天翔けるは白銀の鷲 第二シリーズ
第十三章 祝ってもらう馬鹿もいる
舞光祭三日目の、早朝。
あやめは楓を起こさないようにそっと起き出すと、部屋から出た。まだ暗い中を、靴を持ってこっそり窓から抜け出す。
振り向いて学園の後ろにそびえる山を見上げた。紅葉があちこちに見えるが、全体としては暗く静まりかえっている。
「さあ、行きますよー!」
一声かけて、山に向かって彼(?)は駆け出した。
それから三十分ほどして、楓は目を覚ました。
「おはよう、サイキ…」
返事がない。
「あれ?サイキ?」
下のベッドを覗きこむが、そこにも、部屋のどこにも彼(?)はいなかった。
「もう出ちゃったのかしら」
顔を合わせたくないのか、と思うとちょっと悲しかった。
その時、
「楓、起きてるー?」
どんどんとドアを叩かれ、由布子の声が聞こえた。
「飛島先輩がお待ちよ!早く支度して!」
「えっ!?」
驚いて、慌てて身支度を整える。
ふと、壁のカレンダーに目が止まった。
「…あ」
十一月二日。
日付を見て、呟く。
「私の誕生日か…」
今日、楓は十六歳になるのだ。
家族と一緒なら祝ってくれたかな、とも思うが。
「ま、いいけど、別に」
特に誰にも今日がその日だと言っていない、と気づいた。
(樹さんぐらいなら知ってると思うけど…)
もう親元を離れたんだし、誕生日だって大騒ぎする年齢でもないか、と考えて彼女は身支度を整えた。
降りていくと、
「やあ。悪いね、急がせてしまって」
飛島の笑顔が、食堂にあった。
「いえいえ!お待たせしちゃってすみません!」
わたわたとする楓に、優しい笑みがさらに深まる。
「岡谷さん、今日、お誕生日だそうだね。おめでとう」
「え!?…あ、はい、ありがとうございます」
慌てて返事をする彼女に、柔らかな笑みが向けられた。
「川上くんに聞いたよ。十六歳、おめでとう」
「は…はい、そのう…」
(由布子の馬鹿ーっ!)
ここにはいないが、絶対どこかで様子を見ているであろう彼女を心の中で罵っていた。
「プレゼント、受け取ってくれるかな」
そう言って、彼はいかにも高級そうなビロードの小箱を取り出してきた。
「開けてごらん」
「は、はい」
小箱に入っていたのは、流れるような曲線を描く銀のブローチ。
「どうだい?結構似合うと思うんだが」
「で、でもこんな高そうなもの、受け取れません!」
「いいんだよ。君にと思って手に入れたんだし…誕生日プレゼント、受け取ってくれると嬉しいな」
「ちょ、ちょっと待っててください!」
楓は階段を駆け上って自室の姿見で全身をチェック、慌てて戻ってきた。
その胸元には…。
「ブローチ、つけてくれたんだね。嬉しいよ」
飛島は、さらに柔らかく微笑んだ。
「あの、これは…一応、つけるのが礼儀だって言うか…その…」
「似合っているよ、とっても…じゃ、行こうか」
「はい…」
消え入りそうな声を出して、楓は飛島について歩き出した。
祭は、昨日にも増して賑わっていた。
屋台ではクレープ、たこ焼き、焼きそば…と、様々なものが売られ、呼びこみの声もやかましく響いている。その間を学生も一般の人も行き交い、賑やかなことこの上ない。
「全品二割引きでーす!味も最高!」
最終日とあって、売り尽くしを狙う呼びこみも一際盛んだった。
そんな中を、楓と飛島は微妙な距離を保って歩いていた。
「岡谷さん、クレープ食べるかい?」
「ええ…」
「うーん、クレープじゃなくて焼きそばにするかい?」
「ええ…」
楓は、心あらずと言った様子で返事をする。
「さっきから生返事ばかりだよ、岡谷さん」
「……」
飛島の声がフェイドアウトするほどに一心に、ただ一つのことを、考えていた。
(どうして…)
目を据えて、人混みの中を歩き続ける。
(どうして…会ったら謝ろうと思っているのに、こんな時に、いないのよ)
「…や、さん…」
「…」
「…っおかや、さん!」
「…えっ!?」
大きな声で呼びかけられて、やっと楓は気づいた。
「な、何でしょう」
「…何でしょう、はひどいな」
飛島は苦笑した。
「クレープでも食べるかい、と聞いていたんだが。好きかい?」
「え、ええ。好き…ですけど」
「じゃ、注文するね」
言って彼は、SF研究会が開いているクレープ屋台に声をかけた。
「チョコバナナ一つ、サラダ一つ」
二つ注文してさっと財布を取り出す。
「え、ちょっと…私、払います!」
「いいから。少しはいい思いをさせてくれよ、岡谷さん」
慌てて小銭入れを探る楓を、彼は押しとどめた。
クレープをかじりながら、雑踏の中を歩く。
(…別に、気にしてなんか、いないんだから…)
そう思いつつも。
つい、捜してしまう。
いつも側にいた、女の子にしては背の高い姿を。
人混みのどこかにいないか目は捜し続け…。
(いけない、何やってるの)
はっと気づいて今の「デート」に集中しようとするが、思考はいつも他のことに行ってしまう。
(…い、いかんいかん。今ここに集中しないと)
そう思い…そう思う自分に呆れた。
(デートに『集中しないと』ってどういうことよ、自分)
しかし、事実な訳で。
(どうして、いないのかしら。一番いてほしい時に…いやいや、別にいたからってどうこう、じゃなくて…)
もはや思考がぐちゃぐちゃである。
(あ、頭だけが売りの私なのに…)
何か腹が立って、何故か悔しい。
「…あ、楓さん」
そこに、聞き慣れた声がかかった。
「カノコさん?」
鹿乃子は、由布子と一緒にいた。
(今日こそは…と一緒かと思ったら、違うのね)
そう思うが、口に出せなかった。
「由布子、生徒会の仕事は?」
「あたしは今日だけお休み。やっと楽しめるわ」
「…昨日は大活躍だったもんね…」
一年生の身でイベントの一つを取り仕切ったのだ。生徒会にいかに信頼されているか、ということである。
(じゃあ…はどこに行ったのかしら)
これも口に出せず。
「…岡谷さん?」
「あ、行きます。じゃあねカノコさん、由布子」
ためらいがちに声をかけてきた飛島に応え、楓は二人と別れた。
(私、別にそんなに気にしてる訳じゃないのに…)
そう考えようとしているのだが。
(…!…違うか)
背の高い女の子を見かけると、つい振り向いて確認してしまう。
ふらふらとさまよい出す自分の心を、楓は何とかつなぎ止めようと努力した。
(こんな…こんなに『自分の思い』が制御できないものだったなんて…)
理性を優先するのが自分のはずなのに。
でも、止められなかった。
(…!あ、違うそうじゃないっ)
見慣れた背の高い姿…だが、捜している姿ではない。
「ユーリ先輩…」
「あ、楓さ…岡谷さん。和也も一緒でしたか」
(そうか、この二人って寮で同室だったんだ)
