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家族は嵯峨に連絡し、里鶴夢が目を覚ましたことを伝えた。
すると、嵯峨と嵯峨よりもがっしりとした青年が姿を見せた。
「お久しぶりです。伏見です」
ひょろっとしていて、鋭い眼差しだが全体的の容姿は穏和で、6年前に亡くなった母の美園に似た嵯峨とは違い、完全に父親似の伏見である。
伏見は嵯峨の異母弟だが、母の美園は分け隔てなく育てた。
いや特にお兄ちゃんっ子に育った伏見である。
「お久しぶりです。伏見くんも元気そうね」
リズが、すやすやと眠る姿を見続けていた悠紀子は微笑む。
「先まで、起きていたのよ?でも、喋り疲れちゃったみたいで……」
「泣いてたけどな……」
高飛が、リズがずっと可愛がっているぬいぐるみを抱かせている。
「体は無理は利かない、高校進学も諦めろ……清水の奴。目が覚めたばっかりのリズにそこまで言うか?まだ14だぞ?中学校2年生だぞ?」
「……でも、リズは前もって言っておかないと、きっと無理をするだろう」
海音は蓮斗と買ってきていたペットボトルを家族に手渡し、
「嵯峨に伏見もいるかな?すぐ来るだろうと思って買っておいたんだ」
「ありがとうございます」
「嵯峨、伏見、そこ」
蓮斗が示したソファに腰を下ろす。
「リズちゃんは?」
「私と英玲奈が一緒の舞台に立った先日の『ペールギュント』を焼いて、聞かせていたんだよ。そうしたら、英玲奈が歌うパートで、一緒に歌うように口を動かして……」
憲広が瞳を潤ませる。
「ほら……。リズが目を覚ます時の……」
蓮斗が動画を、そして高飛が録音したかすれた小声を聞かせる。
しかし、二ヶ月ほぼ昏睡状態とは思えないほど、たどたどしさはあるものの本当に美しい声をしている。
「……えと、私は音楽に造形がないので……伝えきれないと思いますが、天使の歌声ですね」
「兄さん……めちゃくちゃ誉め言葉。でも、前に聞かせて貰ったけど、英玲奈姉さんに似てるね。真似じゃなくて一流の声を聞いているだけあってめちゃくちゃレベル高い」
「伏見くん。リズちゃんはあげないわよ?」
歌音は、愛用のフルートを丁寧に拭きながら答える。
来週は悠紀子は良かったことに余り遠方ではないコンサート会場である。
代わりに歌音は所属するオーケストラが遠征になっている。
「リズちゃんと離れるのは悲しいわ……」
「毎日電話すればいいじゃん。動画も撮るし」
「そうね」
フルートを仕舞い、リズに近づくと、優しく伸び始めたフワフワの銀色の髪を撫でる。
「リズちゃん。お姉ちゃんは心はずっとそばにいるからね?大好きよ」
「お母さんも来週から週に2回いないけれど……なるべく帰るわ」
「悠紀子さん。無理は駄目だよ。余裕をもって……」
憲広はたしなめる。
「でも……」
「お母さん。歌音も。私がレッスン以外は付き添うから大丈夫よ」
英玲奈は微笑む。
「それにね?蓮斗と言っていたのだけれど、ここの病院を中心として、ボランティアをしようかと思って」
「ボランティア?」
家族と嵯峨、伏見が見る。
「えぇ。リズちゃんを助けてくださったのは、病院とそして血液を提供してくださった方々でしょう?だから……」
「それにね?ここは特別室だけど、小児病棟とかあるんだよ。車イスでね、下の自動販売機に来ていた子がいて……僕のこと知ってて、歌を歌って?って。じゃぁって、病棟に送る間に歌ってあげたんだ。『野ばら』とかそうしたら喜んでくれてね?英玲奈姉さんに話して、二人で一回お見舞いに行ったんだ。で、リズに歌った子守唄とか、そうしたら子供たちは喜んで、親御さんは……」
「リズちゃんのことも心配してくれたのよ。私たちにも、頑張って下さいって……だから、泣いていてはダメだと思って」
「えー?俺も行きたかった!」
高飛は文句を言う。
「トランペットは音の調整も必要でしょ?」
「俺、アコースティックギターもそれなりにだぞ?トランペットだけじゃダメだろ?ほら、リズに教えてただろ」
「そうね。トロンボーンとか、クラリネット、サクソフォンもあなたって器用よね」
「母さんにピアノをもうちょっと習っておけば良かったぜ」
ニヤリと笑うが、キーボードをコンサート時に演奏している。
兄弟の中で、一番あれこれ出来るのは高飛で、リズは一番高飛になついていたので、リズがピアノなどを練習するときによく付き添っていた。
