第五話 ミルク、おつかいに行く
ネコネコランドの朝は、今日もにぎやかだった。
市場へ向かう猫たちの元気な声が通りを飛び交い、焼きたてのパンの香りと、どこかから漂う焼き魚の匂いが風にのって流れてくる。
窓辺でその景色を眺めていたリオンの隣で、ミルクが突然ぴんっと背筋を伸ばした。
青い瞳がきらりと光る。
小さな胸を張り、王女らしく高らかに宣言した。
「今日は――ひとりでおつかいに行くにゃ!」
部屋の空気が、しん……と静まり返る。
そこにいた猫たちが、一斉にミルクを見た。
そして、みんなそろってそっと目をそらした。
「……どうしてみんな黙るの?」
リオンが首をかしげると、年配の三毛猫が気まずそうにひげをぴくりと動かした。
「前に行った時、お財布を落としたにゃ……」
別の猫が続ける。
「魚屋さんの前で昼寝したにゃ……」
さらに小さな茶白猫がぽつり。
「おつりを、なぜか煮干しでもらって喜んで帰ってきたにゃ……」
黒歴史が多すぎる。
けれどミルクは、ふんっと鼻を鳴らした。
しっぽをぴんと立て、得意そうに胸を張る。
「今日は違うにゃ。ミルクは成長したにゃ」
その自信はどこから来るのか。
不安しかない。
「リオン、一緒に来るにゃ」
「ひとりじゃないの?」
「心はひとりにゃ」
それは、ひとりと言っていいのだろうか。
こうして、王女ミルクのおつかいが始まった。
青い空の下、石畳の道をふたりで歩く。
ミルクは胸を張り、しっぽをふわふわ揺らしながら堂々と進んでいく。
歩き方だけは、立派な王女様だった。
「完璧にゃ」
得意そうに言った、その十秒後。
ぴたりと足が止まる。
「どうしたの?」
ミルクは、はっとした顔で振り返った。
「……お財布、忘れたにゃ」
早い。
あまりにも早い。
リオンは思わず空を見上げた。
先が思いやられる。
急いで戻り、お財布を持って再出発。
今度こそ――と思った矢先。
魚屋の前で、ミルクの足が止まった。
ぴたり。
動かない。
目だけがきらきらしている。
店先には、焼きたての魚。
香ばしい匂い。
脂がじゅわっと音を立てている。
ミルクの口元から、つー……っとよだれが垂れた。
「ミルク」
「……見てるだけにゃ」
「よだれ出てるよ」
「これは心の汗にゃ」
意味が分からない。
結局、焼き魚を一本買って、満足そうにもぐもぐ食べながら歩き出す。
もう寄り道している。
その時だった。
ひらひらと、白い蝶が舞い降りてきた。
ミルクの耳がぴくんと動く。
目がまん丸になる。
次の瞬間。
「待つにゃー!」
全力疾走。
「ミルク!?」
王女は蝶を追いかけ、角を曲がり、また曲がり、どこかへ消えた。
数分後。
見つかったミルクは、路地裏で知らない猫たちと丸くなって昼寝していた。
「なんで寝てるの!?」
「仲良くなったにゃ」
自由すぎる。
なんとか本来の目的を思い出し、ようやく買い物を終えて帰宅する。
リオンは袋の中を確認した。
頼まれていたものは、牛乳、パン、野菜。
けれど入っていたのは――
高級かつおぶし。
またたびクッキー。
ふわふわ毛布。
鈴つきボール。
全部、自分が喜ぶものだった。
ひとつも合っていない。
リオンが呆れて言う。
「頼まれた物、何ひとつないよ……」
するとミルクは、胸を張ってにこりと笑った。
「最高のお買い物にゃ」
まるで反省していない。
その時、玄関の外から声がした。
「頼まれてたパン、届けに来たにゃー!」
扉の向こうには、ねこねこベーカリーの親方猫。
さらに後ろには牛乳屋の猫と、野菜屋の猫まで並んでいる。
「ミルク様、また忘れると思って先に届けることにしたにゃ」
みんな、慣れていた。
リオンは思わず吹き出す。
ミルクは得意そうにしっぽを揺らした。
「これが王女の信頼にゃ」
たぶん違う。
青い空の下、今日もネコネコランドには笑い声が響く。
やさしくて、あたたかくて、ちょっとだけ抜けている世界。
そんな毎日が、リオンは少しずつ好きになっていた。