納得する楓の前で、二人は挨拶を交わしている。
その周りには。
(うう、視線が痛い…)
ユーリを取り巻くファンクラブの会員たちが、彼女を睨んでいた。
(…私別に、ユーリ先輩のファンじゃないんだけどな)
しかし、よく口をきいているのは確かなので、評判が悪くても仕方がない。飛島がさっさと歩き出したので、楓はほっとして一団から離れた。
「…おう、岡谷」
背後から呼び止められて、彼女は振り向いたが。
「野本くん?…剣道部の屋台は?」
「『一時間ぐらい見てこい』って先輩に言われて、抜けてきたんだよ。まあ時間もないしざーっと見てくってもんだな」
「大変ねえ、次期部長候補も」
「岡谷は…飛島先輩とデートか。がんばれよ」
「が、がんばるって…何をどうがんばればいいのか…」
「ところで…」
野本は飛島に聞こえないように囁きかけてきた。
「…天野はどうした?」
ためらいがちに、聞いてくる。
「…!」
考えない、思い出さない…押さえつけていたその名前に、胸がちくん、と痛んだ。
「し、知らないわよ私っ」
「…そうか…」
楓の動揺ぶりに何か察するものがあったのか、野本は「それじゃ」と手を振って離れていった。
「校舎の方も回ろうか。うちのクラス、お化け屋敷をやっているんだよ」
さっきの会話については何も言わず、飛島はただ優しく話しかけてくる。
「後、天文部のプラネタリウムも近いな。小さいけど、気合い入れて作ったって評判だよ」
そう言って彼は楓に笑顔を向けた。
それはとても優しく、あたたかい笑顔であった。
だが。
(…違う)
そんな思いが、突き上げてきた。
(私の…私の見たい笑顔は、この人のじゃない)
それは、いつも理性的であろうとしてきた…もちろん充分感情に走ってはいるのだが、少なくとも自分では理性的であろうとしてきた楓の心の殻を打ち破る、感情のほとばしりだった。
それでも何とか自分を押さえ、そろそろ午後四時と言う時間帯になった。
「ありがとう、岡谷…いや、楓さん」
ここで、はじめて名前を呼んできた。
「楽しかったね、今日は」
楓がずっと心ここにあらずといった様子だったのにもかかわらず、飛島はそう言ってくれた。
「寮まで送るよ」
そう続けて歩き出した背中に、
「…あの!」
彼女は思わず声をかけていた。
「何だい?」
振り向いて見せる優しい笑顔…それを受け取れない自分が、情けなかった。
しかしそれでも、言わなければならない。
「―すみません。色々してもらって嬉しかったんですけど…私は、やっぱり飛島先輩とは、お付き合いできません。自分に嘘はつけないんです。わかってください…」
楓はブローチを外し、ポケットからビロードの箱を出してしまいこみ、彼に差し出した。
「あ、あの!一度身につけちゃったものを返すのは失礼だって、わかってますけどっ!でも、どうしても受け取れないんで…本当にすみません…」
「いや、いいんだ。楓さんの気持ちはよくわかった」
苦く笑って、飛島は小箱を受け取った。
「…しょうがないね。君は、僕といてもちっとも楽しそうじゃなかった…それは僕にもわかっているよ。ただ、がっかりさせないようにしているだけなんだってことは」
「すみません…」
「僕の努力で、君の心を変えられると思っていたが…どうにもならないことだったか」
「…」
もはや言葉もない楓に、さらに言葉がかけられる。
「好きな人に『好き』と思ってもらえるのは、難しいな。…楓さん…岡谷さんは、本当に好きな人に好きになってもらえるといいね」
「…はい…」
うつむいて、彼女は小さく答えた。
「先輩を見ている人は、ちゃんといます。その気持ちを、大切にしてあげてください」
そうとしか、言えなかった。
真っ赤な顔で、楓が若葉寮まで戻ってくると、ちょうど出てきた由布子に出くわした。
「あ、由布子。…カノコさんは?」
「篠原たちに預けてきた。あたしは閉会式の準備を手伝わないといけないから」
「締めくくりだもんね。由布子、がんばったし」
「それよりどうなったのよ、初デートは」
好奇心もあらわに聞いてくる由布子に、楓はたじたじとなった。
「えーと、その…」
「…でも、あやめちゃんのことも、ちゃんと気にかけてないと駄目よ」
いつになく真面目な表情で、彼女が言葉を続ける。
「どういうこと…?」
困惑した表情を浮かべる楓に、さらに言葉が重ねられた。
「あの子、パフォーマンス大会で歌ってたでしょ?あれ、優勝者には賞品が―と言っても図書券だけど―が出ることになってたのよ。あやめちゃんは、それを楓への誕生日プレゼントにするんだって言って参加したの」
「じゃあ、ステージで歌ってたのって…!」
「あやめちゃんね、楓の誕生日の話と『誕生日にはプレゼントを贈るものだ』ってことを知ったのがかなり後で…」
(誰に聞いたのかしら…樹さんね、多分)
「…『わかってたら貯金しといたのになー』って悔んでたわよ。それで、大会で優勝して賞品をプレゼントしようって燃えてたんだ。図書券なら絶対喜ぶからって」
「そんな…私、知らなかった。一言言ってくれれば、あんなに怒らなかったのに…」
「びっくりさせて喜ばせたかったんだと思うわ」
由布子は苦笑した。
「あやめちゃんなりに、かっこつけてたのよ、きっと。…女の子同士で何かっこつけてるのかと思うけど、それが似合うのよねー、何故か」
「由布子…」
楓はその言葉に、友人のあたたかい配慮を感じ取った。
(いつも、状況を引っかき回すだけ引っかき回して喜んでるけど、それだけじゃないんだ)
助言をくれる、大切な友達。
(単に世話好きなのかもしれないけどね)
そうも思うが、やっぱり見守ってくれていると思うと嬉しい。
「だから…あやめちゃんの気持ち、怒るだけじゃなくってちゃんと受け取ってあげてね。空回りばっかりだけど、あの子なりにがんばってるんだから」
「う…うん、わかった。ありがとうね」
由布子と別れ、ぼーっとしたまま自室に戻り、勉強机に突っ伏して一息。
「くたびれたよお…」
気を張っていたんだなあ、と我ながら思う。さらに飛島と由布子、二人とのやりとり二連続でもっと消耗したのも事実だった。
「私、ひどい奴だよね…」
さんざん飛島を待たせておいて、答えがあれとは。
さらに。
(サイキ、どこにいるんだろう…)
ついそっちに考えが向いてしまう自分が、なおさら嫌だった。
でも、
(ひどいこと、しちゃったな)
飛島への謝罪より、彼(?)へのそれの方が苦しいのは事実な訳で。
「私へのプレゼントが目的だったなんて…そんなこと、言わなきゃわかんないじゃないのー」
ため息を一つ。
…今にして思えば、トロフィーを「贈れない」と文句を言っていたのも、その「理由」がはっきりとわかり…胸をかきむしりたくなった。
どんどん!
