死の戦士
姿勢を低くして飛び出した俺に対して、【ローグ】は右手に持った斧をゆっくりと持ち上げた。
「胴ががら空きだな!」
抜刀の勢いに任せて、剣を振り抜く。
ローグの腹部に真一文字のライトエフェクトが刻みこまれるが、動きは止まらない。大きく円を描くようにして、斧が振り下ろされる。
床を蹴って、背後に回り込むことでそれを回避。剣を振り上げて、無防備な背中を逆袈裟に斬り裂いた。
「ゴゥ……」
ローグがよろめく。
「そこだ!」
振り下ろし、薙ぎ払い、斬り上げる。さらに剣を振り下ろそうとしたところで、ローグが振り返った。それも、勢いよく斧を振り回しながら。
バックステップで辛くもその一撃を躱す。大振りでなければ、躱すのは難しかっただろう。
「ゴゥ……」
眼窩の鬼火が紅く光る。スキル技ではなくとも、それなりにダメージは与えたと思っていたが、HPパーは1割ほどしか減っていない。
ローグが斧を水平に持ち上げた。
そこから予測される攻撃は、横薙ぎ。
「シュー!」
姿勢を低くすることでそれを躱し、胸に剣を突き立てる。人間の心臓にあたる位置だが、ローグの弱点部位ではないらしい。
やはり、生身の人間じゃないからだろうか。
「ゴゥッ!」
ローグは手の中で斧の向きを変えると、勢いよく振り下ろした。俺は剣を抜くと同時にローグの体を蹴って離れるが、少し足りない。
斧が脛を掠め、HPがわずかに削られる。
「シュー……」
ローグは斧を斜め下、床スレスレの位置に構えた。これまた初見の構えだが、攻撃の軌道はある程度の予想がつく。
剣を正眼に構えて、ローグの射程に飛び込んだ。
「ゴゥッ!」
ローグは床を抉りながら、豪快な動きで斧を振り上げる。大振りな一撃はサイドステップで回避し、反撃を――
「なっ」
――と思ったところで、想定外の事態が発生した。というか、何かにつまずいた。奇跡的に転びはしなかったが、それでも決定的な隙となる。
再びローグの姿を捉えた時には、すでに斧が振り下ろされていた。
「くっ……」
とっさに剣で防ぐと、ピキっと不快音が鳴る。
武器の耐久値を超えかねない一撃だという警告だ。受け続ければ、武器破壊されてしまうだろう。
剣を外して、その身に斧を受けた。不快感を伴う衝撃が被弾部分を襲う。
HPは1割ほど削られた。
が、ただでは終わらせない。
ローグが体勢を立て直す前に、その体を袈裟懸けに斬り下ろす。さらに、ゆっくりと斧を持ち上げる腕に一撃を刻んでから、距離を取った。
「ゴウォー!」
ローグが怨みのこもったような声を上げる。
俺はその足元を見つめ、つまずいた原因である床の亀裂に、恨みの視線を送った。じっくりと睨みつけてから、床を抉った元凶へと視線を戻す。
ローグは斧を肩に担いでいた。
「まるで使い方の見本市だな」
最初は上からの振り下ろしで、次は振り返りざまの薙ぎ払い。横薙ぎからの向きを変えての振り下ろしに、床を抉りながらの振り上げ。随分と色々な攻撃方法を見せてくれた訳だが、まだ終わりではないらしい。
「来いよ、ローグ」
次はどんな攻撃がくるのか、少しだけ楽しくなってきた。
「シュー……」
俺の言葉に応えるように、瞳の鬼火が怪しく光る。ローグが全身に力を込めるように沈み込むと、夜色の片手斧が蒼く輝いた。
ここにきての、スキル技か。
「ゴゥッ!」
「……は?」
ローグは力任せに腕を振り、斧を投げ飛ばした。斧は勢いよく回転しながら、俺の横をすり抜けて、遥か後方まで飛んでいく。
ローグは投げた姿勢のまま、止まっている。
今のうちに攻撃するべきだろうか。いや、罠という可能性もあるし。でも、少しでもダメージ与えておいたほうがいいよな。
少し迷いながらも、1歩踏み出す。ほぼ同タイミングで、すぐ横を、何かが高速で横切った。
激しく回転するそれは、黒い斧。
あらぬ方向へ飛んで行ったはずの戦斧は、回り回ってローグの手にぴったりと収まった。
