想像の斜め上
目の前に片手を上げているナナミがいた。
右頬が痛い。
何が一体どうなっているんだ?
というか、ナナミはいつ目覚めたんだ?
「ナ、ナナミ?」
「惑わされないで、正面を見る!」
左頬を叩かれた。
痛い。これは現実だ。
なんで俺は頬を叩かれているんだよ。というか、右の頬もナナミに叩かれたのか?
「痛ってえな!」
「虚ろだったのが悪いわ」
呆れたようにため息を吐く。
どこか安心している感情が紛れているのは気のせいだろうか。
「もしかして、心配してくれた?」
「……ふん」
ナナミはそっぽを向く。答えをはぐらかされた気がする。
髪の間から見えている耳が赤い。
「あれはティソーナ。幻覚や錯覚の魔法が設定されているの」
深呼吸をしたあと、ナナミは俺のほうを向いて説明を始める。
ティソーナ。それが所長が今持っている魔剣の名前なのか。
「思考に直接侵食して惑わすこともできるそうよ」
「……なるほど」
俺は所長に思考を支配され、絶対に俺が勝てない勝負をしていたということか。
「その間は所長も動けないらしいけど」
「だったら意味がないじゃないか」
「疑心暗鬼にはなるでしょ?」
そうかもしれない。
攻撃しても当たらず、何をしても無駄だったら警戒心が強くなる。
現実に戻ってきても、うかつに仕掛けることができないだろう。
そもそも思考に侵食して、現実に引き戻されても気付かなかったかもしれない。
「ナナミ、邪魔をするな」
声を荒げて所長が言う。怒っている所長を見るのは初めてだ。
「悪いけど、邪魔をさせてもらうわ。これはあなたから解放される絶好の機会だからね」
「逆らえないと分かっているだろう――命令だ。セタを殺し、オハバリを奪え」
マニュピレータを顕現させ、所長は命令を下す。ナナミの持つ魔剣の刃は十分に俺に届く範囲。俺は彼女から距離を取った。
ナナミはというと、所長の言葉に動じず、フルンティングを水平に構え、大きく息を吸っている。
「フルンティング!」
叫ぶと同時に魔剣を振り下ろす。それだけでナナミの雰囲気が変わった。
そして目を細めて所長に飛びかかり、フルンティングを振り下ろした。
所長はかろうじてマニュピレータで受け止める。
所長の「支配」を受けている様子は全くない。
「なぁ、所長さんよ。我がいたことを忘れてはいないか?」
「……フルンティングか?」
「そうだ。ここからはセタではなく、我が相手をしてやろう」
淡々と彼女は言い、フルンティングに力を入れていく。力負けしている所長はじりじりと後方に下がる。
「貴様が支配できるのは二人までだろう? 今はナナミとムツミを支配下に置いている。ならば我を支配することはできない」
「ちっ」
所長は舌打ちをし、ナナミ――いや、フルンティングを睨む。対するフルンティングは退屈な表情をしている。
フルンティングにとって所長は強くはなく、相手にならないということなのか。
「つまらん。相手にもならんわ」
大きく欠伸をして、フルンティングは所長の腹に蹴りを入れる。脚力がどうなっているのか分からないが、所長が後方へと吹っ飛ばされる。
フルンティングも跳躍し、所長へと接近する。そしてマニュピレータを握っている腕を躊躇いなく――斬る。
「ぎゃあぁあっ!」
激痛から放たれる叫び声。その苦痛に顔を歪める所長の横にボトッ、と落ちる腕。
俺はその光景から顔をそむける。
「……ああ、逃げられないように足も斬るか」
「ま、待て」
「誰が待つか」
魔剣が空を切る音。同時に所長の苦悶の声。
何がどうしてこうなった?
想像できなかった展開に俺は耳をふさぎ、目をつぶる。
何も考えず、身を硬直させてしまう。
しばらくして、俺の肩が触れられた。とっさに俺はオハバリを振り向きざまに薙ぐ。
ギィン、と金属がぶつかる音。
――魔剣・フルンティングは所有者がナナミのため、破壊できません。
「危ないな、セタ。我は貴様に何もせん。オハバリを下ろせ」
フルンティングに睨まれる。俺は警戒しながらも、オハバリに入れていた力を抜き、剣先を下に向けた。
短く息を吐くと、彼女も魔剣を下げる。敵意も殺意も伝わってこない。
しばらくして何か考えながら彼女は頭を掻く。
「セタ。マニュピレータの破壊か、所長を殺せ」
「……なぜ?」
「本来なら我が所長を殺し、ナナミを解放するすべきなのだが……それができない」
「できない?」
「我は誰かを殺すためにはナナミを介せねばならんのだ」
ナナミは所長に支配されているから、所長の意に反することができない。そしてフルンティングはナナミの体を使って他人を殺めることができない。
だから俺がマニュピレータを破壊するという依頼がフルンティングから来るのか。
どこか違和感。
(ああ)
少し考え、違和感の正体に気付く。殺すことができないのに、傷つけることができている。
視線を所長のほうへと向ける。所長は今、斬られた腕を抱え込み、うずくまっている。その両足の腱も斬られ、血が流れている。
「嘘を混ぜるな。ナナミを介せずとも所長を殺すことができるだろ」
「……くくっ。バレたか。確かに我は所長を殺すことができる……だが、所長を殺すことはナナミから止められていてな」
苦笑いをし、頭を人差し指で叩きながらフルンティングは説明する。
「殺すな、と叫び喚くから頭が痛くて仕方ない」
「……はぁ」
平然と話す彼女に俺はため息を吐く。
その一方でナナミが所長を殺したいとは思っていないこと知ることができた。





