13-3
「――――分かったよ。分かった分かった」
百華ちゃんは、両手をひらひらと振りながら至って軽い口調で言う。
「律子ちゃんが必死だっていうのは分か――」
「分かってないよ」
僅かに後ずさった百華ちゃんの腕をすかさず掴み、私は彼女の言葉を遮った。そうまでして会話を続けるのだから、ある意味では彼女の言う通り、私は“必死”だった。
けれども。
「百華ちゃんは分かってない……私の気持ちなんて、全然」
何故これだけ私が躍起になっているのか、それがどれほど切実な思いなのか理解することは、恐らく百華ちゃんには出来ないと思う。誰のことも好きではないと言って憚らない、今の百華ちゃんには。
ここから先は踏み込んだ推測でしかないけれども、彼女は人自体を本気で好きになったことがないのではないかと思う。何を以って本気というかは議論の余地があるとしても、少なくとも誰かを独り占めしたくて堪らなくなるとか、強い嫉妬心を制御出来ず自己嫌悪するとかいった経験は、彼女にはあまり共感できることではないのだろう。
誰かの好きな人に急接近して、頼ったり甘えたりすればどんなことが起こるか、彼女は分からないのではないか。だから、恨みを買って相手から嫌な顔をされたり、嫌がらせを受けたりしてもなお同じ繰り返す。万に一つの可能性として、他人が傷ついたり動揺したりする姿を見て悦に浸る悪趣味も想定できるけれども、その割には百華ちゃん自身が全然楽しそうじゃない。
ある意味では、百華ちゃんは私とは正反対で、欲というものを感じさせない。沢山の人に近づいてそれなりの働きかけはするにもかかわらず、彼女は誰にも執着しないのだ。誰かとの関係が壊れたり終わってしまったりしても、残念だ、悲しいという気持ちが、それほど強く生じていないように見える。
百華ちゃんは、暫く私の目を見据えて黙り込んだ。その間も同じ表情を崩すことなく保っていたのがそこはかとなく気がかりだったけれども、彼女の方から何かしらの言葉があるものと直感した私は、敢えて同じように黙ってその瞬間を待った。
そして。
「――――そうだね」
すっと、隙を見て掴まれた腕を抜き、踊るように軽やかな仕草で身を翻しては、私から距離をとる百華ちゃん。
「私は律子ちゃんの気持ち、さっぱり分かんないや。たかだか一人の男の子にこだわって、醜ささらけ出してまで欲しがる気持ちなんて分かんないもん。だけどさ、そんな律子ちゃんが、逆に私の気持ちを理解できるわけもないんだよね?」
その指摘は私の痛いところを突く。
今もなお逡巡を繰り返すばかりで本人に確かめもしない私は、百華ちゃんのことを理解していないし、理解したいという熱意もないのだった。
結局それもまた、私が自分のエゴを優先しているからに他ならない。
百華ちゃんが他の女の子達から嫌われたり攻撃されたりすることは気の毒だと感じている。けれども、自分が苛立ったり嫉妬したりする気持ちを押さえてまで、彼女に近づいて歩み寄りたいとはどうしても思えないのだ。
それで、どうしようもなく自分勝手な私は今、百華ちゃんが私の手の届かないところで穏やかに、幸せになってくれればお互い平和だろうなと、無責任にも願っている。
だとすれば、この先深追いすることも、彼女に気持ちを分かってもらおうと求めることも、アンフェアというもの。
「……それはそう」
申し開きや自己弁護は一端全て飲み込んで、私は彼女の言葉を正面から受け取った。「理解できなくてごめん」と口をついて出そうになるけれども、ここで謝ることもまた、自分の体裁を守る以外の意味をなさない。これ以上見せるべき誠意がないならば、何を言っても偽物になってしまう。
百華ちゃんは相変わらず笑っていた。ただ心なしか、その口元の角度が先ほどまでよりも些か緩やなものに見える。
「良かった」
百華ちゃんは言った。
「私が理解出来ない人に、私のことを理解されなくて」
皮肉にもその一言が、彼女という人間の影を今更少しだけ色づけたようにも思えた。とはいえ、やはり見つけ出すまでには途方もない道のりを感じる深い深い色だった。
ステップを踏むような足取りで駅構内への入口へ近づきながら、百華ちゃんは私に言う。
「お疲れ様でした、律子ちゃん。私には全然良さが分からないけど、北上くんと幸せになれば良いと思うよ」
「俺もそう思う」
ステルスで自分がディスられたことに気づいているのかいないのか、北上くんが変なタイミングで口を挟んできて同調した。
あはは、と可笑しそうな声を上げる百華ちゃん。困惑し、呆気にとられる私達の視線を背に、彼女は去って行く。
心に残したものは様々渦巻いていたけれども、今まで聞いたなかでいちばん大きな彼女の笑い声だったことに気づいたのは、その影がとっくに遠のいた頃である。




