遠雷
観客は、試合内容が気に入らなかったのか、あたしが会場を後にする時は、静まり返っていた。
円形闘技場、陽の光が当たらない通路に入る。闘技台へ続く出口は、すぐ後ろ。
背後から人々の雄叫びと拍手が、そこから、追ってきた。
その大歓声は、天井と壁を震わしているかのように、あたしたちを包み込む。
顔を上げた。
丁度、真上が観客席かな?
そこの人たちの、熱狂を頭の中に思い描く。
そして、あの人はどうしてるのかな?
どうせ仏頂面なんでしょ。
「お嬢さまが、最後に手を抜かなければ、勝ててました」
セバス爺は、そう言ってくれた。メアリーちゃんたら、「ですです」とうなずき、クシュンとくしゃみ。それに合わせるかのように、セバス爺は鼻をすする。
セバスたらっ、悔し泣き?
まさかね……。と思っていたのは、三日前。その後、二人とも、夏風邪を引いてしまった。
原因は寒さと二人とも、仲良く口をそろえて言う。ちゃんと範囲は限定したんだけど……。
「キンキンに冷えた氷のそばは、寒いものです」
居間でくつろいでいると、セバス爺が、ここ三日、何度も聞いたセリフを言う。
「夏だから、涼しくていいでしょ」
「お嬢さまは、冷やしすぎです。人には、適温というものがあります」
あたしを壊れたクーラーみたいに言うな!
それに、適温を保って快適空間にしてどうするのよ!
「でしゅ、でしゅ」
メアリーちゃんが、くちゅうと鼻をすすった。
もうっ! 鼻水が残ってるわ! ティッシュを彼女の鼻にあててチーンとしてもらう。
「メアリーちゃんは、休んでなさい」
彼女は、ブンブンと首を振る。目を離すと、この子は、直ぐに、働いちゃう。
かといって、叱るように言っちゃうと、屋敷で働く他の者たちが、オロオロとしだす。
どうした、ものかしら……。
ため息が出ちゃう。
まったく、
「困った子ね」
気がつくと、彼女の頭を撫でていた。
「無理は、ダメよ」
頑張り屋さんは、嫌いではない。むしろ、好き。
だから、もっと甘えても、いいんだよ。
それに、あなたが元気になったら、一緒に買い物に行きたいの。だって、あの人への誕生日プレゼントを準備しなきゃでしょ?
『六花』を手に取る。あたしだけの専用武器、もっとちゃんと使いこなせるようになりたい。
「それでは、お嬢さま、今日からは、稽古にご一緒しましょう」
セバス爺たら、鼻水が止まるまで我慢なさい。
今日も一人で素振り。その方が、いい。
庭に出て、『六花』を手に取る、朝の引き締まった空気を肺いっぱいに吸い込んだ。
そしてイメージ。
彼を思い描く。そこに、向かって、剣を振るう。
「町では、『氷の姫君』のうわさが、至る所で耳に入ってきます」
あらあら、セバス爺、結局、今日も素振りを見てくれるのね。庭の隅にあるベンチに、彼は、腰掛けていた。
「それが、少し心配です」
気になって、素振りの手を止める。
「そんなに仲が悪いのかしら?」
お父さまと王さまって……、どういう関係なの?
爵位は、王から頂いている。
そこに逆らうのも、ましてや、取って代わるなど、至極困難。
「旦那さまから、口止めをされてますが……、仕方ありません」
ふと空を見上げると、夏空の雲が、綿のようにふわふわと浮いている。セミが鳴き始めた。呼応するように、遠くからも、セミの鳴き声が繰り返す。
相変わらず屋敷は高い壁で囲まれている。
この壁は、やっぱり嫌い……。
セバス爺の隣に腰を下ろし、額の汗を拭く。
「旦那さまは、爵位がないところから辺境伯になられたのは、ご存知のとおり」
お父さまは、そういうお話は、あまりなさらないが、侍従たちから聞いて、それは、知っている。
でも、自信はない。
だから、小さく、うなずいた。
それは、詳しくは、知らないから。
ちゃんと知っているには、遠い知識だから……。
「旦那さまは、立派な方です。しかし、それだけでは辺境伯にはなれません。ここからは、記録に残らない出来事のお話。近い将来、無かったことになるかもしれない事実。そんな、お話です」
夏とは、いえ、朝の風は冷たい。
あたしが、ベンチから腰を上げる間際、セバス爺は、
「旦那さまのご両親は、処刑されたのです」
と言った。
本当に、長い話になりそうね……。
屋敷の二階に設けられた応接室。
ふかふかのソファに、体を沈めた。
扉の横に立つメアリーちゃんが、クチュンとくしゃみ。そんな彼女へ、セバス爺が、視線で退室を促した。あたしもそれに同意する。
本当は、隠しごとはしたくないんだけど……。
なんだか、その方が、良いような気がしたの。
メアリーちゃん、ごめんなさい。
長い話は、この一言からはじまる。
「旦那さまには、王家の血が流れております」
へぇーと思い、ハッとする。
「お嬢さまと、ランスロット殿下は、はとこにあたります」
あの人と親戚……。全然、ピンとこない。
それに、はとこってことは、ひいお爺ちゃんが一緒ってことよね……。
セバス爺のお話は、本当に長い長い、お話だった。
途中、軽い昼食をはさみ、終わるころには、日が暮れていた。
お父さまの物語は、苛烈だった。
優しいお父さまとは真逆の姿。
そして、その話の節々に、今代の王に対しての恨みが散りばめられていた。
「お嬢さまの存在、旦那さまは、それが何よりも大切なのでしょう。だから、もう、復讐は考えておりません」
ランスロットが、はとこだった。そんなことより、お父さまのことを思うと……、思考がまとまらない。
ただ……。
今すぐにでも会いたい。
そして、「ありがとう」とお父さまに抱きつきたい。
そんな気持ちが胸いっぱいに広がった。




