リフィーとバリー
自分で言うのもなんだが、私の生まれは不幸であった。
今は無い、とある人族の貴族の家で私は産まれた。
と言っても、私が貴族の娘というわけではない。
貴族の娘ではあるが、娘としての地位も立場もない。
ただの奴隷が生んだ、忌み子だと言われていた。
母は私と違い、黒エルフと言われるような褐色の肌はしておらず、透き通るような白い肌であり、それは美しいエルフであった。
元々は貴族に嫁として嫁ぎ、長らくは愛し合い、幸せに暮らしていたそうだ。
だが黒エルフである私が生まれた事により、貴族の態度は急変する。
浮気を疑い、契約を一方的に切ると、母を奴隷のように扱い屋敷の離れに住まわせた。
完全に縁を切らないのは外聞がよくないからだろう。
それから母は疑いを晴らすことも出来ず、愛した男に心を踏みにじられ、その心労がたたり体を壊して死んでしまった。私を産んでから、6年後のことだ。
貴族がどういう葛藤と苦しみを覚えて母を捨てたのかは知らない。
知ろうとも思わないし、知りたいとも思わない。
母の苦しみは間近で見てきた。
私のこの肌は先祖がえりのようなもので、母が不貞を働いたわけでは絶対に無い。
母は恨み言の一つも言わず、ただただ私に愛情だけを与えてくれた。
母が死んでから10年後。
私が16歳の誕生日を迎えた日、貴族の住む屋敷に呼び出された。
まさか誕生の祝いでもしてくれるのかと私は愚かにも思っていた。
そんなはずもないのに、もしかしたら母の誤解が解け、母に代わって私に謝罪の言葉でも言うのかとも期待していた。私は救いようのない愚か者なのだろう。
死んだ母がそれで救われるわけではないが、それでも誤解されたままでいるよりはましだと。
だが現実は、そんな私の心を存分に引き裂いた。
「少しはあの淫乱売女に似てきたな。さっさとその汚い服を脱いでこちらへこい。あの売女の娘だ、もう生娘でもあるまい。なんだ? まだ生娘なのか。ならば俺が男の味を教えてやる。有り難く思えよ」
あの貴族はそう言って私を無理やりに抱いた。
正確には抱きついた、だ。
醜く太り切った体は、自室の壁に飾られている肖像画に描かれていた頃の面影は一切ない。
私は絶望した。
少しでも期待していた自分と、この男の血が自分にも流れているという事実に。
母から学んでいた風の魔術で貴族を吹き飛ばし、屋敷から飛び出す。
息が続くまでとにかく走った。何も考えたくなかった。
気付けば見知らぬ土地まで走ってきており、そのまま当てもなく歩き続けた。
あの貴族が住む屋敷から出来るだけ遠くに行くため。
もう私には帰る場所などない。
ただ歩くだけしか出来なかった。
三日ほど歩いたところで、私は隣国のシクティスへとたどり着く。
シクティスには貧民街というものがある。
そこは行き場のない者が集まる場所であり、いずれは私達もそこへ行く事になるかもしれないと生前の母が言っていたのを思い出す。
その時の行き場の無い私には、皮肉にもおあつらえ向きの場所であった。
だが人生とは上手くいかぬものである。
貴族が私を捕まえるために三人組の男を、差し向けていたのだ。
ガラの悪い男達は、貴族から私を連れてくるようにと頼まれている、悪かったから帰って来てくれ、私を信じてくれ、と言われたと語る。
本来ならば、罪人として裁かれてもおかしくない罪を犯していたことに、私はその時になってようやく気付く。
だが罪人として捕まえないのは、法によって処罰を受けさせず、母の代わりに私を抱き、犯すためだと容易に思い至った。あの貴族ならば、そう考えるだろうと。
なにせ一度目は未遂とはいえ私を犯そうとしたのだ。それでも信じろというのは無理がある。
私は三人組の男に風の魔術を放ち、またも逃げ出した。
だが三日間飲まず食わずでいた私には、体力も魔力もさほど残っておらず、貧民街の路地裏で捕まり何度も殴られ、麻袋に入れられ連れ去られてしまう。
悲しくて悔しくて、ただ泣いていた。
だけど涙も水を飲まなければ出ないものなのか、私は一滴の涙も流せぬまま、乱暴に担がれ、泣き顔を作っているだけだった。
どうして私はこんなにも不幸にならなければいけないのか。
私が黒エルフとして生まれてしまったからなのか。
私は生まれてこなければよかったのか。
神様がいるならば、どうかこの問いに答えてほしい。
そう思っていた。
男たちが妙に騒ぎだしたかと思うと、私は体に浮遊感を感じた直後、強い衝撃を全身に受け、意識を一瞬だけ失ってしまう。
どうやら男に投げ捨てられていたようだ。
状況は理解できないが男の手から離れたのだ、とにかく逃げ出そうと麻袋から這い出るが、思うように体が動かない。
なんとか顔を出した先には、三人組とは違う、赤髪の男の子が立っていた。
その直後、背中から胸にかけて焼けるような痛みを感じる。
痛みのためなのか、それとも死ぬのだろうか。
私は意識がゆっくりと遠くなっていくのを感じていた。
これで私はこの辛い世界から解放されるのだと思うと、不思議とほっとしたような気持ちになったのを覚えている。
しかし失ったはずの意識が戻ってくる。
目を開くと先ほどの男の子が目の前に跪いていた。
まだ意識が朦朧とする私に向けて、どこか泣きそうな顔をして彼はこう言った。
「……俺が守ってやる。任せろ」と。
もしかしたら神様はいるのかもしれない。
私はその男の子に抱きついて、ただただ泣いた。
涙なんて枯れていると思っていたが、どこに隠れていたのか、とめどなく溢れてくるではないか。
男の子の腕の中は、良い匂いがし妙な安心感を与えてくれる。
私は運命のようなものをその男の子に感じていた。
その運命の男の子の名はバリロック・ハーツ。
私リフィーを、辛いだけの世界から救ってくれた、最愛の人の名だ。
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