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異世界との出会いと交流の日々

異世界との交流計画が極秘に進んでいる…という形のお話は流行りではないかもしれませんが、書いてみました。読んでいただければ幸いです。

    第一章 宿題できない馬鹿もいる


 「先に行ってるぜ、(かえで)ー!」

 「ちょっと待ってよサイキ!荷物多いんだから…」

 二人は門をくぐり、若葉寮へと向かっていた。

 はじめは笑いあっていたが、いつまでもそうしてはいられない。

 「とにかく宿題よ、宿題!見ててあげるからしっかりやりなさいよね」

 「ちぇー、つまんないなー。どうせ少ししかできないよ。全然やらないでいるのと大差ないよー。ほっとこうぜ」

 「『ちぇー』じゃない!弱音吐いて少しでもやるのっ!」

 怒鳴りながらも、内心楓は嬉しくて仕方がなかった。

 (また、サイキといられる…こうやって話していられる」

 しかし、口から出て来るのは叱咤の言葉ばかりだった。

 リュックを揺すり上げて急ぎ、校庭の脇にある若葉寮が見えてきた―そこで、

 「あれ?」

 二人は、立ち止まった。

 一人の青年が、一階寮入口の隣で壁にもたれている。

 「(いつき)さん…?」

 「やあ」

 本来の職業は文科省の国家公務員だが、ここ舞鳥学園では英語教師として知られている海原樹は、楓とあやめ(サイキ)に軽く手を挙げて挨拶した。

 「来てたんですか?」

 「まあ、一応教師だからね。二学期前日にここに居なかったら困る訳だが…」

 「でも、何か私たちに用事があるみたいですね」

 「かなわないなあ、楓くんには」

 樹は頭をかいた。

 「少々込み入ったことになっていてね。まあ、食堂で話そう」

 楓は内心、(時間ないのに)とも思ったが、ここは仕方がない。三人で食堂に入った。


 「―実は」

 食堂のテーブルを挟んで腰掛ける二人に、樹はこう切り出した。

 「紹介したい人がいてね」

 「紹介?」

 首を傾げる二人をよそに、樹は奥のドアに向かって声をかけた。

 「二人とも、入ってきなさい」

 「「はい」」

 男女二人の声がして、開いたドアから入って来たのは。

 「お前たち…!」

 「あなたたちは!」

 顔にも、服装にも、見覚えはある。

 しかし…その「顔」と「服装」との組み合わせには、見覚えはまったくなかった。

 「カノコ!?それに…ユーリ?」

 「…はい」

 三つ編みお下げの少女は、そう答えてにっこり笑った。

 「にしても…何だよその格好!?」

 「…似合いませんか?」

 「う、うんけっこう似合って…」

 「…じゃなくて!舞鳥学園の制服じゃない、二人とも!」

 そう、カノコとユーリは、灰緑色のブレザー…つまり舞鳥学園の制服をまとっていたのだ。

 「ええ、僕たち明日から舞鳥学園に編入されることになりまして」

 「え!?ちょっと待って、話が見えなーい!」

 「大体ユーリ、お前故郷に帰ったんじゃないのか?」

 「戻れなかったんですよ」

 ユーリはあっさり言った。

 「戻れなかった!?身体は…本体は『黒の組織』の本部にあったんでしょう?」

 「ええ、ありました」

 楓の問いにうなずいて、栗色の髪が揺れた。

 「その身体に戻って、『彼方の地』の『四大精霊の地』に戻るための『門』を開いてもらおうとしたんですが…そこへの『門』を開くことがどうしてもできなかったんです」

 「…すみません」

 小さな声でカノコが謝った。

 「スーミーさんに力を貸して、わたしもがんばってみたんですが…わたしたちには、舞鳥市とわたしたちの住む『守護精霊の地』とを結ぶ『門』は開けても、他の地域へのそれを開くことができなかったんです」

 「…おそらく、『黒の首領』は二人分の力を―異能を持っていたために、他の巫術師(シャーマン)とは違う、さらに巨大な力を扱えたのだろう。普通の巫術師であるスーミーさんや巫女(シャーマネス)であるカノコくんには、今のところユーリくんたちを送り返すことはできないんだ」

 「わたしが修行してもっと力をつけたら、スーミーさんと力を合わせてできるようになるかもしれませんが…」

 「それで、戻れないしこっちで行くあてもないし…ってことで、この学園で学びながら働く、ってことになりまして。『魔法』について解説ももっとしたいですし」

 「うーん…じゃカノコは?」

 「サイキだけでは『学ぶ』のが不充分になるのではということで、わたしも留学することになりました」

 「どーせ俺は勉強できませんよーだ」

 「そ、それだけじゃなくてですねっ!あなたが『果ての地』から戻ったら急激に能力が上がっていたんで、わたしの巫女としての能力も上がるんではないかと、期待されまして」

 ふくれるあやめ(サイキ)に、あわててカノコが言い添える。

 「それでカノコくんの『擬体』を新しく造って、こちらに来てもらったという訳さ」

 「…あ」

 楓は、()()()()に気づいた。しかし言わないでおく。

 「僕はユーリ・サラマンデルと名乗って、二年D組に編入されることになりました。よろしくお願いします」

 「じゃあ、これからはユーリ先輩とか、サラマンデル先輩とかって呼ばないといけないんだなあ」

 「まるっきりの新参者で、単に学年が上ってだけで先輩と呼ばれるのも何ですけどね」

 「わたしは森宮鹿乃子としてサイキや楓さんと同じ一年C組に入ります。仲良くしてくださいね」 

 「え、ええ。もちろん」

 あわてて楓が答えるかたわらで、しきりに首をひねる男(?)が一人。

 「カノコが舞鳥学園に入る…こっちの世界に来る…ということは…あああーっ!」

 あやめ(サイキ)は絶叫した。

 「カノコの『擬体』を造れたってことは、その予算を使えば俺のこの身体を新しく造り直して『男』の身体にできたってことじゃないか!」

 「あ、わかったんだやっと」

 「…って楓ー!さっきの『あ』はそのことだったのか、『あ』はっ!」

 「気づかなければその方が幸せだと思ったんだけどね…やっぱ無理だったか」

 楓が呟く中、あやめ(サイキ)は今度は樹に詰め寄る。

 「いや、それも考えたんだが…そうしてしまうともう君は『天野あやめ』として舞鳥学園に通えなくなるだろう?転校してもらうことになるなあ」

 「えーっ!それはやだなあ…」

 正直な男(?)だった。

 「まあ、カノコくんと一緒に学べるんだ、いいじゃないか」

 「そりゃそうだけど…うー何か納得できないぞー」

 口をとんがらせる彼(?)に、楓は笑いをこらえた。

 「とにかくそういう訳で、みんな舞鳥学園の学生ということになった」

 「住むところとかはどうなるんですか?やっぱり…」

 「もちろん、寮に入ってもらう」

 「僕は青葉寮に入ります。相部屋だそうですけど、こう見えてこっちの世界に僕は長いので、何とかなるでしょう。もちろん『黒の組織』の本部からは出られなかったんですが、それでもこっちの人とは話しますからね。日常生活できるだけの常識は持っていると思いますよ。あなた方に捕まってからも、監視はついていましたが結構自由にさせてもらいましたし」

 「その結果、害意なしと認められて今は監視は外れたがね。ま、舞鳥学園にいる間は君たち全員の監督役を僕がやる訳だが」

 「わたしは若葉寮です」

 「本当は楓くんと同室にしたかったんだが…サイキくんを一人にするのも不安だろう、楓くん」

 「確かに…」

 「そういう訳で、カノコくんには川上由布子くんと同室になってもらう」

 「えっ!?」

 「そうなるね。若葉寮に空きがなくてどうするかと思っていたが…ちょうど高松くんが転校することになったんで、こうなった。部屋割を下手にいじるよりそのまま入れた方が自然だろうと思ってね。川上くんは面倒見がいいから、何とかなるだろう」

 (いやちょっと…樹さん、絶対由布子の性格誤解してるから…!)

 あれは「面倒見がいい」という説明でくくっていい性格じゃない、と思う楓だったが、さすがに口には出せない。

 「さっきから『同室』って言ってますけど…もしかして、楓さんとサイキって同じ部屋で寝起きしてるんですか?」

 カノコが―鹿乃子(カノコ)が目を見張った。

 「えーと…うん、そうなんだけど…」

 楓はもごもごと口ごもるしかない。

 「まー一緒って言ってもなー、何もできる訳じゃなしー」

 「ほんとに『何か』あったら困りますっ!」

 お下げの少女は真っ赤になって、呑気な返事をよこすあやめ(サイキ)に言い返していた。

 「ま、そういうことで二人仲間が増えた訳で。これでいざという時にも大丈夫だろう」

 「()()()()()()?」

 「…それなんだ」

 樹が、表情を曇らせた。

 「また、闘わなくてはいけないかもしれない」

 「「えーっ!」」

 「三日前、(ウー)が逃亡した。エリーも連れて…チョビの手引きで」 


そんな頃―(ウー)は大広間で椅子にふんぞり返っていた。場所は舞鳥市、氷室夕輝も知らなかった第二アジト。

 そうしながら、思い出す。

 研究所を脱走した時のことを。

 『くっそう…ッ』

 (ウー)は鉄格子の中、コンクリートの床に転がされていた。

 その両腕と両脚は、手錠と足枷―と言うよりほとんど鉄塊のような頑丈な物体で拘束されている。

 『おまけにッ…!』

 いまいましげに、そこだけは自由が利く首を回し、天井の四隅をにらみつけた。

 そこには、麻酔銃の銃口が冷たく巫を見返している。蒼い光―彼が「精霊の力」を使う時には必ずその身にまとう光に反応し、撃つために。

 『さすがの俺もッ、全部を『付与』のバリアで止めることはできなかった…ッ』

 「精霊の力」をまた使えるようになってすぐに逃亡しようとした時のことを思い出し、(ウー)は歯噛みする。

 その時、ずしんっという地響きがした。

 警報ランプが点滅し、サイレンが鳴り響く。

 『んッ!?』

 何かが起こったと感じ、彼は身をよじった。

 やがて―

 軽い足音とともに、見慣れた姿が現れる。

 紺地のセーラー服に、長い黒髪。抱えた巨大な銃。

 『チョビッ!?』

 『(ウー)、待ってて。今たすけるから』

 言うなり少女は、麻酔銃の備えつけられた牢の天井に、正確無比の射撃を行った。

 『これで、だいじょうぶ』

 『よしでかしたッ!』

 (ウー)は手足に蒼い光をまとわせ、鉄塊をあっさり砕いた。さらに鉄格子を力任せにひん曲げる。

 『行こう、(ウー)

 『よしッ!』

 二人は駆け出した。


 アラートが鳴り響く中、(ウー)とチョビは走る。

 『―ちょっと待てッ』

 (ウー)が鋭く囁き、二人は立ち止まって一つの牢を…見上げた。

 鉄格子の向こうに、さらに鉄の檻が天井から吊るされていた。

 その中には、衣服として成り立たないんじゃないか、と聞きたくなるような格好の女性が一人。

 『エリー?』

 呼びかけても、背を向けたままだった。

 『一緒に逃げるか?』

 『―あなた方がわたくしを、女王として扱ってくださるなら』

 傲然とした口調で答えが来た。

 『ここの人々は、わたくしを女王と認めていませんわ。ですので誇り高いわたくしは、彼らに従わなかったのです』

 『あーわかった。いくらでも女王扱いしてやるから、出て来いッ』

 (ウー)は鉄格子をひん曲げて出口を作り、チョビは天井から伸びる鎖を撃ち抜いて檻を落とした。

 『ああ、大地の力が流れこみましたわ!』

 エリーはやっと振り向いてにっこり笑い、檻の格子を引き裂いた。


 それから、エージェントとの攻防もあったりしたのだが、三人は脱出を果たしたのであった。

 『ありがとうな、チョビッ』

 研究所がある谷を山頂から見下ろしながら、(ウー)がぼそりと言った。

 『あたりまえ。(ウー)、チョビの生涯つれそう相手。たすけあうの当然』

 『え?いや、それは、そのッ…』

 セーラー服の少女にじっと見上げられ、彼は言葉を失った。

 『やっと、たすけだせた。もうはなれない』

 そのまま近づき、身を摺り寄せ…体重を思いっきりかけて、

 『わッ!ちょッ、やめろ…ッ』

 押し倒した。

 『ずっとできなかった。やっと、子づくりができる…』

 『うわ、ちょっと、ちょっと待てッ!やっぱこんなオチかーッ!』

 馬乗りになってじたばたもがく(ウー)を押さえこみ、服を脱ぎ出すチョビにエリーは、

 『これだから下々の者は…』

 興味なさそうに呟き、背を向けた。


 「…とまあ、こういうことがあってね」

 (ウー)の脱走について(もちろん、研究所側の見方で、だが)聞かされて、二人は仰天した。

 「三日前にそんなことが…」

 「俺何にも聞いてねーぞ!」

 「うん、楓くんとの再会を素直に喜ばせようと思ってね」

 呑気すぎる責任者であった。

 「そうか…(ウー)とエリーが逃げて…何か企みそうだな、また」

 「サイキが前に襲われたのは『黒の首領』の命令だったけど、(ウー)はそんなこと関係なく襲って来そうだしね」

 「俺また勉強しながら、あいつらに追い回されるのかよー!」

 あやめ(サイキ)が机に突っ伏して呻いた。

 「まるっきりこりてないわね、あの人」

 「とりあえず、これからどうするか、なんだが…」

 「…これからまずすることは決まっています」

 樹のためらいがちな問いかけに、楓は低く答えた。

 「えー、何だっけー」

 「宿題よ宿題!明日の朝までにやらないといけないんだからね!」

 「えー、でも(ウー)のことが…」

 「だからってずーっと警戒している訳にもいかないでしょう!いつ来るかなんてわからないんだから。だったら宿題に少しでも手をつけた方がいいでしょっ!」

 「ちぇー」

 「『ちぇー』じゃないっ!行くわよほらっ!」

 問答無用であやめ(サイキ)を引きずっていく楓に、残った三人は思わず苦笑した。


 寮の二人の部屋に入った楓は、荷物を下ろすのもそこそこにあやめ(サイキ)を机に向かわせる。

 「とにかく、宿題やっちゃいなさい。見ててあげるから」

 言いつつ各教科の宿題を広げていく。

 「えー、だってこんなに沢山…できる訳ないよー」

 「やる前からあきらめないのっ!ちゃんとやる!」

 「ちぇー」

 「『ちぇー』じゃないっ!」

 怒鳴りまくる楓をよそに、あやめ(サイキ)は自分用の引き出しを開けたりしている。

 「あー!とっといた俺のチョコ、ここにないけど…もしかして捨てちゃったのか?」

 「ああ、捨てたわよー。だって暑さで半分溶けてたもの」

 「えー!大事にとっといたのにー楽しみだったのにー!」

 「だって…!」

 夏休み初頭、「片づけた」時の心理状態を思い出し、楓は言葉が喉に詰まった。

 (本当は、あやめ(サイキ)のもの全てを片づけたいところだったのよね…)

