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13.『蒲公英の約束』

 







 ──ピチチ、ピチリリ




 その小鳥の囀りに目を覚ます。

 ふと、肩に温かさを感じて見ると青空のような淡いブルーの瞳と目が合い心臓が跳ねた。


「おはよう、ハル。」


「……おはよう、ございます。エレナ、姉さん。」


 早鐘を打つ胸を抑えて、小声で挨拶するエレナ姉さんに、同じく小声で返した。いつのまにか、僕も寝てしまっていたようだ。


「……えっと、なんですか?」


 じぃっと穴が開きそうなほど見られて、僕は視線を彷徨わせる。


「ううん、寝起きも可愛いなぁ、と思って。」


「ずっと言っていますが、可愛いは褒め言葉じゃないです。」


 昨日の夜近づいたと思っていた距離が、また姉と弟まで戻ってしまっている気がする。はぁ、と溜息をついて僕は姉さんにそう言うが、彼女はにこにこと笑いながら、


「うん。でもやっぱり可愛くて。」


 そう言う。


「ああ、もうっ!」


 僕は、姉さんに顔を近づけて(ついば)むようなキスをすると、彼女は焦って僕から身を離した。


「……これでも?」


「……ハルさん、男前。」


 頬を紅く染めて視線を彷徨わせるエレナ姉さんに満足して、僕は窓の方へと目を向ける。


「いいお天気そうですね。」


 カーテンの隙間から漏れる光が、高らかに謳う鳥の囀りが、晴天を教えてくれる。


「まだちょっと早いですけど、少し庭を歩きませんか。」


「いいわね、行きましょう!」


 僕らは、家から脱走するときのように一人が前を、一人が後ろを警戒し家人たちの姿がないことを確認しながら物音を立てずにそうっと外へと出る。この手順もだいぶ磨きがかかったなぁと感慨深くなって、ふっと口元をほころばせた。




 **********





「んんー!」


 エレナ姉さんが朝靄のかかる庭の中で思いっきり背伸びをする。

 しばらくすると、陽の光が差したところから朝靄が払われていき、庭の瑞々しい緑と、ところどころに花開くチューリップや水仙、ルビナスやデイジーなど色とりどりの花が恥ずかし気に姿を見せ、幻想的な姿が広がった。


「さすがジルですね。なんだか、この庭を見るといつもほっとして、幸せになる。」


 僕が庭師のジルを褒めると、姉さんが頬を緩ませた。


「『ハルディン』てね、ある国の言葉で『庭』って意味があるんだよ。勝手な私の想いなんだけど、ハルが来るまでに貴方が安らげて幸せになれる庭があったらいいなぁって思っていたの。だから、ジルには素敵な庭を造ってほしいって小さい頃からずっとずっとお願いしていたのだけど、さすがジルね、すごい!貴方がそう言っていたって、今度ジルに報告しなくちゃ!そうだ、あの木も、ずっと貴方と一緒にお花見がしたくて、ジルと父様に無理を言って入れてもらったの。」