その時、ドアがノックされた。
「え、誰?」
「俺だよ、楓ー」
あやめの声だった。ドアを開けると、満面の笑みで入ってくる。
「…今までどこに行ってたのよ」
「あー、悪い悪い。ちょっと学園抜けて、山に入ってた」
「『山に入ってた』じゃないわよ!」
(あんなに怒ったの、謝らないと…)
心ではそう思っているのだが、
「あなたは!どうしてこう、いて欲しい時に、いないのよ!」
やっと会えて嬉しいのに、口をついて出るのは文句ばかりだった。
「ずっと…ずっと、私…」
「んー?何か、楓の方で俺に会いたい理由があったのか?」
顔を覗きこまれて、楓の出そうとしていた言葉は喉に詰まった。
「…もういいわよ馬鹿っ!」
「でも、俺は楓に会いたかったぜ」
「じゃ、どうして山になんて入ってたのよ!」
「ごめんごめん。探してたものがあったんだ」
彼女の言葉に特に傷ついた様子もなく、言葉を続ける。
「こっちの世界じゃ、誕生日ってプレゼントを渡してお祝いする日なんだってな。楓、今日がその日だったんだろ?」
「…うん」
「じゃ、これ」
そう言ってあやめが差し出して開いた手のひらに乗っていたのは…一見、小さな茶色の木片か何かに、見えた。
「これ…?」
しかし、よく見ると違う。
いびつな楕円形に見えたそれは、大部分が薄い板状の「翼」でできており、片方の端にふくらんだ丸いものがついていた。
「…種…?」
「うん。樹さんには花束とかを贈るんだって教わったんだけど、花屋さんに行ったら手持ちのお金じゃ足りなくってさー。それに枯れちゃうし。だから、裏山に行ってこれを採ってきたんだ。これならどっかに植えとけば芽が出て木になるよ。確か、楓と同じ名前の木になるんだよな、これ」
「…学園の敷地に植えても、あと二年とちょっとで卒業しちゃうんだけどな…どこに植える気なのよ」
そう文句を言いながらも…楓は、こんなちっぽけな、金もかかっていないプレゼントが、朝飛島が贈ってくれたブローチよりずっと嬉しいのに気づいていた。
「…ありがとう、サイキ」
ちょっとだけ、涙がにじんだ。
「私の誕生日は祝ってもらったけど…サイキの誕生祝いもしたいわね」
「うーん、俺の故郷ではこっちみたいにきっちり月とか日とか決まってないからなー。俺が生まれたのは『山脈』の一番高い峰から日が昇った頃、ぐらいとしか教わってないや。こっちの暦でいつになるかなんて見当もつかないよ」
「そうなの…」
「もっと南の方だと、こっちのとは違うけどきちんとした暦があって、それで占いをしたり名前をつけたりするって聞いたけど」
「それじゃ、適当に日を決めてお祝いしようね。私も何かプレゼント考えとくから」
「そうだな、そうしてくれると嬉しいな。…でも何がいいかなー、楓からのプレゼントって」
「秘密にしとくね、サイキには」
「ちぇー」
「『ちぇー』じゃない!秘密にしといたのはあなたでしょうが!」
「うう、それもそうか…しまったー」
二人から、笑いがこぼれた。
「あー、何か腹が減ってきちまったなー」
「一日山にいればそうなるわね…閉会式までラストスパートよ、屋台とか回ろっ!そろそろ売り切るために半額セールとかやるはずだし!」
「え、じゃあ安くたくさん食べられるのか?そりゃいいなー、すぐ行こうすぐ!」
「閉会式の後は、みんなで校庭に集まってキャンプファイアーよ。要らなくなった材木とかを集めて燃やすの。周りでフォークダンスとかやって…」
「俺、楓と踊りたいなあ」
「まあ女の子同士では普通踊らないけどね」
「ちぇー」
「でも人数が合わないと、ありうるけどねっ」
二人で微笑み合う。
…しかしその望みは、叶わなかった。
どんどん!
本日三回目、部屋のドアが叩かれる。
「開いてるわよ」
「サイキ!楓さん!」
飛びこんできたのは、鹿乃子だった。
「どうしたー?」
「お師匠さまが…『白の大巫女』さまが、お呼びです!」
最終章 未来を見つめる馬鹿もいる
その頃。
「何と言うことだッ…」
「蒼の組織」アジトでは、気絶からようやく醒めた巫がうなだれていた。
「『夢の戦士』は捕えられたかッ。今度こそ勝てると思ったのにッ…」
「巫を連れ出すだけで、せいいっぱいだった」
チョビも落ちこんでいる、らしい。
「そして俺の『精霊の力』は打ち砕かれたッ…後は…」
「嫌ですわ」
視線を向けられた相手は、きっぱりと答えた。
「負ける闘いはしたくありませんの」
「ええいッ!みんな捕えられたのかッ!もはや『戦士』は俺とチョビとエリーだけではないかッ!」
「…結局誰にも負けませんでしたわね、あいつら…」
エリーが嘆息した時、
『たいへん大変、大変だよ巫くん!』
空間にぽつりと蒼い光が現れたのと同時に、慌てた声が聞こえてきた。
「おッ、戈からの緊急連絡か…部下A!」
「はっ」
黒服の男が答え、蒼い光球を維持する。
「どうしたッ、戈!」
『『白の大巫女』さまがカノコに呼びかけてるんだ!』
傍受(?)したらしい。
鹿乃子に集められたメンバーを前に、樹は難しい顔をしていた。
「『彼方の地』からの呼び出しか…」
「ええ、お師匠さま…『白の大巫女』さまからです」
「『白の大巫女』さま…?」
楓は困惑した声を発した。
「わたしに、巫女としての手ほどきをしてくださった、お師匠さまです」
「『先読みの力』においては、『守護精霊の地』でも一番って言われてる巫女さまだぜ」
「わたしに呼びかけています。至急来い、と」
「会わなきゃいけないのか、カノコ?」
「何でも、直接顔を見て託宣を仰がないと、はっきりしたことがわからないんだそうです」
「あの人がそう言うって…よっぽどのことだな」
「そんなにすごい人なんだ…」
「果ての地」の科学文明の只中に生きる楓には、ぴんと来ない話である。
「お師匠さま…『大巫女』さまのもとに、行きましょう。あの方がそうおっしゃるのには、それだけの理由があるということです」
鹿乃子が、きっぱりと言った。
「どうする?行こうか、楓?」
「何で私に聞くのよ。でも、いいんじゃない?明日から学園はしばらく休みなんだし」
「そうだな、行ってくるか」
「その人は、『門』を開けるのかい?」
樹が鹿乃子に質問した。
「いえ…スーミーさんに連絡して、明日の朝には開いてもらう手筈にしてある、と。ただ…」
「ただ?」
「お師匠さまがいる『野牛族』の村と、『鷲族』の村が現在、歩いて二日分ほど離れているそうなんです」
「明日から三日間学園は休みだが…往復四日か。間に合わないな」
学生には、結構頭の痛い問題である。
「さて、どうするか…」
樹は腕を組んだ。
「よし、じゃ明日の朝一番に『彼方の地』に行くことにして…一日授業を休むのは、校長…いや、理事長に話を通さないといけないな」
「舞鳥学園の理事長さん…」
確か入学式でちらっと見たっきりだな、と楓は思い出す。
そんな話を学園でしていた頃、
「いいなッ!サイキたちを止めろッ!」
巫が蒼の光球を前に絶叫していた。
『そんなこと言ったってえ…ぼく一人でどうすれば…』
「とにかくやれッ!奴らを『白の大巫女』に会わせるなッ!」
『う、うん。一応心当たりはあるから…交渉してみるよ』
ためらいがちな、返事が来た。
「よし、やれッ!」
樹に先に立ってもらい、一同は理事長室に足を踏み入れた。
「私、理事長室なんてはじめて…」
「俺はこの学園に入る時に一度入ったなあ」
樹には、「理事長も真相は知らないから、言葉に気をつけるように」と言われている。
「やあ、君たちか」
初老の男性が、にこにこ笑って迎えてくれた。
(ほぼ初対面ね…入学式でもちょっとしか見なかったし)
楓は、記憶を探った。
(お名前は…えっと、確か、す、すみ…?)