 しかし当然ながら持ち物の量は多く、一日二日でどうにかできるものでもなかったので、戻ってからにしようと学園を離れたのである。

 「と、とにかく気を散らさないで宿題をしなさい、宿題を。まずは数学からかな、英語かな…」

 「うー、俺英語苦手だよー」

 「じゃ英語から。次国語で」

 「うう、苦手の二連続…もう嫌だー」

 「明日の授業までに、全部は無理としても先生方に見せられるまでにしないと…」

 楓はあたりを見回した。

 たいていの寮生は今日の夕方に戻って来るはずなので、少なくとも若葉寮には楓とあやめ(サイキ)しか午前中の今はいない。

 「静かねえ…」

 「TV見たいよー」

 「気が散るから駄目っ!しっかり勉強するっ!」

 そんなやりとりの中、ドアが軽くノックされた。

 「はい」

 「お、がんばってるな」

 樹がドアからひょい、と顔を出した。

 「差し入れだよ」

 一口チョコの大袋を差し出す。

 「わーい、チョコだチョコだー」

 がばっと立ち上がり、あやめ(サイキ)は大喜びで袋を受け取った。

 「これこれ、この甘さが『彼方の地』にはないんだよなー」

 さっそく袋を開いて、ぱくぱくと食べはじめる。

 「甘いものがない訳じゃないけどな。蜂蜜もあるし、ずーっと北の方には冬に甘い樹液を出す楓の樹があるって言うし…でも、どっちも超貴重品で、めったに口に入らないんだ。こっちの世界みたいにいっぱい甘いものはないよ…もぐもぐ」

 「こら、宿題しなさい。やりながらつまんでもいいから」

 甘いなあ、と思いつつ楓はついそう言ってしまった。


 ぱっくん、ぱっくん。

 菓子皿に山盛りのチョコレートが、見る見るうちに減っていく。

 「チョコレートはいいなあ。幸せの味だよ」

 幸せいっぱいの顔でチョコを頬張るあやめ(サイキ)に、楓の顔も思わずほころんだ。…その口の中に消えていくスピードが尋常でないことは気になったが、(まあ樹さんの懐から出てるんだしいいか)と頭の中で整理して脇に置いた。大丈夫。

 「サイキは本当にチョコ好きねえ」

 「うん、俺の村でさ、南の方から来たって言う商人が大人たちに飲ませてた憧れの飲み物の匂いに似ててさー。でもそれは苦いって言ってたけどね」

 「…なるほどね」

 原産は「あっちの方」だったっけ、と思い出す。

 「大人たちがすっごく喜んで飲むし、いい香りはするしで、すっごくおいしいものなんだって思ったんだ。で、友だち何人かで族長のテントに忍びこんでこっそり飲んでみたら…苦くて苦くてのたうち回ったんだ。で、のたうち回ってる所に族長が来て…怒られたなあ、さすがにあの時には」

 「そりゃそうなるわねえ…」

 楓がうなずいた時、あやめ(サイキ)の顔がすっ、と引き締められた。

 「どうしたの?」

 「―精霊の気配がする」

 眉を寄せて、気配を探っているようだ。

 「『茶の鹿』とも、『炎の精霊』とも違う感じがするんだ」

 「サイキっ!」

 ドアが乱暴に開けられ、お下げの少女が飛びこんで来た。

 「カノコさん!?」

 「強い精霊の気配が近づいてきます!」

 顔色を変えて、カノコは―鹿乃子(カノコ)は言い募る。

 「この気配は…『蒼き熊』のものです!」

 「やっぱり(ウー)の奴か!」

 「うわははははッ!」

 何か遠くから、聞き慣れ…たくもないが慣れてしまった高笑いが聞こえてくる。

 「さっそく来やがったか…忙しいのに、仕方ないなあ」

 最後をやや棒読み気味に言うなり、あやめ(サイキ)は部屋の窓(網戸にしてある)に駆け寄り、開けてひょい、と身体を躍らせた。ちなみにここ、三階。

 「サイキっ!?」

 楓が慌てて下を見ると、地面に激突する寸前でくるんと一回転してすたっと着地した彼(?)が駆け出して行く所だった。

 「ああもう、また室内履きで…汚れちゃうでしょうに。後でちゃんと洗うのよー!」

 そう外に怒鳴っておいて、楓は部屋を飛び出し、階段を駆け下りて寮を出る。鹿乃子(カノコ)も後に続いた。


 「サイキっ!」

 二人がその姿を見つけて駆け寄る。

 「どうしたの?(ウー)は!?」

 あやめ(サイキ)は校庭の真ん中に立ち、あたりを見回している所だった。

 「まだ、学園の中に入っていないみたいなんだ」

 緊張した面持ちで答える。

 「こっちから行くこともできるんだけど、森の中に入っちゃうとあっちが有利だから…」

 「…あ。向こう、『熊』だもんね」

 こちらが「鷲」なので、確かに森の中では不利だろう。

 「『付与』限定っていうんなら変わらないんだが、そんなルール決める訳にもいかないし…できればこういう開けた所で闘いたいんだ、俺は」

 「それで待ち受けてるんですね」

 しかし、開けた場所には問題があった。

 「おーい、天野、岡谷ー」

 …やたら見やすくて目につく、ということである。

 「…野本くん!」

 あやめ(サイキ)と楓の同級生であり…「いろいろ」あった友人が、こっちに歩いてきたのであった。

 「お。どうした、野本ー?始業式は明日だぞ」

 「いや、明日から小体育館使うんで、掃除に来たんだ」

 「ああもう、こんな時に世間話なんてしない!」

 楓がやきもきして叫ぶが、野本はあまり気にしていなかった。

 「ちょうどいいや、聞かせてもらうぞ。あの時はごまかされて聞けずに終わったが…今度こそお前たちの『秘密』を話してもらう」

 夏休み中気になっていたらしい。

 「そ、そんなこと言ってる場合じゃないんだけどなー…」

 「野本くん!早くどこかに隠れて!」

 しかし、遅かった。

 「わははははは、ついに貴様に挑戦できるようになったぞッ!勝負しろ、サイキッ!」

 革製の、明日は九月と言う時期にはさらに暑苦しく見える上下を身にまとう、二十歳過ぎの青年が現れる。

 「まーたまた俺に挑戦かよー俺今忙しいのに…早めに切り上げよっと」

 「言ってろサイキッ!もはや手段は選ばぬ、どんな手段を使っても勝ってやるッ!」

 「今までにも人質取ったりいろいろしてたじゃねーか!」

 「う、うるさいッ!今日は仲間を連れてきたッ!」

 そう言って青年―(ウー)がばっと手を振ると、女性二人が現れて後ろについた。

 「やっぱり…」

 つまらなそうなエリーと、わくわくした表情を浮かべるチョビである。

 「なーんだよ、みんな俺たちに倒された奴ばっかじゃねーか」

 「ううッ、うるさいッ!三人まとまれば強くなれるんだッ!」

 「ほー。でも俺だって、一人じゃないんだぜ!」

 「そうです!」

 鹿乃子(カノコ)が言い、

 「ぼ、僕もいますよ!」

 ユーリが駆け寄って来た。

 「わ、私は…!?」

 「もちろん、楓も大事な仲間だって」

 振り向きもせずにあやめ(サイキ)は言葉を返した。

 「サイキ…!」

 進み出た三人を見て、(ウー)の顔があからさまに引きつった。

 「カ、カノコッ!?それに…お前はユーリ!?サイキに与するのか裏切り者ッ!」

 「望んであなた方に従っていた訳ではありませんのでね、僕は」

 「きッ、貴様…ッ!」

 歯噛みする(ウー)だったが、

 「ま、まあいいッ!ついに、つーいーにーリベンジの時を迎えたぞッ!チョビ、エリー、協力しろッ!」

 「うんっ!」

 「―嫌ですわ、わたくしは」

 チョビは勢いよくうなずいたが、エリーは冷たく言い放つ。

 「何ッ!?」

 「わたくしはやはり、一対一でサイキとやらに勝ちたいのです。徒党を組むのは誇り高き女王のすることではありませんわ」

 「…全くッ!」

 「わはは、人望ないなー(ウー)

 「まあいい、チョビだけでも充分!勝負だサイキッ!」

 「やれやれ…チョビ、こんな人望ない奴に何でそんなに肩入れするんだ?」

 「(ウー)はチョビの大切な人だから」

 からかい気味のあやめ(サイキ)の問いに、セーラー服の少女は大真面目に答える。

 「(ウー)、チョビの子どもの父親になる人だから」

 「へっ!?」

 全員の顔に驚きの表情が浮かぶ。しかし、あやめ(サイキ)がすぐに大声で笑い出した。

 「すげーな(ウー)!お前やることやってたんだなっ!」

 「ば、馬鹿違うわッ!俺からは何も…ッ!」

 「いずれは子どもも…」

 「おおーっ!」

 「だからそのッ、違うと…」

 「すげー!すげーな!」

 (ウー)の言い訳なんぞ聞いちゃいない。

 「…できるはず」

 「何だ、まだなのか…」

 「がっかりするなッ!」

 腹を抱えてげらげら笑っているあやめ(サイキ)に、(ウー)は真っ赤になって抗弁する。…焼け石に水だったが。


 「な、何がどうなってるんだ!?」

 そして、わかってない男が一人。

 「天野とあの男、仲がいいのか悪いのか…」

 「野本くん…今さらどっかに行って欲しいって言っても、無駄よね」

 楓は一人、覚悟を決めた。

 「見ててごらんなさい、かなり常識外れなことになるから…」

 そう言っている間に、ようやくあやめ(サイキ)の大笑いも収まった。

 「いやー笑った笑った。じゃああらためて…勝負だ、(ウー)!」

 「おお、望む所だッ!」

 二人息ぴったりに飛びかかる。

 銀と蒼の光が双方にまといつき、はじけた。

 常人には見えない速さで拳と蹴りが飛び交う。

 「すごい…凄い闘いだ…」

 野本が呻くように呟いた。

 「あの光が、スピードを上げているのか…防御にも使っているみたいだな」

 さすが剣道の有段者、この闘いのとんでもなさがわかるらしい。

 一方。

 「…てつだうって言ったのに…」

 ここまで近接されると銃による援護はできない。チョビは悔しそうに格闘を見つめていた。

 「見よ、サイキッ!俺の修行の成果を!」

 叫んで(ウー)は右手を振りかぶる。―その手に蒼い竜巻がぶわっ!とまといついた。

 「でいッ!」

 振り下ろされた手には―巨大なかぎ爪の生えた熊の前足の幻影がかぶさっていた。

 「うわっ!」

 あやめ(サイキ)はのけぞり、ぎりぎりで一撃をかわしてそのままバク転、距離を取る。

 「これは…」

 「そうか、お前も『一部召喚』ができるようになったのか!」

 「その通りだッ」

 にやりと笑って言うあやめ(サイキ)に、(ウー)も笑みを頬に刻んで答える。

 「にしても…三日で『一部召喚』ができるようになったのか?すごいなー(ウー)!」

 「す、すごいなんてッ…いや!ごまかされんぞ俺はッ!」

 「ごまかすつもりなんてないんだけどなあ、俺…」

 「もう一発、行くぜッ!」

 もう一度熊の前足が形作られる。

 「くっ!」

 あやめ(サイキ)は後ろに大きく跳んだ。

 その背に巨大な銀の翼が広がり、大きく羽ばたいてさらに後ろへと身体を持っていく。

 「ああ、押されてる…」

 楓が呻いた。

 (ウー)の「一部召喚」は前足、つまり直接攻撃に使えるが、あやめ(サイキ)のそれは翼だ。移動はできてもそれで攻撃はできない。

 じりじりと押され、後退を続ける。

 「どうすれば…『憑依』すれば何とか…でも(ウー)がさせないだろうし…」

 やきもきする楓の隣で、ユーリは振り向いた。

 「カノコさん、サイキくんに『精霊の力』でメッセージを飛ばせますか」

 いきなり質問する。

 「え!?あ、はい、できますけど…」

 「では、十分後に(ウー)を校舎裏に誘い出すよう伝えてください」

 「は、はい。わかりました」

 答えて鹿乃子(カノコ)は目を閉じて集中。その身体から明るい茶色のもやを放った。

 もやは矢の形になり、一直線に飛んで行く。あやめ(サイキ)(ウー)が追いつ追われつ怒鳴り合いをしている方向に。

 「ん!?」

 彼(?)は、それに気づいた。矢が身体をかすめる一瞬、ぱっと左手を伸ばして掴む。―と、矢はほどけてその手の中に吸いこまれていった。

 「へ!?…わかった!」

 「何だ!?まあいい、何を企もうが叩き潰すのみッ!」

 一瞬中断したが、すぐに拳が交錯した。

 

 一方、何か確信ありげなユーリについて、他一同は校舎裏に移動していた。

 「…何してるんですか?」

 ユーリは校舎裏に着くなり、地面に座りこんで何か書きはじめたのだ。

 「ちょっとした仕掛けです。効果は見てのお楽しみ」

 栗色の髪を揺らして、彼は棒切れで地面に何かの文様を描いている。

 「これは結構集中力を要する作業なんです」

 振り返りもせず、ひたすら地面に向かう。

 (二重円と、それを繋ぐ文様…?)