 姉さんが指さす先のいつもお花見をする木に、蕾が膨らみ数輪は白い花を綻ばせているのが、遠目に見えた。

 ここに来てすぐのお花見で、僕はあの木の根元から空を見上げた。

 薄い水色の世界に、ひらりひらりと白い花びらが舞っていた。






『この幸せの国は、すべて──……』

 オーウェンの言葉がよびがえる。


 ──どこまで、貴方の想いは……。












 ──言葉を、探した。








「あ、蒲公英の綿帽子発見!今日は絶対に一回で吹き飛ばして見せる!」


 足元に揺れた綿毛の蒲公英を摘み取り、そしてふぅっと貴方は息を吹きかける。

 その綿毛は、ひとつ残らず薄い水色の空へと、ふわりふわりと飛んでいく。








 ──言葉を、探した。


 貴方に向けて紡ぐ言葉を。

 どれだけ尽くしても足りない、この気持ちを伝える言葉を。











 やったぁと無邪気に喜ぶ貴方の背で、僕は黄色の花が咲く蒲公英をひとつ摘み取る。



「……エレナ、」


 名を、呼ぶ。

 愛おしい人の名は、春の庭の空気を振るわせて貴方の耳に届く。


「なぁに、ハル。」


 振り向き、貴方が僕の名を呼んでくれる。その僕を呼ぶ声は、いつだって優しくて甘かった。

 どうか僕が貴方を呼ぶ声も、同じように優しく甘く貴方の耳に響きますように、そう切実に願った。



「エレナ。」


 そう名を呼び、無言で小指を差し出した。すると、彼女は微笑んでその小指に自分の小指を絡めた。


「『ずっと、一緒にいて。』」


 あの日、泣きじゃくりながら貴方へと伝えた戯言(たわごと)を、僕は繰り返す。

 その戯言が真実になるまで、ずっとずっと、僕は言い続けるだろう。


「ずっと一緒にいるよ、ハル!」


 柔らかに笑んだ貴方の顔がまぶしくて、目を細める。



「……好きです、エレナ。僕は、ずっとずっと、貴方を愛し続けることを、約束します。」




 ──好きだ、愛している。


 そんな言葉では足りないと思った。どれだけ言葉を尽くしても、伝えきれない。

 けれど、僕はこれ以上の言葉を持たないから。



 約束するよ。


 そうっと絡めた小指を解いて、僕は彼女の前に跪く。

 エレナの左の手を取って、蒲公英の花指輪をその薬指に通す。すると、驚いたようにエレナが目を丸くして僕を見た。



「いつかきっと、ちゃんとした指輪を贈る。」



 微笑みたいのに、胸が痛くてちょっと泣きそうになった。






 ──愛してる。

 ──好きだ。

 ──愛してる。


 一度では足りないから、何度でも何度でも、これから死ぬまで貴方に伝え続けるから。




「エレナ、貴方を愛しています。どうか、僕と結婚してください。」



 そう、まっすぐに貴方を見つめて、心を込めて、言った。








 姉さんは花指輪を見てから、そして僕へとまた視線を戻す。

 その目には、涙が浮かんでいた。




「……はい。」



 震える唇をきゅっと持ち上げて、エレナが泣きながら、笑った。



 愛おしくて、僕はその細い体をぎゅうっと抱きしめた。

 抱きしめて、髪を梳いて、好きだよと囁く。


 その光を受けてキラキラと煌めく朝露みたいな、涙が残ったエレナの眦にキスを落とす。

 びっくりしたように目を見開いた顔が可愛かった。


 軽く手でエレナの艶やかな桃色の唇に触れる。少し恥ずかしそうに、視線を逸らしてからまた僕へと視線を戻す。上目遣いに見る彼女の頬を撫でて微笑む。



 彼女の柔らかな唇に、そうっと、口づけた。



 芽吹いた木々や甘い花の香りを乗せた爽やかな風が、通り過ぎていく。

 淡い蒲公英色の陽の光が、僕らを包み込むように降り注ぐ。



 唇を離すと、エレナがひとしきり照れた後で、見たことのないような柔らかくてへにゃあっとした顔で笑う。可愛い。思わず、もう一度キスを落とす。




「ああああああーっ!」

「わー!!だめです!アラン様!」


 その声に僕らは肩を跳ねさせて、声の方向を向くと、家の窓からアランが身を乗り出して僕らを見つめていた。



「姉さまと兄さまキスしてた!」


「だめですー!アラン様!そこは大人としては!いえ、子どもでも!見て見ぬ振りしないと!」


 そうメアリがアランの目を塞いでいたが……。

 遅いよ、メアリ。出来たらもっと前にしてほしかった。

 あと口も塞いでおいてほしかった。


「な、なんだってぇ!?今聞き捨てならんことを聞いたぞ!?」


 アランの言葉に、その上の、2階の窓から父様も顔を出す。


「こら、お前たちはまだ婚姻前の男女であり、むぐぅ!」

「いいのよ、ばんばんやっちゃいなさい!」


 母様が父様を後ろから羽交い絞めにして、ぐっと親指を上げた。


「ええい、まだエレナは嫁にやらん!そして、ハルも婿にはやらん!」

「あら、二人共手放さずにすんでよかったではないですか。」

「あ、そうか。え、でもなんか、寂しい。」


 と2階の開かれた窓から父様と母様の声が聞こえる。


「お嬢様をよろしくと言いましたが、そこまでよろしくしろとは言っていませんよ、ハル様!私の大切なお嬢様になんてことを……!」


 と怨霊のようなオーウェンの声が響いたので、どこにいるのかと見回すと、玄関ホールの扉から目だけ出して睨みつけていた。怖いよ、オーウェン。

 しかも、オーウェンのその声に、『そうだそうだ』とか、『もっとやれ!』とかそこかしこの窓から顔を出す使用人たちが声を上げた。


 ジルが昔、この屋敷のことを"(かしま)しい"って言っていたけど、本当にそうだなぁっと笑ってしまう。この館はどこまでも明るくて朗らかだ。




「むぅ!なんか最近、姉さまと兄さまばっかり仲良くしてずるいー!」


 アランが、その窓枠に足をかけて外へと飛び出る。


「アラン様―!そんなところはエレナ様やハルディン様に似なくてよろしいんですよーっ!?戻ってきなさーい!」


 メアリが、窓からそう叫んでいるが、アランは聞こえないふりして僕らの方へと向かって走ってくる。

 その様子をみて、エレナがくすくすと笑う。


「本当、アランは、私達の背を見て育っているよねぇ。」


 その言葉に、確かになぁと思う。


「アランみたいな元気で可愛いエレナ似の子がほしいなぁ。」


 彼女の言葉に、エレナと結婚した後のことを想像して、思わずそんな言葉が口から滑り出た。

 あ、と思ったけど遅かった。

 横を見ると、エレナが顔を真っ赤にして俯いた。


「あの、違う!変な意味じゃなくて!ごめん、姉さん!」


「姉さん?」


「……エレナ、ごめんなさい。」


「……許す。あと、」


 ……私も、アランみたいに元気なハルに似た子がほしい、と消え入りそうな声で呟いた。

 可愛い人の、その桃花色に染まる頬にちゅっとキスをすると、エレナはふぇって変な声を上げた。

 その一瞬後で、屋敷中から歓声が上がった。


「あー!ずーるーいー!姉さまー!兄さまー!僕も一緒に仲良くするのー!せーのっ!」


「え!ちょっと待って!アラン!?」


 駆け寄ってきた彼が一切の躊躇なく、僕に向かって飛び跳ねた。その小さな体を抱き留めようとしたが、受け止めきれずに彼に突き飛ばされたような格好になり、僕は地面へと転がる。


「……ふ、あはは、あははははは!」


 エレナが、その様子にこらえきれないように笑う。アランも僕のお腹の上できゃっきゃと笑っていた。


 満面の笑顔のエレナとアランの背に、水色の空が見えた。そこを、白い綿毛がふわりふわりと飛んでいく。

 ふと横を見ると、黄色い蒲公英の花が僕らを微笑ましそうに見ながら、春の優しい風に身を任せてゆらゆらと揺れていた。










『蒲公英の約束』Fin.

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