第4話 居場所
それから数日。
特に大きな問題もなく、レオンたちは領地へ帰ってきた。
見慣れた屋敷が見える。
白い外壁。
広い庭園。
噴水のある中庭。
アベルは思わず口を開いた。
「でけぇ……」
「そうか?」
「そうだろ」
アベルは呆れた。
奴隷として生きてきた自分からすれば城みたいなものだ。
レオンは慣れた様子で玄関を開く。
その瞬間。
「レオン様!?」
メイドが駆け寄ってきた。
栗色の髪を揺らしながら目を丸くする。
「どうされたのですかその傷は!」
レオンの服は破れ。
頬には切り傷。
腕には痣まで出来ている。
「なんでもない」
「なんでもなくありません!」
「大丈夫大丈夫」
レオンは手を振った。
そして。
「それよりワルター呼んで」
その一言でメイドの表情が変わる。
「かしこまりました」
一礼。
そして足早に去っていった。
アベルは辺りを見回す。
「お前ん家すげぇな」
「そうでもないさ」
「いや、すごいだろ」
「田舎だぞ?」
「田舎の基準おかしいだろ」
そんな話をしていると。
「お呼びでしょうか」
声がした。
気配はなかった。
本当に。
一切なかった。
アベルは反射的に剣へ手を伸ばす。
だが遅い。
いつの間にか。
そこに男が立っていた。
白髪混じりの髪。
綺麗に撫で付けられたオールバック。
黒い燕尾服。
年齢は五十を超えているはずだ。
それなのに隙がない。
微塵もない。
獣のような直感が警鐘を鳴らしていた。
強い。
この男。
めちゃくちゃ強い。
「ワルター」
レオンが笑う。
「紹介する」
そして隣に立つアベルを指差した。
「今日から俺の専属執事をやる奴」
「アベルっていう」
アベルは固まった。
「は?」
聞いてない。
「聞いてないんだけど」
「今言った」
「今言うな」
レオンは気にしない。
「ワルター」
「はい」
「執事としての勉強を教えてやって」
「それと剣も」
ワルターの視線がアベルへ向く。
その瞬間。
アベルの背筋に冷たいものが走った。
まるで全身を見透かされた気分だった。
「ほう」
ワルターが小さく呟く。
「中々良い目をしておりますね」
アベルは眉をひそめた。
「何だよ」
「生き残る者の目だ」
ワルターは微笑む。
「嫌いではありません」
アベルは気味悪そうに顔をしかめた。
だが。
次の言葉で固まる。
「レオン様」
「ん?」
「この少年をどこで?」
「王都で買った」
「なるほど」
ワルターは納得したように頷く。
そして。
「確かに才能があります」
アベルが目を見開く。
初対面だ。
まだ剣すら見せていない。
それなのに。
「鍛えれば強くなります」
ワルターは断言した。
レオンは満足そうに笑う。
「だろ?」
「はい」
「だから頼む」
「承知いたしました」
ワルターは一礼した。
そしてアベルを見る。
「明日の朝五時」
「訓練場へ」
「遅刻は許しません」
その笑顔は穏やかだった。
だが。
何故だろう。
奴隷商人より怖かった。
「……なぁレオン」
「なんだ」
「俺、今から逃げてもいいか?」
「駄目」
即答だった。
こうしてアベルの地獄の日々が始まった。
翌朝。
まだ太陽も昇り切っていない時間だった。
訓練場には朝露が残っている。
アベルは木剣を握っていた。
向かいにはワルター。
相変わらず燕尾服姿だった。
「始めましょう」
静かな声だった。
「本気で来い」
アベルは眉をひそめる。
「後悔すんなよ」
地面を蹴った。
一気に距離を詰める。
奴隷時代に覚えた喧嘩剣術。
型なんてない。
相手を殺すためだけの剣。
右。
左。
フェイント。
喉を狙う。
速い。
実際かなり速い。
同年代なら反応できない。
だが。
「遅いですね」
コン。
木剣が弾かれた。
「なっ」
いつ弾かれた。
見えなかった。
アベルは慌てて距離を取る。
ワルターは動いていない。
最初の場所に立ったままだった。
「もう一度」
アベルは歯を食いしばる。
再び飛び出した。
今度は低く。
足を狙う。
フェイントから胴。
さらに返す。
だが。
コン。
コン。
コン。
全部弾かれた。
まるで子供だった。
いや。
子供扱いされていた。
「くそっ!」
振り下ろす。
渾身の一撃。
その瞬間だった。
ワルターが初めて前へ出た。
一歩。
ただそれだけ。
だが。
視界から消えた。
「え?」
背筋が凍る。
後ろ。
そう気付いた時には。
ゴッ!!
衝撃。
木剣の腹が背中へ叩き込まれた。
「がはっ!」
アベルの体が吹き飛ぶ。
地面を転がる。
肺の空気が全部抜けた。
呼吸できない。
痛い。
何が起きた。
全く見えなかった。
「立ちなさい」
ワルターの声。
振り返る。
元いた場所に戻っていた。
最初からそこにいたみたいに。
「化け物かよ……」
アベルが呟く。
ワルターは微笑む。
「失礼ですね」
「私は執事ですよ」
「執事がそんな速いわけねぇだろ!」
訓練場の端。
レオンが爆笑していた。
「アベルー!」
「頑張れー!」
「うるせぇ!」
アベルが怒鳴る。
だが。
ワルターは真面目な顔だった。
「アベル」
名前を呼ばれる。
「お前は強い」
アベルが目を見開く。
「だが」
ワルターは木剣を構えた。
「強さだけで生きてきた」
「だから動きが読める」
一歩。
踏み出す。
空気が変わる。
まるで剣そのものが歩いているようだった。
「剣とは技術だ」
「経験だ」
「積み重ねだ」
そして。
ワルターが消えた。
本当に消えた。
次の瞬間。
訓練場のあちこちで衝撃音が鳴り響く。
ドゴッ!!
ゴッ!!
バキッ!!
「ぐあっ!!」
アベルは吹き飛ぶ。
立ち上がる。
吹き飛ぶ。
また立ち上がる。
何度も。
何度も。
何度も。
そのたびに叩き伏せられた。
そして。
百回目くらいだった。
アベルは地面に倒れたまま笑った。
「はは……」
悔しかった。
死ぬほど悔しかった。
だが。
楽しかった。
初めてだった。
強くなれると確信できたのは。
ワルターはそんなアベルを見下ろし。
少しだけ口元を緩めた。
「ようやく良い顔になりましたね」
遠くでは。
レオンが木剣を振り回しながら叫んでいた。
「ワルター!」
「俺もやる!」
「レオン様は後です」
「なんで!?」
「昨日魔法で壁を三枚壊したからです」
「関係なくない!?」
アベルは思った。
この家。
やっぱりおかしい。
でも。
悪くない。
そんな気がした。




