支配と誓約書、そして登場
組み伏していたナナミを解放する。俺は立ち上がりナナミの手を取り、引き起こす。
――漢字「治」「療」を検知しました。
「ナナミ、じっとしていろ」
「……オハバリで何をするつもり?」
「ミズカネの炎症を治療するんだよ」
「……分かったわ」
目をつぶり、顔を向ける。刃が当たらないように注意し、剣身をナナミの顔に当てる。
剣身が冷たかったのか、炎症を起こしている箇所に触れて痛かったのか、身を硬直させた。
魔力をオハバリに流し込み、魔法を発動。暖かい光がナナミの顔を治す。
しばらくして傷は癒えた。俺はオハバリを彼女の顔から離し、じっと見る。
若干皮膚の色が違うように見える。
目を凝らさないと分からないくらいの違い。少しだけ罪悪感が残る。
傷が治ったのに何も言わない俺にしびれを切らしたのか、ナナミは目を開いた。
「どうしたの?」
「いや……治した箇所がちょっと色が違うなって……」
「そんなことでためらうなら、最初からやらないで欲しいわ」
「俺も必死だったんだよ」
本気で死ぬかと思った。たまたまポケットにミズカネが入っていることを思い出し、とっさに使ったんだ。
「まあ、私もミズカネを持っているとは思ってもいなかったけどね」
手で触れナナミは状態を確認している。爛れていないことに満足したのか、数回うなずく。
「肌の色が違うか確認できないけど、問題ないかな……それで」
「ん?」
「所長をどうやって呼ぶの?」
尋ねられ、腕を組む。確かムツミは「頃合いを見計らったようにやってくる」的なことを言っていたっけ。
信じられないけど待つしかないか。
「そのうち来るさ」
「楽観的ねぇ……まあ、いいわ」
呆れたのか、ため息を吐いている。
「私はセタ……ひいてはムツミを信じるだけ」
「諦めているのか?」
投げやりな言い方に俺は聞く。あとはどうにでもなれ、という口調が気になる。
「諦めているも何も……賭け事を忘れてる?」
賭け事……ああ、そんなこともしたな。
俺もナナミの所有権を賭けた内容。
「私は負けた。だから私の所有権はムツミとセタにある。そして私は二人に逆らえない」
「その権利、放棄するぞ」
「放棄できるのは二人が同意した時のみらしいわよ」
――通知が届きました。内容を確認してください。
ナナミの言葉とほぼ同時に通知が届いた。
【通知名】
ナナミの所有権について
【内容】
ナナミに勝ったため、ムツミとナナミ間で交わしていた「セタがナナミに勝利するかどうか賭ける誓約書」についての内容が承認されました。添付を確認してください。
添付を開く。内容は以前ムツミが言っていたもの。それに加えて細々と項目が羅列されている。
そして最後に「なお、この誓約書はムツミとセタの両者が破棄しない限り有効とする」と書いてあった。
「めんどくせぇ」
「まあ、私も全部読んでいないんだけどね。ムツミが変なことを書くとは思わないし」
「ちゃんと読めよ」
適当なナナミの対応に肩を落とす。
あまりにも細かいので全部読む気になれないが、ざっと目を通す。
読んでいて、ふと疑問が湧く。
「ナナミ」
「なに?」
「誓約書ってマニュピレータの「支配」とどう違うんだ?」
するとナナミは眉間にしわを寄せた。
「「支配」されている本人に聞く?」
「いや、ほかに聞く相手がいないし」
「無神経ね……まあいいわ。「支配」は対象者の肉体・精神を思うがままに操ることができる」
「ふむ」
「それで「誓約書」は書いてある内容を対象者に行わせるもの。違反行為をしたら罰則がある」
つまり「支配」は操り人形的なもので「誓約書」は行動制限を主としたものなのか。
ゲームでのマインドコントロールや奴隷紋という言葉が俺の頭の中に浮かぶ。
ナナミの話を聞きつつ、添付の内容を目で追っていく。
「なぁ、誓約書に「相手に指示ができる」って書いてあるけど、これは?」
「精神はそのままで、動きの指示をするものって……まさか」
「命令。俺の前に跪け」
「ことわ……痛っ!?」
言い終える前にナナミは苦痛に悶えた。苦しみつつ彼女は目の前で膝をつく。
「……はぁ」
苦痛がなくなったのかため息を吐いて、顔は上げて俺を睨んでいる。
「なにをしたの?」
「命令。誓約書に書いてあったからやってみた」
「するなら、先に言いなさい」
「悪い」
「……で、いつまでこの状態をさせるつもりなの?」
もう一度誓約書を見る。書いてある通り「解除」と唱えた。解放された彼女は苦痛を怖れながらもゆっくりと立ち上がる。そして俺の襟首に手をかけようとした。
――所有物が危害を加えそうになったため、防衛します。
「くっ」
すぐに手を引っ込める。痛そうにその手を抱え込んでいる。
「……なにを、したの?」
「自動防衛だろうな。俺はなにもしていない」
「早く解除しろ」
「ってもなぁ」
「攻撃できないじゃない」
「……はぁ」
攻撃されることを分かっていて誰が解除するんだよ。
「断る」
「……分かったわ。不満はあるけど」
「素直だな」
不気味だ。信じることができない。
わざとナナミに背を向けてみる。
「文句を言っても仕方ない……しっ!」
背後で何かを振るった音と金属のような物が落ちる音。ため息を吐いて振り向くと、ナナミが腕を押さえていた。その足元にはフルンティングが落ちている。
不意打ちでも同じことになるとは思わなかったのか?