「私が、舞鳥学園理事長の澄池だ。静久が世話になっているようだね」
「も、もしかして、澄池先輩の…?」
「静久は私の孫なんだ」
「「…!」」
(私、馬鹿だ…澄池先輩に、『どうして舞鳥高校に入らなかったんですか』なんて聞いて…!)
冷汗をかく思いだ。
(お祖父さまが理事長じゃ、他の学校に入る訳にいかないじゃないの!)
「家の決まりで」と語った時の何とも言えない顔を思い出し…顔から火が出そうになった。
「…で、休みを取らせる件なんですが…」
(あ、そう言えばその話だったっけ)
樹の言葉に、楓ははっと我に返った。
「うーむ…」
澄池理事長は、考えこんだ。
「一日とは言え、これだけの人数を休ませるのか…それなりの理由づけが必要になるな、それは。…できれば真相を聞きたいものだが」
「真相と言っても…」
樹も困惑の声を上げる。
(…無理もないか。どこからどう説明していいかわからないもの)
異世界の存在から説明しないと「真実」とは言えないだろう。
「…すみません。まだ文科省でも機密事項なので…」
「…わかった。理事長の権限で許可しよう。表向きには…幸い全員寮の食堂利用者だし、食中毒とでもしておくか。食堂のおばちゃんたちには悪いと思うが」
楓はこんな状況なのに、笑い出したくなった。
(こんな偉い人でも、『食堂のおばちゃんたち』って言うんだ…)
「では、一日学園を休んでいい、ということで」
樹の言葉に、理事長はうなずいた。
「うう、休む日のノートどうしよう…誰に頼んどくかなあ」
「楓は貸してばっかりで借りるってことほとんどなかったからなー」
「わたしもお世話になってばかりで…」
「…おい、『食中毒』って建前になるんだから、『頼む』のはまずいぞ。事前に頼まないで後で借りてくれ」
「あ、そうか…休む予定なのがバレバレになるんだ。うー困ったな、みんなちゃんとノート取ってくれるかなあ」
「ま、そんなにこだわらないで行こうぜ」
…と言う訳で。
次の日の早朝、研究所に「事情」を知る者たちが、集まっていた。
「野本も来たのかー」
「ああ。打ち上げに来なかったから、何かあったのかと思って海原先生に聞いてみたんだ。そしたらお前らが少し向こうに行くって言うじゃないか。それで、さ」
(そう言えば…)
野本の顔を見て、思い出すことがあった。
(野本くんも『怒らせたくない』とかって言ってたっけ、澄池先輩のこと…知ってたのね、先輩の家の事情を)
納得する楓の前で、野本はにこにこ笑っていた。
(名士の家に生まれると、つき合いも大変なのね)
そんなことを考えているうちに、準備ができたらしい。「あやめ」の身体から「サイキ」の身体に彼が移り、カノコもそれに続いた。
『では、『門』を開くぞ』
銀の球体からスーミーの声がした。
ちなみに今彼に呼びかけているのは、樹である。
「お願いします」
銀の球がすうっと大きくなり、光を薄れさせ―巨大な漆黒の球体になった。
サイキはそれに近づき、
「楓も来るよな?」
振り向いて確認してきた。
「え、その…」
一応、ためらってみる。
「何だよー、ノート借りる話してたじゃないか」
バレバレであった。
「いーじゃんいーじゃん。楓だって見たいだろ、俺の世界をもっと」
「うーん…それはまあ、そうだけど」
「…僕は残ります。一応巫たちに警戒はしておかないと」
「ユーリ先輩は行かないのか…まあいいや。行くぜ、楓」
「う、うん」
楓はサイキの巨大な腕に抱えられ、黒い球体に向かう。
「じゃあな、野本。行ってきます、樹さん」
「すぐに戻りますから…」
言葉を残して、二人は球体の中に消えた。
「わたしも行きますね」
カノコもすぐに続いた。
「やれやれ…あれ、どうした野本くん」
「いえ…」
少年は笑顔を浮かべる。
「…ただ、俺には『一緒に行こう』とは誰も言わないんだな、と思ってしまって」
「まあ、君は寮生じゃないからな。あんまり家を空ける訳にはいかないだろう、ご家族が心配される」
「…それだけじゃないと思いますけどね」
ちょっと淋しげに、野本は笑顔を返した。
闇の中を、落ちる感覚があって―
「つ、着いた、の?」
不意に眩しい光がはじけた。
「さすがに慣れたわ、『門』にも」
はじめは気絶していたことを思えば、大進歩である。
そこには当然スーミーもいて、
「お、ガンか」
さらに一人、大柄な少年が立っていた。
「おお、サイキ。久しぶり」
「やっと会えたな」
ガンというらしい少年に、サイキも笑顔で応えている。
「あ、ガンさん。お久しぶりです」
「あ、あの、その…お久しぶりで…」
カノコを見た途端、少年の動きがぎこちなくなった。
「あ、あの…良かったら、楓さんと二人で食べてくださいっ」
かちんこちんになりながら、彼はカノコに茶色の小さなかたまりを差し出した。
「これ…?」
「お、楓糖か。一つくれよ」
サイキが、ひょいとそのかたまりを取ってしまう。
「ああっ!それだけで結構な贅沢品…!」
「こらサイキ!返しなさい、ほらっ!」
楓がサイキの髪を引っ張り、泣きそーになっているガン少年にかたまり―楓糖を返させた。
「大人気ないにもほどがあるわね…『成人してる』って自慢しながら」
「あ、ありがとう。貴重なものなんで、これ」
ほっとするガンに、
「『果ての地』にはもっと美味しいもんもあったぜ」
サイキは軽~く答える。
「あっちの世界では、甘いものって色々あるんだぜ。カノコも食ってたよなー。な、そうだろ」
「え、ええ、まあ…」
「そうなのか…」
「サイキ、意地悪言っちゃ駄目でしょ」
がっくりとうなだれる少年を見かねて、楓がサイキを叱りつけた。
「それより、何か俺たちに話があるんじゃないのか。儀式の場には、あんまり入っちゃいけないはずだぞ」
「あ、そうだ」