「いや、ブーメランかよ!?」
ゲームだからこそ放てる技なのだろうが、斧っぽさが全くない。投擲する斧というのは存在するかもしれないが、飛んで戻ってくるのはどう考えても、ブーメランだ。
そんなことを考えていると、ローグは斧を高く掲げた。骨だけの指を器用に使って、斧を回転させる。斧が蒼くなったということは、あれもスキル技だ。
「ゴゥッ!」
ローグは一気に距離を縮め、蒼く輝く斧を真っ直ぐに振り下ろす。単調な攻撃だが、まともに受け止めれば剣がもたない。
身を屈めて、ローグに向かって走る。
後ろや横に飛ぶには姿勢が悪かったし、横をすり抜ける方法はさっきも上手くいった実績があるからだ。スキル技だから動きは速いだろうが、ギリギリ抜けられる。
そう確信した俺の眼前に、黒い何かが現れた。丸くて太い、脚か――
「がッ……」
視界が黒く染まり、顔面に強い衝撃が走る。
蹴り上げられた俺は、天井を見上げるように体を反らした姿勢になった。
ローグの顔が視界に映る。
虚ろながらも、どこか嗤っているような顔。
ローグは力強く斧を振り下ろした。
「ぐッ!」
腹部に直撃。強い衝撃に襲われる。
HPはたっぷり4割ほどを持っていかれた。
スキルの動きに逆らって斧を停めていたことを考えると、威力が半減した状態でそのダメージだということだ。
さらに、物理防御力の低下の【デバフ】を示すアイコンが出現する。スキル技としての効果はこれか。
「シューッ……」
ローグは倒れる俺を見下ろしたまま、ゆっくりと斧を持ち上げた。斧が蒼く光を帯びる。
HPは約半分。回復する暇は与えてくれなさそうだ。
「ゴァッ!」
斧が力任せに振り落とされる。どんな技かはわからないが、耐えるのは難しいか。
「悪いな、レフト」
やっぱりスキル技も使わずに勝つのは無理だ。
やられる覚悟を決めて、目を閉じた。研ぎ澄まされた聴覚に、耳を劈くような爆砕音が鳴り響く。
反射的に耳を塞ぐと、音はこもったようになり、徐々に聞こえなくなっていった。
と、これはどういう状況だ。
斧が振り下ろされたような音もしたし、何かを砕き割るような音もした。それなのに、身体のどこにも衝撃が来ない。
ゆっくりと恐る恐る目を開ける。
「ゴー……」
ローグは戦斧の柄を両手で持ち、その先端へ顔を向けていた。視線を辿っていくと、刃は左脇腹のさらに左側の床に突き立てられており、その半分以上がめり込んでいて……抜けないのか。
リアリティあるなぁ。
……じゃない。
剣を振り上げ、両手首を斬る。
「ゴァッ!」
ローグは大きく仰け反り、斧から左手を離した。今までの攻撃とは全く違う反応だ。そこから考えられる可能性はーー
「そこが弱点かッ!」
上体を起こし、立ち上がる。体勢を立て直すその間に、計5回の斬撃を左手首に刻み込んだ。
鬼火が紅く光を放つが、ローグは怯まない。
「……違ったか」
痛がったように見えた左手首が弱点部位だと思ったのだが、違ったらしい。手を離したのは偶然か。
「シュー……」
ローグがゆっくりと左手を突き出す。
俺は回復ポーションを取り出して、一気に飲み干した。HPが全快する。
「さあ、仕切り直しだ」
技の豊富さには驚かされたが、避けられないほどじゃない。油断さえしなければ、勝てる。
ローグは、右手を斧から放した。
「は?」
「――飛べ、火球。ファイアボール」
ひどくはっきりとした女性の声と共に、ローグの左の手の平に小さな火の玉が現れる。玉は少しずつ大きくなっていき、手拳大になったところで、放たれた。
「魔法まで撃てるのかよ!」
屈みながら距離を詰め、背後に回り込むことで火球を躱し、ついでとばかりに背中を斬りつける。
「ガァッ!」
ローグが振り返り、左手を突き出す。
その手首――鎧の切れ目を力強く斬り裂いた。左手が本体との繋がりを失い、四散する。部位欠損だ。朱色に染まった断面は実にゲームらしい。
