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辺境で理想のリゾート地を創り上げます ~婚約破棄された令嬢の、穏やかな再出発~  作者: キョウキョウ
第五章 王国規模のリゾート開発と幸福な未来

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第41話 私が手に入れたもの

 その日、ローズフェル領の館の一室には、気心の知れた三人が集まっていた。


 窓辺から差し込む昼の光が、磨き上げられた卓の上で柔らかく跳ねている。卓上には、領で採れた果実を使った焼き菓子と、香りのよい茶が並べられていた。湖から渡ってくる風が、開け放った窓のレースをゆるやかに揺らしている。


 凛とした佇まいで椅子に腰かけているのは、セレスティア・ヴァンデール。プラチナブロンドを結い上げ、アイスブルーの瞳で、相変わらずの雰囲気。


 その隣で、栗色のふわふわとした髪を揺らし、菓子を前に小さく歓声を上げているのが、リネット。


 深緑の瞳を伏せ気味に、茶器の意匠をじっと眺めているのが、アドリアンだった。


 婚約を破棄され、この辺境へ来たあの日から、手紙で、来訪で、この三人はずっとエリザベスを支えてくれた。


 この人たちがいてくれたから、ここまで来られた。


 茶を一口含んでから、エリザベスは静かに切り出した。


「今日、お集まりいただいたのは……皆さんに、お伝えしたいことがあったからなのです」


 普段よりも丁寧なエリザベスの口調。それで重大な報告であることを察した三人の視線が、自然と彼女に集まる。


「ルシアン殿下と婚約しました」


 口に出すと、その言葉は思いのほか柔らかく胸に響いた。この三人へは、しっかりと伝えたかった。何より先に、報告したかった。その願いが、こうして叶ったことが、ただ嬉しい。


 ほんの一瞬、室内の時が止まったようだった。


 リネットの手から、フォークが滑り落ちかけた。アドリアンが、わずかに目を瞠ったまま動きを止める。そしてセレスティアは、その薄い唇の端を、ゆっくりと持ち上げた。



***



「おめでとう」


 最初に口を開いたのは、セレスティアだった。


 その声には、驚きよりも、長く待っていたものがようやく形になったという、深い満足が滲んでいた。彼女はカップをそっと置き、まっすぐにエリザベスを見つめる。


「いいこと、エリザベス」


 セレスティアは、ほんの少し身を乗り出した。


「あなたは、つらい時期をいくつも乗り越えてきた。そして今、心から信じられる人と、共に歩んでいくと決めた。でも、それで満足してはだめよ。これからもどんどん幸せになりなさい。それがあなたの役目よ」


 いつもの率直な物言い。けれど、その奥に灯っているものを、エリザベスは知っていた。普段は感情を表に出さないこの人が、誰よりも自分のことを案じ続けてくれていたことを。だからこそ、その言葉はエリザベスの心の奥深くに届いた。


 その言葉を忘れないように、大事に刻み込む。


 その隣で、堪えきれなくなったように、ふっくらとした頬を震わせていたリネットが、勢いよく立ち上がった。ヘーゼルの瞳に、みるみる涙が盛り上がっていく。


「お……おめでとうございますお姉様!」


 声は半ば泣き声になっていた。


「ずっと、ずっと、お姉様には幸せになっていただきたいって、わたし、思っておりましたから……っ。本当に、本当に、よかったです……!」


 言い終わるより早く、リネットは目元を両手で覆ってしまった。小柄な肩が、嬉しさのあまり小刻みに揺れている。その純粋な喜びように、エリザベスの目の奥も、つきんと熱くなった。


 最後にアドリアンが、顔を上げた。


 常に状況を見極めて冷静に測るこの男が、珍しく、すぐには言葉を継げずにいた。分析より先に、心が動いてしまったのだろう。


「……正直、驚いたな」


 彼は、一語ずつ確かめるように言葉にしていった。


「君のことだから、事業のことばかりに熱中して、この先結婚はしないのだろうと勝手に思っていた。だが……いや、よかった。心から、そう思う。君が誰かと並んで歩くのなら、これ以上に喜ばしいことはない」