姿勢を正して、ガンは一同を見た。
「ロクさんが来てるんだ」
「『鹿の戦士』が?」
「会いたいって言ってたぞ」
「そうか。『野牛族』の村に直行するつもりだったが…じゃあ村にちょっと、寄ろうかな。少しならいいよな」
そう言う訳で、一同は少し寄り道をすることになった。
「な、な、気づいたか?」
肩に乗っている楓に、サイキが囁きかけてきた。
「何に」
「ガンの奴、カノコが好きみたいだなあ。俺たちに対するのと、カノコに対しての態度が全然違うぜ。面白いなー」
「そんな、笑い事にしないでよ。まだほんとに誰かを好きになってないから言えるのよ、そんな風に」
「…え!?いや、俺だって、その、何だ…」
楓が驚くほどに、サイキは動揺し…最後はうつむいてごにょごにょと口ごもりはじめた。
(そんなに焦るようなこと、言ったかな)
そんな話をしている間に、「鷲族」が今村としている場所に着く。
テントが立ち並ぶ前に、立っている人がいた。
そう背は高くないが、すらりと引き締まった体つきのハンサムな青年だ。
「やあ、久しぶりだね」
かけてくる声も爽やかだ。
「ロクさん!」
サイキが声を上げた。
「兄さん!」
カノコが続け、青年の大きく広げた腕の中に飛びこむ。
「え!?お兄さんって…」
「ああ、ロクさんはカノコの実の兄貴なんだ。兄妹で『鹿の戦士』と『巫女』をやってるのさ」
二人がそんなことを話している間に、一しきり再会を喜び合った兄妹はこちらに向き直った。
「『白の大巫女』さまの所に行くそうだね」
「はいっ」
「私は『鹿族』と『鷲族』の双方を守らなければならないので一緒に行けないが、代わりに一緒に行ける『戦士』を見つけてきた」
「見つけてきた…?」
「やあ、久しぶりだねサイキ」
そう言ってテントから出てきたのは。
「あーっ!コヨーテのおっさん!」
サイキがすっとんきょうな声を上げた。
(おっさん…って年齢でもないけど…)
楓はあらためてその男性を見つめた。
年の頃は三十、と言ったところか。ひょろりとした長身で、何とも捕えどころのない印象を受ける。表情も何とも掴みどころがない。
「『コヨーテの戦士』フサだ。よろしくな、お嬢さん方」
「は、はい。よろしくお願いします…」
「こいつ大したことない奴だぞーそんなにかしこまらなくてもいいぞ楓ー」
「そんなこと言ったって…」
「一人じゃろくに闘えないような『戦士』なんだぜっ」
「私の能力は単純な力ではなく、幻惑とサポートに特化しているからな。単純な力押ししかできない誰かさんとは違うんだ」
「何だとおっ!」
「じゃあ、闘わないといけなくなったら、どうするんですか?」
「話し合いで解決しなかったら、さっさと逃げる」
「…なるほど…」
定住しない民族ならではの解決法である。
「あーもう!忙しいんだ、とにかく出発するぞー!」
大声でいい、サイキはどんどん歩き出した。
「やれやれ、『忙しい』とは…まるで『暦の精霊の地』の商人のようなことを言うようになったな、サイキよ」
大げさに肩をすくめ、「コヨーテの戦士」が続く。
「まあ『果ての地』で暮らしてるとねえ」
兄に別れを告げ、追って来るカノコを見ながら楓は呟いた。
草原を一日歩いて、夕暮れにテントを張って休んだ。
「今日は、何もなかったけど…」
「まあ、こっちには巫の配下って戈ぐらいしかいないからな。そうそう妨害はできないだろ」
「気楽なもんね、ほんと」
しかし、もっと気楽な者もいた。
「このように愛らしいお嬢さん方とご一緒できるとは、光栄の極み…」
「コヨーテの戦士」は、そう言って両腕を差し伸べる。
ぽん、と光がはじけ、どこからともなく薄桃色の花びらが降り注いできた。よく見ると、花びらは半ば透き通っている。
「これは…?」
「喜んでいただければもっけの幸い」
彼は気取った様子で笑い、女性二人に光でできた花束を差し出した。ご丁寧なことに、楓への花束はサイズが小さくなっている。
「あ、ありがとうございます…」
「おいおっさん。調子に乗って『精霊の力』無駄使いするなよ。俺たち物見遊山に来てるんじゃないんだぜ?」
「おや、サイキも花が欲しいのか?そう言えば聞いたぞ、『果ての地』でのお前の姿は…」
「うわ!やめ、やめ、その話はするなよ恥ずかしいー!」
顔を真っ赤にして怒るサイキを、「おっさん」はにやにや笑って受け流していた。
「サイキ、全くもう…」
大慌てしている少年を見ながら、楓はくすくす笑い出してしまう。
「昔からサイキはフサさんにからかわれては、突っかかってたみたいで」
少女二人はそう囁き交わした。
「巫は軽くあしらってるのにねえ」
その夜中。
「『鷲の戦士』サイキを、倒して欲しいんです」
戈が闇の中、懇願していた。
「一度は我を倒した『戦士』を、か…」
暗闇の中、低い呟きが洩れた。
「やってくれれば、あなたの願いを何でも叶えます!」
戈としては何が何でも頼みを聞いて欲しいので、特にあてもなくそう言ってしまった、のだが。
「本当だな?本当にいかなる願いでも聞き届けてくれるのだな?」
「も、もちろん」
妙に強く念を押してくるなあと思いつつ、気圧された巫術師はそう答えてしまった。
「ぼくたちにできることは、何でもしますから…」
「相わかった。引き受けよう」
男は重々しく答え、ひらひらする服をばさり、と翻して立ち上がった。
「契約は成立した。我は契約に従いかの『戦士』を倒す。―そちらも、契約を果たせよ」
言い置いて、彼は闇の中に姿を消した。
「ふう…巫くん、これで駄目ならもう何もできないよお」
へたりこみ、戈はそう呟いた。
次の日も、ひたすら草原を歩く。
「うう、『白の大巫女』さまが『門』を開けたら、こんな旅しなくても着けるのになー」
