バリーとリフィー
俺は勇者と神の血を引くと言われている大貴族ハーツ家の長男である。
何百年と続くハーツ家の歴史の中で、勇者として目覚めた者も、神の力に届いた者もいなかったが、国内外でも有数の武力と権力を有していた。
その半分以上は過去の威光からくるものだが、その名に恥じぬ家だと今でも俺は思っている。
子供時分には自分が勇者の血が覚醒する日が来るのではないかと、必死になって修行に励んだものだ。
そうしてハーツ家に代々伝わる実戦式の訓練と、空手と言われる武術と柔道という護身に近い武術も収めた。
剣の腕も父を除けばこの国『シクティス』では並ぶ者はいない。
だが待てど暮らせど修行せど、俺が勇者の血が目覚める気配は全くなかった。
そもそもこの太平の世に勇者なんてものは必要がない。
目覚めたところでその力を有効に使える道は本来無かった。
いい加減勇者になるという夢からも覚めようかという頃、俺は突如として勇者の力に目覚めることとなる。
切っ掛けは、人さらいの現場を貧民街で発見したこと。
周囲の近しい間柄の人間にこの話しをすると、バリーらしいと笑われる。
本来、勇者の血が目覚めるというのは笑い事ではないのだが、それでも笑ってくれる者達だからこそ近しい存在になっているのだろう。
まず、何故大貴族の長男坊である俺が貧民街にいたのかだが、理由は単純明快、強すぎる好奇心が発端だった。
貧民街というものがあるとは知識としてはあった。
危険な場所であり、不衛生極まりなく、王都に住む許可を得られない者や、流れ者が集まる悪の吹き溜まりだと教師からは聞いていた。
自分の住む国にそんな場所があるなどと聞いて、興味が湧かないわけがなかった。
ハーツ家は代々余計な事に首を突っ込みたがる性分らしく、俺もその血を色濃く受け継いでいた。
そして俺が目指すものは勇者だったのだ。勇者を目指すならば尚のこと、悪の吹き溜まりと言われた貧民街に興味をひかれる。この当時の俺は、勇者とは正義の味方だと勘違いしていた。絶対の正義などあるわけがないというのに、自分が立っている側が正義だと、都合の良いことを思っていた。
俺は剣の腕も、武術の腕も大人に引けを取らないまでになり、一大決心をして貧民街へと足を踏み入れた。
大貴族と言っても、貧民街の人間には貴族の差など分からない。
仮に俺が公爵家の人間だと言っても、男爵家の人間だと偽っても、彼らにはどちらとも貴族には変わりない。ただの金持ちだとしか認識していない。
この街では肩書などは通用しない、無意味なものなのだ。
今でこそ頼れる仲間たちではあるが、初めて貧民街で出会った時の印象は、それはもう酷いものだった。
金を持っていそうなカモが来たと、10人がかりで襲われ、横合いからの不意打ちを俺はくらった。
まさか夜の街道でもあるまいし、突然襲われるとは思いもよらなかった。危うく不覚を取りそうになるが、所詮相手は素人集団。寄せ集めの暴漢共にすぎない。
これが仮に魔物の群れだったならば、さしもの俺も無事では済まなかったか、最悪死んでいただろう。
武器も道具も持たぬ、自分と同じような背格好と歳の少年たちだ。
まさか同年代の子供に俺が負けるわけもない。
剣を抜くまでもなく、全員を石畳の上に倒し、それから俺は成り行きで貧民街の子供連中のボスとなってしまう。
強い奴がボスになる。なんともシンプルな考え方で大変好ましいではないか。
ボスとなった俺は定期的に貧民街の治安維持を行っていた。
理由はいくつかあるが、それはまぁいいだろう。
ボスとなってから一年。貧民街の大人達にも一目を置かれるまでになった俺は、その日もいつも通り貧民街の警備を行い、恙なく終わったことに小さな達成感を感じつつ元悪ガキ連中と別れる。
彼らも貧民街の平和を守る、正義の悪ガキとなっていた。
屋敷への帰り道に裏路地を選び、一人歩いているところで事件は起きた。
俺と左程変わらないであろう女の子が、ガラの悪い男たちから容赦のない暴力をふるわれている。
蹴られ、殴られ、大きなずた袋に入れられるのを目撃する。
考えるまでも悩むまでもなく、躊躇せず全力でもって駆けた。
男は3人。
こちらの接近に気付いた手前の男が剣を抜いた。
剣を抜いたということは、相手もこちらを殺す覚悟があるということだ。
剣は決して脅しのために使う物ではない。
対象を害する目的で使う、生物を殺すための道具が剣だ。
男が剣を抜き切ったところで腕を斬り飛ばす。
悲鳴は一瞬後に響く。
腕をなくした男は、まだ剣を握ったままの自分の腕を置いて、よろけながら逃げて行った。