 やがて一段落ついたらしく、外側の円からずーっと線を引いて立ち木の陰まで行き、そこに隠れた。

 「みなさんも、身を隠していた方がいいですよ」

 「そう言われても…」

 戸惑う楓だったが、

 「大丈夫、信じてください」

 ユーリの言葉に、真実は感じた。見れば鹿乃子はもう身を潜めている。

 「隠れて…って!?」

 ついて来たもののさっぱり状況がのみこめていない野本の腕を引っ張り、楓は生垣の陰に隠れた。


 そう待たないうちに、格闘の物音が聞こえてくる。

 「間に合いましたね…」

 二人が、姿を現した。やはりあやめ(サイキ)が押され、(ウー)が有利に見える。

 「ちくしょー!」

 あやめ(サイキ)はじりじりと後退し、地面の二重円を踏んで…さらに下がった。

 当然(ウー)は文様に踏みこむ。

 「―今だ」

 ユーリは小さく呟き、声を張って呼びかけた。

 「サイキ、横に跳んでください!」

 「え!?」

 彼(?)は一瞬戸惑ったが、すぐに右へ大きくステップした。 

 「よし!『縛りの魔法陣』!」

 しゃがみこんだユーリが地面にばん!と手をついた。

 すると、炎が彼の手からまるで導火線でも伝うかのように描かれた溝に沿って走り…(ウー)の足元でばっと広がった。

 「うおお…うわああああッ!」

 炎が渦となって噴き上がり、(ウー)を包みこむ火柱となって荒れ狂う。収まった後には、炎のロープでぐるぐる巻きになった(ウー)が転がっていた。

 「ひえー…」

 恐る恐る、全員近づいていく。

 「これが、『仕掛け』…」

 「ええ、『縛りの魔法陣』です。師匠から教わりました」

 「すげーな…おーい(ウー)、観念したかー」

 「なめるなッ!」

 (ウー)が吼え、全身から蒼の光を発して力任せに炎の縄を引き千切る。

 しかし、

 「隙だらけだぜっ!」

 あやめ(サイキ)が気合い一発、巫(ウー)に突進する。

 「だああああっ!」

 「ぐッ!ぐはあッ!ぐががががッ!」

 右足で二発、左足で一発…彼の身体を駆け上がるようにして蹴りを叩きこみ、その上空で伸身の宙返り。

 すたっと降り立つと同時に(ウー)はくず折れた。

 「さ、三段蹴り…だとッ…」

 「へっへーん。そこまで体勢が崩れてないとお前相手にできないけどなー。ユーリさまさまだぜっ」

 「く、くそおッ…」

 何とか立ち上がったが、まるで力が入らない。

 「これで勝ったと思うなよ…ッ」

 捨て台詞モードに入った。

 「うわああああん!―チョビッ!」

 「わかった!」

 校舎の上で見ていたチョビが応え、銃弾を撃ちこんで土を巻き上げる。もうもうと立ちこめる土煙が晴れた時には(ウー)の姿も、チョビの姿もない。

 「くっそー、逃げ足までどんどんスキルアップしていきやがって…」

 「…みんな無事か!うう、また弾の後始末か…」

 そこに遅ればせながら樹が駆けつけて来て、さっそくスマホを取り出しエージェントを呼びはじめた。

 「確かに片づけないとね…」

 地面に目をやった楓は、はっとした。

 土ぼこりは少しかかっているが、さっきユーリが描いた文様は、そこだけ焦げていてはっきり見える。二重円の間に複雑な文字らしきものが描かれているのがわかった。よく見ると文字の流麗な線が二重円を繋いでいる。

 「この線に『炎の精霊の力』を走らせて、火柱を立てたんだ…」

 「ええ、そうですよ」

 「『魔法陣』って言ってたよねこの、円の間に書かれているのは文字…ですか?呪文とか?」

 「まあ、そんなところです」

 「この文字が特別な力を持っていたりするんですか?」

 「ちょっと違いますね。文字自体は僕の故郷で普通に使うものなんです。ただ文字を書くことで、『精霊の力』をよりコントロールしやすくするんです。単に心で思うだけより、言ったり書いたりする方が集中できたりするでしょう?そんなものです」

 「あー、わかる。『憑依』する時とかも口に出して守護精霊(トーテム)を呼ぶ方が気合入るもんなー。…っていうか、俺まだ声出さずに『憑依』できないもんな」

 「『蜘蛛の戦士』がそれやった時、感心してたもんねサイキ。なるほど…あれ?」

 楓はあらためてその「文字」をしげしげと見て…思いついたことを口に出す。

 「この字、『遺産』に書いてあった古代文字に似てない?」

 「そう…ですか?」

 寄って来た鹿乃子(カノコ)も魔法陣を覗きこんで、うーんと考えこんだ。

 「言われてみれば似ているような気も…どうなんでしょう」

 「い、いえ、素人目にそうかなーと思っただけなんで気にしないで」

 「…さて」

 それまで一言も発しなかった男が、声を張った。

 「今度こそ、説明してもらうぞ。みんなの―海原先生にそこの外人さんにお下げの彼女まで共有しているらしい『秘密』を」

 「樹さん…」

 楓は覚悟を決めて、樹を見上げる。

 「野本くんにはもう、隠しようがないと思います」

 「そうだな…」

 樹は考えこんでいたが、こちらも観念したらしい。

 「ここは僕の責任で、伝えていいことにしとくよ。本当はこのことを知る人間は最小限に留めたかったんだが…ここは仕方ない。野本くん、口外しないでくれよ」

 一同はとりあえず―また―寮の食堂で話すことにした。野本にこれまでのことをざっと説明する。


 「とまあ、こんな訳で…って、私と樹さんがほとんど喋って、サイキやカノコさんがあんまり説明しなかったような気がするけど」

 「俺が喋ろうとするたんびに、楓がどつき倒していたよーな気がするんだけど、気のせいかー?」

 「気のせいよ…と言いたいところだけど、馬鹿な発言ばっかだったんで、つい」

 「…わたしはまだこっちの世界に詳しくないんで、説明と言ってもどうしていいやら…」

 鹿乃子(カノコ)も恐縮している。

 「うーん…異世界…とても信じられる話じゃないが、今までに起こったことを今の説明なしに納得できるかっていうと、それも結構難しいんだよなあ」

 「まあ、信じられないのも無理はないわ。私だって実際この目で見なかったら笑い飛ばしてるもの」

 「でもほんとだぜー、ほんと」

 「そうか…異世界では別の身体を…つまり…あ、天野、お前ほんとに『男』なんだなっ?」

 「うん、今はこんなだけど、『彼方の地』では『男』だぞー、俺は」

 「そうか…良かった、本当に良かった…ううっ」

 「おいおい、何で泣くんだよー」

 まあ野本としては「いろいろ」あった訳である。

 「…で、天野…サイキがそっちの世界の『戦士』でその、森宮さんが『巫女(シャーマネス)』…つまりその、巫女(みこ)さんで。巫女さんかあ…他にどんな巫女さんがいるんだ?」

 「ふーん…野本くんって、巫女さんがいいんだ」

 楓の絶対零度の視線を受け、野本は一瞬固まった。

 「いや!そうじゃなくてね岡谷!俺はその、異世界のことについてだな、純粋に興味を抱いただけであって、決して巫女さんがどうとかってことはなく、もっと良く知りたいと思って…」

 慌てて言い訳をする彼に、今度は生暖かい視線が注がれる。そこに鹿乃子(カノコ)がおっとりした口調で言葉を挟んだ。

 「『娘さん』って言われても…『巫女(シャーマネス)』って普通、若い娘がなるってもんでもないんですよ。旦那さんがおられる方の方が多くて。わたしが手ほどきを受けたお師匠さまにはお孫さんがおられますし…わたし、飛びぬけて若いんです」

 「カノコは俺の知ってる限り最年少の『巫女(シャーマネス)』だもんなー。俺も『戦士』としては一番若いけどさ」

 「そ、そうなのか…何だ…」

 「…神道の巫女さんじゃないんだから」

 楓のつっこみに、ますます肩を落とす野本であった。

 「ま、まあとにかく…事情は呑みこめたよ。及ばずながら、協力させてもらう。と言っても、他の人に秘密をばらさないと約束するぐらいしか、できないと思うが…」

 「いや、充分だよ。ありがとう」

 (…世話係のバイトのことは言わなくてもいいかな)

 こっそり楓は思うが、(まあいいか、野本くん家お金持ちだし)と、言わないでおくことにした。

 「ふう…何か、一仕事したって感じだなー」

 「…和んでる場合じゃないでしょう!宿題どうするのよ!」

 「うわー…思い出したくなかったあっ!」


 もちろん、宿題は全部片付かなかった。

 樹を除く教師たちに、次の日あやめ(サイキ)はさんざん怒られた。

 樹のとりなしで補習はまぬがれたが、とにかく時間がかかってもいいから全部こなすように言われ、普通の宿題の他にも夏休み分を毎日やっていくことになったのである。…楓がつきあわされたのは言うまでもなかった。


第二章 かけもちしている馬鹿もいる


 時間はさかのぼるが、二学期の始業式後のHR。

 「も、森宮鹿乃子です。よろしくお願いします」

 教壇の上で挨拶する少女に、一年C組の教室でざわめきが走った。

 無理もない。

 赤みを帯びた健康的な肌、長い漆黒の髪は二本の三つ編みお下げにまとめられ、前に垂らしたその「下」には。

 (肩に乗ってた時も思ったけど…)

 席に着いた楓はこっそり思う。

 (結構、大きいのよね)

 一方、ユーリが入った二年D組でも、ちょっとした騒ぎになったらしい。

 「特に女性の先輩方がね…」

 とは、情報通たる由布子の台詞。

 栗色の―染めたのとは全く違う―艶やかな髪、淡い水色の瞳はあくまで優しい。

 それに細面、あどけない口元と来れば…あっという間にファンクラブができ、かなりの人数を集めたという。


 当然休み時間になった途端に鹿乃子(カノコ)はクラスメイト(男女問わず)にわっと囲まれ、質問攻めにあっていた。

 「はいはい、順番にねー」

 彼女の横で仕切っているのは、同室の由布子だ。

 鹿乃子(カノコ)は落ちつかなげに、しかししっかりと受け答えをしていた。

 そこにあやめ(サイキ)と楓が近づく。

 「おーい、カノコー」

 あやめ(サイキ)の声に、

 「あ、サ…あやめ」

 彼女はようやくほっとした顔を見せた。

 「村の人じゃないこんな沢山の人に囲まれるのってはじめてで、緊張しちゃって」

 「でもこれが毎日続くのよね…」

 「まあ、じきに慣れるぜ、こんなの」

 「あれ、鹿乃ちゃんとあやめちゃん、知り合いなの?」

 由布子が目を丸くする。

 「う、うん。幼なじみなんだ」

 「そうか、二人とも帰国子女だって言ってたし…」

 納得してうんうんとうなずいた。

 「でも、同じ学校に入るなんてすごい偶然ねえ」

 「いや、その…あやめがここに入ったから、鹿乃子さんもここに編入された、ってことなの」

 苦しいフォローだと思いつつも、楓はそう言ってごまかすしかない。

 「じゃあ、二人は同じ所で育ったんだ…カナダだって言ってたっけ」

 「そ、そう。そうだよっ」

 (…確か野本くんにしかそう言ってないはずなのに…)

 地獄耳だなあ、と楓はひそかに舌を巻く。

 「その育った所ってカナダのどこなの?家族はまだそこにいるの?」

 「ええ、故郷には両親と兄がいまして…」

 「へえそうなんだ、それでそれで?」

 「わ、ちょっと、ストップストップ」

 放っておくと何でも話してしまいそうなので、楓はあわてて止めた。

 「んー、もっと聞きたいけど…まあいいか。ねー見てみて、夏休みにハワイに行っちゃったー」

 由布子がスマホの写真を見せようとする。

 「パスポートも取っちゃったんだ」

 楽しげに小冊子を見せて来た。

 「そ、そうなんだ」

 (やっぱりお金持ちだなあ、由布子の家…)

 少々コンプレックスをくすぐられるが、あまりにも開けっぴろげなので嫌な気にもなれない。

 「何の話してるんだ?」

 上からひょい、とあやめ(サイキ)が二人を覗きこんだ。

 「パスポート取って外国行ったって話よ」

 「へーパスポートかー」

 感心した声を出す。

 「…あれ?あやめちゃんパスポート持ってるんでしょ?帰国子女なんだから」

 「そ、そうよ持ってるわよ。そうよね、あやめ?」

 「う、うん。そう言えばあるよなー、持ってるよ。うん」

 楓の(話を合わせなさい!)という視線に、気づいたあやめ(サイキ)は何とかごまかした。


 放課後、「事情」を知る一同は海原樹の下へ集合した。

 「カノコさん…授業なんてはじめてなのに、うまく受け答えできてたよね。サイキの時とはえっらい差だわー」

 「ええ、その…ちょっとずるをして、『精霊の力』使っちゃったんです」

 鹿乃子(カノコ)がちょっと顔を赤らめて言った。

 「そんなこと、できるんだ…」

 「へー、できるんだ。すごいな」

 「って、何でサイキが感心してるの!」

 「で、どうするんだい?」

 樹が尋ねた。

 「こう…『この場合にふさわしい受け答え』について、託宣を受けてたんです。『先読みの力』も併用して」

 「すごいな、実際に見ると」

 「あんまり怪しまれちゃいけないかと思いまして…反則ですよね。すみません」

 「いや、不審がらせないのは大事だよ。これからも続けてくれ」


 そんな頃…。

 男たちの前で。

 「俺に従って闘えッ!」

 壇上に立ち、(ウー)が熱弁を振るっていた。

 その前に立つのは全員黒ずくめの…とはいかず、様々な色合いの服に身を包んだ者たちである。まあ一応、原色バリバリといった服装の者はいなかったが。

 「我らが『黒の首領』は敵の手に落ちたッ!しかし我々はまだ完全に負けた訳ではないッ!『黒の組織』の構成員の諸君!俺…いや、私はここに、新組織『蒼の組織』の結成を宣言するッ!」

 ぱちぱちぱちぱち。

 おざなりな拍手が返ってきた。

 「『黒の組織』の意志を引き継ぎ闘い抜くことをッ!ここに誓うッ!」

 ぱちぱち…。

 拍手が一層弱まった。

 「まだ我々は闘えるッ!」

 「おー」

 壇上で絶叫する(ウー)にやる気のなさげな反応がきた。

 「『戦士』もまだいるのだッ!」

 「…おおー」

 ちょっとだけ掛け声に元気が混じる。

 その時だった。

 「…ん?何だッ!?」

 こっそりと、壇に上がって来た戦闘員が一人。

 手には拳銃。

 「覚悟っ!」

 叫んで銃を突きつける…が、

 「甘いッ!」

 (ウー)が距離を詰める方が速かった。

 「むッ」

 一声唸ると、右拳に蒼の輝きが宿る。

 「ふんッ!」

 その拳を戦闘員に叩きつける…と、男はあっさりと吹き飛び、「ぐっ…」と呻いて気絶した。

 「大方俺を突き出せば、罪を減じてもらえるとでも思ったんだろうが…だからと言って、むざむざとやられる俺ではないッ!」

 「おおー」

 「とにかくッ!サイキを倒しッ!大恩ある『黒の首領』の恨みを晴らしッ!二つの世界に名を轟かせるのだッ!」

 「「「お、おー」」」

 ためらいがちな歓声と、まばらな拍手。

 それに包まれて(?)(ウー)は壇を下りた。

 戦闘員の一人が、皮肉っぽく呟く。

 「まあ、仕方ないだろう。従うしか…俺たちに行くあては、ないんだからな」


 「やれやれ…」

 個室に引き上げた(ウー)だったが。

 「んッ!?」

 気がつくと、目をきらきらさせたチョビがついて来ていた。

 「おまえ、やっぱ強いなー」

 (ウー)をじっと見つめ、プリーツスカートの裾をぱたぱた振っている。

 「な、何だッ」

 「うん、すっごく強い。チョビの目にくるいはなかった」

 にこにこ笑って…身をすり寄せて来る。

 「お、おい、よせッ」

 わたわたとする(ウー)に重ねて、

 「まあ、強いといえばあのサイキとかって奴の方がずっと強いんだけど、あいつ女だからチョビとは子どもつくれないし…」

 何か(ウー)のプライドに二重三重に大岩を落としてくるような発言をしながらくっついて、さらに一言。

 「うん、やっぱチョビの子どもの父親は(ウー)しかいない。だから、子どもつくろー?」

 「だッ、誰がお前なんかとッ、作るもんかッ」

 言い捨てて廊下に出る。チョビはスカートを振りながら追ってきた。

 「何だー?何がいけない?怒ってるのか?」

 「ああもう、わかってなあいッ!」


 一方舞鳥学園では、始業式から一週間が過ぎていた。

 「あー、やっと終わったー」

 夏休みの宿題をやっとのことでこなし、解放された気分になったらしいあやめ(サイキ)は、ほっと息をついた。

 「これでまた、放課後剣道部の練習に参加できるぜっ」

 「そうよね、良かったわね」

 当然の如く付き合わされた楓も、少々くたびれ気味だ。

 「お、楓ー。スマホの待ち受け、変えたのか?ちょっと見せてくれよ」

 「嫌」

 一言で返し、楓は取られないようにスマホを隠す。

 (サイキ、気にしてないって言ってたけど…やっぱ見せられないな)

