9.草原
ただ目を閉じてもいつもと変わらない。
まあ、そうだよな。そんな簡単にはいかないだろう。夜都はその場に座り込んで座禅を組み、鼻から得られる情報に集中した。音もいらない。でも息を止めそうになる。ゆっくりした深呼吸を続けてみる。
ふと、音が消えたような感覚がする。さっきまでサワサワと風に揺れる葉と風の音がしていたのに。無音になると、逆にキーンと高い硬質な音がしてくる。
(は、だめだ。また音に引きずられている)
五感をコントロールするのは難しく、何度も失敗するうちに匂いだけに集中できてくる。
どれだけ時間が経ったのだろうか、ある時、ついさっき嗅いだ匂いがしてきた。それに気がつくと、匂いはますます強く感じられてくる。その発生源がわかるまで更に集中する。
位置を十分に認識できたとき、目を開けてその方向を視認する。どうやら夜都が座り込んだ草原からかなり先、100メートル以上先の森の中のようだ。
(………へぇ……。何だこれ。不思議な感覚だ……)
獲得したばかりの感知能力に頭が追い付かず、ぼーっと眺め続ける。もう目を開けたままでも匂いがわかるようだ。
(は!これは何かの能力か?ステータス見ないと!)
お決まりの「ステータスオープン」の呪文で、頭の中に電光掲示板のようなものが出現する。夜都の職業『調合管理検査師』に付随する特殊能力として、新たに『薬用植物嗅覚感知』が増えていた。また、無自覚に特殊能力を発動しつづけていたのか、かなりMPが減っていた。
「え………?」
(………いや、嬉しいんだけど、すごく限定された能力だな。薬用のものだけ?嗅覚だけ?もしかして視覚とか、触覚とか味覚バージョンもあるのか?)
新しい特殊能力の獲得は嬉しいが相変わらず設定が細かいゲームに若干ひきながらも、把握した場所に向かって歩いていく。
「お~、本当にあったあった。ロマ草だ」
そこには夕飯で食べたローズマリーと同じ匂いのロマ草が生えていた。一株だけだった。この距離と量で感知できたのだからかなり有用な能力だ。
(ものを見つける能力って、そういえば聞いたことがないな。人の気配察知が似ているといえば似ているけど。採取が捗る能力だが、まだまだ未知数だ。未知の植物にもどれだけ効力を発揮できるんだろうか……)
夜都はぼんやりそんなことを考えつつも、現実とリンクし始めた事実を意図的に脳裏から追い払った。正直に言って怖かった。関係ないと確認して終わりにしたかったのだ。
この事実から繋がるであろう何かが、朧気に浮かんできた。
何となく朝野に会いたくなった。不安な気持ちを伝えられる仮想世界での親しい友人。だがフレンドリストを見ると朝野はすでに夕方にログインしていてログアウト済みだ。今晩は会うことができない…。
立ちすくんで情報をチェックしていると、ふいにアラームが鳴った。すでに3時間くらい経過していたのだ。そういえば、頭が少し重くて疲労感がある。
夜都は朝野にフレンドメールを送って、ログイン時間を合わせて会えないか聞くことにした。フレンドメールなら、仮想世界にダイブしなくても読むことができる。
メールを送ってすぐにログアウトし、何も考えずに寝ることにした。明日は休みだから、細かいことは全部明日にしよう、と。