「貴方が、もうちょっと努力すればねぇ……」
「母さんの音聞いたら、まがい物の音なんか出せるか、恥ずかしい。それに、リズのベートーベンの『moonlight sonata』やショパンの『別れの曲』聞いてたら、あぁ、母さんの娘だって思うぞ。エルガーの『愛の挨拶』はヴァイオリンにピアノでも上手いから、兄貴、気を付けろ?第一ヴァイオリンの座を奪われるぞ?」
「えっ?」
「聞いてみるか?えっと……」
スマホを操作する。
すると、
『リーズ。遅刻して悪かったよ。機嫌治して、兄ちゃんに、さっき弾いてた曲を弾いてくれよ』
『……もう、お兄ちゃん。遅刻しない?』
『しない。だから、俺のリズ。さっきの曲をもう一度、な?』
スマホの向こうで高飛の声が聞こえる。
しばらくためらっていた今よりもまだ小さいリズが、大人用のヴァイオリンで、音楽をかなで始める。
『愛の挨拶』
優しく愛らしい曲である。
まだ幼いのに滑らかに弓を動かす。
「す、すごく綺麗な曲ですね……リズちゃんは幾つの時のですか?」
「ん?6才だったかな?スマホ取り替えても取り込んで、聞いてたんだ」
「何ですってぇ!こんな素敵なリズちゃんの画像を!酷すぎる!頂戴!」
「そうよ!」
「あーはいはい。送るよ。じゃ、こっちがピアノな」
自宅にある母親のピアノの前に、チョコンと座った少女は、少し最初は小さい音で始まる。
『リズ。ピアノの鍵盤は重くないか?兄ちゃんのキーボードを使うか?』
『大丈夫よ~。ママが、ピアノを習うなら、キーボードよりもちゃんとピアノの鍵盤の重さを慣れておくべきだって言ってたの。それにね?』
キャハキャハ笑いながら、答えたリズは、
『ラーララ、ララララ、ラーラーラ♪……』
弾きながら歌っている。
楽しそうに、嬉しそうに……。
『リズ、楽しそうだなぁ……』
撮っている高飛の声も鼻唄を歌っている。
一曲を弾き終えたリズは、満面の笑みを浮かべ、
『お兄ちゃん、この前海外でコンサートだったでしょ?お誕生日おめでとう!』
『……えっ?兄ちゃんの誕生日……?』
『うん!前にお兄ちゃんが好きだって言ってたから、内緒で練習したの。ママのDVDと海音お兄ちゃんが練習してたの聞いてたの』
『ん?母さんのDVDは解る。兄貴のは聞いてた?』
『うん。だって、ヴァイオリンはお兄ちゃんの弾き方は真似できないもの。音を聴いてね?で、キー!ってならないように頑張ったの』
椅子から飛び降りてててっと近づくと、リズのドアップになる。
『お兄ちゃん?どうだった?うれしい?』
『あぁ、ありがとう。最高のプレゼントだ。でも、一番はリズだな』
『キャァァ!お兄ちゃん、頬スリスリやだぁ~!だっこがいい~』
兄妹の楽しそうな声に、
「高飛さんの誕生日……のだったのですか?」
「そう……。うちの家族は皆、リズがプレゼントしてるんだよな」
高飛は映像を見つめ、ストップする。
が、
「高飛!酷いじゃない!『愛の挨拶』なんて!」
「しかも二曲!ずるい!」
「姉貴たちだってリズに、『歌に生き、恋に生き』と、ペールギュントの『朝』、兄貴は『G線上のアリア』で、蓮斗は『恋は野の鳥』で泣いたんだよな……」
「違う。一番泣いたのは父さんで、『私のお父さん』を歌われて、『まだリズは早すぎる!』って号泣した」
「あーそうそう。リズが本気で好きな男いるわけないのに」
高飛や兄弟たちはニヤニヤし、嵯峨と伏見が憲広を見る。
「ろ、六歳のリズちゃんを嫁にはやらない!あんなに可愛いのに!お父さんは許さない!」
「憲広さんったら……ごめんなさいね?嵯峨くん、伏見くん。昔、美園さんと軽口で嵯峨くんか伏見くんとうちの子が結婚したらいいのにって言っていたのよ。でも、英玲奈も歌音も年上だし、この性格でしょう?私が末っ子のリズちゃんとどうかしらと言ったら、こうなのよ」
「「「「「母さん!そんな話聞いてない!」」」」」
リズを溺愛する5人が声を揃える。
「いくら、嵯峨と伏見が弟同然でも、それとこれは違う!」
「それなら、家に養子に来なさい!」
「お姉さまは嵯峨くんと伏見くんをこきつかってあげるから!」
「おい、歌音姉貴。その発言、問題じゃないのか?」
「まぁ、僕は家にいてもいいよ。リズの勉強を見てやってよ。僕たちは音楽関係しか勉強してないから」
五人の言葉に嵯峨と伏見が顔をひきつらせる。
「み、皆さんの一番はリズちゃんなんですね」
嵯峨は呟いたのだが、『愛の挨拶』は心に残ったのだった。




