2話
久々の更新です。よろしくお願いします。
ハッと目が覚めた。
少しだけ開いたカーテンの隙間から見えるのは青っぽい闇で、まだ空が白み始めていないことを知る。まわりを見れば自分の部屋ではなく、雰囲気からしてたぶんホテルだ。
なんか、昨日の記憶が曖昧だ。
同窓会の後、わたしはいったいどうしたのだろう。
スッと手を動かすと、何かにぶつかった。ぎょっとして固まる。
恐る恐る触ると、それは腕っぽい形で、固くて……とりあえずがっしりしている。……男の腕だ。
なんとなく抱いていた疑念が確信に変わった。
なんてことだ。あれは夢じゃなかった。信じられないこの現実に頭を抱えたい。
腹に絡みついている腕をどかして、慌てて起き上がってみれば、言わずもがな自分は全裸で何も身につけていない。あの腕の持ち主は、予想していた通り、かつてのクラスメイトだった。
顔から血の気が引いていくのがわかる。
本当に、なんてことをしてしまったのだろう。恋人と別れてすぐに、昔好きだった男を押し倒して誘惑して、寝てしまうなんて。
なんつーあばずれ……。
わたしはベッドから飛び出すと急いで身だしなみを整えて、紙とペンをバッグから出した。彼が目覚める前に急いで姿を消したい。とりあえず早くここから逃走したい。求められたら土下座でも何でもしてやる、慰謝料も払ってやる、と悲痛な決意をみなぎらせてわたしはペンを走らせた。
***
「あれ、なんかすっごく疲れた顔してるね。一気に十歳老けたって聞いても信じられるわ」
「真梨子……」
傷心の友人に対しても、まったくもって容赦がない。
ショートボブの黒髪を耳にかけて、ケーキを食べている女性は、わたしの専門学校時代からの友人の一人である。誰もが振り向く美人ではないが、洗練された空気を持つサバサバした性格で、非常に付き合いやすい。学生の時は、韓国のアイドル好きで意気投合したこともある。
「まあ、あんな男をいつまでも引きずられても鬱陶しいけど。今のほうがマシね。疲れてるけど、ちょっと……なんて言うか、恋してる?」
「え?は?それはさすがに、ないわ」
「そう?同窓会があったって聞いたわよ。昔のクラスメイトが、意外とかっこよくなっちゃって、勢いで……とか。あったんじゃない?」
「―――っ!?」
す、するどい。
あまりの鋭さに、危うくカフェオレが逆流するところだった。
「ない、ないないないない」
「怪しいわね。やけに否定するじゃない」
真梨子のジト目を見ないように、そっと目をそらす。
デリケートな話なのだ。自分でも整理がついていないことは、人に悟られたくない。
「言いたくないのなら、無理に聞かない。でも、行き詰まったら、ちゃんと相談するのよ。いくらでも聞いてあげるから!」
「ありがとう、真梨子。そういうところ、変わらず好きよ」
「なに、やめてよ。照れる照れる」
「あはは」
真梨子と他愛もない話をしながら、ふと思う。
彼との再会は、思いがけず封印していた想いをさらけ出すことになった。だが、連絡先も何も伝えていないし、あれで終わるはずだ。彼のほうも勢いにまかせて、というだけだろう。
大丈夫、と自分に言い聞かせながら、胸のはるか奥で何かが軋んでいるのを、知らないふりをした。
何が、大丈夫なんだ?
私は数時間前の楽観的な自分を呪った。それはもう、全力で。
しかし時すでに遅し、というのか。あの夜と反対のことが起きていた。
「な、なんでしょう」
にこり、と彼は微笑んだ。それはそれは、不敵な笑みで。
「あれ、ずいぶん大人しいね。あの夜とは大違いだ……」
「な、なっ」
耳元で囁くように吐息を吹きかけられて、顔に血がのぼるのが自分でもわかる。しかも、ここは会社のど真ん前だ。人がたくさん往来する中で急接近され、私は非常に焦っていた。小さな声とはいえ、誰に聞かれるかわからない。
「場所を、変えて話しませんか?」
「いいよ。君がそう望むのなら」
腰に回された手が、軽く尻を撫でたのは絶対に気のせいではない。
なんでこんな辱めを受けなければいけないのか、と涙目になっていた私は気づかなかった。私を見つめていた彼の瞳が、まるで獲物を定めた猛禽類のように底光りしていたことを。
「や、焼肉!」
そのまま彼に誘導されて向かった先は、都内の有名な焼肉店。何度もテレビで紹介されたことのあるこのお店は、完全予約制で―――……あれ?予約制?
お待ちしておりました、と店員さんの声を聞きながら、横の男を見上げる。おかしいな、電話をしていた仕草は見ていないんだけど。まさか。
にこり、と再び微笑まれた。用意周到すぎて怖い。初めから私を逃がすつもりなんて、なかったのだ。しかも私の好みをきちんと把握している。なぜだろう、同窓会の時も学生時代も、この男に焼肉が好きだと言った記憶はない。もしや、焼肉が好きそうな顔をしている……?
「焼肉が好きそうな顔って、なに」
「へ?あ、いや」
ははっと、目の前で笑う彼に、思考が口から漏れていたことも忘れて、私は釘付けになった。初めて目の当たりにする、ごく自然な笑顔だ。くしゃっと笑い皺が広がって、思わず学生時代を思い出す。
席に座って、メニューを広げようと手を伸ばしたが、彼は笑いながら私の手を掴んだ。
「食べ放題にしておいたから。何でも好きに食べて」
「えっ!本当?やった、瀬田くんありがとう!」
「―――真拓」
「え?」
「まひろって呼んでほしい」
名前呼びの強要ですか。いやいや、再会してまだ一週間も経ってないし、それはちょっと距離が接近してしまう気が。
目を泳がす私に、瞳を尖らせた男が容赦なく迫る。
「何をためらう?あの夜は、あんなに情熱的に、何度も僕の名前を呼んでくれたじゃないか」
しなやかな指が、スーと手首を撫でる。
それだけで震えてしまう私は、きっともう、囚われている。
「ああ、残念。食事が来てしまった」
名残惜しそうに私の手首を離した男は、何事もなかったかのように肉に箸を伸ばしている。自分だけ翻弄されているのが無性に悔しくて、私も高級そうな肉を箸でつかむ。どうせ今日は、目の前の男のおごりだ。破産するほど食べてやる、と謎極まりない決意を胸に、私は手当たり次第注文する。なんと太っ腹なことに、飲み放題も付いていた。
これこそが罠だということに、もちろん私は気づかない。
しかもその日ははなの金曜日。
途中で記憶がなくなるほど飲んで酔っ払った私は、記憶を飛ばし。
次の日、目覚めたのはまったく知らない部屋。
腹に絡みついているのは、まぎれもない誰かの腕で。
私は唸った。
――――なにこれ、デジャヴ。
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