第24話 終わりのある仕事と、続いていく暮らし
翌年の秋、修繕所の入口に、新しい札が掛かった。
『本日休業。お急ぎの場合は、川沿いの共同修繕室へ』
アダが字を書いたものだ。
今では彼女も、簡単な灯りや換気陣なら一人で直せる。大きな設備の仕事には親方の弟子が立ち会い、私がいない日の依頼も滞らなくなった。
まだ間違えることはある。
報告が上がれば直し方を考え、必要なときは詫びに行く。
誰かを休ませないことで、防げる間違いではなかった。
店の奥では、見習いが二人、図面を読んでいる。
今日は授業ではなく、自分たちで用意した練習だ。
エルマさんが昼になったら閉めるので、私が残る必要はない。
「先生、いってらっしゃい」
アダにそう言われた。
私は少し大きくなった道具箱を持ち上げ、また置いた。
今日は、持っていかない。
外で、ルイスが待っていた。
ふたりで暮らすようになっても、仕事中には伯爵様と呼ぶことがある。
休日には、名前だけになった。
慣れるまで、彼も何度か笑った。
「忘れもの?」
「道具箱を置くところでした」
「それは、忘れずに置けたものですね」
彼は私の荷物を確認した。
薄い青の手袋。財布。母の故郷へ持っていく小さな花束。
針入れは、家の引き出しにある。
今日は、母の墓へ行く。
故郷の家にも寄り、そのあとで海へ向かう予定だった。
ルイスが一週間、領を任せるための打ち合わせに、ひと月を使った。
私も店の仕事を受けすぎないよう、二か月前から調整した。
休むために準備をするのは、正直、手間がかかる。
それでも、予定どおりに店を閉められた。
馬車は、秋市の準備をしている通りを抜けた。
昨年、私が止めた橋には新しい補強が入り、今年は荷の重さがわかる札もついた。
川沿いの三つの水門は、夏のうちに一斉点検をした。
納めた人と検査する人を、別にしている。
部品の試験も、年に一度は行う。
どれも、私が覚えているから続く仕事ではなくなった。
ルイスが窓から川を見た。
「今年の冬は、去年より早いかもしれない」
「親方も、そう言っていました」
「手紙が来たら」
そこで、彼は言葉を止めた。
私は向かいから見た。
「緊急なら、誰が判断するんでしたか」
「領務官です」
「私の店は?」
「アダとエルマさんが、親方へ相談する」
ふたりで、用意した予定をもう一度確かめた。
そのあと、ルイスは窓のカーテンを少し閉める。
「では、今は、この道を楽しみます」
「はい」
しばらく進んでから、私は鞄から手紙を出した。
王宮のベルトン技師から来た近況だった。
工務室には、新しい受付と勤務表ができたという。
夜の緊急依頼も、当番を交代で持つ。材料費は先に予算を取り、技師の私費で賄わない。
書類の下には、去年まで止まっていた噴水の絵があった。
今は動いているらしい。
王太子殿下は、王都の施設を学び直す役目を与えられたと聞いた。
肩書だけで監督せず、会計と現場の双方から報告を受ける。
あの方がどれだけ変わるかは、私にはわからない。
知らせを待って暮らすことも、なくなった。
ベルトン技師の便りには、私が戻るよう頼む言葉はなかった。
「良い報せです」
私が言うと、ルイスは手紙の噴水を見た。
「あなたが、ずっと直していたものですね」
「はい。今は、違う人が」
自分の手が触れた場所を、別の人が引き継いでいる。
それを嬉しく思えるようになった。
夕方、故郷の小さな墓地へ着いた。
母の墓の周りには、村の人が植えた草花があった。
前に来たとき、石の縁が少し欠けていた。今は、石屋が整えてくれている。
私は花束を置いた。
「仕事は、続けています」
母へ、まずそう話した。
それから、店のこと。見習いのこと。自分の家のこと。
ルイスは、少し離れた場所で待っていた。
「今は、休めます。誰かに代わってもらえるので」
風が吹いた。
花束の紙が、石に触れて小さな音を立てる。
母がそれをどう思うかは、わからない。
都合よく、賛成してくれたことにはしなかった。
ただ、私はこう暮らすと、話したかった。
墓地を出るとき、ルイスが私の手を取った。
「明日の海は、晴れるそうです」
「泳げるんでしょうか」
「少し寒いですね。足だけ、入れてみますか」
私は頷いた。
海の水は、どれほど冷たいのだろう。
知らないことがあるのが、楽しみだった。
宿へ着くと、窓辺に小さな卓があった。
紅茶を頼み、砂糖を一つ入れる。
ルイスは焼き菓子をもう一つ取った。
甘いものが好きなことを、私は知っている。
彼は私のカップを見て、湯が必要か尋ねた。
「今日は、このままで大丈夫です」
窓の向こうで、夜の灯りが点き始めた。
それを誰が直すのか、私は知らない。
知らないまま、綺麗だと思えた。
明日は、仕事をしない。
明後日も。
その予定を確かめてから、私は夫の手に、自分の手を重ねた。
完




