2 悪役令嬢はイケメンに備える
オルコット邸に一通の手紙が届けられたのは、ノアが記憶を取り戻してから数日が経った頃だった。
「ついに、来たわね……この赤紙が」
渡された手紙の封蝋を見て、ノアは一人、深刻な面持ちでそう呟く。
封蝋に押されていたのは、蛇を喰らう、獅子の家紋。
……王家の紋章だった。
「アルフォンスをお呼びなさい。……戦争よ」
いつになく真剣なノアに、手紙を届けたメイドは、ただコクコクと頷くことしか出来なかった。
ウィリアム・ミットフォード・クラウンは、ラエリアン王国の現第一王子。わずか十五歳にして女性を惑わす美しい容姿を持ち、王である父の仕事を手伝う天才児である。政治の方の腕も確かなようで、彼のアイディアで農村部の飢饉が救われた、という噂は、今じゃこの国の国民は皆知っている。性格も温厚で、紳士的。周囲への気配りも上手く、人間を惹きつけるカリスマ性まで持ち合わせる。彼の優しい声に、虜になった女性は数知れず、だ。まさしく女の子の描く理想の王子様像をそのまま体現したような彼は、社交界の中だけでなく、ラブロイのキャラクターとしても抜群の人気を誇っており、ファンも一等多かった。しかし、往々にして美しい薔薇には棘があるものだ。彼のルートは、攻略がとんでもなく難しかった。一体なぜか?
実はこの王子、本性がとんでもない腹黒野郎なのである。
彼の性格をカテゴライズするなら、腹黒ドSといったところだろうか。いつもの優しい顔はただの仮面で、その腹の内では周りの人間をいつも冷たく見下している。考えてもみて欲しい。容姿にも才能にも境遇にも、全てに恵まれた人物がまともな性格になるはずがない。彼は自分より劣る全ての人間に退屈し、辟易していたのだ。時には自分が楽しむためだけに、人間関係を引っ掻き回したりもしていた。腹黒、というよりは最早サイコパスに近いものがある。学園に入学してからはヒロインに出会って徐々にその性格は丸くなっていくのだが、彼は今ノアと同じで十五歳。絶賛トンガリ期真っ最中である。
「そんな彼から!! お茶会のお誘いが!! 来てしまいました!!」
昼下がりのオルコット公爵邸に、ノアの悲痛な声が響く。自室でアルの淹れた紅茶を飲みながら先程まで熱く弁舌をふるっていた彼女の手には、力を込めすぎてくしゃくしゃになった王家からの手紙が、しっかりと握られていた。
そう、手紙の内容は、至ってシンプルなものだった。『この間はそっちの令嬢が倒れちゃったし、仕切り直して茶ぁでもしばこうや』と、簡単に言わなくても大体こんな感じの内容だ。要は、両家公認デートのお誘いである。
「というわけで、作戦会議ですわ!! 議題はあの腹黒サイコパスドS王子とのお茶会を乗り切るか!! 意見のある者は挙手なさい!!」
立ち上がり、ノアはキメ顔で高らかに言う。まぁ、意見のある者も何も、ここにいるのはノアと、彼女の従者であるアルだけなのだが、それはともかく。
主人の話を真面目な顔で聞いていたアルは、ここで露骨に表情を歪めた。
「えっ、もしかして……それだけですか?」
「あら、どうしたの。そんな鳩がマシンガン食らったような顔をして」
「それ死に顔ですよね。ていうか、絶対顔の原型とどめてませんよね。
……いや、メイド長のアンさんから『急いでお嬢様の下に行くように』と物凄い剣幕で言われたので……もっと、重要な話かと」
ポリポリと頭を掻きながら、アルが言う。アルに詰め寄るメイド長の剣幕といったら、実際、半端なものではなかった。ただでさえ怖い顔をさらに強張らせて言うのだから、流石のアルも少し緊張気味にノアの部屋を訪れていたのだ。
しかし、蓋を開けてみれば、話の内容はなんとも平和ボケしたものだった。
明らかに拍子抜けした風であるアルに、ノアはむぅぅ、と白い頬を膨らませる。
「まぁ、アル。これは極めて重要な議題ですわよ?なんてったって、攻略対象である彼との初めてのデートなんですもの。ここでどんな行動を取るかが、今後の没落の鍵を握ると言っても過言ではないわ!!」
「はぁ……。でもお嬢様、会議も何も、この間王子に鬱陶しいくらいのアプローチをかけるって仰ってたじゃないですか。気合いで」
「ええ、確かに言いましたわね。……でも、私、正直言ってあの顔面偏差値に丸腰で挑んで勝てる気がしませんの」
「うわ素直」
「このままではまた卒倒して前回の二の舞……。なので。私が平和にお茶会を乗り切る方法を考えようと思います」
言って、ノアはコホンと咳払いをした。そして視線で、アルに言葉を促す。
何か案を出せ、とでも言わんばかりの目だ。