 家族の笑顔が写っている、写真を。

 そこに。

 「ね、ちょっといいかな」

 一人の学生が話しかけてきた。眼鏡をかけ、長い髪をさらりと背に流している長身の少女だ。「澄池」と書かれたネームプレートの色を見るに二年生だろう。ちょっと頼りなげなお姉さん風だ。

 「あ、はい」

 「何だ…じゃない、何ですか」

 知らない顔で(でもどっかで見たな、と楓は感じた)、二人はちょっと緊張する。

 「お願いがあるの、天野さん。…女子バスケット同好会、入ってくれないかな」

 品のいい眼鏡をかけ、大人びた雰囲気がある。しかし「バスケット」という単語を口にした途端、目がきらきらと子どものように輝きはじめた。

 「…あれ?一学期にもそう言って来られて、断りましたよね」

 そう、前学期の時に大挙して押し寄せた勧誘する人々の中にあった顔なのである。

 「ええ。でもあえて、もう一度お願いするわ。今うちの同好会にはあなたが必要なの、天野さん」

 楓が脇から声をかけるのをスル―して、彼女はあやめ(サイキ)に頼みこむ。

 「お、俺、もう剣道部に入ってるんだけど」

 「かけもちで充分だから。天野さんの運動神経なら、時々こっちで練習すればあっという間に上達するわ。とにかく県大会を目指したいの、お願いっ」

 「の、野本…」

 思わず彼の席に助けを求める視線をやってしまうあやめ(サイキ)だったが、

 「うーん…いいぜ、天野。退部はしないで、大会には出てくれるんならそれでいい。部長には俺が説明するよ」

 意外な返事が返ってきた。

 「ほんとかっ!?」

 「いいの?」

 「あ、良かったあ」

 にっこり笑う澄池に聞こえないよう、あやめ(サイキ)と楓を引き寄せて囁く。

 「ちょっとその、事情があってな。あんまり怒らせたくないんだ」

 退路を断たれてしまった。

 「じゃ、じゃあ見学からってことで…」

 「あ、もちろん。少し練習に参加して、それから決めてもらってかまわないわ」

 にこにこしながら言う澄池に、誰もそれ以上の反論はできなかった。


 あやめと楓が放課後訪れたのは、大体育館だった。室内競技の部活は大抵ここで練習している。

 「にしても…何で由布子までついて来るんだよー」

 なぜか由布子がくっついて来ていた。

 「だって面白そうだもん」

 「いや、それ答えになってないし」

 「大体楓がついて行くのは良くて、あたしが来ちゃいけないことないでしょう?」

 「…うっ!それを言われると弱い…」

 「あ、こっちこっちー!」

 あやめ(サイキ)を見つけた澄池が声をかけてきた。

 「こっち、って言ったって…」

 三人は顔を見合わせる。

 大体育館はネットで半分に仕切られ、片方では男女のバレー部が仲良くサーブ練習をしていた。もう半分がバスケの練習場らしいのだが…男子が四分の三を使ってコート内を走り回っているのに対し、残り四分の一、ごくごく片隅で女子バスケ同好会がドリブルやパスの練習をしていた。しかし…。

 「下手だなー」

 あやめ(サイキ)の呟き通り、お世辞にもうまいとは言えなかった。動きにもまるで覇気がない。

 その中で澄池が手を振っている。

 「同好会なのは知ってたけど…」

 「ここまで大きな部とは違うのね」

 そんな場所に、三人はネットをくぐって入っていった。

 「良かった、ほんとに来てくれたのね」

 「え、ええ、まあそうです」

 あやめ(サイキ)の口調がどうにもぎこちない。

 「じゃ、天野さん。良かったら試しに練習してみない?部室で着替えて、ね」

 「う、うん」

 澄池に案内されて、彼(?)は体育館の更衣室に向かった。楓もごく自然に一緒に歩き出す。

 「なー、あの人誰だっけ」

 その途中、彼(?)がこちらに囁きかけてきた。

 「何言ってるの、澄池先輩じゃない」

 「あ、そうなんだ。眼鏡かけてないとわかんないよ」

 「運動している時には危ないから外すのよ。…にしても、あなたの澄池先輩の見分け方は眼鏡かけてるかどうかだけかい…」

 「だってさー、眼鏡外して髪まとめたらまるっきり別人だぜ。印象変わり過ぎでわかんねーよ」

 「確かに…」

 楓はあらためて、先に立って歩く背中を見つめた。

 セミロングの髪を後ろで縛り、眼鏡を取っていると(コンタクトをしているのだろう)、まるで別人である。

 「女って服と髪型で印象変わるもんだなー。あと眼鏡ってかけてるのとかけてないのじゃえっらい違いだ」

 「そういうこと言わないの、その外見(なり)で」

 明らかにスカートはいてる奴が言う台詞ではない。


 スポーツ系部活の部室棟は、大体育館の隣にあった。

 「…ここ。ここがうちの部室になってるのよ」

 そう言って澄池が指し示した、そのドアには、女子…。

 「…バレー部?」

 そう、そこには大きく「女子バレー部」と書かれていた。

 「え、女子バスケ同好会の部室ってここなんですか!?」

 「弱小同好会なんで、バレー部の部屋を間借りしているのよ」

 よく見ると、脇に小さく「女子バスケット同好会」と書かれた札が下がっていた。


 あやめ(サイキ)が着替えて戻って来ると、澄池をはじめとする女子バスケ同好会のメンバーが期待をこめて迎えてくれた。

 「さっそくだけど、ちょっと試合形式で練習してみましょう。スリーオンスリーで」

 「わかりましたー」

 そこに、

 「やあ、やってるね」

 声がかけられた。

 男子バスケ部が練習しているコートから、一人の二年生がこちらに歩いて来たのだ。

 すらっとした長身(バスケをやっているのだから当然だが)、引き締まった精悍な顔立ち。笑顔はあくまで爽やかだ。

 そんな少年が一同を見渡し、

 (え、えっ!?)

 あやめ(サイキ)にではなく、楓に微笑みかけた。

 「…君、奨学生の岡谷さんだろ?期末テストで一位取った」

 「え!?は、はい、そうですけど…」

 「僕は飛島(とびしま)和也。僕も奨学生なんだ。スポーツだけど」

 「あなたが…」

 「ちょっと楓っ!」

 由布子が楓の袖を引いた。

 「今度バスケ部の部長になった、飛島先輩よ!スポーツ万能で学業も優秀、学園内の女子人気もトップクラスという…」

 「私だって、飛島先輩のことぐらい知ってるわよ」

 「それは嬉しいなあ」

 「なー、バスケの試合はー?」

 あやめ(サイキ)が少し怒った声を発した。

 「そうね、ちょっとやってみましょう」

 かくして、スリーオンスリーで争ってみることになった。男子の部員も面白がって見守る中、六人でボールを奪い合う。

 しかし…。

 「キャプテン!」

 こう叫んでパスされた球を、

 「ほい、と」

 あやめ(サイキ)がジャンプ一番、あっさりとカットする。

 正直、まるで相手にならなかった。

 「ここまでとは…」

 「すごいわ、やっぱり」

 自分のチームが負けたのにも関わらず、澄池は目をきらきらさせて呟く。

 「このジャンプ力なら、女の子でもダンクシュートもできるかも」

 「そうかもしれないな」

 「なーなー、バスケのシュートは教わったけど、『だんく』って何だー?授業じゃやんなかったよなあ」

 「…そりゃ、高校の女子バスケットの授業じゃ、やらないわよ普通」

 「じゃ、僕がやってみせようか」

 飛島が言って、ボールを受け取って動き出した。ドリブルでゴール前に走りこみ、なんなくダンクシュートを決める。

 「あー、そういうのか。そう言えばTVか何かでちらっと見たような気もするなー。よーし、やってみる」

 ちゃんとドリブルからはじめ、ボールを両手に持って―

 「えいっ!」

 軽々とジャンプし、ボールをリングに叩きこむ。

 「あらよっと」

 そのままリングを掴んで伸び上がり、ひょいと身体をひねって何とその上に腰掛けてしまった。

 「へっへーん、できたよーん♪」

 「…すごいな、大したバネだ」

 飛島がうなった。澄池はすでに目をうるうるさせている。

 「やっぱり見こんだ通りだわ、天野さんこそこの同好会の救世主、間違いないわ!」


 一方その頃、(ウー)はというと。

 「(コー)!『門』はまだ開けないのかッ!」

 『無茶言わないでよ(ウー)くーん。通信できたのだってついこの間だし…』

 巫の目の前には蒼い球体が浮かび、気弱そうな青年の声で答えていた。

 『うう、(ウー)くーん…ぼく一人じゃどうにもならないよお。もうどうすりゃいいのか…』

 「ええいしっかりしろッ!大体、お前が『門』を開けないから悪いんだッ!」

 『そんなこと言ったってえ…』

 「彼方の地」で(ウー)と会話している者の名は、(コー)。「熊族」の若き巫術師(シャーマン)である。

 (ウー)と彼の母親は従姉妹同士で、とても仲が良かった。

 同じ頃に結婚し、ほぼ同じ頃に子どもを産んだ二人は「片方を『戦士』、もう片方を『巫術師』にしよう」と、それぞれの子に(闘いを示す字だという)(コー)(ウー)と名前をつけたのである。

 …育ってみたら名前となった職業が逆になったが。とにかくこの二人は幼いころから仲が良く、特に(コー)はひたすら(ウー)の後をついて回っていた。その関係が今まで続いている訳である。

 「とにかくッ!一刻も早く『門』を開けるようにしろッ!もちろん『黒の首領』のように、世界各地にも開けるようにッ!」

 『そんなあ…『鷲族』のスーミー師にだってできないっていうのにい』

 「とにかくやれッ!」

 無茶苦茶である。

 ちなみに、(ウー)の横では戦闘員が座りこんでぜいぜい言っていたりする。(ウー)が呼びかけて通信すると消耗してしまうからなのだが、へたりこむ男を放っておいて罵っているのだからひどい。やっぱり悪の組織なのかもしれなかった。

 『だってえ…開かないんだよお、(ウー)くーん』

 蒼の球体に映りこんで揺れる姿だけでは見えないが、指をつんつんさせて身をよじっている姿が、(ウー)には目に見えるようだった。

 顔には泣きそうな、気弱げな表情。

 (ウー)の一番嫌いな表情だ。

 『(ウー)くーん、ぼく『熊の部族』から追放されちゃったよお』

 「何ッ!?どういうことだッ?」

 『みんな『蜘蛛族』が作った連合はもう潰れちゃったから、ここは『鷲族』とかの連合に従おうってことになって…ぼくが一生懸命反対したら、『そんなことを言うなら出ていけ』って言われて…しくしくう』

 「何だ情けないッ!もっと強く主張して、みんなを従わせろ、『熊の巫術師』ならッ」

 『その力も、危うく取り上げられるとこだったんだよっ。逃げるだけで精一杯だったよ…』

 「ええいッ、もっとしっかりしないか(コー)!もっと強く『蒼の熊』に呼びかけるんだ、『門』が開けるようになッ!」

 『そんなこと言ったってえ…』

 「ごちゃごちゃ言ってないでッ!『門』を開けるようにしろ、(コー)ッ!そうしなければ、俺の嘘がばれてしまうではないかッ!本当にできるように何としてでも『門』を開けッ!」

 『無茶言わないでよお…』

 「と・に・か・くッ!お前は逃げ回れ。誰にも捕まるな。お前が捕まらない限り、巫術師としての力は奪われない…」

 『えーでもー、ぼく一人で逃げられるかなあ』

 「そこを何とかするんだッ!『熊の精霊」がついてるだろッ。危険感知の力で乗り切れッ」

 『うう、がんばるけど…でもお』

 泣きそーになって抗議する(コー)を、無視して。

 「おい、部下A。もういいぞ、切れッ」

 ふっと蒼い球体が消え失せ―

 同時に、糸が切れたかのように戦闘員の身体が床に伸びる。

 「全く情けないなッ、あいつ…」

 いまいましげに彼は吐き捨てた。


 一方その頃。

 「よーし、今日はここまで!」

 声が顧問の先生からかかり、バスケットやバレーの部員たちは練習を止めた。後片付けなどをはじめる。

 そんな中、汗を拭きながら飛島がごく自然に楓に近づいた。

 「岡谷さん、岡谷さん」

 「え、私…ですか?」

 いきなり声を掛けられて、楓は驚く。

 「明日のお昼、校舎裏に来てくれないかな」

 「ええっ!?」

 完全に予想外の言葉を囁きかけられて、さらに驚いた。

 「その…桜の木があるあたりに、ね」

 (『伝説の樹』になりきれてない木ね…)

 桜の木の下で告白しても、実らない思いはあるのである。

 「え、えーと…いや、その、それは…」

 「嫌かい?」

 頭が真っ白になって口ごもる楓に、飛島は微笑みかけた。

 「いえ、そんなことは…」

 「じゃ、僕は待ってるから。良かったら来てください」

 そう言ってすっと離れていく。

 「あの…」

 その後ろ姿に呼びかけようとして絶句。

 (これって…)

 そわそわする楓は、彼女らしくもなく気づかなかった。

 あやめ(サイキ)の耳がぴくりと動き、驚きの表情が顔に浮かんだことに。

 そして由布子にこっそり囁きかけたことに…。


 三人が寮に戻る途中でも、楓は真っ赤な顔をしていた。

 (こんなのって…はじめて)

 まだ胸がどきどきしている。

 そんな楓をあやめ(サイキ)はじっと見ていたが、ついに声をかけてきた。

 「何だよー、楓。にやにやしちゃってさ」

 「いいじゃない、そんなこと」

 「だってさー」

 「だって、何?」

 楓は不思議に思って彼(?)の顔を覗きこむ。

 「う!…いいよ、別に」

 あやめ(サイキ)はぷいっとそっぽを向いた。

 (…?)

