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6.『流星群(後)』

 







 姉さんに言われた通りに、母様とアランとお茶を飲んでいたら、緊張の糸が切れたのかいつのまにか意識を失っていた。

 気がつくと、自室のベッドの上だった。




 すでに辺りは夜の(とばり)が落ち、遠くにホーホーとフクロウの鳴く声がした。

 枕元に置かれた水差しから一杯飲むと喉が潤い、ほうと息を吐く。

 静かだった。コチコチコチと時計の音だけが、遠慮がちに室内に響く。


 窓から差し込む青白い光に(いざな)われ、僕は窓を開けて部屋に風を入れる。少し湿った夜気が肌に纏わりつくが、不快ではなかった。

 目が覚めてしまい、しばらくそうして窓際に立って深夜の空を見ていたが、ふと白い影が動くのが見えて、目を凝らす。


「……姉さん、」


 それは、ガウンを羽織った姉さんだった。庭の中を一人ゆっくりと歩いていく。

 窓を閉め、家人たちを起こさぬように足を忍びながら、外へと出る。




 庭へと出て姉さんを探す。

 ざざぁと花の甘い香りを含んだ風がひと際強く吹きつけ、砂埃が入らないように腕で目を覆った。



「……ハル?」



 その声に振り向くと、姉さんが風に飛ばされぬように髪を押さえて立っていた。


「起きたのね。体調は、どう?って、え、え、ハル?大丈夫?」



 僕は、姉さんの顔を見た瞬間なにも考えずに行動していた。どうしてもそうすることしか、できなかった。

 姉さんに走り寄って手を伸ばし、ぎゅうと抱き寄せる。



「姉さん。エレナ、姉さん……!」



 姉さんからは、バラの香油の香りが立ち昇った。

 その柔らかで温かな体を、もっとちゃんと感じたくて僕はより一層腕に力を入れて彼女を抱きしめる。開いた首元に、頬を寄せて彼女の熱を直接、感じる。くっつけた胸元から、早鐘のように打つ鼓動が聞こえた。