自分の腕に自信はあるが、だからといって武器を持った相手に油断をすることは絶対にあってはならない。
武器を持ち、人を殺す覚悟を決めた者は、正常な判断力や思考力などを失ってしまうことが間々ある。
特に武器を持った経験の少ない者はそうなりやすい傾向にある。
相手にしている男達も、とても武芸に精通した佇まいには見えない。
精神は興奮状態にあると思って間違いなかった。
何をしてくるか予測のできない相手に余裕を見せ、素手で戦うなどという行為は危険であり、ただの慢心だ。
殺しに来た者は、殺される前に殺す。
それが武器を持った相手と対峙した際の鉄則である。
「なんだてめえ!」
もう一人のずた袋を持っていない方の男が、剣を抜きがなる。
「ただの通りすがりの正義の味方だ馬鹿者」
女の子の入っているずた袋を肩に抱えていた男は、仲間が斬られた上に、挑発されたことで頭に血が昇ったのか、乱暴にずたぶくろを投げ捨て剣を抜く。
ハーツ家の家訓に「愛する女性は命を賭しても守れ」というものがある。
愛する女性に限らずとも、女性には紳士的に接し常に守るべしと教育されてきた。
女の子を乱暴乱雑に扱う様を見て、我を失う程の怒りが瞬間的に湧き上がるのを感じる。
これはハーツ家の血と教え、そして俺自身の性格から来る短気だろう。
奇声を上げながら斬りかかってきた男の体へ、袈裟斬りに剣を滑らせる。
確認せずとも絶命したと分かる手ごたえを覚える。
人を殺したという事実が、心に若干の隙を作ってしまう。
命を取り合おうという時に、躊躇いは大敵である。
その躊躇が自分を殺すことになると、父からは稽古の度に厳しく言われていた。
その時、袋から這い出るように女の子が出てきていた。
俺がそれを目で追っていたのがいけなかった。心の隙とは正にこのことである。
最後に残っていた男は錯乱し、叫びながら女の子の背がある辺りを袋の上から突きたてた。
剣が引き抜かれると女の子は一度びくりと跳ね、そのまま動かなくなってしまう。
何が起きたのか理解が出来なかった。
助けようとした女の子が殺された。
それだけのことである。
それだけのことであるのに、頭が何一つ理論的な思考をしようとしなくなっていた。
ただ頭の中には後悔と憤怒が渦巻いていた。
何故守れなかった。
何故助けれなかった。
何故殺した。
そこで意識が空へと昇ったような感覚に襲われ、自分のものとは到底思えない強い力が体を巡っていることに気が付く。
酷く錯乱している男の首を撥ね飛ばし、倒れたまま動かない女性のもとへ剣を投げ捨てて近づき跪く。
石畳には、まだ鮮やかなままの血が広がっていた。
――どうしてそうしたかは分からない。
体を巡る強い力。
その力をありったけの願いを込めて女の子へと流し込むことをイメージした。
そうしなければいけない、そうするべきだと思ったからだ。
俺は頭が良い方ではない。この部分はどうにも言葉にするのが難しい。
強いて平たく言えば、勘か、思いつき、その辺が適当だろうか。
女の子の顔にあった傷が治っていくのが見える。
本来男である俺には、まだ魔術は使えないはずである。
だが現に女の子の傷は癒えていく。
その時、代々ハーツ家に伝わる勇者の伝説を思い出す。
魔力の使い方など分かるはずもない。
とにかく伝承の通り「治ってくれ」と念じ、得体の知れない力を女の子へと流す。
しばらくもせず彼女は目を開く。
赤い瞳の女の子。
その瞳は俺の髪の色と同じであり、運命めいたものを感じていた。
ハーツ家に伝わる勇者と神の伝説とは男女が逆になってしまったが、伝説と同じ結果となってくれた。
これが俺とリフィーの出会いであり、俺が勇者の血に目覚めるに至った出来事である。
意識が戻った彼女は、酷く怯えた目で俺を見ているように思えた。
「大丈夫、悪い奴らは……殺した。他にもいるなら、俺が守ってやる。任せろ」
殺した。俺は初めて人をこの手で殺めてしまった。
覚悟はできていたつもりだった。
剣を持つ以上は綺麗事では済まされない事も起こる。
そんなことは、剣を握ると決めた幼少の頃から理解していたことだ。
頭ではわかっていても、心までは理解していなかったようだ。
目の前のリフィーは「殺した」という言葉に反応して、体を強張らせたように見えた。
「……ありがとうございます……あり、ありが、ありがとうございます……!」
だがリフィーは俺に抱きつき、声を殺して泣いていた。
リフィーの下半身はまだずた袋に収納されており、「足が無いなんて、まるで人魚族みたいだ」と的外れな感想を俺は抱いていた。
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