五日目の朝
昨日の夜に魔物と戦ったお陰で肉体的、精神的に疲れきっていた。
少しは考えて戦ったからだと思う。
心身ともに疲れること自体は心地よかった。
だけど疲れの原因は他にもあった。
それはナナミが先に帰ったこと。
そのせいで俺は帰り道が分からず、山の中で迷子になった。
迷子になっていた時間は一時間ほど。
もしムツミに救助されなかったら、凍死か魔物の餌のどちらかになっていただろう。
そして今。
ベッドの上に横になったまま、俺は顔の前でトツカのツルギを水平に構えている。
俺を跨がっている彼女から喉を突くように振り下ろされた魔剣を受け止めていた。
(どうしてこうなった?)
アラートが脳内に流れていたけど、熟睡していた俺の耳には完全に届いていなかった。目を覚ますことができたのは、感じた殺気に本能が働いたからだ。
刀剣の擦れる金属音がものすごく嫌な音だ。
心地悪い。
「おい、何をしているんだ?」
一息を入れて俺は跨がってフルンティングを構えている彼女――ナナミに声をかける。
「おはよう、セタ」
「……この状況で、平然と言えたもんだな!」
寝起きドッキリとして、やってはいけないことだ。
心臓に悪いでは済まない。
というか、あと一歩トツカのツルギを出すのが遅かったら死んでいた。
「起きないのが悪いのよ」
無表情、抑揚のない言葉。
駄目だ。ナナミはフルンティングに支配されている。
正気に戻すために精神剤を飲ませないと。
「ナナミ、精神剤は持っているのか?」
「持っていないわ」
想定外の返答。
「どうして!」
「だって作っていないし」
切らしていたのかよ。それは非常に不味い状況だ。
跨がれている上に魔剣を受け止めている状態だから俺は逃げることができない。
それにもし体を動かして少しでも魔剣がトツカのツルギの刃の上を滑らしたりしたら、体に魔剣が刺さる。
どうする?
「セタさん、起きていますか?」
悩んでいるとドアが開き、ムツミが入ってきた。
「ナナミが部屋にいなかったんですけど、知って……」
言葉を止め、ムツミは俺の現状をまじまじと見る。
「……どうぞごゆっくり」
「違う! 確かに俺はナナミに襲われているけど、決してムツミが思っている状況じゃないから!」
必死の弁明。ここでムツミに帰られたら、俺が死ぬ。
救世主に俺は助けを請う。
「……はぁ。セタさんはそんなに生死を彷徨うのが好きなのですか?」
「そんなわけないだろ!」
「襲われるのが好きだとか?」
「それもない……つーか、本当に早く助けてくれ。もう腕が限界だ」
ぷるぷると腕が震えている。これ以上、ムツミと会話を続けるのも辛い。
ムツミは大きくため息を吐いた。そして俺の上にいるナナミを見る。
「ナナミ、何をしているのですか?」
「セタを起こしているのよ。それより邪魔しないで」
「フルンティングを持たずにその言葉を言えば、私も邪魔をしなかったのですけどね」
おもむろにムツミは片手に医療用の注射器を呼び出す。その注射器の先をナナミに向ける。
その行動に反応したナナミはフルンティングをムツミに向けた。
死の直面から回避できた俺はホッと息を吐く。
「注射器で私に勝てると思っているの?」
「勝てますよ。一瞬です」
――ムツミからメッセージが届きました。確認しますか?
このタイミングでムツミからメッセージが届いた。件名には「ナナミに気づかれないように」とある。
俺はナナミに注意しつつメッセージを開く。
短い内容だな。えっと「隙を作ってください。ちなみにナナミは脇腹が弱いです」と書いてある。
(ええー)
つまり、くすぐれと。
確認するようにムツミを見る。ムツミは俺のほうを見ていなかったが、小さくうなずいた。
……まぁ、俺のためにムツミは行動してくれているし、手伝いをしない訳にはいかないか。
ナナミの脇腹へと手を伸ばす。
「一瞬なのでしょ。早く仕掛けに来たら?」
「何事もタイミングが重要です。それに私が仕掛けると言いましたか?」
「それはどういう……ひゃう!?」
ナナミが話していた途中で彼女の脇腹をくすぐった。くすぐると同時に可愛らしい声。抑揚のない声とは異なる感情がこもった声だった。表情も無表情ではなくなっている。
お、素に戻ったか?
そう思った直後、尋常じゃない怒気と殺気を感じた。顔を真っ赤にしたナナミは俺のほうを向き、フルンティングを振り上げる。
まずい。
「おい、ムツミ!」
「大丈夫ですよ」
ムツミはいつの間にかナナミの背後にいた。そして持っていた注射器をナナミの首に突き刺す。
ためらいもなく中身を注入する。
注入を終えるとムツミは注射器を引き抜き、ナナミから離れた。
一瞬の出来事。俺は見ているだけだったし、ナナミはされるがままだった。
ムツミが離れたあとナナミは刺された箇所を押さえ、ムツミを睨む。
「何を、したの?」
「精神剤を入れました。ナナミが飲んでいる物の改良版かつ血液に直接入れたので、即効性が高いですよ」
「そんなの、あるわけ……」
ない、と言おうとしてナナミは意識を失った。俺に覆い被さるように倒れてきた。
俺は彼女の体を受け止める。
思っていたよりも華奢な体。どこから魔剣を振るう筋力が出てくるのだろう。
じっとナナミを見る。
「今なら気を失っているので、やりたい放題ですよ」
「……何もしねーよ」
何かをして、バレたら俺の身が持たない。
ナナミをベッドの上に寝かせ、俺は起き上がる。
「面白くないですね」
「面白くしてどうする」
「私が楽しいです」
「はぁ」
ムツミはブレないな。彼女はどんな状況でも楽しもうとしている。
このことをいちいち気にしていたらきりがない。
「……で、ナナミは大丈夫なんだろうな?」
「殺そうとしていた相手の心配ですか」
「魔剣に支配されていたことなら仕方ないことだろ」
「……大丈夫ですよ。ただ副作用で睡眠効果が強いので、午前中はずっと寝たままだと思います」
そうか。だったらこのまま寝かせていたほうがいいな。
寝ていることを妨害する気もないし、無理に起こす理由もない。
だとしたら今俺がすることは……
「朝ごはん食べるか」
「はい。すでにできていますよ」
俺とムツミは部屋を出て食堂へと向かった。