「そうなんですけど…能力特性ってものがあるらしくて」
「その人は『先読みの力』メインなんだ」
「それは他の追随を許さないんですけどね…」
「今のところ『門』を開けるのは、スーミーさんだけだからな」
「わたしも修行中で…他にも修行している人はいるんですが…あっ!?」
カノコがはっとして立ち止まった。
「どうした?」
「―精霊の気配がします」
少女は緊張した面持ちで答えた。
「二つとも知ってる気配です。一つは『熊の巫術師』のもので、もう一つは…」
「うん、俺も感じるよ。『さすらいの戦士』だな、これは」
「…友好的に近づいてる訳じゃなさそうね。どうするの、サイキ?」
「ルートを変えても追って来るだろう。『野牛族』の村の近くで追いつかれて戦闘、ってことになったら、かえって迷惑だ」
「…要するにこのまま進んで闘いを挑むってことね…」
平和的解決と言う選択肢はないのか、と思う楓である。
かくして一行はそのまま進み…やがて、問題の人物が見えてきた。
大草原の中に―
一人立つ、白装束の姿。
「久しぶりだな、『銀の鷲の戦士』サイキよ」
そう、呼びかけてきた。
砂漠の民が着ているような白いひらひらする衣装に、頭には布を被っている。
(砂漠でならともかく、ここじゃかえって暑くないかしら…)
楓が呑気にそう考えている間にも、サイキと彼との会話は続いていた。
「また俺と闘う気なのか?」
「前回は不覚を取ったが…」
男は重々しく答えた。
「ぜひ今一度の手合わせをお願いしたい」
「今度は負けないってか?」
「ああ、以前の戦闘は意表をついてお主が勝ったが…」
「あれじゃほんとに勝ったとは言えねーな、俺も」
にやり、と二人で笑い合う。
「我は今、『熊の巫術師』に雇われた身。契約に従い、お主を倒さねばならぬのだ。我が悲願を達成するために」
「うん、闘えるのは嬉しいんだけど…聞いてないのか。その『巫術師』ってのは、『熊の部族』を追放されてるんだぜ。守護精霊の加護は失ってないけどさ」
「何とっ!」
「やっぱり知らなかったんだなー」
「我は騙されていた訳か…しかし契約は契約だ。いざ尋常に勝負!」
「おう、望むところだぜっ!」
サイキは、左拳を高く突き上げた。
「さすらいの戦士」も抜き身の刃を振り上げる。
「全力でやろうぜ、全力で」
「今度は惑わされんぞ…!」
二人はそれぞれに力を呼び起こしはじめた。
「我に加護を与えたもう『銀の鷲』よ!」
「我が守護者よ…」
「その力を、我を介して示せ!」
「我に…力を!」
銀と黄の光が、片や噴き上がり、片やなだれ落ちる。
その後、そこに出現していたのは。
「何度見てもすごい迫力ね…」
上空で羽ばたく鷲と、地上で咆哮する虎。
「…前より、サイキの鷲が大きくなってる…?」
その通り、黄色と黒で形づくられた虎と比べてみると、明らかに銀色の鷲は大きさを前回の対決時より増していた。
「また、サイキの使える『精霊の力』が大きくなったということでしょうね」
楓とカノコが囁き交わす間にも。
虎は低い姿勢で唸り、
鷲はホバリングして鋭く虎を見つめる。
「「!」」
呼吸を合わせたように―
二頭の獣は全く同時に飛びかかり、もつれ合うように地面を転がって、爪と爪、嘴と牙でお互いを突き刺し続ける。
「すごい…ほんとに、力と力でぶつかり合ってる…」
以前のような、様々な技で闘うといった争いではない。
がっぷり組んだまま、力を尽くしての闘いだった。
「いやー、すごい闘いだなあ」
呑気な声が少し前方からした。
「コヨーテの戦士」が、少し前に出て楓とカノコをかばうような体勢は取っているものの、何もせずに闘いを見ていたのだ。
「まあ二対一で闘えとも、言えないけど…」
しかし。
「ああ、押されてる…」
銀の羽毛が、光となって舞い散る。
嘴と爪が虎の身体を傷つけてはいるが、はじけ散る光の量は銀の方がはるかに多かった。
「サイキ…!」
黄の虎にのしかかられて、銀の鷲はじたばたもがいていた。
大きく広がった翼が羽ばたくが、当然そんな動きでは虎に傷一つつけられない。それでも大鷲は、身をよじってもがく。
と、
「くそっ!こいつこいつっ!」
一際大きく羽ばたいた左の翼が、虎の目を叩いた。
「ぐわっ!?」
視界を奪われ、唸る黄の虎の下から、身をよじった大鷲が抜け出す。
舞い上がり、空中で体勢を整えて、翼をすぼめてまっしぐらに飛びかかろうとした。
そこへ。
蒼い風―そうとしか形容できない風が、吹いた。
それが大鷲の身体に絡みつく。
「うわっ!」
動きを封じられ、落ちてくる鷲に、虎の前足が振り下ろされた。
「ぎゃん!」
悲鳴と共に、銀色の身体が地面にめりこむ。
「え!?」
楓たちが振り向くと、右腕に蒼い風をまとわりつかせた青年が厳しい表情で闘いを見つめていた。
「あれは…戈です!」
「あいつが手助けしたんだわ!」
楓はカノコの肩の上で、ぐりんと回って「コヨーテの戦士」の方を向いた。
「ちょっと!こっちもあれ、やろうよ!」
「いや、それは…」
「あっちも手助けしてるんだから、あなたもサイキをサポートしてよ!『憑依』して加勢するとか!」
必死で訴える楓に、「戦士」は困った顔をする。
「はっはっはー、『憑依』は苦手なんだな、実は」
「ええっ!?」
「体力的に厳しいんだ、この年齢になると」
「何よそれ!これだからおっさんは…」
思わずはしたない言葉を使う楓だった。
「…でもまあ、幻惑ならできるから」
「それでいいから何とかして!」
組み敷かれた大鷲はかなり消耗しているのである。
「しょうがない、やりますか…」
言って男は手を差し伸べる。
薄桃色の花びらが、その手からひらひらと舞い落ちた。
半ば透けた花びらは、舞い上がって闘いの中に入りこんでいく。
黄の虎の前で渦を巻き―
ぱぅん!
