第一異世界人
「……誰?」
いつの間にか背後にいた少女に尋ねる。
彼女はフードの付いている黒衣を羽織り、そのフードを深く被っていた。
いつからいたんだ?
全く気づかなかった。
「私ですか? 私はこの近くの研究所に住んでいる人間です」
丁寧な口調だ。初対面の時に使う意図的な敬語に似ている。
ただ敬語だけど、背後からいきなり声をかけられた上、黒衣を羽織っているせいで怪しさは全開だ。
(にしても、研究所か)
彼女の言葉から初めて知ったことを頭の中で反芻させる。
近くに研究所があったのか。
霧が出ているし、地図機能も正常に動いていないから分からなかった。
状況が確認させてくれなかったこともあるけど。
そんなことを考えている間、彼女はというと、魔物から目を離さない。
そして何故か舌なめずりをしている。
「ところで、倒すのを手伝いしましょうか?」
予想外の提案。
その提案に乗らない手はない。
「手伝ってくれるのか?」
「はい。私が二匹であなたが一匹」
「え?」
俺も倒さないといけないのか?
まあ「手伝いましょうか」と言っているくらいだから、俺も倒さないといけないか。
だけど正直なところ、俺は戦いたくない。
戦う気力なんて持っていない。
肉と骨を断つ感覚が手に残っていて、未だに気持ち悪い。
俺の返事に少女は、不満そうな表情で俺のほうを初めて見た。
あ、目が赤い。紅いと表現したほうがいいか。
被っているフードの奥で黒い髪が隠れているのが見えた。
その顔は不満そうだった。
「……では私が一匹であなたが二匹でどうでしょうか?」
「いや、全部倒してもらっていいんだけど」
よく分からない譲歩案を出されたので、俺はそう言う。
すると少女の目が輝いた。
「いいんですかっ」
「あ、ああ。でもどうして、そんなに倒したいんだ?」
「あれは私のご飯になるからです」
「ご、ご飯?」
「あの肉は私のご飯です」
……さっきの魔物を倒す数の交渉は取り分の確認だったのか。
というか倒す前から「肉」表現になっているし。
「嘘ではないですよね?」
「嘘をつく気は無い。全部倒してくれ」
「ありがとうございます!」
そう言って少女は満面の笑顔で跳躍した。
跳躍した先は魔物の群れがいる場所。
ただその跳躍が高い。常人の脚力では信じられない高さだ。
魔法か何かだろうか。
彼女は空中で一瞬止まり、重力に従って魔物の元へと落下し始める。落下している間、彼女は右手を左腰の辺りから何かを取り出すように前へと動かす。
出てきたのは刀身が真っ赤な刀だった。
特別な加工をしているのか、輝いている。
その刀を彼女は構え、魔物三匹の真ん中へと着地した。
「ふぅ」
少女は大きく深呼吸をした。風を受けたフードは外れ、顔が露わになる。紅い目に黒い長髪。その髪は黒衣の中に隠れていた。
少女は両手で刀を構える。対して魔物達は空中から突然現れた少女に警戒心を強めていた。
――ダークテイルウルフの亜種の敵愾心が別人に移りました。
頭の中で声がした。どうやら魔物の敵意はあの少女に移ったらしい。
俺は固唾を呑んで少女の勝負を見守る。
先に動いたのは大型のテイルウルフだった。
長い尻尾を振り、少女に攻撃を仕掛ける。
「尻尾の先は毒があるから、いらない」
「ギャ!?」
少女はそう言って刀を振り上げる。赤い刀身の残像を俺の目に残し、直後テイルウルフの尻尾が宙を舞っていた。
斬り口から鮮血を撒き散らし、斬られた尻尾が地面に落ちる。
斬った瞬間が全く見えなかった。
「早い」とか「すごい」とか考えている間もなく、戦いは続いている。
斬られた魔物は後退したが、すぐに少女へと飛びかかる。
残り二匹の小型テイルウルフも少女へ突進していた。
三方向からの接近。
(大丈夫なのか?)