「なぁ、ナナミ」
「なに?」
「フルンティングに支配されかけているだろ?」
「それが? それより早く解除しろ。殺せない」
「はぁ」
駄目だ、こりゃ。
ナナミがフルンティングに支配されかけている。
にしても、急にだったな。ちょっとした怒りからフルンティングに呑まれかけたのか?
どちらにせよ俺は精神剤を持っていないし、だからといって彼女を野放しにするのも危険か。
「命令。両腕を後ろに、両膝を地面に付いて待機」
「っ、また命令する気?」
「俺の身の安全が第一だ」
苦痛を怖れたナナミは言われた通りに行動する。
(これからまだ所長とも会う予定だし)
邪魔をされても困る。攻撃を受けないと分かっていても、そのモーションだけでも怖い。
眠らせるか。
炎症を治した時と同様、顔にオハバリを当てる。
――漢字「睡」を検知しました。
「事が終わるまで眠っててくれ」
「私は眠ら、ない。セタを……こ……ろ……」
首を下に傾ける。顔を覗くと既に寝息を立てていた。
本当に即効性の高い魔法だな。アニメで見たことのあるとあるキャラクターみたいだ。
「これでよし、と」
あとは所長が来るのを待つだけ。
(それにしても……)
疲れた。ムツミ、ナナミと連戦だったから相当疲れが溜まっているな。
魔法でどうにかできないのだろうか。
けどまぁ、魔法もそんなに万能ではないだろう。疲れを誤魔化すことはできても、それ以上のことはできない気がする。
当てにし過ぎるのも問題かな。
探してみようかと考えていると、模擬戦場のドアが開く音が聞こえた。ドアのほうを見ると、そこに人影があった。
休憩をする暇も与えてくれないらしい。
所長のお出ましだ。
「ほう、ナナミに勝ったのか」
「想定外でしたか?」
「うむ。彼女はフルンティングを所持する凄腕の剣士だからね」
話しつつ、俺とナナミに接近する。
俺は身構えたが、所長に警戒されたら面倒なことになりそうだということに思い至る。
握っていたオハバリを片付ける。
所長は俺の行動を気にしていないようだった。俺とナナミから少し離れた場所で立ち止まり、交互に俺たちを見ている。
「ナナミからは毎朝鍛えてもらっていましたし、ムツミには魔法の練習に付き合ってもらっていましたから」
「だが、習ったのは四日ほどだろう?」
「そうですね」
「さすがはイジン、ということか」
「それは関係ないと思いますが……」
「魔法はそうであろう?」
知っている漢字の数のことを言っているのか。そういうことなら所長の言う通りだと思う。ムツミやナナミと比較しても、日本に住んでいた俺とは知っている漢字の数が違う。
俺が趣味で調べていた特殊な漢字を差し引いてもそう。それでも俺のほうが覚えている漢字は多いだろう。
効果的な漢字を俺が覚えているかどうかは別の話だけど。
「……確かに魔法はそうかもしれません。オハバリで魔法を使うときもかなり楽ですし」
「ほう?」
俺に視線を向け、じっと見る。
「オハバリの魔法は自由に使えたのかね?」
「はい。使いたい魔法の漢字を念じれば、思うがままでした」
「それは興味深いな」
考え込むように腕を組む。そして思いついたように手を叩いた。
「そうだな……ちょうどいい。君、助手をやってみないか?」
「助手、ですか?」
「そうだ。ただし、機密事項等あるから、少し制限をかけさせてもらうことになるが」
制限。マニュピレータの「支配」のことだろう。
ムツミの話を聞いたあとだから「少し」という言葉は疑わしいけど。
「どんな制限なんですか?」
「端的に説明すると、私の指示に従ってもらうための制限だ」
「……研究で俺が所長の意図を正確に汲むためですか?」
「察しがいいな」
所長は笑みを浮かべる。
「魔剣……いや、魔法についての研究は慎重に行わなければならないからな」
「事故が起きたら、大変ですからね」
「うむ。それで良ければ契約の準備をしたいのだが……」
「構いませんよ」
そういうと所長は手に武器を顕現させた。
黒一色に染め上げられた剣。恐らくムツミが言っていた「マニュピレータ」だろう。
照明の光に反射して美しく見える反面、どこか禍々しく感じた。
それは支配する、という能力を持っていることを知っているからだろうか。
「汚れているが、我慢してくれ」
「汚れている?」
「つい先程、使ったのでね」
よく見ると刃が濡れている。黒い魔剣だから、何で濡れているのかは分からない。
「まさか、ミズカネではないですよね?」
「血だ」
「……血?」
「こそこそと自由勝手にしていた部下を斬ったところでね」
部下。この研究所には俺を含めて四人しかいないはずだ。
そしてこの場にはその内の三人いる。
「まさか……」
「ムツミだよ。彼女は勝手をし過ぎた」