 そんなに力をこめたら、華奢な彼女の体が壊れてしまうのではないかと思った。それでも、僕は怖くて力が抜けずにただただ彼女の細い体をかき抱いた。

 痛いだろうに、姉さんは僕を受け止めるように、後ろに回した手で優しく背を撫でてくれる。


「ハル、ハル。大丈夫だよ。」


 そう、幼子に言い聞かせるように何度も僕の名を呼び、大丈夫だと宥める。


 どれくらい時間が経ったのか。そうっと姉さんに埋めていた顔を上げて、彼女を見る。


「ごめんなさい、姉さん。」


 彼女は微笑んで、僕の頬にキスをする。


「……姉さん?」


「消毒。」


 そう言って、僕の手を取って、それぞれの指へとゆっくりキスを落とす。

 柔らかな唇の感触に、僕はどきどきと暴れまわる自分の胸を押さえつける。

 手の指先、手の甲にキスを落とすと、彼女は指と指を絡めて僕の手を握る。


 狼狽えていた僕の視線を、彼女の瞳が捕まえる。

 その月明かりの薄闇の中で、星の瞬きごと夜空をはめ込んだような姉さんの瞳に獰猛な光が浮かび上がり、ひと際大きく心臓が跳ねた。


「私のハルに触れるなんて、許せないわね。他は、どこを消毒しないといけないかしら。」


 普段と違う顔を見せる姉さんに、僕は見惚れてしまう。


「……首と」


 そうっと、首に唇が這う。くすぐったい、そして、ぞくりと背を駆けあがる感覚に肌が粟立つ。

 それは、震えるほどの歓喜だった。


「……髪と」


 姉さんが僕の髪を一房取り、軽く音を立てキスを落とす。


「……額。」


 背伸びした姉さんが、女神の祝福を与えるように、僕の額へと口づけた。


 そして、ぎゅうと今度は姉さんが僕の体を強く抱きしめてくれる。

 僕は姉さんの柳のように細い腰に手を回して、先ほどのように力任せではなく、宝物を扱うようにそうっと抱きしめる。



「……姉さん。」


「なぁに?」


「もう一か所、消毒してもらってもいいですか。」


「どこ?」


 薫り立つ大輪の薔薇のように微笑んだ姉さんの耳元に、そっと唇を寄せる。





「……唇に、」



 そう言うと、姉さんが大きな目をより一層見開く。

 今まで強気だった彼女の瞳が心細くなったように彷徨う。

 そして、暗闇でもわかる程に頬に色が乗っていくのを見て、僕は感情のままに彼女の唇を奪いそうになってぐっと堪える。



「……だめ、ですか。」


 僕の腕の中で身じろぐ彼女を逃がさないように、腰と背中に回した手に少しだけ、力を入れる。じっと見つめながら、彼女に囁く。


「まだあの人に触られた感触が残っているようで、いやなんです。貴方の、唇で上書きしてほしい。」


 そう哀願すると、彼女は少しだけ怯えた表情をして上目遣いで僕を見る。


 ああ、この人。そういう顔は余計男を煽るってことを知らないんだろうなぁ。



「……目を、閉じて。」


 怖がらせないように優しく髪を梳きながら微笑んで言った僕の言葉に、彼女は躊躇いがちに従う。

 頬に手を添えて少しだけ彼女の顔を持ち上げる。親指で彼女の唇を撫ぜると、ぴくりと体が跳ねた。



 そうっと重ねた姉さんの唇は、驚くほど柔らかくて、温かかった。





 ──ザザァァァ……





 柔らかな風が、足元を過ぎていく。





 重ねた唇から、は、と姉さんの濡れた吐息が漏れた。


 目を強く瞑り恥辱に耐えるような姉さんの表情に心の片隅に罪悪感が湧くが、それ以上に可愛くて我慢が出来なくて、軽く押しあてていた唇を、ずらしてもう一度、今度はもう少しだけ強く口づけを交わす。ん、と覚束ない様子で小さく漏らす声が僕の欲情を煽る。




 もっと、もっと、と湧き出てくる欲望を押さえて、彼女の柔らかな唇から離れた。

 姉さんの唇から息苦しそうな吐息が漏れ、その小さく開けられた唇が艶やかで、もう一度口づけしたくなる。

 視線が合うと、姉さんは恥ずかし気にぷいっと顔を逸らす。そこでようやく僕は我に返った。




 僕は、今姉さんに何をした?




 ──キス、した?




 拘束していた腰や背中から手を放し、恥ずかしくなって俯く。




 二人の間に、気まずい沈黙が流れた。





 あっ、そう呟く姉さんの声に僕は顔を上げる。


「流れ星。」


「え?」


「あ、ほら、また流れた。」


 天上の世界を見上げると、深い藍色の空が際限なく広がり無数の星が瞬いていた。

 そこを、すぅっと光が流れていった。


「本当だ。」


 じっと二人で空を見上げていると、そう時間を空けずにまた流れ星が光の尾を残し、藍の空を横切っていく。

 それは次第に増えていき、数えきれないくらいに流れ落ちていく。


「……流星群ね。神様が、ハルの誕生日のお祝いのために天の扉を開いてくれたのね。お誕生日、おめでとう。」


 満面の笑みでそう言われて、僕も頬を緩ませた。そうか、日が変わった今日は僕の誕生日だったな、なんて今更思い出す。


「ありがとうございます……。」


 姉さん、と今は言いたくなくて、でも下の名を呼び捨てにすることもできなくて、少しだけ口ごもる。

 チラリ、と少しだけ僕より背の低い彼女を見ると、彼女も躊躇いがちに僕を見上げていた。

 視線がばちっと合ってしまい、お互い勢いよく逸らした。心臓が、おかしなくらい楽しそうにばたばたと跳ねていた。何度か視線を交わしては気まずさに顔を背けていたが、ふっ、と姉さんが頬を緩ませるのを見て、僕も息を吐く。

 今度はお互いに目を逸らさず、緩めた目元で、心を確かめ合い微笑む。


「……きれいだね。」


「……はい。」


 次々と流れていく輝く星を見ながら、僕らはどちらからともなく手を繋いだ。

 その手は少しぎこちなくて、でも温かかくて安心できた。



「……願い事、かけ放題だね。」


「……そうですね。」



 僕は空を駆け抜けていく光の粒に繰り返し繰り返し、馬鹿みたいに同じ願い事を唱え続けた。





 ──どうか姉さんとずっと一緒にいられますように。







 **********









 ──"貴方の横に立ちたい。"