アルは眉根にしわを寄せ、うぅんと低く唸った。しかし、どうやらロクな案は出なかったらしい。まぁ、無理もない。そもそもこの様子を見て、王子相手に無事で帰って来られる気がする者もいないだろう。
「いっそ、仮面でもつけて貰ったらいいんじゃないですか? 貴方のその無駄に眩しい顔面が苦手ですって」
「不敬にも程がありますわよ。そんな事言えるわけがないでしょう」
冗談まじりのアルのアイディアは、ぴしゃりと一蹴された。じゃあ一体どうしろというのか、と言わんばかりの溜息が、室内に小さく響く。
「……ていうか、何でお嬢様ってそんなにイケメンが苦手なんでしたっけ?」
「それが不思議なのよね……。少なくとも、別にイケメンに何か痛い目に遭わされた記憶はないのだけれど……」
尋ねられ、ノアは記憶をこねくり回す。
── そういえば、イケメンは小さい時から苦手だった。
「ああ、思い出しましたわ! 私、前世で結婚詐欺のターゲットにされましたの!」
「は?! 結婚詐欺!?」
突拍子も無く飛び出した言葉に、アルが大きく目を見開く。
「ええ。その時の相手が超ド級のイケメンでしたわ。顔もいい上に紳士的で……喪女を拗らせてた私は、簡単に騙され大金を失い、絶望して自殺しました。多分、そのせいですわね」
「うわ重っ」
「まぁ、当時の私は最高に喪女でしたからねぇ。初めて自分を愛してくれる三次元の存在が嬉しくて仕方なかったのでしょう」
「…………想像以上に惨め過ぎて、もうコメントのしようが無いです」
「ええ、しなくて結構よ。……あまりいい思い出でもないし」
前世のあれやこれやを思い出したのか、引き攣った笑顔を浮かべながらそう言って、ノアはふぅと嘆息した。そう、今話すべきは結婚詐欺に引っかかった哀れな喪女の話などではなく、あの顔面最終兵器とのお茶会をどう乗り切るか、である。
「いっそ顔を合わせなくて済めば一番いいのだけれど……断ったりできないかしら」
「それこそ失礼でしょう。前回お嬢様は王子の目の前で卒倒してるんですし」
「それもそうですわよね……」
確かに、倒れただけでもそれなりの失態なのに、その次はドタキャン、となればいよいよ王家の機嫌を損ねる事になる。ノアは没落を目指してはいるが、そんなこと彼女の父親が許すはずも無い。それに、彼女が望むのは糾弾イベントで断罪されてからの没落だ。つまりはより大勢に嫌われ、完膚無きまでに没落したいのだ。もう二度と這い上がる余地が無いくらいに。だから彼女も、こんな中途半端な所で、王家に喧嘩を売りたくはなかった。あくまでも、今は嫌われるタネを撒くだけでいい。
「うぅん……そもそも、イケメン嫌いの私が王子の婚約者になる、っていうのがもう無理がある気がしますわ……」
「まぁ、それは確かに」
「あんなイケメンと同じ酸素を吸って、並んで、仲良くお茶……? 心臓発作で今度こそ死にますわよきっと」
「そのイケメンと、ゆくゆくは同じベッドで寝る仲になるんですがね」
「絶望に絶望を叩きつけるのやめてくれません!? 絶対させませんからそんな事!!」
「ああ、じゃあそうだ」
ガウッ!と牙を剥き出さんばかりにノアが噛み付いたところで、アルはそう、ポンと手を打った。
「イケメンの写真集を見てリハビリするのは如何でしょう。いや、いきなりガチのイケメンだとハードルが高いか……。そうですね、美少年写真集辺りから初めて、徐々に慣れていく感じで」
そう、いきなり直イケメンより、二次元でも何でも、イケメンの素材に触れて徐々にステップアップしていく形の方がいいと、アルはそう考えたのだ。
これなら、時間はかかるだろうが何の対策もしないよりマシである。それに、この後彼の主人の話が本当なら、彼女はイケメンまみれのノーブル学園で三年間を生き抜かなければならないのだ。確かに抗体をつけておいて、損はない。
「それは……名案ですわ!!」
アルの案に、ノアは即座に乗っかった。そのワインレッドの瞳は、よくやった!と言わんばかりにキラキラ輝いている。
「そうと決まれば早速トレーニング開始ね!!アル、今すぐアムネリス中の美少年の写真集を買ってらっしゃい!!」
声高々に、彼女はそうビシッとアルを指差した。冷静になって見れば、美少年写真集の購入をドヤ顔で命令するお嬢様、というのも中々にシュールな光景である。
しかし、このオルコット家ではそんなやり取り、日常茶飯事だ。アルはただニコリと微笑んで「かしこまりました、お嬢様」と頭を下げるのだった。
ちなみに、美少年写真集の美少年相手にノア・オルコット公爵令嬢が何度泡を吹いたかは、ご想像におまかせするとしよう。