 さっきの会話を聞かれているとは知らない楓は、首を傾げるしかなかった。


 次の日のお昼を食べた後に。

 「じゃ、私用事があるから」

 楓はあやめ(サイキ)にそう声をかけた。

 「ん、OK。俺もやることあるから」

 あっさり返され、楓はすこし戸惑う。

 「じゃあ、そういうことで」

 まあ引き止められても困ることは困るのだが。


 楓が校舎裏、桜の大木が枝を広げている(今は二学期なので、当然花はなく代わりに緑の葉が茂っていたが)場所に行ってみると。

 「来てくれたんだね、嬉しいよ」

 そこにはすでに飛島が立っていた。楓に微笑みかけている。

 「は、はい」

 さすがに緊張して楓が答える。…いくらこういうことにうとい彼女でも、この場所で男子と女子が二人きりで会うという意味ぐらいわかっていた。…一学期には野本がこのあたりで玉砕していたし。

 「忙しい中こんな所に呼び出してしまって悪いね。大体察してはいると思うが…率直に言おう。僕と…お付き合いしてくれないか、岡谷さん」

 「…!」

 予想していない訳ではなかったが、あらためてそう言われてみると衝撃的だった。

 しばらく頭の中が真っ白になって立ちつくす。

 「どうかな、岡谷さん?」

 「え!?え、でも私、今お付き合いするとかそんなこと全然考えてなくて、だから、その、あの、その…」

 わたわたと取り乱す楓に、飛島は優しいまなざしを向けた。

 「もちろん、今すぐ答えてほしい、とは言わない。しばらく待つから、僕のこともよく見てもらって、じっくり考えてから返事をしてほしい」  

 「…そうですね。少し時間をください。それなら…」

 楓はやっとのことで言葉を絞り出した。

 「じゃあ、そういうことで。いい返事を待っているよ」

 軽く片手を上げて、飛島は去っていった。

 「…」

 楓は真っ赤な顔で彼を見送っていたが、くるっと向きを変えて飛島と反対方向に駆け出した。


 二人がその場から完全に姿を消すと―

 「行ったわね」

 声と共に、茂みががさっと揺れた。

 中から少女の顔が突き出す。由布子だった。

 「ああもう、やっぱこの中で見てるのってしんどいわ」

 茂みから出て来て、服についた葉や枝を払った。

 「いいわよー、もう」

 「おう」

 やや低めの声が答え、桜の葉が茂る中から波打つ黒髪が垂れ下がった。

 「よっと」

 その髪がぐるんとはね上がったかと思うと、あやめ(サイキ)の全身が大枝から落ちて来て、空中で一回転して両足ですたっと立った。

 「ね?やっぱ告白だったでしょ」

 「うん…」

 由布子の問いかけにも生返事を返す。

 「返事は保留にしてたけど、楓はどう答えるのかな。面白くなって来たわ…」

 にこにこ笑って言う由布子に、

 「そうだな…」

 あやめ(サイキ)はやっぱり浮かない顔で、楓の去った方角に視線を向けていた。


 そんなことがあってから三日が過ぎた、日曜日。

 「よく来たなッ、ライナーよ」

 (ウー)は(少々狭い)謁見室の奥、一段高くなっている座席につき、その両側にチョビとエリーが立っている。チョビがわくわくした表情でいるのに対し、エリーはつまらなそうな顔をしていたが。

 「…それでは、そのサイキとか言う奴を倒せば、即座に故郷に、『彼方の地』に帰してくれる、と?」

 向かい合って立つ少女が、澄んだ声で尋ねた。

 金髪に碧の瞳、口元をきつく引き締めて厳しい表情を浮かべている。

 身にまとうのは、深い赤のローブ。

 「む、無論だッ。『熊の巫術師』が帰すッ」

 若干引きつった声音で(ウー)は答えた。彼を良く知る者なら、その動揺が見抜けたかもしれないが、それができるはずのチョビとエリーは何も言わない。

 「それなら、闘おう」

 金髪の少女はくるっと身を返し、足音高く出ていった。

 「ふう…ッ」

 息を一気に吐き、(ウー)は椅子にもたれかかった。

 「いつまであのような嘘をつき続けるつもりですの?」

 きつい口調でエリーが尋ねた。

 「あなたの配下には、故郷への『門』を開くことなど、少なくとも今すぐにはできないでしょうに。あのようなことを言ってもいいんですか」

 「うッ!い、いや、(コー)だっていずれは…」

 「まあ、あちらの巫術師たちにも本当の故郷には戻せる訳ではないようですし。行くあてのない身となれば、こちらに身を寄せるしかありませんけどね、わたくしですら」

 エリーはふん、と鼻を鳴らした。

 「チョビはいつでも(ウー)といっしょだよっ」

 「ええいッ、くっついてくるなうっとうしいッ!」

 (ウー)の席にのしかかってくるチョビの身体が、エリーをかすめた。エリーは顔をしかめ、彼女の身体に顔を近づける。

 「ちょっと…チョビさん?あなた一体何日お風呂に入ってませんの?」

 「…お風呂、『黒の組織』がつぶれてから、はいってない」

 「ええっ!?」

 「一人ではいったこと、ないから」

 「ど、どうしてたんだ、今までッ」

 「チョビ、ずっと『黒の組織』の構成員に洗ってもらってた。チョビしたの、プルプルだけ」

 「それで…『組織』が潰れた後は…」

 「チョビ、水浴びする。そのあと、プルプルする」

 「身体洗ったりはしないのかッ?」

 「しない。プルプルでじゅうぶん」

 「それは…何だかんだ言っても、年頃の女性としてはまずいですわねえ」

 「おいエリー、洗ってやれよッ」

 「この女王たるわたくしに、『洗え』とは何事ですか!」

 「しょうがねえなッ…俺が洗ってやるかッ」

 「そそそ、そんな破廉恥な!」

 (ウー)としては特に邪念もなく言ったのだが、エリーは何か想像したらしく真っ赤になった。

 「そうかあ?」

 「ししし仕方ありませんわっ!わたくしがチョビを洗いますっ!」


 そんな会話があったとは、全く知らずに。

 「久しぶりだなー、商店街」

 あやめ(サイキ)、楓、鹿乃子(カノコ)にユーリ、それに樹の一行は鹿乃子(カノコ)の生活必需品の買い出しに舞鳥市商店街に来ていた。

 「す、すみません…樹さんに色々買ってもらったんですけど、やっぱり足りない物があって。由布子さんに貸してもらったりしてるんで…」

 「まあ仕方ないわよ。女の子は色々必要なものがあるんだから」

 「そうですね、僕は最初に頂いたもので充分でしたけど、カノコさんは違うでしょう」

 ユーリが口を挟んだ。

 「俺も最初に買ってもらったもんで充分だったなー」

 「あなたは身の回りのものに気をつけなさすぎ!一応、今は女の子の姿なんだからね!」

 「でも『男』だもーん」

 賑やかに言い交わしながら、みんなでリストアップされた品物を買っていく。

 しかし…。

 「…ちょっと待って!カノコさん、どこっ?」

 楓がはっとして叫んだ。

 「そう言えば、いないぜ!」

 「はぐれちゃったんだ…こんな沢山の人見たことないって言ってたしなあ…サイキ!『精霊の力』で捜せない?」

 「やってるんだが…」

 あやめ(サイキ)は眉を寄せた。

 「俺はよっぽど近くでないと感じ取れないんだ。カノコの方でならかなり離れても見つけられるんだが」

 「…そうだスマホ!樹さんが買って渡してるはずだわっ」

 あわてて自分のスマホを引っ張り出し、登録された番号をコールする。

 その頃。

 「あれ、みんなは…」

 鹿乃子(カノコ)はようやく知っている顔が見えないことに気づいた。

 「珍しいものばかりで、つい夢中になってしまいました…ここはどこでしょう」

 周りはいつの間にか、商店街と言うより裏通りの雰囲気になっている。…鹿乃子(カノコ)にはそんなことわかる訳もないのだが。

 「えーと、『銀の鷲』の気配は…」

 少女がそう呟いた時、懐のスマホがコール音を発した。

 「あ、えっと」

 わたわたと取り出し、教えられた操作をする。

 『もしもし、カノコさん?今どこ?』

 楓の声が届いた。

 「どこ、と言われましても…」

 『たしかに…』

 スマホの向こうで、あわてて言い直す。

 『私たちの気配を捜して、できるだけ近づいて!』

 「あ、はい。わかりました。…便利ですね、これ。『精霊の力』使わないで済みますし」

 『もう使い方、飲み込んだんだ…サイキはいつまでたっても使えないのに』

 『だって楓に頼めばいいんだも―ん』

 あやめ(サイキ)ののんきな声が聞こえてくる。

 「…おい、姉ちゃん!」

 その時、野太い声が鹿乃子(カノコ)にかけられた。


 『…あ』

 通話の楓側では。

 「…どうしたの、カノコさん?」

 何かに反応した鹿乃子(カノコ)に、楓は問いかける。

 『何か話しかけてきた人がいまして…切りますねー』

 「え、ちょっと!?」

 しかし…

 「カノコさん?カノコさん!?」

 通話は切れ…なかった。

 『すみません、何でしょうか?』

 操作を間違えたらしい。ポケットにでも突っこまれたのか、くぐもった声が聞こえてきた。

 『ちょっと俺たちに付き合わないかい、姉ちゃん?』

 『でも、これから寮に帰らないといけませんし…』  

 「どしたー?」

 「何か絡まれてるみたい…」

 のんきに聞いて来るあやめ(サイキ)に、緊張した声音で楓は答える。


 鹿乃子(カノコ)側では。

 「いいじゃんかー。俺たちと遊ぼうぜ」

 数人の男たちが、彼女を取り囲んでいた。サングラスのデザインといいシャツの柄といい、いかにもガラが悪そうだ。

 「いえ、お断りします」

 「何だよ、下手に出てりゃお上品ぶりやがって…!」

 ついに怒りだした男たちに対して、

 「何だ、こいつ?」

 鹿乃子(カノコ)は、目を閉じた。

 「何だよー、観念したのか?」

 男の一人が手を伸ばす…のを、彼女は。

 「あ、あれっ!?」

 ()()()()横にそれ、その手をかわした。

 男がよろめくその背中を、小さく押す。

 「うわあっ!?」 

 それだけで彼は派手につんのめり、地面に自分の身体を叩きつけた。

 「何だこの女!?」

 「やっちまえ!」

 他の男たちがわっと飛びかかる…が、鹿乃子(カノコ)はその動きをあらかじめ知っているかのように小さく動くだけで掴みかかる手をかわし、時々軽く突き飛ばす…と、彼らは面白いように転び、身体を地面や電柱やごみ箱に突っこませた。

 「もう、いいですか?」

 目を閉じたまま、彼女が問いかけた時には、立っている者は一人もいなかった。

 「じゃ、失礼しますね」

 目を開いてすたすたと歩み去る。それを、男たちは呆然と見送った。


 一方、スマホの向こう側では。

 「どうなったんだ?」

 「…何か、勝っちゃったみたい…」

 スマホを耳に押し当てながら、楓があやめ(サイキ)に答える。


 「…大したことじゃないんですよ」

 合流し、質問攻めにする一同に鹿乃子(カノコ)は涼しい顔で答えた。

 「あの人たちの動きを、守護精霊の『先読みの力』で予測したんです。『茶の鹿』の力ではそう先のことまではわからないんですが、あのぐらいの速さなら動く一瞬前にその動きは見えます。後はかわせる位置に動いて、その動きを少しあと押しすれば、向こうは勝手に引っくり返ってくれますよ」

 「すごい…って言うか、ほとんど反則よね」

 「これが訓練された戦士、特に『茶の鹿』と同等以上の『精霊の力』を使える人が絡んでくると、通用しませんけどね」

 少し頬を染めて、お下げの少女は言った。


 そんなこともあったが、とにかく買い物を済ませて。

 一行と買った品物を乗せて、樹の車は学園に向かう坂道を登っていく。

 「―待ってください」

 車の中で、鹿乃子(カノコ)が声を上げた。

 「こちらへの、強烈な敵意を感じます」

 「またかよ…こんどは誰が来るんだ?」

 「とにかく、降りよう。車の中じゃ何もできない」

 五人が車から降りると―

 山道の脇にある林から、男たちが続々と現れた。手には銃。

 「また戦闘員かよ!めんどくさいなー」

 「数で勝負、ってとこか」

 「しかもこんな開けた場所で…撃たれ放題だわ」

 「狭い所ならいくらでもやりようはあるんだが…」

 よく見ると服装もまちまちで、以前のように黒ずくめという訳ではない。持っている銃器も機関銃だったりライフルだったりと色々だ。

 だが。

 そこから放たれる銃弾が、致命的な所はどれも一緒だった。

 「――」

 リーダーらしき男が軽く手を挙げると、彼らは銃を構えた。

 「危ないっ!」

 一同はあわてて車の陰に隠れた。

 それを待っていたかのように、男たちは引き金を引く。

 「僕の車が…」

 樹が嘆くが、どうしようもない。弾は容赦なく車体に突き刺さった。

 (ガソリンに引火したらアウトよね…)

 楓は内心冷や汗をかいたが、だからと言って銃弾の中に出ていけるはずもなく。

 「炎よ、盾となれ!」

 ユーリが叫び、身を乗り出して炎の盾を展開した。

 しかし。

 「くっ…実体弾は止められませんね…!」

 頬をかすめて弾が飛び、彼は呻いた。

 「これだけ威力があると駄目、か…」

 だとすると対抗できるのは、ただ一人。

 「厄介だなー」

 しかし、銃弾の嵐の前にはどうしようもなく。

 「我に加護を与えたもう『銀の鷲』よ!以下省略!」

 何か台詞をはしょったが守護精霊はその声に応え、巨大な鷲が舞い上がった。

 「でえいっ!」

 羽ばたきが、銃弾を弾き飛ばす。

 「よし!」

 さっき合図をした、背の高い男が軽く手を振った。

 「―()()()()()()()()()

 「…っ!」

 一同が固まる中、戦闘員たちはさっさと撃つのをやめ、引き上げて行った。

 「これは、まさか…」

 「『()()()使()()()()()()()()?」

 楓の指摘に、みんな絶句した。

 「どしたー?」

 あやめ(サイキ)が降りて来る。

 「ああもう、のんきなんだから…!」

 楓は手短に状況を説明した。

 「そうか…『憑依』使っちまったからなー。後一晩は寝ないと『精霊の力』使えないよ、俺」

 「サイキの消耗を狙ったのね…」

 第二派が来ることは、容易に想像がつく。

 「多分巫か誰かが来るぞ。勝ち誇ってな」

 「どうすれば…」

 一同が考えこむ中。

 「―サイキ」

 鹿乃子(カノコ)が、いきなりあやめ(サイキ)に抱きついた。

 「うわっ!?」

 「じっとしててください」

 言って彼女が目を閉じる―と、明るい茶のもやがその身体から放たれ、あやめ(サイキ)を包みこんだ。

 「う…?」

 彼(?)が驚きの呟きをもらす。

 「力が戻って来たっ!?」

 「あ…」

 鹿乃子(カノコ)の身体から力が抜けて膝をつきそうになり、あわててユーリが支える。

 「何を…したの?」

 「わたしの精神力と体力を、サイキに『移した』んです。以前はできなかったんですが、最近何とかできるようになりました。でも、連続ではできませんが…」

 「無茶するなよ!」

 「いえ、大丈夫です。…サイキが闘えなかったらそれでアウトですもの」

 「それはそうだけど…」

 青ざめながら微笑む鹿乃子(カノコ)に楓が言葉を失った、その時。

 「うわははははッ!」

 聞きたくもない高笑いが響いた。

 「待たせたな、サイキッ!」

 「別に待ってねーよ!」

 言い返すあやめ(サイキ)をスル―して、(ウー)が道に現れた。脇に黒い、槍らしき棒をたばさんでいる。

 その次に現れたのは、金髪の少女。

 身に深紅のローブをまとっている。

 「あれは…」

 ユーリが声を上げた。

 「どうしたんですか?」

 「僕と出身地が同じなら、彼女は錬金術師です」

 「錬金術?黄金を造り出すって言う、あの?」

 「ええ、僕たちみたいに四大精霊を呼び出して力を借り受けるのでなく、物質を介して『根源の一』を見出そうとしている者たちです。本来は研究者ですが…薬品の扱いに長けているので、闘えば結構強力ですね」