音と光がはじけた。
「ぐわあっ!」
目潰しを喰らい、虎は一瞬よろめく。
それで、充分だった。
再び、鷲は虎の足を振りほどく。
「行っくぜええ!」
今度は両足の爪で虎の背中を押さえこみ、嘴を虎の身体に突き刺して、身をよじるようにして頭をねじ込んだ。
ついに嘴の先端が、「さすらいの戦士」の本体がいる心臓に達し―
「ぐあああ…!」
声と共に黄の光が爆裂する。
光の奔流が、あたり一面に舞い散り…
後に残されていたのは、地面に降り立った銀の鷲と、くず折れた白装束の男だった。
「勝ったぜっ!」
サイキの大声と共に、銀の光もはじけて消えていく。
「また、負けたか…お互い他の者の介入はあったが、それ抜きでもお主の勝ちかな、『戦士』よ」
「それはわからんけど…まあ、ここは通してもらうぞ」
「誇り高き『鷲の戦士』サイキよ…再び闘えて、嬉しいぞ。また、強くなったようだな」
「お前も強いぜ、ほんとにな」
「あなた…」
近づいてきたカノコ、その肩に乗った楓が問いかけた。
「戈と契約したからって、こうまでして闘って…一体、見返りに何を求めていたの?」
「土地だ…」
呻くように、「さすらいの戦士」は答えた。
「もはやさすらわずとも済むように、自分の土地が欲しかった。新たな故郷と呼べる土地が…どんなに狭くてもいい、欲しかったのだ」
「土地…」
「今までにも、さまざまな部族の依頼をこなしてきたが…土地を譲ってくれる部族はなかった」
「…あ」
楓は、気づいた。
「『土地が欲しいんだが』と言っても、『ああどうぞ、ご自由にお使いください』と言うばかりで、土地を譲ってくれるという人物にはついにお目にかからなかったのだ。『狩りをするなり通り抜けるなりご自由に』とはぐらかされるばかりで」
「それ、はぐらかしたんじゃなくて意味が伝わらなかったんじゃないかと」
「我が求めるのは、安住の地だけであったが…食糧などは謝礼として与えられたが、安住できる土地ばかりは分け与えてはもらえなかった」
「そりゃ、そうよ」
楓は、思わず笑い出しそうになるのを必死でこらえ、顔にも出さないように注意する。
「ここの…『守護精霊の地』の人々には、土地の私有って考え方がないんだもの。お礼に土地をくれる訳ないわ」
「何とっ!」
「ここの人たちは、『大地は一続きのもので、区切って自分のものにできるようなものではない』って考えてるの。そうよね、サイキ、カノコさん?」
二人がうんうんとうなずく。
「どっかに住みたいんなら、適当なところを見つけて勝手に住んでいいんだよ。どうせこの地は広くて、住んでる人はそんなに多くないんだしさ。もしその土地を使いたいって部族が来たら、話し合うなり代表と闘うなりしてその土地を守ればいいんだ。…と言っても、あんたと闘って勝てる『戦士』なんてそうはいないと思うけどさー」
「今までの永のさすらいは何であったのか…そんなに簡単なことであったとは」
サイキの言葉に、がっくりと肩を落とす「さすらいの戦士」であった。
「文化が違うとこうなるのね…」
土地などに対する概念の違いは、「彼方の地」の内部であっても誤解を生みだすのである。…まあ、「果ての地」での紛争なども、そんな誤解が原因だったりすることが多々あるのだが。
「…あ!戈が逃げていきます!」
カノコの声に振り向くと、若者が一人死にもの狂いに逃げていくところだった。
「戈か…あいつが巫に命じられて、こんな騒ぎになったんだな」」
「放っておいていいの?」
「まあ、あいつもまだ巫と通信するぐらいしかできてないだろうし、いいや。もう何もできないよ…いずれ誰かに捕まるさ」
「それより早く、お師匠さまのところへ行きましょう」
カノコの言葉に一行はうなずいた。
「力が戻ったら、家でも建てて住みつくとするか」
「ああ、かまわないと思うぞ」
地面に座りこんだ「さすらいの戦士」を残し、一行は歩き出した。
「―あそこです」
カノコが指差し、立ち並ぶテントの群れを示したのは夕暮れも近い頃だった。
「『野牛族』は、野牛の授けてくれる肉や毛皮で生活しているんだ。いろんな儀式をやって、守護精霊としている『野牛の精霊』に感謝の意を伝える。そうすることで、野牛を狩る許しを得るんだ」
崇める対象である生き物を狩る、と言うのもちょっとおかしな話に聞こえるかもしれないが…ここの人々が、そういう考え方をもって生活しているのは確かなことだった。
「なるほど、テントとかも野牛の革製ね…まあ、それはサイキの村もそうだったけど」
村の中を歩いている人を呼び止め、「白の大巫女」がいるテントに案内してもらう。
「お師匠さま、カノコです。呼び出しを受けて参上しました」
カノコが声をかけ、テントに入っていった。みんなそれに続く。
「おお、久しいのカノコよ。また子守りでもしに来よったか」
「お師匠さまのお孫さんは、もうそのへんを遊び回っているではないですか。わたしの手など必要ありません」
師弟はさっそく、恒例らしいざっくばらんなやりとりを楽しんでいた。
(この人が、『白の大巫女』さまと呼ばれる人…)
敷物の上にちんまりと座る女性。
(…若いのか年取ってるのか、よくわかんないなあ)
楓は正直、そう思った。
年齢がいっているのに若々しいのか、そんな年齢でもないのに老けているのか、全く見当がつかないのだ。
「あらためて…お久しぶりです、お師匠さま。お元気そうで何よりです」
「同じくお久しぶりです、『白の大巫女』さま」
「お久しぶりですねえ」
カノコ、サイキに「コヨーテの戦士」がそれぞれ挨拶の言葉を述べた。
「あ、あの…はじめまして、『白の大巫女』さま」
ぎこちなく挨拶の言葉を口にして…顔を上げた楓は、はっとした。
「白の大巫女」の視線が、
(私に向けられてる…?)
そう感じたからだ。
その肩に乗ってるんだから、サイキを見ているのを勘違いしているのかもしれないと思ってもみたが…どう見てもサイキではなく自分を見つめているらしい。
「あ、あの…」
「…そうか」
ためらいがちな呼びかけに、帰って来たのは大きなうなずきだった。
「直接会わねばならぬというお告げは、このためか…」
「…お師匠さま?」
「『精霊の力』に関わることなら、直接会わずとも感じ取れるのだが…『精霊の力』に関わらず、しかし『運命の大きな流れ』に関わる存在がいた訳か」
「だから何なんですかお師匠さまっ」
「カノコよ、お主にはまだ『見え』んか。…この『果て人』のお嬢さんに、サイキと共に『運命の大きな流れ』が集約していくのが」
「え!?私ですか?」
いきなりそんなことを告げられ、楓は動揺してしまう。
「えーっ!楓が!?」
「か、楓さんが…うう、わたしにはさっぱり『見え』ません」
サイキたちも驚きは一緒だった。
「これからしばらくの時を経た後、お主たちの前に『南に行ってほしい』と頼む者が現れる。その時お主たち…特に小さいお嬢さんには、断らずに南へ向かってほしいのじゃ」
「それが、『運命の大きな流れ』につながることだと…」
「南…『暦の精霊の地』に、俺たちが行くことになる、と」
「そうじゃ」
サイキの言葉に「大巫女」はうなずいた。
「その相が出ておる。いずれ、お主たちの前にその道を指し示す者が現れるじゃろう、と。それは、必要なことなのだ…二つの世界にとって。その先に何があるのかまでは、儂にもまだ『見え』ぬが…だから、その時が来たら、行ってほしいのじゃ」
(『暦の精霊の地』って…)
聞き覚えは、あった。
(確か…サイキが『南の方には、暦がきちんと決まっていて生まれた日もわかる』って言ってた、その地のことね)
古代文字を受け継いでいるとも聞いた気がする。
(…行ってみたいな)
正直に、そう思った。
「『暦の精霊の地』に、わたしたちが行くんですか…」
「結構忙しいのになー、俺たち。舞鳥学園に戻んないといけないし」
そう呟くサイキたちの前に、「コヨーテの戦士」がさっと進み出た。
「ちょっ…!」
止める間もなく、両手を差し出す。
ぽん!
