1 悪役令嬢は踏まれたい
その日は間違いなく、少女にとって運命の日だった。
「はじめまして」
厳粛な空気を纏った謁見の間。
青年の穏やかな声が、静けさの中に響く。
金糸のような、きらきら煌めく長い金髪。
エメラルドの輝きを閉じ込めた瞳。
こちらに向けて、にこりとはにかむ薄い唇。
ラエリアン王国第一王子、ウィリアム・ミッドフォード・クラウン。
その美しさを、この国で知らぬ者はいない。
誰が呼んだか、ついたあだ名は顔面最終兵器。
見たものを一瞬で虜にするその容姿は、国一番の美青年と謳われる。
そんな彼の前に、着飾った美しい少女が一人。
陶器のように白い肌。華奢な身体。両サイドで小さなお団子を作った、ダークブラウンの長い髪。歳の頃は十五歳くらいだろうか。まだ顔立ちに若干の幼さが残っている。ドレスと同じ色をした、ワインレッドの大きな瞳は緊張しているのかどこか落ち着きがない。
「お会いできて光栄です、ノア様」
青年はそう言って、少女……ノアの細い手を取り、にこりと綺麗な笑みを浮かべる。
その笑顔は、まさしく顔面最終兵器。
その視界の暴力に耐えるには、ノアはあまりに無力で。
「……ブクゥ」
目眩がしたと同時に、その場に泡を吹いて卒倒した。
「おっ、お嬢様ーーーーーー!!」
大理石の冷たい床に、彼女の華奢な体が崩れ落ちる。
そして彼女は唐突に、全てを思い出した。
自らの前世を。そして、自分が、乙女ゲームの悪役ポジションにいることも。
全部全部、思い出してしまったのだ。
『ラブドキッ♡ロイヤル学園』
通称、ラブロイ。
それが、そのゲームのタイトルだ。
基本的なストーリーの流れは至極単純。平民上がりの主人公、フィオが貴族しか入学を許されない超名門学校、王立ノーブル学園に入学し、イケメンたちと甘々な日々を送る……と、まぁどこかで聞いたことのありそうなコテコテ王道乙女ゲームである。しかしコテコテ王道の割にというか、だからこそというか。ラブロイは、設定こそ単純だが、そのストーリーは深く作り込まれており、まるで一編の小説を読んでいるようなその重厚な読み応えは、多くのファンを惹きつけた。大ヒット御礼! 売り切れ続出! アニメ化決定! ……とまぁ流石にそこまではいかなかったが、それでも確かそこそこのヒットを飛ばしていた筈だ。
そして、ノア・オルコットは、そんな『ラブロイ』のお邪魔キャラとして登場する少女だった。学園でもぶっちぎり一位の美人で、頭も良いお嬢様。しかも貴族の中でも強い権力を持つ、オルコット家のご令嬢だ。おまけにラブロイの攻略対象の一人、ウィリアムの婚約者……と、まさしく誰もが憧れる完璧な令嬢だった。そう、あくまでここまでは。忘れるなかれ、彼女はお邪魔キャラ。悪役令嬢は性格が悪いものだと、昔っから相場が決まっているのだ。
そして勿論、彼女もその例に漏れない。
高飛車、傲慢、意地悪と三拍子揃ったその性格の悪さは、まさしく悪役令嬢。これまたコッテコテである。
そしてまたその例に漏れず、ヒロイン……フィオへのその苛烈なイジメっぷりは半端じゃなかった。陰口なんて当たり前、学園の権力者に根回しして学園ぐるみでイジメを進め、挙げ句の果てには、フィオに無実の罪を着せたことさえあった。陰湿でねちっこいその様から、ついたあだ名は『G』由来は言わずもがな、あの一匹見たら三十匹のアレだ。
……とまぁ、そんなわけで、最高に性格が悪い彼女だったが。しかし、実はそんなドクズなノアが迎えるエンドは、そう悪いものではなかった。
なんと、彼女が迎えるのは友情エンド。攻略対象達の逆鱗に触れ、投獄されそうになるノアをフィオが庇うのだ。さすがの悪役令嬢もこれには感動し、今までの罪を反省。良き友人ポジにジョブチェンジ。ヒロインの恋が上手くいくよう、そっと背を押し、最終的にはノアも田舎の心優しい青年と結婚……と、綺麗に終わるのである。しかし悪役令嬢として、それはいかがなものであろうか。自分を散々いじめてきた女が、これといった報いも受けずにプレイヤー達が満足するか……と聞かれれば、答えは勿論否だ。そう、悪役令嬢に相応しいのはやはり王道の没落コース。ヒロインと和解して友情エンド、だなんてそんな生ぬるい展開は、小学生向けの児童文庫で充分である。
「というわけで、合法的に踏まれたいので没落しようと思いますの!」
「いやどういうわけか全く分からないんですけど???」
