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彼女の後姿が教室から消えた。
淀んだ空気だけがその場に残る。
お腹は満たされていないのに喉がつかえる思いで、私は、半分ほど残っている昼食の続きも始める気になれなかった。
一方の百華ちゃんはというと、何事もなかったかのように再び箸を持っては色とりどりのお弁当から赤いウィンナーをつまみ上げ、何の無理も感じさせない動きで口に運ぶ。
少しだけ微笑んでいるような表情で咀嚼して飲み込んだのち、彼女は言った。
「――――他の女の子達もね、珠里ちゃんみたいなこと言うの。私がそばにいると、苛々したり嫌な気持ちが湧いてくるんだって。だから私はみんなに嫌われてるの」
相変わらずのふんわりした口調の百華ちゃん。でも、先日下駄箱で話した時のようなどこか遠慮がちな雰囲気は、今は全く感じられない。むしろ淡々と滑るような声の響きは、まるで精巧な機械のよう。
「でもさ、変だよね。苛々も嫌な気持ちも、全部自分のなかにあるのに。珠里ちゃんだって勝手に自己嫌悪しているだけで、私のせいとは違うと思うんだけどなあ」
状況と言葉の割に、全く焦りも動揺もないみたい。
だから、こちらから聞けば彼女は隠さず喋るのではないかと思い、私は質問をぶつける。
「……百華ちゃん。珠里ちゃんと何があったの? 桐矢くんに何かしたの?」
「桐矢くんに何かした……うーん。どちらかといえば、してもらった側かな」
案の定、百華ちゃんは悪びれることなく答えた。
「授業のノートをね、貸してもらったことがあったの。桐矢くん頭良いし、すごく分かりやすいノート作るんだよね」
それは本当で、桐矢くんは学年トップレベルの成績保持者だ。几帳面な性格でありながら要点を押さえるのが上手く、なおかつ文字も綺麗な彼のノート類は、“前沢版資料集”と親しみを込めて呼ばれるほど読みやすいものだ。授業で聞き逃した内容がある時や宿題を写したい時など、彼からノートを借りるクラスメイトも珍しくない。
「でも、珠里ちゃんはそれが気に入らなかったみたい。借りたこともそうだし、その度にお礼してたのもいけなかったのかな。私が桐矢くんに話しかけるとね、すごい顔で睨んでくるの」
「……自分の彼氏に頻繁に話しかけてノート借りていく女子って、ちょっと気分良くないかもよ」
珠里ちゃんは教室を出て行ってしまったし、離れた席にいる桐矢くんは自分のグループの会話に興じていて、こちらの話の内容には気づいていない様子。
当事者不在で踏み込むことに多少の後ろめたさを感じつつ、声を顰めながら私は感じたことを指摘する。
それを聞いた百華ちゃんは、再び箸を置き、顎に手を当てて暫く俯いたのち、顔を上げてくすりと笑った。
「――――それって、嫉妬じゃん?」
珠里ちゃんの感情を表す言葉になった二文字は、私の胸をも刺した。
引き攣る口元から次の言葉が出ず黙り込む私を他所に、百華ちゃんは淡々と喋り続ける。
「珠里ちゃんってさ、クールで格好良い感じのキャラ演じてるのに、根は結構嫉妬深いし独占欲強いんだよね。ペアリングもさ、笑っちゃうよね。桐矢くんのあれって、珠里ちゃんが着けさせてるんでしょ」
百華ちゃんが挙げるような一面が珠里ちゃんにあるのは、事実といえば事実。だけど、それは他人が嘲笑の対象にして良いことではないだろう。
不快感に顔をしかめてやりながら私は百華ちゃんを制し、代わりに更なる質問をぶつけた。
「あのさ……百華ちゃんって、桐矢くんのことが好きだったの?」
「どうしてそうなっちゃうの。別に好きじゃないよ」
私とは対照的な余裕のある笑いを浮かべて、百華ちゃんは言った。
それならばと、私は追加の問いを投げかける。
「…………じゃあ、北上くんのことは」
こちらは私個人の、しかし切実な懸念要素だった。
「そんなに気になるの?」
牽制されると図らずも疚しさを感じてしまう。
答えられずにいると、百華ちゃんは胸中を見透かしたような目で私に微笑みかけ、まるで子どもをあやすような声で言う。
「大丈夫だよ、律子ちゃん」
彼女の声のトーンは落ちない。
「私は別に好きじゃないよ。桐矢くんのことも、北上くんのことも、誰のことも」