 「薬品で闘う…?」

 「彼女たちは、僕たち『四大精霊の地』の中でも、東の『争いの地』の影響を強く受けているとされ、あまりいい扱いは受けていません。…まあ、『黄金を造れる』って称している者なんかは、欲の深い王侯や金持ちに密かに雇われているって聞きますが…あまり表に出る存在じゃないですね」

 (な、何かユーリ先輩、すっごく偏見入っている気がするんですけど…)

 あんまり魔術師と錬金術師って仲良くないのかもな、と楓が考えている間にも、あやめ(サイキ)(ウー)は敵意むきだしで対峙していたりする。

 「あんな雑兵をぶつけてきやがって…!あんな奴らに俺が負けるとでも思ったのか?」

 「もちろん、思っとらんッ!」

 (ウー)はきっぱりと答えた。

 「だから、だからな、あいつらと闘ったお前が適度に消耗して、その後で俺が闘えば今度こそ勝てると…ッ!」

 「ただの卑怯戦法じゃねーかそれはー!」

 「もはや手段は選ばぬッ!サイキ、お前を倒すためならどんな卑怯な手段でも俺は使うぞッ!」

 「今までも人質取ったり色々してたじゃねーか!」

 「ええいうるさいッ!今度こそ!今度こそ負けん…ッ!」  

 (ウー)は巨大な、真っ黒い槍を構えた。

 「この、『黒の首領』の力をこめた槍で、お前など粉砕してくれるわッ!」 

 「夕輝の大剣みたいなもんか…!」

 「さらに、その上に我が『蒼き熊』の力が乗るのだッ!」 

 巫が吼えると、槍の周りを蒼い光の渦が包みこむ。

 その一方で。

 少女は―ライナーはローブの下からまず、二本の試験管を取り出した。二つを同時に投げ、あやめ(サイキ)の頭上でぶつけて割り、中の液体を混ぜ合わせる。

 「よけてください、サイキっ!」

 ユーリの声に、彼(?)は横っ跳びにその場から離れる。

 降り注いだ液体は。

 「げげーっ!」

 じゅく、じゅくじゅく…。

 不吉な音を立てて、地面を溶かして行った。

 「強酸ですかね…厄介な」

 ユーリが呻く間にも。

 「隙ありッ!せいッ、せいッ!」 

 蒼い光をまとった漆黒の槍が、あやめ(サイキ)目掛けて刺突を繰り返す。

 「でー!ていっ、ていっ!」

 声をもらしながら、あやめ(サイキ)はひたすら槍をかわし続けた。 

 その間にライナーはまた試験管を取り出し…。

 「炎よ!」

 ユーリが投げつけられた試験管を、炎の太矢で撃ち落とすが。

 どんっ!

 「うわあっ!」 

 「きゃあっ!」

 試験官が炎にぶち当たった瞬間、大爆発を巻き起こした。爆風が吹き抜けて、一番近くにいたあやめ(サイキ)が吹き飛ばされそうになる。

 「どうやら強酸ではなく、発火物質のようですね。読まれてましたか…」

 「落ちついて分析してないで何とかしてよー!」

 楓が思わず怒鳴った時、

 「もらったあッ!」

 体勢を崩したあやめ(サイキ)に、槍が迫った。

 しかし。

 「俺は…負けない!」

 彼(?)が吼えると、銀の輝きが不意に湧き上がり、槍をはじいた。

 「『精霊の力』…?使えるのかッ!何故だッ!」

 「さあ、どうしてだろうな」

 あやめ(サイキ)がにやりと笑う。

 「だがッ!武器を持っている限り俺の方が有利…ッ!」

 (ウー)はひたすら槍を繰り出す。

 ぎりぎりのところで、銀の光が槍をはじき今のところ身体に傷はついていないが、じり貧なのは目に見えていた。

 「確かに…武器さえあれば…あるってえ!?」

 突然あやめ(サイキ)は驚きの声を上げた。

 「力を貸してやる…呼びかけろだあ!?」

 どうやら、彼(?)にだけしか聞こえていない声があるらしい。(ウー)の猛攻をバックステップしてかわしつつ応える。

 「よーし、やったろうじゃないか!我が元に来たれ、『遺産』よ!」

 そう叫ぶと―差し伸べた左手の前に、橙の輝きがかたまりとなって出現した。

 「でえええいっ!」 

 光の中に手を突き込み―中から長大な橙色の槍を抜き出す。

 「な、何だとッ!?」

 「『遺産』を槍の姿に変えた…?」

 「よし、これで負けないぜ!」

 槍をびゅん!としごく。

 「こけおどしが…ッ!」

 黒い槍を突き出す(ウー)だったが。

 すぱっ。

 「な、何いッ!?」

 「黒の首領」の力がこめられ、さらに「蒼き熊」の力まで乗せられた槍の柄が、すぱっと「遺産」の槍の穂先に、まさしく「すぱっ」と切り落とされたのだった。

 「やっぱりすげーや、『遺産』の『分ける』力は」

 「ええい卑怯なッ!」

 「丸腰の俺に槍向けたのはそっちじゃねーか!」

 「こ、こんなことが…」

 (ウー)が呻く一方で、ライナーは次々と薬品を取り出して投げていた。が、爆風をものともせずユーリが次々と炎の矢で撃ち落としていた。

 「サイキ!錬金術師はこちらで封じます、巫を何とかしてください!」

 「わかった!あ、ほい、ほい、ほいっと」

 あやめ(サイキ)が槍を振るうに従って、(ウー)の槍はどんどん切り落とされていき…手元の部分しか残らなくなってしまった。

 「お…おのれおのれおのれえッ!」

 「へっへーん、お前この槍で『これで勝てる』とか思っただろー。ほくほく顔で来たもんなー、やーいやーい」

 「くそお…ッ!」

 「ああしてると子どものけんかねー、まるで」

 十五歳ぐらいのあやめ(サイキ)はまだいいが、(ウー)は二十代なのである。

 「く…これは…おいライナー!足止めしろッ!」

 (ウー)はそう叫び…くるっと身を翻して逃げ出した。

 脚に蒼い光をまとい、常人には及ばぬスピードで。

 あっという間に少女の脇を通り過ぎ…そのまま走り去った。

 「わ、わたしはどうすれば…」

 「ユーリごときに防がれるような攻撃しかできない者はいらん!これでサイキたちから逃げられれば、望みをかなえてやってもいいぞッ」

 「そんな…!」

 あわてるライナーに、あやめ(サイキ)が呼びかけた。

 「見捨てられちまったな、お前。降参しないか?」

 「くっ…これも故郷に帰るため…っ!」

 一瞬迷ったが、彼女は懐を探ってまた試験管を取り出した。

 「させません!」

 ユーリの人差し指から炎がほとばしり、ライナーの手にした試験管を砕いた。

 「きゃあっ!」

 ぶわっと炎が広がり、少女は後ろに吹き飛ばされた。

 もちろんその隙をあやめ(サイキ)が見逃すはずもなく。

 閃光のように距離を詰め―

 「な、何をする!」

 ライナーの手首をつかんでひねり上げた。

 「さーて…降参、するか?」

 彼(?)の言葉に、少女は言葉もなくがくがくとうなずいた。

 「(ウー)の言うことなんて、聞かなきゃいいのによー」

 「…わたしは、故郷に帰りたかったんだ」

 ぽつりと、少女は答えた。

 「でも、向こうは『黒の首領』が世界各地から『戦士』を連れて来たんでしょう。他に、故郷に帰せる『門』を開ける巫術師なんているのかなあ」

 「(ウー)は『できる』と言っていた」

 「―みんな、帰りたいんですよ」

 ユーリが呟いた。

 「みんな、そうです。『黒の首領』によって、望まずに連れて来られた者たちは、みんなそう願っているはずです」

 水色の瞳に、怒りの炎が灯った。

 「それを利用されて…『黒の首領』が力を失った今も、みんな帰れずに…許せません!」

 「うう、こんなことなら」

 あやめ(サイキ)が呻いた。

 「『黒の首領』をさっさと分離しないで、みんなを送り返してから切り離した方がよかったかなあ。何か…ごめん」

 「いえ、サイキくんの決断を責めるつもりはありませんよ。戻せないなんて、そんなことわかる訳もありませんでしたし」

 「帰りたい…ただそれだけなのに…!」

 金髪の少女はついに、声を上げて泣きはじめた。

 「うわ、泣くなよ、こらっ」

 わたわたとするあやめ(サイキ)を見かねて、楓と鹿乃子(カノコ)がライナーを引き取る。

 「もう抵抗はしなさそうね」

 「やれやれ…」

 樹はしばらく愛車の前で泣いていたが、ようやくエージェントに後の始末を頼むべく連絡を取りはじめた。

 「また、こんな騒動が起きる毎日が続くのね…周りに被害が出ないといいけど」

 呟いた楓の目に、止まったのは。

 「サイキ…それは?」

 まだ彼(?)の手に抱えられた「遺産」だった。

 「ああこれか。…何か、『呼びかけよ、来たるであろう』って言われて…呼んだら、来ちゃったんだ。どうやらこれ、返したらそれでおしまい、ってもんじゃなさそうだな」

 「『遺産』は、サイキくんを当代の担い手と認めたということでしょう。あなたがその資格を失わない限り、呼びかけに応えますよ」

 「また騒動の種が増えた…」

 楓は、空を見上げた。

 秋の気配を宿した風が、吹く空を。


   第三章 やっぱり女王な馬鹿もいる


 九月も半ばを過ぎ、あやめ(サイキ)も女子バスケ同好会に慣れてきた。

 放課後の練習に(何故か)付き合っている楓にも、どんどん上達していることが分かる。

 その訳は…。

 「ほい、と」

 同好会メンバーが練習している隣で、飛島が華麗なシュートを決める。

 「あー!俺も、俺もそのぐらいできるー!」

 あやめ(サイキ)がぴょんぴょん跳ねてアピールした。

 「勝負だ!飛島先輩!一対一で…えーと、TVで見たんだけど何て言ったっけ、ワ、ワン…」

 「ワンオンワンかな、天野くん」

 「そうそれ!…うっ、悔しい…」

 かっこ悪いことこの上ない。

 …上達している訳は、飛島とマンツーマンで、しょっちゅう張り合っているからだったりする。

 「よーし勝負だ!負けないぜっ」

 言ってドリブルをはじめるあやめ(サイキ)だったが、

 「どわっ!?」 

 横を駆け抜けた飛島に、あっさりボールを奪われた。

 「あっ畜生!」

 ぱっと身を翻して追う…が間に合わず、シュートを決められてしまった。

 「身体能力は大したものだが、まだ慣れていないな。練習を地道に積み重ねれば伸びるだろうが、今は…」

 「くっそー!悔しいなあ!」

 拳を握って悔しがる彼(?)であった。

 (何であんなに対抗意識燃やすのかしら…)

 楓は考えてみたが、答えは出なかった。

 (バスケの実力じゃ競いようがないのにね)


 ドリブル、インターセプト。ドリブル、インターセプト。

 何度も果敢に挑むが、その度にボールを奪われる。

 「ちっくしょー!」

 床をだんだんと踏みつけて悔しがるあやめ(サイキ)

 「実力の差はこんなものだ。…岡谷さん、見てますかー?」

 「そこでいきなり軽くなるなよっ!」

 楓へのアピールを忘れない飛島に、ますます腹を立てるが今一つ決まらない。

 「天野くんは岡谷さんといつも一緒にいられるが、僕はそうはいかないからね。会っている時にはアピールしないと」

 いたずらっぽく笑って、飛島は言った。

 「うーくそー、悔しい…」

 (そんなに悔しがることないのに)

 楓は思うが、そうも言えない。

 「でも、バスケの技術は上がっているのは確かだわ。だいぶ追いつけるようになってきたけど…まだまだだよね」

 「でも、高校一年の女子が、二年の男子とまともに張り合ってるってだけでとんでもないのよ」

 同好会の二年生、中村にそう言われ、(それもそうか)と思う。

 「それも普通のプレイヤーじゃなくて、将来を有望視されている飛島くん相手になんだから。あれなら、本格的に鍛えたらオリンピックも夢じゃないと思うわ、本当に」

 (…駄目なんですよ。性別検査に引っ掛かって…)

 楓は胸の奥で呟いた。

 あやめ(サイキ)の身体はかつて「黒の組織」が投与した薬品のために外見は女性のそれになっているが、遺伝子レベルではあくまで男性なのだ。オリンピックなどの大きな大会では必ず「性別」を調べられる。遺伝子上は女性でないと、あっさりばれるだろう。

 (かといって『男性』で出るというのもね…)

 そう楓が考えている間にも、あやめ(サイキ)はひたすら悔しがっていた。

 「あーちくしょー!剣道やってる時だってこんなに悔しい思いしたことないぜ、俺っ!」

 「…格闘系の競技じゃないからねえ」

 「うう…今度は勉強で勝負だ先輩!」

 「あのねあやめ、一年生と二年生じゃ、そもそも勉強では勝負にならないのよ」

 「うっ…そうか、ちくしょー何やっても勝てないーくやしー」

 楓の言葉に彼(?)がますます悔しがる中、珍しく遅れてコートに姿を現した澄池が、

 「はい、みんな集まってー!」

 同好会のメンバーを呼び集めた。

 「いい知らせよ。練習試合をさせてもらえることになったわ」

 彼女の言葉に、ざわめきが走る。

 「ど、どこと…ですか?」

 「すぐ近くの舞鳥高校の女子バスケ部とよ」

 「えっと!?県下有数の強豪じゃないですか!」

 「弱い所と試合したって練習にならないでしょう。何度もお願いしてOKをもらったんだから、心して挑もうね、みんな」

 にこにこして言う澄池をよそに、みんな困惑した顔をしている。

 「試合は今週の土曜日にしたから。みんながんばろうね!」

 そう言い切られ、メンバーはより一層気合いを入れて練習を再開した。


 「…どうやら(ウー)たちは新組織を立ち上げたらしいんだ」

 久しぶりに研究所に来ていた一同は、スーミーも交えて情報交換をしていた。

 「『蒼の組織』を名乗っているらしい。で、かつて『黒の組織』が連れて来ていた『加護を受けた者』たちを各地から集めているらしい」

 「まだそんなのがいるのかよ!」

 「アジトの場所とかは、わからないんですか?」

 「もちろん捜してはいるが…まだ、わからないんだ」

 楓の質問に、樹が苦い顔で答える。

 「カノコ、巫女としての力で探れないか?」

 「やってはいるんですが…」

 鹿乃子(カノコ)は形のいい眉を寄せた。

 「同格の『精霊の力』で攪乱されると、相当近づかないと感知できないんですよ。向こうも必死で隠してるみたいで…すみません」

 「でも、向こうは『戦士』の(ウー)だけなんですよね。隠し通せるものなんでしょうか」

 『それなんだが…』

 スーミーが口を挟んだ。

 『『熊の巫術師』の行方がまだわからないんだ』

 「あいつの…(コー)の?」

 「知り合いなの、サイキ」

 「(ウー)の幼なじみで、親友だって本人は主張してたな」

 『そう、彼だ。『熊の部族』が我々に降伏する中、彼だけが逃げ延びて、身を隠しながら精霊の加護を受け続けているらしい』

 「一族は降伏したっていうのに…諦めの悪い奴だなあ」

 「『熊の部族』は降伏したのに、巫術師だけ力を奪われないってのも変ですね」

 「『負けた』ってことを精霊に言上するのも巫術師だからなあ…」

 「『巫術師』や『戦士』との精霊の契約は、本人を介さない限りできません。新たな候補者を立てて、本人の意思で力を譲り渡さない限り不可能なんです」

 「そうじゃなきゃ『熊の部族』が降伏した今、(ウー)を無力化するのも簡単なんだが」

 「じゃあ、『彼方の地』との通信は、(ウー)もまだできる、と…その(コー)って人は、『門』は開けるんですか?」

 『それはわからない。私が聞いた限りでは開けないはずだが、最近修行を積んで開けるようになっているかもしれないしな』

 楓の質問に、老巫術師は答える。

 「それで、(ウー)はまだまだその組織を率いて挑戦してくる、と」

 「『黒の組織』はサイキを捕らえて『遺産』を手に入れるって目的があったけど、今度の目的は単に『サイキを倒すこと』になってるのかな」

 「大迷惑だぜ、ほんとに…俺何度も(ウー)の奴を『倒して』いるはずなんだけどなあ」

 「怪我とかした訳じゃないから、実感してないんじゃない?」

 怪我させた方がいい、という訳でもないのだが。

 「でも、『守護精霊の地』での俺たちの闘いって、もちろん槍とか弓矢も使うけど、戦士にとって一番の名誉ってなってるのが『戦闘中に相手の身体に素手で触れる』ことなんだ。それをやっちゃうと、相手は怪我とか全然してなくても負けたってことにされても仕方ないぐらいなんだよ。何度も(ウー)の奴にそれ、やってると思うんだけどなあ」