白いシーツが敷かれた、天蓋付きのベッドの中。鼻息荒く、高らかにそう宣言した少女……ノア・オルコットに、従者のアルフォンスは「またかよ」と言わんばかりの冷たい視線を送った。明るい茶髪に、トパーズみたいな色の瞳、と普段は人懐っこさを感じさせる顔には、しっかり呆れの色が滲んでいる。
ここはラエリアン王国首都、アムネリス。
王城で王子との謁見中に突然倒れたノアは、この街にあるオルコット家の本邸へと緊急搬送されたのだ。そして、眼を覚ますなり長い間側仕えを務めるアルに、自分の思い出した全てを打ち明けたのである。
「つまり、この世界はゲームの中の世界で、お嬢様はその悪役ポジションにいる、と……そう言いたいわけですか?」
十五分にも及んだ、長い説明を噛み砕いて、彼はそう言う。
「そうですわ! 私こそ、悪役令嬢ノア・オルコット! 主人公に陰湿で犯罪まがいの嫌がらせを繰り返すド畜生なのです!!」
「いやそんな目を爛々と輝かせて言う台詞じゃないと思うんですけど」
ベッドの中で興奮気味にそうドヤ顔をキメる主人に、アルは露骨に溜息を吐きながら側にあった木製の丸椅子に腰掛ける。
「にしたってまぁ……随分とまた突飛な」
「あら、私が信用できませんの?」
「ぶっちゃけお嬢様を信用した事は一度も無いです」
「間違っても主人に吐く台詞じゃないですわね」
白々しい調子で「やだな冗談ですよ」とアルは笑う。その目はしっかりと泳いでいたが、とりあえず不問にしておいた。この従者の不敬は今に始まった事でもない。まぁ実際、信用されるような事をしているかと聞かれれば、勿論答えは否なのだが。
「まぁ、信じる信じないはこの際置いといて。
にしたってどうして没落なんてする必要が? このままいけば、片田舎の心優しい青年(笑)と結婚なんでしょう? ハッピーエンドじゃないですか」
「あら、だからそんなエンドじゃつまらないでしょう? 悪役令嬢はやっぱり没落ルートを辿るのが鉄板、ベストってものよ」
「へぇ……。で、本音は?」
「合法的に踏まれるポジションとか最高に美味しいですわよね」
「そんなとこだと思いましたよ!!!」
悲痛な声を上げ、アルは思いっきり頭を抱えた。そう、実はというか今更ながらというか。この令嬢、生粋のドMなのである。
「っはぁぁ……良いですわよねぇ……言い訳も何も出来ない状況で、ゴミを見るような目で大勢から嘲られるなんて……」
「本当、今日も今日とて安定のドMっぷりですね……?」
「正直糾弾イベントを妄想するだけでご飯三杯余裕ですわ」
「妄想で赤面するの止めて頂いて良いですか」
「アッその目めちゃくちゃキますっ! どこにとは言いませんけど!!」
「ギリアウトですお嬢様!! アンタそれでも貴族か?!」
声を荒げ、ハァー……と長い溜息を吐く。本日三度目の溜息。ため息をつくと幸運が逃げる、なんてよく言うがもしそうなら幸運値なんてとっくの昔にマイナスに振り切れているだろう。
「と、とにかく! 俺は没落なんて、絶対認めませんからね!! 旦那様に叱られてしまいます!!」
「あら、そんなの知ったことじゃありませんわよ。それに、貴方は私の従者でしょう。言うことが聞けないなら、今ここでクビにしても構わないのだけれど?」
「……っぐうう……汚ったねぇ……」
言って、勢い虚しくアルはがくりとうなだれる。従者にとって主人の言葉は絶対だ。クビの二文字を出されれば、彼に拒む術はない。
「っ……本当、イイ性格してますねアンタ」
「女はこれくらいしたたかじゃなくちゃね。で? どうしますの?」
ノアはそう、答えを促すかのようにアルに向けてにこりと微笑みかける。もっとも、彼に選択権なんて無いのだけれど。
「っ……あーもー! 分かりましたよお手伝いしますよ!」
きっかり三分。ぐぬぬ、と唸り声をあげ、悩みに悩んだ末、アルは半ばヤケクソのようにそう言った。
「まぁ嬉しい! 私に付いてきてくれるんですの?! ああ、やっぱり貴方は最高の従者ですわね!」
「どの口が言うんだよ……」
「あら、何か言いました?」
「言ってません言ってません!! 言ってませんから解雇届ぴらぴらさせるのやめて下さい!!」
必死の懇願に「ふん」と鼻を鳴らし、どこからともなく取り出したそれをゴミ箱に投げ入れる。
—— ま、どーせ私が下手な事をしないよう手綱を握っているつもりなんでしょうけど。
でも、そんなことはどうだってよかった。だってノアの隣に立つのは、いつだってどんな時だって彼以外にはありえないのだから。他の誰かじゃ、このポジションは務まらない。シナリオとしても、ノア本人の想いとしても。