そう思ったけど、杞憂だったらしい。少女は笑みを浮かべている。余裕はあるようだ。
ただその笑顔が怖い。
戦いを楽しんでいる表情に見える。
「まず一匹」
声かけとともに大型のテイルウルフの懐へと飛び込み、首筋を斬る。骨を斬ったとは思えない、簡単に首を断ち、切り口からは勢いよく鮮血が吹き出す。正面にいた少女に鮮血が降りかかったように見えたが、その時には少女は小型のテイルウルフに向かっていた。
速い。
「二匹目」
大型のテイルウルフと同様、首筋を斬る。足元に転がった首を邪魔のように蹴り飛ばす。
「これで残り一匹」
少女は最後のテイルウルフを見る。突進を仕掛けていたテイルウルフは立ち止まっている。一瞬で一匹となり、不利な状況を悟ってか少女に背を向けて逃げ出した。
「――『カマイタチ』」
赤い刀身が輝き、紋様が描かれていく。複雑な幾何学模様だ。
少女はその紋様が描き終えると刀を振り下ろす。すると刀から赤い斬撃が飛び出し、テイルウルフへと向かう。
斬撃はテイルウルフの後方からだったが弧を描くように飛んでいき、首を刈り取った。
(今のは魔法か?)
紋様を描き、魔力を込めて発動したのか。
あっという間の戦いだった。
「終わり」
刀を一振りし血を拭う。そして何やら言葉を紡ぐと握っていた刀はどこかに消えてしまった。
あれも魔法で、どこかの空間に格納したのだろう。
戦闘が終わったことを確認して、俺は岩陰から出て少女に近づく。
うわ……少女の周囲は血の海だ。
吐き気がこみ上げてきそう。
「お、お疲れ様」
「あれ? 肉を譲ってくれた人。まだいたのですか?」
「まだいたって……」
「約束ですから、肉はあげないですよ」
いらない。そもそも食べる気力がない。
「肉はいらないよ。ただ聞きたいことがあるんだ」
ここで別れると俺はこの場所を彷徨うことになる。
それだけは回避しないと。
「聞きたいこと、ですか?」
「訳があって、ここに来たばかりなんだ」
「へぇ」
首を傾げて思案顔になる。
そして何故か俺の姿をじっと見る。
「……そう言えば、見慣れない顔ですね」
「は?」
「何でもないです。それで聞きたいことは多いですか?」
「そうだな。色々ある」
今いる場所のことや、異世界のこと。
ついでに魔法のことも聞きたい。
「でしたら、研究所で聞きましょう」
「いいのか?」
「構いません。その代わり研究所まで運ぶのを手伝ってくれませんか?」
そう言うと少女は転がっているテイルウルフを指差す。
「分かった」
俺はうなずき少女の指示を受ける。結果俺は大型のテイルウルフを運ぶこととなった。
言われた通りに後ろ足を持ち、首の部分を下にして背負って運ぶ。背中に生暖かい感覚が伝わってくる。
「では行きましょう」
「はいよ」
少女を先頭にして岩肌の山道を歩いていく。
黙々と運ぶのは辛いな。少女に話しかけてみるか。
「そういえば自己紹介してなかったな。俺は瀬田直也」
「私はナナミです」
ナナミか。
「研究所に住んでいるんだっけ?」
「はい。私を含めて三人です。ところでセタさん」
「なんだ?」
「どうしてこんな場所にいた訳を聞いてもいいですか?」
「あー」
普通は疑問に持つよな。
荷物なんて剣を腰に下げているだけで他には何も持っていないし、血とかでドロドロだし。
側から見たら異様な人間かもしれない。
説明しようと思ったけど、地球とか大国主のことは言ってもいいのか?
言ったところで伝わるのかも分からないかもしれない。
どう説明しようか悩んでいると、ナナミはハッとした表情で俺のほうを振り向いた。
「もしかして、転送されたのですか?」
「転送?」
「はい。罪を犯して追放されたとか。たまにここに転送されてきます」
罪は犯していないけど、追放は近いかな。
地球で生き返ることができないから異世界に転生したんだし。
「犯罪者を研究所に匿うことはできませんよ」
「犯罪者じゃないって」
勝手に犯罪者のレッテルを貼られそうになったので否定する。
でも、今いる場所は犯罪者の追放先になっているのか。
大国主よ、どうしたらそんな場所に転送を失敗するんだ?