 「…それで素手でどつき倒すの好きなんだ、サイキ」

 「いわゆる『クーを打つ』ならわしのようなものだな」

 樹が感心した。


 そんなことがあった火の、翌日。

 「この字は、何て書くの?」

 「えーと…わたしたちの使う文字では、こうですね」

 「僕の故郷の字ではこうです」

 お昼休み、いつもの面子で食堂で顔を突き合わせ、楓は鹿乃子(カノコ)とユーリに色々聞いていた。

 「やっぱり…この二つの文字、すごく似ている。『もと』は一つだった可能性が高いわ」

 「確かに、わたしたちの使っている文字は、古代文字が元になってできたんだってお師匠さまから聞いたことがありますけど…ずっと南の方では、さらに古代文字に近い文字を伝えている所があって、わたしたちの文字はそこから伝わったんだと」

 「あ、俺も聞いたことあるなー」

 「じゃあ、そういう文字を使い続けている地方もあるのね。うう、興味出てきちゃった。いつか、行ってみたいな」

 「僕たちの使う文字が古代文字から分かれたかは聞いたことはありませんけど…楓さんの直感が正しいような気もしますね、こうやって比較してみると」

 「もっと調べてみたいなあ」


 「ねえねえ、本格的に女子バスケ同好会で活動はじめたんだって、あやめちゃん」

 夕飯時、由布子が声をかけてきた。

 「う、うん」

 「体操部の部長さんが捜してたわよ。『女子バスケがいいならうちもスカウトに行く』って言って」

 「いくら何でもそりゃ、かけもちにも程があるよー」

 「鹿乃ちゃんは、『占い同好会』から熱烈なオファーが来てるのよね。神秘的な感じがいいんだって」

 (…でも九割方当たっちゃうから、逆に『占い』としては問題あるのよねえ)

 楓はそう思うが、さすがに由布子の前では言えなかった。


 「こっちが『守護精霊の地』に伝わってる絵文字で、これが『四大精霊の地』で魔術とかに使う文字…うーん…」

 夕食後の自室で、二枚の紙片を前にして楓は唸っていた。

 「どうした、楓ー?」

 「うん、ちょっと気になったんで…カノコさんとユーリ先輩に、それぞれの故郷で使っている文字を表にしてもらったんだ。で、見比べているんだけど」

 あやめ(サイキ)の質問に、楓はそちらを見もせずに答える。

 「形は随分違ってはいるけど、この二つの文字は元々は一つの字から分かれたんじゃないかと思って…でも、これ以上は古代文字そのものに当たってみないとわからなくってさ」

 「うーん…古代文字の読み書きなんて、完全にできる人いないと思うぜ」

 「そうか…古代文字…あ!」

 楓はあやめ(サイキ)の方を向いて言った。

 「サイキ、『遺産』を呼び出してくれる?あそこに書いてあった古代文字を見たいの」

 「え、えーっ!?」

 「できるんでしょ。ほら!」

 「わ、わかったよ」

 気圧されて、彼(?)はしぶしぶ左手を突き出す。

 「『遺産』よ!我が手に!」

 「声が大きい!」

 「じゃあどうしろって言うんだよー…」

 ぶーぶー文句を言いつつ、あやめ(サイキ)は手の中に生まれた橙の光に手を突きこんで、金属板を取り出した。

 「じゃ、メモするからちょっと待っててね」

 「えー!?これこっちに呼び出して維持するのってけっこう疲れるんだけどなー」

 「すぐ写すから、待っててよ」

 「うー…明日(ウー)たちが挑んで来て、負けたら楓のせいだからなー」

 何だかんだ言いながらも、汗をかきつつ楓の指示に従ってしまうあやめ(サイキ)だった。


 幸い次の日に襲撃があるということもなく、一日が過ぎ…放課後あやめ(サイキ)はバスケットの練習をし、楓はそれを見ていた。

 「…岡谷さん。よかったら、男子バスケ部のマネージャー、やってみる気はないかい?」

 飛島がそう声をかけてきたのは、練習試合の直前の木曜日だった。

 「え、え!?でも…」

 まるっきり予想外の言葉に、楓はうろたえる。

 「大丈夫、はじめは副マネージャーになってもらって、正マネージャーの樋口さんについて色々学んでくれればいいから」

 「で、でも…私洗濯とか繕い物とかあんまり得意じゃなくて」

 家庭科の授業を思い出し、暗い気持ちになる楓だった。

 「心配ないよ、そういうことは器用さよりも慣れだから」

 (…積極的にアプローチしてくれてる…ってことなのよね、これって)

 正直どう答えていいか、対応に困る。

 「…やだっ!」

 その会話を耳聡く聞きつけたあやめ(サイキ)が、強引に割り込んできてわめいた。

 「楓がなるんだったら、絶対俺たちのバスケ同好会の方だっ!こっちにはマネージャーって人いないんだし」

 「それは君が決めることじゃないと思うよ、天野くん」

 「なーんだよっ、俺絶対認めないからなー」

 ぐい、と背を反らし、飛島と睨み合う、が…。 

 「ちっくしょー…」

 どうにも背が足りない。迫力に欠けている。

 (男性モードならいい勝負だろうけどね)

 「…ここは、岡谷さんの意見を尊重しよう、天野くん。岡谷さん、どうしたい?」 

 「どうするんだ、楓ー?」

 二人してじーっとこっちを見つめている。

 「え、え…すみません、どっちのマネージャーもなるつもりはありません!」

 楓は力いっぱい頭を下げた。

 「…そうか、じゃあ仕方ないな」

 「ちぇー」

 二人それぞれに反応する。


 次の日の、朝。

 「…カノコさん?…何色々抱えてるの?」

 鹿乃子(カノコ)は教室に、VHSビデオテープやら何やらを抱えて入ってきた。

 「ええ、由布子さんに色々教わったんで…」

 「教わった?」

 何か、嫌な予感がした。

 「はいっ!由布子さんの話はとってもためになりますっ」 

 「教わったって、どんなこと…?」

 「えーと、この黒いテープは『よくないこと』の時に使うものだって聞きました」

 「…」

 「でも『よくないこと』ってそんなの沢山起きるんですか?このテープ、けっこう量がありますけど…」

 首を傾げる鹿乃子(カノコ)をよそに、楓は由布子に囁きかけた。

 「何間違った知識教えてるのっ!」

 「いや、だって…あんまり常識ないんで、面白くなっちゃってつい」

 「『つい』じゃないでしょっ!」

 「あと、この片面がきらきらした円盤は『いいこと』に使う飾りだって教わりました!最新式だそうですね!」

 目を輝かせる鹿乃子(カノコ)に、一同絶句した。

 「由~布~子~っ!」

 怒りマークを浮かべる楓に、由布子がひらひらと手を振ってちらりと舌を出す。

 「それと、干し柿って食べると食べると顔が干したみたいにしわしわになるんですってね!だから、若い人は食べたがらないって聞きました!」

 「カノコさん…」

 鹿乃子(カノコ)の「先読みの力」は、基本的に本人が望まない限り発動しない。

 例外は彼女に直接的な危機が迫った時だけ。

 つまり、彼女が「正しい知識を教えてもらっている」と信じている時には「先読み」はしない訳で。

 「鹿乃ちゃん鹿乃ちゃん、食堂のおばちゃんたちは敵に回さない方がいいのよ。でないと食事に笑い薬入れられちゃうんだからね」

 かくして。

 「はあ、そうなんですか。気をつけます」

 …由布子は間違った知識を教え放題になる訳で。

「ちょっとちょっとちょっと!待ちなさい!」

 楓はあわてて二人を引き離した。

 「うう、ここでなら止めようもあるけど…」

 楓は天を仰いで慨嘆する。

 「寮で同室なのよね、この二人」

 そこでどんな情報を吹きこまれるか、わかったもんじゃない。

 (うう…サイキなら、ぶん殴って止めてりゃいいんだけど、カノコさんじゃそうもいかないし)

 「由布子楽しそうだなー」

 隣でのんきに言っているあやめ(サイキ)にも腹が立つ。

 「ああもう!サ…あやめは私がカバーできるけど!身体は二つないんだからカノコさんまでフォローできないわよー!」

 「そんなに怒るなよ楓ー」

 「大体あなたがこっちに来て半年にもなるのにまだボケボケな発言するから、私が側を離れられないんじゃないのー!」

 ほとんど八つ当たり気味に、楓はあやめ(サイキ)を怒鳴りつけた。

 「あなたは相変わらずだし…カノコさんもかなり天然だし…」

 樹さんも言っちゃ何だけど知識はあっても常識に乏しいし、とため息をつく楓である。

 「一人で三人はきついわよ、三人は」


 そんなことがあった日の夜。

 「待ちかねたぞッ!」

 「あたくしに用事ですの?」

 きつい口調と共に、姿を現したのは…。

 (またこんなのか…呼んだの俺だけどッ)

 それは、(ウー)の感覚からすれば何も着ていないとしか思えない人物。

 「アスカとか言ったかッ、『女王』の」 

 「そうですわ」

 呼ばれた「女王」は、傲然と答える。

 「あたくしはアスカ。その名も高き『女王』ですわ」

 「…単刀直入に言う。アスカよ、『女王』よ…サイキを、倒してほしい」

 「そうすれば、故郷『母なる大地の精霊の地』にあたくしを帰してくださるのですね?」

 「もちろんだッ」

 「そのサイキとか言う奴は、エリーとやらが倒せなかった相手ですの?」

 「そ、そうだッ」

 「望むところですわ。必ずあたくしが倒してみせます」

 「頼むッ」

 「それでは、明日にでも」

 そう言ってアスカは出ていく…のを見送り、(ウー)は椅子に深々と沈み込む。

 「エリーがいなくてよかったねっ」

 今まで口を利かずにいたチョビが、声をかけた。

 「エリーの前では、他の『女王』に頼んだなんて言えないからなッ…」

 それなりに気を使っているのである。

 「たいへんだね、しゅりょーやくも」

 「役じゃない、俺は『蒼の首領』だッ」

 言い返す(ウー)の脇で、チョビはおやつをもぐもぐと食べている。

 「(ウー)、これ食べるかー?おいしい」

 「(ウー)さまと呼べとは言わん…言わんが、せめて『蒼の首領』とか、ただ『首領』でいいから言ってくれッ」

 「だって、(ウー)(ウー)。ほかに呼びよう、ない」

 「うう、何でこんな奴を配下にしたんだ、俺ッ」

 「『黒のしゅりょー』、いっつもカーテンの向こうにいて、しんぴせーがあった。でも(ウー)は、いっつもチョビたちに顔をさらしてる。ちっともえらそうに、見えない」

 「…」

 チョビに、それこそぐうの音も出ないほどに言い負かされて、(ウー)はただ黙りこむしかない。

 「と、とにかくあいつをサイキにぶつけて、俺はその後奴を負かすんだッ」

 「その後どうするんですかねえ」

 ぼそりと言う男が一人。

 「どうせ、『門』は開けないんでしょう。さんざん(コー)さんに言ってもまだなんだし…」

 かたわらに控える戦闘員が呟いているのである。

 「だだッ、黙ってろ部下A!」


 そんな会話があったとは、全く知らず。

 土曜日に女子バスケ同好会その他の一行は舞鳥学園を出発することになったのだが。

 「やっと乗れるようになったぜっ!」

 そう言って得意そうにあやめ(サイキ)が乗る自転車は、放置自転車を安く譲ってもらったものだったりする。もちろんぼろぼろだったが、樹や野本の協力で見違えるほどきれいになった。

 「便利ですね、これ」

 鹿乃子(カノコ)も事情は同じである。

 「やっとみんな、自転車で動けるようになったわね」

 楓も、当然のように「一行」に加わっていた。

 「自転車には乗れるようになったのに、どうしてスマホの使い方覚えられないかなー」

 「自転車は簡単だったよ。でもスマホの細かい操作、難しいぜ」

 あやめ(サイキ)は笑った。

 「練習試合か…見てろ、俺がかっこ良くシュートを決めてやるぜ!」

 やはり気分が高揚しているらしい。彼(?)は自信満々だった。

 「いいわね天野さん、その調子よ」

 澄池が嬉しそうに口を挟んだ。


 舞鳥市には、三つの高校がある。

 楓やあやめ(サイキ)がいる舞鳥学園は、私立の名門校だ。市の人々にしてみれば相当のお坊ちゃんお嬢さんが行く所になる…もちろん、楓のように奨学生も多い訳だが。

 対して、一同が今向かっている舞鳥高校は県立校で、市内の学生はたいていここに通っている。成績は上の上から中の下まで様々で、設備も一応のものはそろっている。…ただし、スポーツ施設などは舞鳥学園の方が充実しているので、そちらが優秀な中学生は学園を目指すことが多かった。

 もう一つの舞鳥工業高校は、もちろん真面目に技術を学ぶ学生も多いのだが一般的にはあまり「よろしくない」学生が通う所と認識されている。

 ―と言う訳で、たいていのスポーツは舞鳥学園の方が「優秀」となっているのだが、力を入れていない種目もある訳で…女子バスケットはそのうちの一つであった。それに引き換え舞鳥高校はたまたま指導者がいいせいもあって、全国大会への出場も数多い強豪校として知られていた。

 一同が向かっているのは、そんな高校なのである。

 (ああは言ってるけど…)