間抜けな音と共に手から半透明の花びらが舞い散り、そこから小さくて透き通ったコヨーテが飛び出して一同の周りをぐるぐると走り回った。
「って…何やってんだよっ!」
「いや、話がつまらないんで、もっと面白くしようと」
「面白くなくていいんだよ!茶々を入れるなおっさん!」
サイキが怒る中、
「まあ、儂の話は心に留めておいてくれ。今すぐの話でもないのでな」
「白の大巫女」が言い、話し合いはそれまでとなった。
その晩は「野牛族」の村に泊めてもらい、一同は次の日の早朝に出発した。同じルートを戻っていく。
「うーん…」
その間も、楓は首を捻っていた。
「どうした、楓ー?」
「いや、その…『彼方の地』までみんなで来て、戦闘までして得た情報が、『私が運命の大きな流れに関わる』ってことだけだってのが、何か納得できなくて」
「いや、大事なことだぜそれは」
「そうですよ。お師匠さまがそう言われるってことは、本当に重大なことです」
サイキとカノコが口々に言う。
「そうかなあ…」
文化の差というものであろうか、現代日本人の楓にはぴんと来ない話である。
「まあ私の世界では、占いとかお告げとかっていうと、信用できないものの代名詞みたいなものだから…ね」
「『科学』を選んだ世界ですからね」
カノコはうなずいた。
「でも、楓さんもわたしたちを見ていてわかると思いますけど、『精霊の力』を借りればかなりのことができます」
「うん、それはいやってほど見てきたけど」
正直、常識とかって何だっけ、という学園生活である。
「まあ、それでも『先読み』は外れることもありますけどね。『予知』と言うより『予測』ですから。わたしたちの世界を『上』から見て、わかる可能性を示すと考えていただければ。だから、『起こる可能性が高い』としかわからないんです」
「百パーセントの未来予知じゃないってことね」
「上空からものを見る方が、地上で見るより広く見渡せるのと同じです。精霊の目を借りるから広く見渡せる、それだけのことですからね。ですからわたしたちの行動や予測できない介入とかで、いくらでも引っくり返ります。特に、同等以上の力を持った精霊の関与があったりすると、まるっきり違うことになりますよ」
「…充分すごいけどね、それでも」
で、その『予測』で、自分は「運命の大きな流れ」に関わることになる、と言われたが。
(そんなこと言われても…どうしていいかわかんないし)
とりあえず日常ではサイキたちの世話をし、時期が来て「暦の精霊の地」に行くとなったら…行こうかな、としか今は言えないが。
…楓がそんなことを考えているうちに、一同は元の場所に戻って来て(一晩野営もしたが、特に何もなかった)…三人は再び「果ての地」、楓の世界に続く「門」をくぐった。
(…帰ってきた)
こちらの世界に。日常に。
(…でも、サイキたちには『戻ってきた』なんだろうな)
それでも、今は一緒にいたいと思う。
見上げる、この笑顔と共に。
その頃。
「ぜえッ、ぜえッ、ぜえッ…戈、そっちはどうだッ」
巫は戈に呼びかけていた。
部下Aがたまたまいないので、自分で呼びかけることにしたのだが…「精霊の力」を打ち砕かれた状態なので、通信はかなり消耗する。必死に呼びかけて、ようやく目の前に蒼の球体が浮かんだ。
「遅いぞッ、戈!」
自分の精神力が足りないのを全部向こうのせいにして怒鳴りつける巫に、球体は揺らめきながら答える。
『どうしたの、巫くん?』
その響きに何か反抗的なものを感じ、巫はますますいらついた。
「だから、そっちはどうしたのかと聞いているッ!」
『駄目だったよ。雇った『さすらいの戦士』も負けたし…』
「何だとッ!あいつが負けたと…お前は一体何をしていたのだッ!」
『…』
返事が、ない。
「…ッ!?」
巫は、首を傾げた。
いつもは「ごめんなさい巫くーん」と平謝りに謝る答えが返ってくるもの、なのに。
「…戈ッ?」
『…もう、嫌だ』
ぽつりと、返事が聞こえてきた。
「はあッ!?」
『もうぼく、巫くんの言うこと聞くのやだ!いっつもいっつも、巫くんにくっついてるのも嫌だ!ぼくの気持ちなんて何にもわかってないのに、偉そうに命令ばっかりして!もうついて行けないんだよっ!』
「戈、お前ッ…」
『ぼく、これから追手に投降するよ。巫術師でなくなってもいい。心を入れ替えてみんなに謝るんだ。じゃあね、巫くん』
言葉が途切れるのと同時に、蒼の球体がふっ、と消え失せる。
「おいッ、ちょっと待て戈!戈ッ!」
返事をする者は、誰もいなかった。
「巫、ふられちゃったね」
いや、いることはいた。
「う、うるせえッ!気持ち悪いこと言うな、チョビッ!」
「でもチョビがいるから。チョビはいつも巫といっしょだから…」
「だからすり寄るなッ!胸、胸を押しつけるなッ!うわああああッ…」
悲鳴がフェイドアウトして消えていった。
明日からは通常の生活、という夕方。
楓とあやめは、校舎裏に来ていた。
移植ごてで土を掘り、小さな穴を開ける。
「じゃ、入れるわねー」
楓は懐から種を取り出し…あらためてじっくり見た。
小さな種に、翼がついている。
(…明日に羽ばたく翼、かな)
自分で思いついた台詞に、苦笑した。
「どしたー?」
「な、何でもない、何でもないの」
慌てて種を穴の中に入れた。
二人で土をかける。
「これで、春には芽が出るかな」
「そしたら、二人で水やろうぜ」
「うん、そうしよう」
それは、約束。
小さな小さな、でも二人の間では何より大切な、約束だった。
END