そして図らずも、魔法による攻撃は封じた。
ローグは鬼火を紅く滾らせ、右手を引き絞る。骨だけ右手が蒼く輝いた。
「まだあるのかっ!」
「シューッ!」
左手を下げながら、右手で貫手を放つ。骨だけで強そうには見えないが、スキル技。
ここは後退して確実に距離をとる。
が、床をしっかりと踏むことが出来なかった。
「しまっ……」
穴だ。
つまずいたばかりなのに、完全に頭から抜けていた。今回は足が完全にハマってしまった分、より悪い状況だ。
ローグの拳が止まる気配も、ない。
狙いは鳩尾か。
だとすれば、回避は不可能。
視界の端に映るローグのHPバーは残り1割以下。
「一か八か、やるしかないか」
剣を振り上げて、両手で柄を握り締め、ローグの目掛けて真っ直ぐに振り下ろす。
同時に腹部を貫くような衝撃が襲った。
「ま、だだァあああ!」
ダメージのことは頭から排除。歯を食いしばり、剣を振り下ろすことだけに、全神経を集中させる。
浅い斬撃ではダメだ。鎧ごと斬り裂け。
速くなくていい。
深く、もっと深く。
「っらぁぁああああ!」
断ち斬る。
「ゴォォォォオオオ!」
ローグが叫び、腹部にかかる力が強くなった。ダメージは刻一刻とHPに刻まれている。満タンだったとはいえ、いつまで耐えられるかはわからない。
だが、こちらも確実にダメージは与えているはずだ。ローグのHPだって減っているだろう。確実に、着実に。
「オオオォォォォォ!」
――ふいに、剣にかかる抵抗がなくなった。
剣が勢いよく床に突き刺さり、体が前につんのめる。
ローグの体にぶつかりそうになるが、狙ったかのようなタイミングでポリゴンの欠片となり、消滅した。
障害物は何も無い。
俺はそのまま、床に頭を打ち付けた。
◇
ローグとの戦闘は、まさに死闘と呼べるものだった。低いレベル帯で何を言ってるのかと思われるかもしれないが、他に表現のしようがない。
戦闘終了の瞬間、残り1割まで突入していた自分のHPバーが見えた時は、本気で肝が冷えた。
紙一重、薄氷の勝利だ。
その分の経験値も大量に入ったらしく――見れなかったが――レベルが上がっていた。特に新しいスキルなどは手に入らなかったが、獲得スキルポイントは破格の10だ。
VRYも大量にゲットしたし、戻ったら強い防具を手に入れることも出来るだろう。
レベルアップによって、HPが満タンまで回復した俺は、そんなことをとめどなく考えていた。
――だからこそ、新たな敵の接近に気づけなかった。
「飛べ、火球。ファイアボール」
反射的に声のした方へ振り返り、遅れて回避の必要性に思い至る。そんな暇はなかったが。
「くっ」
朱色の球体が、腹部を直撃。
HPが勢いよく減少を始める。
「嘘だろっ!」
斧の直撃を受けてもここまでは早くなかった。
つまり、それ以上の威力ということだろう。
HPバーは5割を切り、3割を少し下回ったくらいの位置でようやく停止した。
「嘘、だろ……」
一撃で、7割。
彼我の差は圧倒的だ。
頑張るとか頑張らないとかいうレベルの問題じゃない。
魔法を放った敵が近づいてくる。
鎧だった。
全身をプレートアーマーに包まれ、肌の露出は皆無。人の形をしていることは確かだが、老いているのか、若いのか、男か、女か、それすらわからない。
声は澄んだ女性のものだが、ローグが魔法を放った時と同じであるため、参考にはならない。
まさに、鎧としか表現出来ない存在だった。
そんな格好に負けず劣らず目を引くのが、手に持っている大鎌だ。
白骨化した大蛇が刃を飲み込んでいるかのような特異な形状をしている上に、刃を中心として、全体的に赤黒く汚れていた。
どんなことをしてきたのか、想像力が掻き立てられる。
頭上に浮かぶ固有名は【ユーサイズ・ド・アールセン】……
「いきなりかよ!」
まさかの【ユーサイズ】――洋館の主登場である。