 

 そう、思った。

 背に隠されるのではなく、その横に立って、できれば貴方を守れるくらいに強くなりたいと願った。


 それを心に決めると、(おの)ずとやるべきことは見えた。

 ライ兄ちゃんことライナス様に剣の稽古を増やしてもらい、特別に騎士団の訓練に混ぜてもらって体を鍛えた。

 社交界でも話題の姉さんをエスコートするにはダンスやマナーを身に着けるのはもちろん、社会情勢や流行、歴史や語学など幅広い教養が必要になる。

 もし姉さんが領地を継ぐならと思い、父様の仕事を手伝い領地経営の勉強もした。ユリウス殿下の側近候補に名が挙がったと聞いて、嬉しかった。

 少しずつだが、自分の成長が感じられた。



 姉さんに釣り合うような立派な男になって、貴方の隣に立てる自信が持てたら。

 そうしたら、胸で高鳴るこの気持ちに名前をつけよう。

 そして、姉さんではなく名前を呼びたいと花を贈ろう。

 花束はジルに相談してみようか。きっと心をくすぐる甘い花言葉とともに、素敵な花束を考えてくれる。






 ……幼い日、小指を絡めた約束。


 あのとき、薬指に嵌めた蒲公英の花指輪が形を変えて、もう一度貴方の指に嵌める日が来ることを僕は夢みていた。


 今歩いている道の先にそれはあるのだと、ただまっすぐに信じていた。






 ──いつか、きっと。













 **********














『いつかきっと』、なんて来ないのだと知ったのは、2つ上の姉さんが学園に上がる直前だった。




 夜に父様の執務室に呼び出され、ユリウス殿下とエレナ姉さんがご婚約される、と聞かされた。それは、決定事項だった。

 姉さんは少々取り乱していたが、薄々はわかっていたようだった、と父様は言った。


「……そう、ですか。」


 それ以上、僕にはなにも言えなかった。


 一礼して、父様の前から下がり覚束ない足を叱咤して部屋に戻る。

 ぽたりと水滴の落ちる音がして見ると、知らずに握りしめていた掌から血が流れ落ちていた。強く握りすぎて、爪が皮膚を突き破っていたらしい。



 幼い頃から見ていた、姉さんとユーリ兄ちゃんの仲睦まじい姿が浮かぶ。


 議論を交わし合う姿、馬鹿を言いあっては笑い合う姿、肩に頭をもたれる姿、そして、木漏れ日の中で互いの背中を預け支え合い安らぐ姿。


 姉さんとユリウス殿下。……とても、お似合いの二人だ。



 殿下は、僕のように姉さんの背に守られるような弱い人ではない。


 あの病的な目の下の隈は、一国の王太子として責務やプレッシャーと負けじと戦い続ける強さの証であり、死んだ魚の目は、今後何事が起こってもすべてを受け入れ噛み砕きより良い結果へと導くため己を押し殺した強さの証だ。


 きっと、二人手と手を取り合って、この国をよりよく導いてくれる。姉さんはすごい人だから、王太子妃、そして行く行くは王妃となり、殿下を支えこの国の中心で幸せをもたらす眩い光となって、このウェストリンド侯爵家だけではなく、より多くの国民へ幸せをくれるだろう。それが、最善だ。






 ぽたり、と涙が落ちた。






「……っ、」





 扉に預けた背が、ずるずると落ちて座り込む。





「…………ぅっ」





 真っ暗な部屋の中で、嗚咽が漏れた。


 僕はそれ以上に漏れる嗚咽を押さえようと手で口を塞ぎ歯を噛むが、喉の奥から次々と情けない声が漏れていった。





「ぅ、ぅ、っう……、ぅ……」




 姉さん……。




「ねぇ、さん……」




 ぽた……、


 ぽた……、


 ぽたた……




 いつか、名前をつけよう──。


 そう思っていた想いが心の中で溢れてやまず、僕の目から涙となって零れ落ちる。




「姉さん……、」




 今、だけでいい。 




 ぐしゃりと自分の頭を掻き、左手の親指を、血が滲むほど強く噛み締めた。




 今だけ、ここでだけは貴方への気持ちに名前をつけていいですか……? 





