ!? 何を言ってるんだ!?」
「オズワルド猊下はこの国を守る為に必要な御方です! ならば、ジュドに挑める戦力は魔王の力を有しているわたくしが相応しいかと存じます!」
「馬鹿か、お前は」
アルヴィレオが怒りの声を上げる前に、ネルギウスが冷たい声で彼女の決意を切り捨てた。
「わ、わたくしにはま、魔王の力があります」
あまりにも冷たい表情を浮かべるネルギウスに怯みそうになりながらも、フレデリカは必死に自分を鼓舞した。
「だからどうした? お前が歴戦の魔王であるネルゼルファーに勝るとでも己惚れているのか? そうではあるまい。大方、私がライを差し向けるとでも勘違いしたのだろうな」
「……え?」
「ライに親殺しをさせたくない一心での妄言なのだろうが、二度目は無いと知れ」
その怒りの形相にフレデリカは息が出来なくなった。怯え切っている彼女をアルヴィレオはそっと抱き締めた。
「……お前が戦場に向かう事を望む者など一人もいない。その事を肝に銘じよ。むしろ、お前が勝手に動けば、私の策が台無しになる危険性もある。暴走してくれるなよ?」
突き放すような物言いに、フレデリカは薄っすらの涙を浮かべながら頷いた。
返事を声に出す事が出来なかった。出そうとしても、微かに空気の音が漏れ出る程度だった。
「ライを動かす気もない。アレはお前を守る為の騎士だ」
「……では、どうするのですか?」
アルヴィレオはフレデリカが必死に聞こうとしている質問を父に投げかけた。
「全世界に『ラグランジアは禁断魔法に手を出した』と公表する」




