あなたを迎えに
この日は、リニの仕事が休みだった。
昼前にのんびりと起きると、ウィルが用意してくれていた朝食を全て平らげ、鼻歌を歌いながら水浴びをした。
体を洗いながら、昨日、ウィルからお金を渡され、食材の買い出しを頼まれていた事を思い出したのだ。
お金の使い方は、以前ウィルから何度も教わっていた。
水浴びから戻り、出かける支度をしていると、いつもウィルが座っている椅子の上に、茶色の大きな封筒が置いてあることに気が付いた。
「あれ?これ何だろう?ウィルの忘れ物かな?もし仕事で使うものだったら届けてあげたほうがいいわよね。買い物のついでだし、行ってこようっと。ああ、私ってなんて優しい妻なのかしら」
そう言って、リニは茶色の封筒を携え、勇んで家を出て行ったのだった。
森を抜けて街を目指す。
とりあえず、城に続く石垣が連なる道まで行ってみたのだった。
いつも彼とはここで別れる。
それから、彼はリニとは反対の方向へ歩いていくのだ。
「確か、ウィルは向こうに工場があるって言ってたわ」
その方へ向ってリニは歩き出す。
しばらく歩くと、レンガ造りの建物が見えてきた。
「もしかして、ここかな?」
建物の中を覗いてみると、たくさんの男たちが忙しく仕事をしているようだった。
しかし、ウィルらしき人物は見当たらない。
そこで、誰かに訊ねてみることにしたのだった。
「ねえ、ちょっと聞きたいの。ここにウィルって名前の人、いるかしら?黒髪で、顔の左側に傷跡みたいなのがあって、ええと…たぶん、歳は私よりも上くらいの男の人よ」
そう伝えると、無精髭を生やしたおじさんは、少し考えるような仕草を見せてから首を横に振った。
「ウィルって名前の奴はどこにでもいるからなぁ。しかも俺はここで何十年も働いてっけど、嬢ちゃんが言ってるような奴なんてここにはいねぇよ」
その言葉に、リニはきょとんとした。
「…え?いない?どういうこと?」
「さあな。なんだか知らねぇが俺は忙しいんだ」
そう言うなり、おじさんは背を向けて去っていってしまった。
リニは持っていた封筒をまじまじと見つめた。
「ここで働いてるんじゃなかったの?もしかして、こことは別の工場があるのかしら」
何か手がかりになるかもと、その封筒を遠慮なく開けてみる。
中には何枚かの羊皮紙が入っていた。
「…え?うわ、何これ。全っ然分からない」
その羊皮紙には、見たこともない異国の文字や難しい文章がところ狭しと並べられていて、リニの頭では到底理解する事が出来なかった。
それを持って、リニはとぼとぼと街なかを歩いた。
聞き込み調査の結果、あの辺りには、工場は一軒しか無かったのだ。
「ウィルあなた今、一体どこにいるの?工場で働いてるって言ってたじゃない。あれは嘘だったの…?」
小さく言いながら歩いていると、段々と怒りがこみ上げてくる。
「私に嘘つくなんて、ウィルのくせにいい度胸してるじゃない。帰ってきたらただじゃおかないわ。覚えてなさいよ!」
そう言って顔を上げたときだった。
とある店に、リニの視線が止まった。
その店先に、たくさんのローブが売られていたのだ。
その中で、ひときわリニの気を引く物が売られていた。
近くに寄ってそれを見つめてみる。
色も大きさもデザインも、全てウィルにぴったりだと思ったのだ。
「お嬢ちゃん、これ気に入ったのかい?」
そのローブに穴が空くほど見つめていたリニに、店主がそう声をかけた。
「ええ、とっても素敵だわ。これ、おいくらかしら?」
リニがそう訊ねると、店主は値札を見せた。
それが高いのか安いのか、リニにはよく分からなかったが、とにかくウィルによく似合うと思ったのだ。
すぐに買おうかと思ったのだが、そうすると食材が買えなくなってしまうのだ。
食事が出来なくなるのは絶対に嫌だ。
そしてふと思った。
ウィルのお金で、ウィルへの贈り物を買っても意味が無いのではないかと。
「今お金が足りないの。また明日買いに来るわ」
そう言って、リニはその店を後にしたのだった。
市場で食材を買って家に帰ると、すぐに寝室へと向かった。
そして自分の衣装棚の引き出しからお金を取り出したのだった。
リニが城の厨房で働いて稼いだ給金だ。
以前、それを生活費として素直にウィルに渡そうとしたことがあったのだが、彼はそれを断った。
「それは君が一生懸命稼いだお金だから、リニが好きなように使っていいんだよ」
ウィルはそう言って、リニから決してお金を受け取らなかったのだ。
そのおかげで、リニは結構な額をため込んでいた。
けれど、彼女はお金の使い道を知らないので、何とも思ってはいなかったのだが。
「でも、私も働かないと生活が苦しいはずなのに、どうしてウィルはお金を受け取ってくれないのかしら?…まあ、別にどうでもいいけど。…よし、これくらいあればあのローブを買えるわね」
お金を数え、次の日にそれを忘れないように準備を終えた。
「何だか疲れちゃった」
少し休もうとベッドに横になると、いつの間にかリニは夢の中へと落ちていたのだった。
どれくらいの時間が経った頃だろうか。
リニが目を覚ますと、部屋の中は真っ暗だった。
「…ウィル?」
夫を呼んでも返事は無い。
どうやら彼はまだ帰宅していないようだ。
居間にある古時計を見やると、すでに真夜中を回っていた。
「…こんな時間まで帰ってこないなんておかしいわ」
家の外に出てみたが、夫が帰ってくる気配は無い。
月明かりの無い真夜中の森は真っ暗で、恐ろしく不気味に思えた。
ひんやりとした夜風が、リニの体を包んで通り抜ける。
思わずリニは身震いをした。
暗闇の中、ぽつんとひとりで立っていると、夫がこのまま永遠に帰ってこないような気がしてならなかった。
なぜか胸がざわざわする。
そして、今になってようやく気付くのだ。
「…ああ、私、ウィルがいないとひとりぼっちなんだ…」
そう呟いた言葉が、暗闇の渦の中に吸い込まれて行く気がした。
彼に何かあったのだろうか。
急に不安になっていく。
リニは拳を握りしめ、前を見た。
「…ウィルを迎えに行こう」
そう決めて、黒く塗りつぶされたような森の中を駆けていくのだった。