「……姉さん、」




 はっ、と息を飲み込もうとしたが、うまく吸えずに苦しくて胸をつかむ。






 姉さん、僕は、


 僕は……


 姉さん、僕は、貴方が……、






「貴方が、貴方のことを……、」









「─────……。」









 言葉にせず、僕は唇だけを動かした。

 きっと口にしたら、もう戻れなくなる。

 それは、幸せすぎるなんて言葉にしたら、夢から覚めてしまうのではないかと泣いた幼いときの怖さに似ていた。


 空気を振るわせずに宙へと放ったその言葉を、もし口に出して姉さんに伝えられたら……。


 想像の中の姉さんは、驚き、花が咲くように顔を綻ばせ笑った。


『ありがとう、嬉しいわ』


 ハル、そう言って僕の名を優しく呼んで僕にまっすぐに手を差し伸べてくれる。


 それが嬉しくて、けれど一瞬後に絶望が襲ってきて僕は顔を歪め強く強く目を瞑る。







 ──姉さんとずっと一緒にいられますように。


 幾千の流れ星に願おうと決して叶わない願い事だったのだ。




 宝物のように心に大切にしまった、小指を絡め約束を交わした遠いあの日の姉さんの優しい声と蕩けるような笑顔が、浮かびあがっては消えていった。






「エレナ。」



 名を、呼ぶ。

 自分の口から紡がれた姉の名前は、ほろり、ほろりと空気に溶けていき、優しく甘い余韻を漂わせた。

 そして、その後で喉に押し上げてくる痛むほどの苦さに、初めてのお花見で彼女が作ってくれた不格好なクッキーの味を思い出した。





 エレナ。僕の姉であり大切な人。


 僕を暗闇からキラキと輝く場所へと導いてくれる人。


 貴方は、いつだって眩いほどの光だった。


 そして、これからもずっと──









「エレナ。せめて心だけは、僕の心だけは、生涯、貴方の傍にあることを誓うよ……。」




 窓から差し込む月明かりにより、まるでこの暗い自室が神聖な教会のように思えた。

 婚姻の誓いを立てるかのように、誰もいない暗闇の中で僕は天国のように甘く地獄のように苦い、一方的な姉さんへの誓いの言葉を紡ぐ。









 **********










 翌日以降も、姉さんに特に変わった様子はなかった。


 そうか、と思った。本当は、どこかで姉さんが殿下との婚約に反対するのではないかと期待していたようだ。

 星降るあの夜、心が通じていたんじゃないかなんてことは、僕の都合の良い思い込みだった。彼女の優しさを、勝手に捻じ曲げて解釈していた。


 愚かにも、僕に弟以上の想いを持ってくれているんじゃないか、なんて。


『ハルの立派なお姉ちゃんになってみせます』

 思い返せば、いつだって姉さんは僕の良き姉であろうとしていた。あのキスをねだった日さえ、僕が不安定になっていて哀願されたから、優しい姉さんはきっと断れずにいたのだ。


 無理強いして、姉さんに悪いことしちゃったな。


 重ねた感触を思い出さぬようきつく唇を噛んで、僕は空を見上げる。

 これからは貴方に誇りに思ってもらえるような立派な弟になってみせるから。








 そうして、姉へ向けた感情がなんだったか、その名前と気持ちを胸の奥へとしまいこみ、開いてしまわぬように施錠をした。

 閉じた鍵を過去の貴方との戻らぬ日々の中へと放り投げて、僕は目を背ける。







 何も考えずにすむように、自ら望んで息もつけほどの忙しい毎日をこなす様にして過ごしていく。

 それでもふとした折に、あの絡めた姉さんの、するりとした小指の感触がよみがえる。

 感情を閉じ込めたように、幼い頃の思い出も蓋をして思い出さずにいたら、いつの間にか風化して空の中へと溶けて消えていくのだろうか。  




 ……そうできたら、どれだけ良かっただろう。


 けど、どれだけ願ったって僕はあの眩い日のことを忘れられないのだ。














お読みいただきありがとうございます!

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