 普段は感情より理を語る男の、飾らない祝福だった。だからこそ、その短い言葉には、確かな重みがあった。


 三者三様の祝福に包まれて、エリザベスは、ただ静かに頭を下げた。胸の奥が、じんわりと熱を帯びていく。


 率直に背中を押すセレスティア。涙をこぼしながら全力で喜ぶリネット。理を超えて言葉に詰まるアドリアン。三人とも、少しも変わっていない。けれど、その少しも変わらないところが、たまらなく愛おしかった。


 婚約を破棄され、何もかも失ったように思えたあの日。もし、この人たちがいなかったら、自分はここまで来られただろうか。手紙の一通一通が、来訪の一度一度が、どれほど心の支えになったか。


 功績を語るなら、それは自分のものではない。この人たちと、分かち合うべきものだと思えた。



***



 穏やかな空気のなかへ、控えめなノックが響いたのは、そのときだった。


 扉が開き、ルシアンが姿を見せる。深く息を整えてから、彼は三人へ向けて、丁寧に一礼した。王子という立場を少しも振りかざすことなく。


「初めてお目にかかります。ルシアンと申します。エリザベス殿の友人である皆様に、ご挨拶をと思いまして」


 三人の視線が、改めてルシアンへと注がれた。エリザベスの隣に立つ、一人の人物として。


 セレスティアの鋭い眼差しが、彼の人となりを見定めていく。リネットは涙の残る目で、瞬きも忘れて見上げている。アドリアンは、いつもの観察する目で、けれど和らいだ色を浮かべて。


 短い沈黙のあと、最初に口を開いたのは、やはりセレスティアだった。


「殿下。一つだけ、申し上げてもよろしいかしら」


「どうぞ、なんなりと」


 セレスティアは、まっすぐに彼の目を見据えた。王族に対する礼儀はわきまえつつも、堂々とした態度で伝えたいことを真っ直ぐに伝える。


「この子は、一度すべてを失いかけて、それでも自分の足で、ここまで来た子です。私たちにとって、何より大切な友人なの。だから——」


 一拍、置いて。


「エリザベスを、幸せにしてやってください」


 その言葉に、迷いはなかった。彼女たちが、エリザベスを心から大切に思うがゆえの、託しだった。


 ルシアンは、セレスティアの気持ちを正面から受け止めた。


 そして、ほんの少しも間を置かずに答えた。


「もちろんです。私も、彼女と共に幸せになります」


 飾り立てた誓いの言葉も、気負った宣言もなかった。迷いのない、短い即答。それが、何よりも彼の誠実さを物語っていた。


 セレスティアが満足げに目を細める。リネットが、また新たに涙をこぼして、アドリアンは、深く一つ頷いた。


 その光景を、エリザベスは温かな心持ちで見つめていた。


 ずっと自分を支えてくれた人たちから、これから共に歩む人へ。何か大切なものが確かに手渡されていく。そんな気がした。


 自分の大切な人たちが、自分の選んだ人を、受け入れてくれた。それだけのことが、こんなにも嬉しい。



***



 季節は巡った。


 花の盛りの頃、二人はささやかな、けれど心のこもった式を挙げ、夫婦となった。仰々しい祝宴ではなかった。ローズフェルの湖を望む丘で、親しい人々に見守られての、穏やかな門出だった。


 そうして、いくつかの年月が流れていった。


 エリザベスとルシアンは、手を携えて、王国の各地を巡った。


 王都にほど近い湖畔には、四季の彩りを映す保養の地が拓かれた。陽光あふれる沿岸には、潮風と新鮮な海の幸を楽しむ宿が立ち並ぶ。山あいの温泉地では、湯けむりの向こうに紅葉が燃え、断崖の景勝地には、遠く海原を見晴らす露台が設けられた。