「で、どうするんですかこの先。没落って言ったって、そう簡単なことでも無いでしょう」
「あら、そうでもありませんわ。要はゲームのノアを演じればいいだけですもの」
そう、あの時、あの糾弾イベントの時、ノアに味方をしたのはいじめられた張本人であるフィオだけだった。つまりノアは、悪役令嬢を演じ、かつ最後にフィオが差し伸べる救いの手を払いのければいい。
「ま、とりあえずはあの顔面キラキラ王子との婚約を叩き潰すところからですわね!!」
「いやちょっと待って下さい?!」
いい笑顔で放たれた驚愕のノアのセリフに、アルが早速ストップをかける。
「あら、何? 何かおかしいところがありまして?」
「いや、いやいやいや! おかしいも何も婚約破棄って! そんなの出来るわけがないでしょう?! 相手は王家、こちらから婚約を蹴ったりなんてしたら社交界で何と言われるか……」
「心配しなくても、こちらから切ったりなんてしませんわよ。あくまでも、破棄させるのは相手側からですわ」
「相手、から……?」
アルが不思議そうに、ノアの言葉をそのまま繰り返す。そう、アルの心配もごもっともだ。なんてったって相手は王家。格上の相手の婚約を破棄するなんて、それこそ社交界で後ろ指を指されることは間違いない。もちろん、破棄されてもそれは同じこと。王家から婚約を切られて、悪評が立たない訳がないのだ。そしてノアとしてもそれは本意ではなかった。彼女が望むのは完璧な悪役令嬢。中途半端に後ろ指を指されて、今後のゲーム本編での行動がしづらくなっても困る。万が一学園内でいじめの標的なんかにされれば、悪役令嬢も何もあったものではない。
「つまり、私がしたいのは、婚約破棄の為のフラグ建築。今のうちから嫌われておけば、王子とヒロインの言葉を素直に信じるでしょうし、そうすれば婚約破棄も没落とスムーズにいくはずですわ」
「なるほど……」
ゲームの中のノアは、攻略対象には良い子ちゃんのフリをしていた。だからこそ、最初はフィオの言葉が攻略対象達に信じてもらえなかったのだ。だが最初からこうして嫌われる努力をしておけば、きっと彼らがノアに見切りをつけるのも早くなる筈だ。
「ま、嫌われるっていっても、暴言を吐いたり、それこそ手を挙げたりなんて本当に失礼な真似はしませんけどね。それを理由に、ゲーム開始前に婚約破棄されても困りますし、やっぱり悪役令嬢たるもの、糾弾イベントで没落すべきですもの」
だからゲームに入るまでは、攻略対象全員にいい感じに嫌われ、かつ今のポジションをキープしなければならない。
「というわけで、やっぱりぶりっ子を演じるのが一番かな、と」
「いや何がどうしてそうなったんです??」
これまたいきなりの発言に、アルは引き攣った笑みを浮かべる。
「あら、簡単ですわよ。とにかく鬱陶しいくらい、王子にベタベタブリブリしまくってやるんです! そうすれば表立って悪事を働かないまま、性格の悪さだけは示せます!!」
そうすれば、不敬罪で裁かれることも社交界で後ろ指を指されることもないはずだ。向こうだって婚約破棄を申付ける真っ当な理由も無いだろう。少なくとも、ゲーム開始までは。
「と、とにかく、学園の入学まで一年ありますし! 糾弾イベントがスムーズにいくよう、好感度を今から出来るだけ下げておくのです!」
そう、だからこの一年が勝負だ。いかに性格の悪さを見せつけ、どれだけ好感度を下げられるかに今後の没落が掛かっていると言っても過言ではない。
「というわけで、全力でぶりっ子を演じますわ!」
「でもお嬢様、重度のイケメン恐怖症じゃないですか。それこそ、王子の顔見て泡吹きながら卒倒するくらいには。ベタベタブリブリとか大分無理があると思うんですが」
「そこは……き、気合いで!」
「うわ根性論」
「……ぼ、没落の為と思えば! イケメンの一匹二匹、なんとか、なりますわよっ……多分!」
「声ガッタガタじゃないですか……。ま、上手くいくと良いですね」
疑わしげな視線を送りつつ、アルはお愛想程度にそう言葉をかけた。一体、没落を果たすまでに幾つ彼女の死体の山ができるのやら。
── というか、没落なんて絶対させませんけど。アンタには、必ず幸せになって貰うんですから。
アルのそんな決心なんてつゆ知らず。ドM令嬢は「ビバ、没落!! ヘヴンへ向けて突き進みますわよー!!!」と鼻息荒く、そう宣言するのだった。
それが、全ての始まりだった。
一話書き直しました。よろしくお願いします。