砂漠の秘薬にご用心!9
日没とともに、メレニュス王宮の正面船着場から何艘もの小舟が流れていく。遊宴のはじまりだった。セレナーデを奏でる管弦楽団を乗せた舟や、踊り子達を乗せたそれぞれの舟はどれも黒い船体にメレニュス王国の黒い旗章を掲げており、そうした小舟達がいくつも湖中に漂う様はまるで広い鏡の上に黒揚羽蝶が幾頭もとまっているかのようだった。
「こんなにたくさんの舟が……先日もすごいなあって思いましたけど、なんだか今晩はさらにとっても豪華なのですね!あ、もしかしてそれで、今夜のデルテアネ様も、お召し物の色が黒色なのですか?大人っぽくてとっても素敵です!」
いつもの白とは違い黒いレースのレオタードのいでたちのデルテアネに、スリアミドラは賛辞を述べた。「優雅でいかにも女性的です!」と心の底から感嘆するスリアミドラの横で、(えっいやこれは官能的っていうか視界が強制わいせつされてるってレベルでしょ)とつみれは妙な脂汗をかいている。
「ええ、実はね、今夜の満月はメレニュスにとっては大事な日なの。あとでお酒のお供代わりにくわしく話すけれど、そのおかげで今日だけはエカルテネも、宮廷医達から外に出る許可が出ているの。
ほら、ご覧になって?あそこにあるお舟、花火を上げてもらうつもりで用意したの。みんなで一緒に見れたら素敵でしょう?ね、忘れられない夜にしましょうね」
ぬかりなく、スリアミドラの横で慎ましく話を聞いているアルトの頬に熱い息を吹きかけるデルテアネの元に、メイド達に囲まれるようにしながらエカルテネがやってきた。手を引かれ肩を支えられなんとかといった重い足取りではあるが、それでもここまで歩いてこられたことに満足しているようだった。
「あら、エカルテネ!どうしたの、輿に乗ってこなかったの!?」
「えへへこんばんは……今日はなんだか、体がわくわくしてて、もしかしたら私、歩けるかも知れないって思ったの。ゆっくりだったし、メイド達には迷惑かけたけど、私、自分の足でここまで来れたのよ。うふふ、中庭から船着場まで、こんなに遠かったのなんて、私知らなかった!」
興奮した声と見慣れない紅潮した頬とは対照的に、その青白い額には汗の粒が浮かんでおり、エカルテネの顔をより病弱そうに見せていた。彼女にとってはこれが大移動であったことは間違いなかった。それでもどうしてもこの宴に参加したかったのだろう、エカルテネははじけるような笑顔でいそいそと舟に乗り込んだ。というより、それ以上は立っていられないという感じで、メイド達の手を借りながら準備してあった絹のクッションの山の中によろよろと横たわると、疲れているのを隠すべく「うふふ、この調子なら、そのうちすりみ達の国までも歩いていけるかも」と冗談を言った。
そのか細い姿に心配したデルテアネが抱き縋ろうとする前に、王宮から伸びやかなファンファ-レが鳴った。その穏やかで神秘的な和声はどこまでも響き、メレニュス国の大通りを抜けていき、国民達の耳に届く。その音を待ち構えていたのだろう、やけに静かだった夕方の城下町はにわかに賑やかなざわめきで通りを埋めつくしはじめ、その楽しげな人の波は湖に向かって近づいてきた。
「まあ、お祭りでしょうか、あんなにたくさんの方々が……」
なぜか全員頭を黒い布かヴェールで覆っている点を除き、色彩豊かに着飾った町の人々がこちらにそぞろ歩いてくるその光景にスリアミドラは目を奪われた。スリアミドラだけではない、つみれも、アルトも、それにこれが初めてではないはずのデルテアネさえも動きを止めて見入った。夕暮れの砂漠の中にある古代からの町並と、湖に落ちる光と影、小舟やその上の芸伎達が織り成す風景には非現実的な美しさがあった。
「今年も美しくなりそうね、『玄冥月』の夜は」
「げん、めいげつ?それ、なに?今日の満月のこと?スーパームーンとかストロベリームーンとかみたいな?」
突然の難しそうな言葉につみれは鸚鵡返しをした。その間の抜けた声にデルテアネは我に返ったように微笑むと、そうね、と言ってみんなに舟に乗り込むように手で招きながら答えた。
「今日は玄冥月、つまり先女王の命日がある月の満月の日のことなの。」
豪華な祝宴の開始を告げる、竪琴の楽団の演奏に合わせて、つみれ達が乗った舟も湖を進み始めた。オレンジ酒を杯に注ぎながらデルテアネは話をはじめた。
「メレニュスは真珠の都。だけどその真珠が採れるのは女王ひとりの魔力のおかげ、その真珠色の瞳と髪がこのメレニュスの湖の水と触れることでできるものなの。そしてその力は死後も次の女王が即位するまで続くものなの。それで、その栄光を讃えるべくできたのがこのお祭りの日なのよ。
まあ、わかりやすくいうと、国民達はこの湖とメレニュス王家に感謝のお祈りをしに、王家は祈りに来てくれる国民達のために演奏や舞なんかを楽しんでもらえるように用意する、という日なの。」
「ああー命日の行事なんだね、でも暗い感じじゃなくてこう明るいのはいいかもね。あとそれで皆黒い布とかかぶってるんだ、最初ちょっとびっくりしたー」
わかるわかる、とつみれは頭を縦に振りながら杯を飲み干した。相変わらず甘くて飲みやすいお酒だ。つみれが厨房でメイド達に指示して作らせた色とりどりの前菜も並び、舟は華やかに彩られはじめた。
スリアミドラもあくまで上品に杯に口づけながら、
「そういえば、デルテアネちゃんはいつ頃即位されるご予定なのですか?」
と何の気なしにたずねた。デルテアネもあっけらかんとした笑顔で「それならそう遅くはないはずよ、すりみ。そのためにお姉ちゃんが私の体を治してくれるお薬を見つけてきてくれたんだから」と答えた。
「お薬?」
「そうなの、実は私……そのお薬を見つけるために、砂漠を出て旅をしていたの。リシア国でアルトちゃんと知り合えたのも、そのたびの途中だったからなのよ。うふふ、あの時はまさか、こんなに深い関係になれるなんて思ってなかったんだけど……愛の神様ってやっぱりいるのね?」
デルテアネは舌をゆっくりと伸ばしアルトを見つめながら妖艶に笑う。酒の効果もあってだろう、太い蠍の尻尾を機嫌よさそうにくねらせた。気まずくなったつみれが
「それで、結局、その薬って見つかったんだ?」
と話を元に戻そうとしたところで、その声は突然の白い閃光にかき消された。光は伸びやかな線を描いて空へと駆け抜ける。それはメレニュス王宮から打ち上げられた花火だった。




