↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
24/24

第24話 終わりのある仕事と、続いていく暮らし

 翌年の秋、修繕所の入口に、新しい札が掛かった。


『本日休業。お急ぎの場合は、川沿いの共同修繕室へ』


 アダが字を書いたものだ。

 今では彼女も、簡単な灯りや換気陣なら一人で直せる。大きな設備の仕事には親方の弟子が立ち会い、私がいない日の依頼も滞らなくなった。

 まだ間違えることはある。

 報告が上がれば直し方を考え、必要なときは詫びに行く。

 誰かを休ませないことで、防げる間違いではなかった。


 店の奥では、見習いが二人、図面を読んでいる。

 今日は授業ではなく、自分たちで用意した練習だ。

 エルマさんが昼になったら閉めるので、私が残る必要はない。


「先生、いってらっしゃい」


 アダにそう言われた。

 私は少し大きくなった道具箱を持ち上げ、また置いた。

 今日は、持っていかない。


 外で、ルイスが待っていた。

 ふたりで暮らすようになっても、仕事中には伯爵様と呼ぶことがある。

 休日には、名前だけになった。

 慣れるまで、彼も何度か笑った。


「忘れもの?」

「道具箱を置くところでした」

「それは、忘れずに置けたものですね」


 彼は私の荷物を確認した。

 薄い青の手袋。財布。母の故郷へ持っていく小さな花束。

 針入れは、家の引き出しにある。


 今日は、母の墓へ行く。

 故郷の家にも寄り、そのあとで海へ向かう予定だった。

 ルイスが一週間、領を任せるための打ち合わせに、ひと月を使った。

 私も店の仕事を受けすぎないよう、二か月前から調整した。

 休むために準備をするのは、正直、手間がかかる。

 それでも、予定どおりに店を閉められた。


 馬車は、秋市の準備をしている通りを抜けた。

 昨年、私が止めた橋には新しい補強が入り、今年は荷の重さがわかる札もついた。

 川沿いの三つの水門は、夏のうちに一斉点検をした。

 納めた人と検査する人を、別にしている。

 部品の試験も、年に一度は行う。

 どれも、私が覚えているから続く仕事ではなくなった。


 ルイスが窓から川を見た。


「今年の冬は、去年より早いかもしれない」

「親方も、そう言っていました」

「手紙が来たら」


 そこで、彼は言葉を止めた。

 私は向かいから見た。


「緊急なら、誰が判断するんでしたか」

「領務官です」

「私の店は?」

「アダとエルマさんが、親方へ相談する」


 ふたりで、用意した予定をもう一度確かめた。

 そのあと、ルイスは窓のカーテンを少し閉める。


「では、今は、この道を楽しみます」

「はい」


 しばらく進んでから、私は鞄から手紙を出した。

 王宮のベルトン技師から来た近況だった。

 工務室には、新しい受付と勤務表ができたという。

 夜の緊急依頼も、当番を交代で持つ。材料費は先に予算を取り、技師の私費で賄わない。

 書類の下には、去年まで止まっていた噴水の絵があった。

 今は動いているらしい。


 王太子殿下は、王都の施設を学び直す役目を与えられたと聞いた。

 肩書だけで監督せず、会計と現場の双方から報告を受ける。

 あの方がどれだけ変わるかは、私にはわからない。

 知らせを待って暮らすことも、なくなった。

 ベルトン技師の便りには、私が戻るよう頼む言葉はなかった。


「良い報せです」


 私が言うと、ルイスは手紙の噴水を見た。


「あなたが、ずっと直していたものですね」

「はい。今は、違う人が」


 自分の手が触れた場所を、別の人が引き継いでいる。

 それを嬉しく思えるようになった。


 夕方、故郷の小さな墓地へ着いた。

 母の墓の周りには、村の人が植えた草花があった。

 前に来たとき、石の縁が少し欠けていた。今は、石屋が整えてくれている。

 私は花束を置いた。


「仕事は、続けています」


 母へ、まずそう話した。

 それから、店のこと。見習いのこと。自分の家のこと。

 ルイスは、少し離れた場所で待っていた。


「今は、休めます。誰かに代わってもらえるので」


 風が吹いた。

 花束の紙が、石に触れて小さな音を立てる。

 母がそれをどう思うかは、わからない。

 都合よく、賛成してくれたことにはしなかった。

 ただ、私はこう暮らすと、話したかった。


 墓地を出るとき、ルイスが私の手を取った。


「明日の海は、晴れるそうです」

「泳げるんでしょうか」

「少し寒いですね。足だけ、入れてみますか」


 私は頷いた。

 海の水は、どれほど冷たいのだろう。

 知らないことがあるのが、楽しみだった。


 宿へ着くと、窓辺に小さな卓があった。

 紅茶を頼み、砂糖を一つ入れる。

 ルイスは焼き菓子をもう一つ取った。

 甘いものが好きなことを、私は知っている。

 彼は私のカップを見て、湯が必要か尋ねた。


「今日は、このままで大丈夫です」


 窓の向こうで、夜の灯りが点き始めた。

 それを誰が直すのか、私は知らない。

 知らないまま、綺麗だと思えた。


 明日は、仕事をしない。

 明後日も。

 その予定を確かめてから、私は夫の手に、自分の手を重ねた。


         完

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。