 その土地ならではの景色を活かし、訪れる者を労わる。ローズフェルで芽吹いたその志は、行く先々で新たな形をとって根を下ろしていった。


 ローズフェルの、あの美しい景色から始まったものが。


 二人で図面を広げ、現地を歩き、土地の人々と語らう。意見がぶつかることもあった。けれど、それすらも心地よかった。同じものを見て、同じ未来を描き、肩を並べて一つひとつ形にしていく。


 仕事の相棒であり、人生の伴侶。そんな日々の一つひとつが、エリザベスには何より満ち足りたものに思えた。



***



 やがて、リゾートの文化は王国そのものを変えていった。


 各地に人が集い、街道は旅人で賑わい、宿場や市場には活気があふれた。土地が潤えば、そこに暮らす人々の暮らしも豊かになる。かつて寂れていた土地が息を吹き返し、若者たちが胸を張って故郷の名を口にするようになった。


 もてなしを学ぶ者が増え、新たな宿が建ち、街には笑い声が戻った。生まれた土地を離れずとも、誇りを持って生きていける。そんな場所が、王国のあちこちに、少しずつ増えていった。


 その繁栄は、いずれ二人の名とともに語られることになる。王国にリゾートの文化を根づかせ、育て上げた礎として後の世の人々は、二人をそう呼ぶようになるのだろう。


 評判は、国境さえ越えていった。海の向こうの国々からも、視察の使者や、協力を請う書状が届くようになる。ローズフェルの湖畔に灯った小さな火は、こうして、見知らぬ遠い土地へまで、ゆっくりと広がっていった。


 けれど、これほどの広がりを前にしても、エリザベスの胸にあるのは、誇りよりも、感謝だった。


 自分一人で成したことなど、何一つない。共に汗を流した領民たち。志を分かち合った仲間たち。背中を押してくれた友人たち。そして、隣で共に歩み続けてくれた、大切な人。


 あの小さな景色を守りたい。ただそれだけの願いが、ここまで遠くへ届いたのは、数えきれない人たちのおかげだった。



***



 その日の夕暮れ、エリザベスは原点であるローズフェルの丘に立っていた。


 茜色に染まる湖と、点々と灯り始めた館の窓。何もなかったこの土地に、確かに息づくようになった、人々の営みの光。


 婚約を破棄され、居場所も価値も失ったように思えた、あの日。すべて失ったと、うつむいていた少女が今、ここにいる。


 失ったものなら確かにあった。けれど。


 私が失ったものではなく——手に入れたものを、見つめていよう。


 この景色。共に働く仲間たち。自らの手で築いた事業。心から信じ合える友人。そして、何より。


 あの景色を守りたいと願った、自分。傷ついて立ち止まりながらも、もう一度立ち上がると決めた、自分。その手が選び取ってきたものが、今、目の前にある。


 失ったものを数えていたら、きっとここには辿り着けなかった。手を伸ばし、握りしめ、育ててきたものだけが、こうして残った。


 隣に立つ気配に、エリザベスは顔を上げた。


 ルシアンが、同じ夕景を眺めていた。かつて、貢献する力などないと俯いていた人。何を為しても役には立たぬと、息を潜めていた人。けれど今は、王国に確かなものを遺し続け、その目には穏やかな充足が宿っている。


 彼もまた、足りなかったものではなく、成し遂げたものを見つめているのだ。願いを叶え続けるその横顔が、そう教えてくれた。


「美しいな」


 ルシアンが、ぽつりと呟く。


「ええ。本当に」


 エリザベスは微笑んだ。


 手に入れたものを、両手いっぱいに抱えて。隣には愛する人がいる。これから先も共に。


 夕風が二人の間を、優しく通り抜けていった。


 婚約破棄された令嬢の、穏やかな再出発は——こうして、希望に満ちた幸福へと、辿り着いたのだった。

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