女王と王女
気が付けば、リニがウィルの元へ嫁いで半年が過ぎようとしていた。
この頃には、仕事でしくじることも少なくなっていた。
もう尻ビンタだって、そんなに怖くはない。
ある時、リニはミクリモから頼まれた仕事を終えて、珍しく城の廊下を歩いていた。
だだっ広い廊下に飾られた彫刻や絵画を見ながら厨房へと歩く。
「私が住んでた城もおしゃれだったけど、この城もなかなかにセンスがいいのね」
独り言を呟いていると、ふいに声をかけられ、リニは振り向いた。
そこにはチョコレート色の髪の女王が、上品に佇んでいた。
「あなた、リニ王女様でしょう?わたくしはこの東の国の女王、ファナと申します。噂はかねがね聞いていますわ。とても美しい人が厨房で働いているって」
品のある微笑みを見せながら、彼女はそう言った。
まさかの人物の登場に、リニは狼狽えた。
「…わ、私が王女だって気付いてたの?」
だとしたらこの女王は、自分を笑いに来たのだろうか。とリニはそう思ってならなかった。
そして、自分がドレスでは無く仕事着を着ている事に気付き、この上ない恥ずかしさを覚えたのだった。
「可笑しいでしょ?お姫様が他所の国の厨房で仕事してるなんて。ずいぶん落ちぶれた姫だって思ってるんでしょ?」
こんなところを他国の女王に見られて、恥ずかしくて惨めで、リニは仕事着のエプロンを握りしめてそう言った。
今にも逃げ出してしまいたかった。
それなのに、女王はゆっくりと首を横に振ったのだ。
「そんな事、少しも思ったりなんてしませんよ。あなたは毎日一生懸命頑張っているではありませんか。あなた達が居てくれるからわたくしはこうして女王として日々の仕事が出来るのですよ。城の皆にはいつも感謝しています」
気品あふれる彼女は、華やかな笑顔でそう言ったのだった。
すると、リニは視線を落として口を開いた。
「…あなたは本当に素晴らしくて立派な人だと思う。…私が王女として城にいた頃は、そんな事少しも思ったことなかったわ。むしろ、ずっと自分の事しか考えてなかった。…だから父さんや城のみんなは私に愛想を尽かせたのよ。でも仕方無いわ。全部、自業自得。自分でも当然だと思うもの。汗水流して働いてくれる人がいるから、私は王女でいられたのに。何も分かってなかった。自分が必死で仕事をするようになって、やっと気付いたの。…今気付いても、もう遅いんだけどね…」
苦笑いしながら、リニはそう言ったのだった。
そんな彼女に、静かに女王が訊ねる。
「…ねえリニ、あなた、家族は?」
「…えっと、夫がいるの。…彼、とても優しくて家事が得意で、何でもできるの。料理のレパートリーと量は少ないんだけど美味しいのよ。それでね本が好きで、何でも知っていて…。……あとは…どんなときも、いつも微笑んで私の話を聞いてくれるの」
ウィルの事を話していると、ふいにファナが口元に手を当てて「ふふっ」と笑った。
「えっ?私、何か変なこと言った?」
慌ててそう問うと、ファナはまた静かに笑った。
「いえ、ごめんなさい。あなたは本当に旦那様を愛してらっしゃるのね。彼の話をしている時のあなたはとても可愛らしいわ」
女王のその言葉に、リニは自身の顔が瞬く間に熱くなるのが分かった。
「なっ、なな何言ってるの!べ、別にあいつのこと、あ、あ、愛してなんか…。おかしな事言わないでよ…。私、もう厨房に戻らないと!ミクリモに怒られちゃう!」
早口でそう言うと、リニは自慢のプラチナブロンドを翻して、その場から去っていったのだった。
その場にひとりになったファナは、くすりと笑って、窓の外の青空を見上げた。
「…良かったわね。あの娘にあんなに愛されて。あなたがとっても羨ましいわ」
女王は、そう小さく呟くのだった。