 大丈夫かな、と楓は思うが、口には出せなかった。


 一方その頃、「蒼の組織」のアジトでは。

 「な、何ですって!?そのアスカとか言う『女王』に、サイキを倒させるというのですかっ!」

 エリーの絶叫が響いていたりする。

 「うん」

 「だ、だってなッ、あいつけっこう強そうで…」

 「冗・談じゃございませんわっと!わたくしが倒せなかった敵に、他の『女王』をぶつけるなどとは!…わたくし、ちょっと行って参ります!」

 裸足の足音も荒く(といってもぴたぴた言うだけだが)エリーは出て行った。

 「止めなくていいのか、(ウー)ー?」

 「いや、いい。もう疲れたッ…」

 低く呻いて、(ウー)は椅子にへたりこんだ。


 みんなでわいわい言いながら舞鳥市内を通り抜け、舞鳥高校の正門をくぐったのだが、

 「……」

 そこで待っていた、明らかに女子バスケ「部」とわかるメンバーを見て、みんな黙ってしまった。

 背丈そのものは「同好会」の面子とそう変わらないのだが、筋肉のつき方がまるっきり違う。いかにも、「毎日苛酷な練習に耐えていますよ」という体格なのだ。対抗できるのはあやめ(サイキ)ぐらいか。

 「よく来たな。さっそくはじめようか」

 部長らしい一番背の高い女子学生が、低い迫力ある声をかけてきた。

 「練習試合を承諾してくださって、ありがとうございます。よろしくお願いします」

 対照的に澄池はていねいに礼を言い、更衣室に案内してもらう。

 「―感じますか、サイキ」

 着替えて出てきたあやめ(サイキ)に、鹿乃子(カノコ)がそっと囁きかけてきた。

 「…ああ」

 浮かない顔で、彼(?)がうなずく。

 「どうしたの?」

 「強い精霊の気配が、こちらにまっすぐ近づいてきているんです」

 鹿乃子(カノコ)が困惑した表情で楓の問いに答えた。

 「また刺客か…よりにもよってこんな時にー」

 あやめ(サイキ)が―彼(?)に似合わず―気弱な声を出した。

 「どうするの?試合は!?」

 「うう…心苦しいけど、試合の中に飛びこまれたりしたらもっと困るよな」

 「ここはパスするしかない、か…」

 意を決して、三人はウォーミングアップをしている澄池に近づいた。

 「天野さんも早くウォーミングアップしてねー」

 何も知らない澄池がにっこり笑う。そこに、三人は胸を痛めながら報告した。

 「すみません、俺この試合出られません!」

 「補欠の木下さんを出してあげてください!」

 「え!?ちょっと、天野さん?」

 彼女の困惑した声音にも振り返らず、三人は体育館を飛び出した。


 「こっちです!」

 鹿乃子(カノコ)が精霊の気配を読み取り、たどりついたのは校庭だった。今日は土曜日、学校に来ている人もほとんどが試合を見に大体育館に集まっているので、校庭には人目はなかった。

 「待ちかねましたわ、サイキとやら!」

 校庭のど真ん中で高笑いを上げているのは―

 「エリー!?いや、違う…」

 黒い衣装に身を包み…きれていない、若い女性だった。

 脚も腕も、引き締まった腹もむき出しだった。

 「あたくしは『女王』アスカ!エリーなどと一緒にされては困りますわ!」

 「いや、だってそうとしか見えないもんなー」

 「確かに…」

 楓はあらためてその人物を見つめた。

 すっきりとまとまったプロポーション。ふっくらとした曲線は描かないものの、無駄のない身体の線は充分美しい。

 エリーとの最も大きな違いは、胸の部分だった。エリーは胸を「隠していない」胸甲だったが、アスカは逆に胸全体をすっぽりと包む鎧で、突き出した二つの胸をやたらと強調していた。周りにはトゲトゲまでついている。

 「すげーなー、あのミサイルバスト」

 確かに二つのミサイルにしか見えない「胸」だった。

 「あのエリーが倒せなかった敵・サイキ…あたくしが!この『母なる大地の精霊』に加護を受けたあたくしが倒してみせますわ!」

 「母なる大地の精霊」の部分をやたらと強調して、叫ぶ。

 「めんどくさい奴だなー。俺は今日忙しいんだ、さっさと決着つけて試合に戻るぞ!」

 「それはあたくしの台詞ですわ!」

 アスカが振りかざしたのは、巨大な広刃の刀…いわゆる青龍刀と呼ばれるたぐいの武器だった。おそろしく切れ味が良さそうだ。

 「へー、『女王』がみんな鞭を使う訳じゃないんだ」

 「あたくしの刀に斬れぬものなどありませんわ!さっさと屈しなさい、サイキとやら!」

 「態度がでかいのはみんな一緒なんだ…」

 納得しつつ、あやめ(サイキ)が進み出る。

 「エリーに使った手、使えるかな。できればあんなバクチ、打ちたくないんだけど」

 彼(?)も頭を巡らせているようだ。

 「まずはあたくしから攻撃ですわ!大地よ!あたくしに助力を!」

 アスカが青龍刀をかざすと、

 ばしゅん!

 校庭がぱっくりと割れ、そこから石つぶてがあやめ(サイキ)目掛けて放たれた。

 「く…っ!」

 一瞬早く彼(?)が動いて避けたが、体勢の崩れを見て取ったアスカが肉迫し、斬りつけてくる。

 「ちいっ!」

 あやめ(サイキ)は右に跳んで刀をかわそうとするが…わずかに遅れがあった。このままでは、左肩が大きく斬られる。

 「「サイキっ!」」

 その時―

 革の鞭がくるくると刀に巻きつき、引っ張って動きを止めた。その隙にあやめ(サイキ)はさらに大きく跳躍して距離を取る。

 「お待ちなさい、雑魚女王!」

 聞き覚えがあるが、あまり聞きたくない―でも今は少し感謝してもいいかもしれない―声がかかった。

 「あなたごときに、わたくしを倒した敵を倒させるなど認められませんわ」

 鞭をぎりぎりと引き絞りながら、現れたのは。

 「エリー…」

 アスカが唇を噛んだ。

 「わかったらさっさと去りなさい、アスカとやら!」

 「何を言うのですか、逃げるのはあなたですわ!」

 二人の「女王」は激しく言い争う。そして―

 「「この者を倒す権利をどちらが取るか、勝負ですわ!」」

 声をハモらせて、二人の「自称女王」は校庭できっと睨み合いながらじりじりと距離を取って動きはじめる。

 「あー…サイキ、どうする?」

 「俺たち無視して話が進んでるけど…まあ、周りに被害が出ないように見張ってるってもんかな。余計な手出しはしないで」

 「生暖かい目で見守るってことね…」

 あやめ(サイキ)が楓たちのもとに戻っても、エリーとアスカは気づきもせずに闘っている。

 「「大地よ!」」

 二人の声がわずかに前後しつつ響き、アスカの足元には土の槍がどん!と生え、エリーには石つぶてが襲いかかる。

 「誇りにかけて、やられませんわ!」

 アスカは土の穂先をぎりぎりでかわし、左手で槍を掴むと―力を失った土がぼろぼろと崩れていった。エリーもまた、石つぶてから力を奪って傷を受けていない。

 「それなら、こちらで!」

 「負けませんわ!勝利はあたくしのものです!」

 鞭と青龍刀―「精霊の力」を宿した武器同士が、激しく切り結ぶ。どちらもその「力」で強化されているので、なかなか勝負はつかなかった。

 しかし、鞭の方が間合いが遠い。決定打を与えられないまま、じりじりとアスカは押されていった。

 「これならいかが?」

 エリーの声と共に鞭の先がくるくると刀に巻きつき、あっと思う間もなくぐいっと引っ張られて手から離れた。青龍刀はそのまま遠くへ投げ出される。

 「ほほほほほ!これであなたもおしまいですわよ!」

 ばしーん!

 鋭い音を立ててエリーの鞭がアスカの胸を打ち、鎧がぱっくりと避けた。

 「うおっ!?」  

 あやめ(サイキ)が身を乗り出す―のは驚きもあったが、期待の響きもその声に含まれていることに楓は気づき、むかっとした。

 だが。

 残念ながらその期待は、かなわなかった。

 「な、何ですのあなたはっ!?」  

 「え…?」

 鎧の下は―空っぽだった。

 正確には、大きく盛り上がった「ミサイル」の中に、あるべきはずのものがない。

 その奥に、平らな、筋肉質の胸板があった。

 「つるぺた…?」

 「い、いやそんなレベルじゃなくて、その、つまり…」

 「そ、そんな…聞いたこともありませんが、アスカとやら、まさか…」

 「そうですわ!」

 アスカは…「女王」と名乗っていた者は、開き直って宣言した。

 「あたくしの本来の性別は、男!王族の血は引いておりますが、男として生まれたのですわ!」

 「それなのに『女王』として育てられたと…」

 「そうですわ!あたくしの強い意志を『母なる大地の精霊』がお認めくださり、あたくしにその加護を与えてくださった…つまり!あたくしを『女』とお認めいただいたということ!」

 必死に主張するアスカであったが。

 「…気が抜けましたわ。雑魚女王ですらなく、偽女王だったとは…もう結構です、好きになさい」

 そう言ってエリーは鞭を引っこめ、帰っていってしまう。

 「あ!ちょっと、お待ちなさい!あたくしと勝負しなさいエリー…『男』だから無視だなんてひどすぎですわー!」

 必死に呼び止めるアスカをよそに、エリーはとっとと去っていき。

 「あ、あたくしが男だからって、男だからって…えうえう~っ」

 ぺたんと座りこんで泣きじゃくるアスカは、

 「おい!おーい、聞いてるかー」

 肩をぽんぽんと叩かれ、ぐしぐしと涙をぬぐって顔を上げると―

 「勝負再開するかー?」

 にっこり…いや改め、にやにや笑ったあやめ(サイキ)に出くわしたりする。

 「はっ!」

 飛び退くが…明らかに今までの覇気がない。

 「やるかい?男の女王さん」

 「や、やりますとも…やりますが…えぐっ」

 アスカは立って戦闘態勢を取ろうとするが…力が入らず、またぺたんと座りこんでしまう。

 「『精霊の力』が使えなくなってる!?」

 「まあ、こういうのは思いこみに左右されるからなー。『男』だってばれて、呼びかける気合いが出なくなったんだろ」

 「ついに…ついにあたくしの性別がばれてしまいました…えぐえぐえぐ」

 しまいにはしくしくと泣き出してしまった。

 「…どうする?」

 「とりあえず捕まえとこうよ。このまま放っておく訳にもいかないし」

 「そうだな…おい、立てよ。泣いてないでさ」

 あやめ(サイキ)は泣いているアスカを立たせ、涙をぬぐってやる。

 「ほら、もう泣くなよ。それこそ、『男』だろー?」

 「あたくしの故郷では、『男』は泣くものですわ…しくしく」

 「めんどくさい所だなあ。女だけが偉くて、男が駄目なんてことないと思うぜ、俺は」

 「生まれつきの『女』だから、そんなことが言えるんですわ~っ」

 「いや…俺、もとから『女』な訳じゃないんだけどなー」

 まことにややこしい話である。


 「とりあえず無力ね、この人は」

 「研究所に収容して、また鉄の靴でもはかせとこう。そうすりゃ回復できたとしても、『精霊の力』は使えないだろうし」

 「さて…試合の方、どうなったかなあ」

 「抜けてきちゃいましたものね」

 スマホでエージェントを呼び出し、アスカを預けて三人は大体育館に急いだ。

 しかし。

 「ああ…っ」

 スコアボードに示された数字は、片方が二桁、反対側は三桁。

 どちらが母校の点数かは、言うまでもない。

 「うう、俺が抜けたばっかりに…」

 「仕方なかったとは言っても、これは…」

 がっくりと肩を落とす三人に、

 「あ、天野さん!ちょうどいいわ、木下さんと交代して!」

 目敏くこっちを見つけた澄池が、声をかけてきた。

 「は、はいっ!」

 へとへとになった一年生と替って、あやめ(サイキ)がコートに出る。

 「よし、勝負はこれからよ!舞学ーファイト!」

 「ファイト、オー!」

 

 「おお…っ」

 場内がざわめいた。

 澄池が敵陣にドリブルで斬りこみ、ブロックをすり抜けてパス。

 「よーしっ!」 

 あやめ(サイキ)がゴール下で跳ね上がり、ダンクシュートを決めたのだ。

 次第に点差は縮んで行くが…一歩足りず、ホイッスルが鳴り響く前にもう、舞鳥学園チームの敗北は明らかだった。

 「くうっ…俺がもう少し早く戻れれば…」

 「そうね…」

 汗を拭くのもそこそこに、あやめ(サイキ)と楓の二人は澄池のもとに行って頭を下げた。

 「…すみません。俺、どうしてもやらなきゃいけないことがあって…試合、抜けちゃいました。そのせいで負けちゃって…ほんとすみませんっ」

 「私も止めないで、抜けさせちゃって…本当にすみませんでした」

 「…」

 頭を上げられない二人を、彼女はじっと見ていた。

 「…何か、勘違いをしているようね」

 はっとして二人は顔を上げる。

 そう言った澄池の顔は、一つ年上なだけとは思えないほど、大人の…「人生の先輩」のものだった。

 「せっかくだから、言わせてもらうわ」

 柔らかな中に、ぴんと一本筋が入ったその表情が、二人を圧倒する。

 「自分がいなかったから負けた、いれば勝てた…なんて、あなたに言ってほしくないの。私たちは全力で闘い、そして負けた…それだけ。それを自分のせいだと思うのは、一種の傲慢よ」

 「…」

 「私は確かに、あなたに期待している。でもそれは、自分一人で試合をひっくり返せるって思いこむとかってことじゃないの」

 重い、言葉だった。

 「傲慢になってほしいってことじゃ、ないのよ」

 「「はい…」」

 まだまだ至らない二人は、ただうつむくしかない。

 

 楓とあやめ(サイキ)が去り、ストレッチをはじめた澄池のもとに、また近づく者があった。

 「―おい」

 声を掛けられて、彼女は振り向く。

 「澄池会長」

 「相沢部長…」

 舞鳥高校の女子バスケ部部長だった。もちろん長身、鍛え抜かれた引き締まった体つきで少々強面。さっきの試合では最も多く得点していた彼女である。

 「な、何でしょうか」

 澄池は少々緊張気味に答えた。

 「―いい試合だったな」

 ぽつりと、県下ナンバーワンポイントゲッターとの呼び声高い彼女は言った。

 「え?」

 「特に、ラスト近くに出してきた隠し玉…あれは、すごいぞ。何であそこまで取っといたんだ」

 「え、あの、それは…」

 「もちろん隠し玉だけじゃない。全員のレベルがかなり上がってる」

 賞賛の言葉が、飾り気のない分心に染みた。

 「これはオレの個人的な感想だが…正直、驚いたぞ。ここまで迫られるとはな」

 ちょっと視線を反らし、言葉を続ける。

 「また、やろうな。…できれば公式戦で」

 澄池の顔がぱっと輝いた。

 「負けませんよ、今度は!」


 かくして。

 帰り、自転車に乗って舞鳥高校を離れた一行の中で、

 「先輩、負けたのにずっとにこにこして…どうしたんだろう、何か怖くて近づけない…」

 「何か、試合の他に嬉しいことでもあったのかなあ」

 そんな会話がされることになったのだった。




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