「では何故単身何も持たず、この場所にいたのですか?」
「説明が難しいな」
「説明ができないと言うことは、やっぱり犯罪者……」
「違うって」
ああもう。伝わるか分からないけどダメ元で言ってやる。
「俺は別世界から転生してきたんだよ」
「……ああ」
ナナミは納得していた。
「イジンでしたか」
「イジン?」
俺は首をかしげる。
「イジンは別世界から来た人を指します。別世界の人が自称したそうです」
「自称って……」
「「自分たちは特別な力を持っているからイジンだ」って訳の分からないことを言っていたそうです」
もしかして自分たちのことを「偉人」って言っているのか?
それならものすごく恥ずかしい。
「そのイジンを名乗った奴は大昔に別世界から来た奴なのか?」
「いえ、別世界について知られたこと自体が最近です」
「そうなの?」
「はい。確認されているイジンは三人です」
大国主が送った三人のことだろうな。
その三人のうち誰かが名乗ったってことだな。
絶対に会わないぞ。
嫌な予感しかしない。
「イジンは皆、特別な能力を持っているそうです……っと見えてきました。あれが研究所です」
前を見る。斜面を登っていたが、開けた場所に着いていた。そして霧の中に明らかに自然のものではない、人工の建造物が見えた。
あれが研究所か。思っていたものより大きいな。三人で研究したり、生活するには広いように思える。
「肉は研究所のそばを流れている川で解体します」
「……俺も手伝うのか?」
「いえ、あなたは別のことをしてもらいます」
「別のこと?」
「はい。ついてきてください」
何をするのだろう。ナナミついていこう。
ナナミは研究所に入るのではなく、さっき言っていた川に向かっていた。
川のせせらぎが聞こえてくる。
「セタさん、肉を川に沈めてください」
川にたどり着くとナナミが指示を出した。
俺は言われた通り川にテイルウルフを沈める。ナナミも持っていたテイルウルフを川に投げ入れる。
固定していないから川下へと流れていくな。
「っと」
ナナミは刀を抜き、地面に突き立てる。
テイルウルフを倒した時と同じように刀身に紋様が描かれていく。
「――『ダホ』」
呟くと刀身から紐のようなものが現れた。その紐はテイルウルフを捉え、流れないように固定する。
「ひとまずはこれでいいです」
「今の魔法?」
「そうです。作成した紋様に魔力を込めると使えます」
「へぇ」
「それでセタさん、あなたはこちらです」
魔法のことを聞きたかったが、ナナミが行ってしまった。慌てて俺はついていく。
次に着いた場所は研究所の隣、別の建物だった。
屋根の上に煙突があり、入り口には暖簾がかけられている。
これはもしかして……
「銭湯?」
「そうです。返り血とか色々なものでドロドロなので綺麗にしてください……ってなんで泣いているのですか!?」
「いや異世界に来て、初めて感動している」
俺は思わず涙を流していた。初めて会った人にここまで親切にしてくれて感動しないはずがない。
それにしても、こんなに「感動した」と思えるのはいつ以来だろうか。
元の世界にいた時は堕落した生活だったからな。
かなり久しぶりな気がする。
「どうしてここまで優しくしてくれるんだ? 初対面だろ」
「イジンだということもありますが……何だか初対面だと思えなかったから?」
「へ?」
「なんと言いますか……直感が波長が合うと言っています」
……なんだこの告白みたいな状況は?
そんなことを言われるとドキッとするじゃないか。
「まあ、とにかく今は入って洗ってください。服は研究所にあるものをあとで持っていきますので、それを着てください」
言った当の本人は何とも思っていないらしい。淡々と話している。
俺の気のせいか。
「タオルは脱衣場にあるのでそれを使ってください」
「分かった」
俺はナナミと別れ、暖簾をくぐる。中は元の世界の銭湯と同じような構造になっているようだ。靴を脱ぎ、脱衣場に入る。