エピローグ「薬草園の二人」
季節は巡り、宮廷の庭園には柔らかな日差しが降り注いでいた。
薬草園の一角に設けられた温室は、ガラス越しに黄金色の光を取り込み、暖かな空気に満ちている。
僕はじょうろを片手に、新しく芽吹いたばかりの「月の雫草」に水をやっていた。
かつては隠れて栽培していたこの草も、今では正規の研究対象として堂々と育てることができる。
アレクセイが法を改正し、薬用植物の管理基準を見直してくれたおかげだ。
「……順調そうだな」
入り口から声がかかり、僕は顔を上げた。
逆光の中に立つシルエット。
銀色の髪が光の粒子をまとい、神々しいほどに輝いている。
アレクセイ・ヴォルコフ。
この国の宰相であり、僕の最愛の伴侶。
数年が経ち、彼の顔つきはずいぶんと穏やかになった。
以前のような、氷の刃で武装したような険しさは消え、代わりに余裕と威厳が備わっている。
感覚過敏の症状も、僕との生活を通してコントロールできるようになったらしい。
もちろん、完全に治ったわけではないけれど、僕がそばにいれば「嵐」は起きない。
「公務は終わったのですか?」
「ああ。少し早めに切り上げてきた。……お前の顔が見たくなってな」
彼は温室の中に入ってくると、自然な動作で僕の腰に手を回した。
周囲に誰もいないことを確認してから、軽く唇を重ねる。
甘い、薬草と紅茶の混じったような香り。
それが今の僕たちの日常の匂いだ。
「この草も、ずいぶん大きくなった」
アレクセイは僕の手元にある緑の葉を見つめた。
「ええ。この成分を使えば、オメガの発情期に伴う苦痛をもっと緩和できるかもしれません。副作用も少なくして」
「……素晴らしいな。お前の研究が、多くの人々を救うことになる」
彼は僕の肩に頭を預け、目を閉じた。
「私を救ってくれたようにな」
その言葉に、胸が温かくなる。
昔の僕は、自分がオメガであることを呪い、隠れて生きることしか考えていなかった。
でも今は違う。
自分の特性を受け入れ、それを生かして誰かの役に立ちたいと思えるようになった。
すべては、彼が僕に自信と居場所をくれたからだ。
「アレクセイ様のおかげです。私に……誇りを教えてくれましたから」
「お前が元々持っていたものだ。私はただ、埃を払ったに過ぎない」
彼は謙遜して言うが、その瞳は優しく僕を見つめていた。
温室の外では、風が木々を揺らし、平和な午後の時間が流れている。
かつては想像もしなかった未来。
恐怖と孤独に怯えていた二人が、こうして手を取り合い、穏やかな光の中で笑い合っている。
「……帰ろうか、ルチアーノ。今日は久しぶりに、二人で夕食をとろう」
「はい。とっておきのハーブティーを淹れますね」
僕たちは手をつなぎ、温室を出た。
長く伸びた影が、寄り添うように一つに重なる。
これからも、雨の日も嵐の日もあるだろう。
でも、僕たちはもう迷わない。
互いの匂いを道しるべに、どこまでも共に歩いていける。
夕暮れの空に一番星が光り、二人の帰路を静かに見守っていた。




