第10話 第一の矢
2023年 2月1日 23:00
東京の地下は穴だらけだ。地下鉄や水道管、下水管、ガス管に限らず、近年では電気設備までもが地下に埋葬されている。しかも「共同溝」と呼ばれる穴に、電気やガス管などひとまとめに置かれている地点もある。
だから、ある路地で前に同じ場所でマンホールを開けて誰かが工事していたのに、また今日も同じよに囲いを作って男達が潜って行ったとしても誰も疑わない。今夜もそうであった。
ただ、おかしな点はあった。まず、工事前になると必ず出る「工事日程のお知らせ」的看板がなかったこと。また、工事業者を示す張り紙が一切なく、またそれが分かるような表示も何もないこと。なにより、彼らが工事関係者にしては持ち込んだ荷物が少ないところであった。
が、それに気づいていたとしても街に住む人間がわざわざ確認しに行くことは少ないだろう。何かしら自分なりに理由をつけてほっとくはずだ。
それをわかっていたからこそ、また仮に不審がられても構わないからこそ彼らはゆっくりと、しかし機敏に作業ができた。
仕事を終えると彼らはさっさとマンホールから出て、囲いを取っ払い、乗ってきたハイエースに乗り込むとそのまま発進して去って行った。
その都内に無数にある共同溝の一つで行われた一連の作業を見ていた者は多数いたが、しっかりと記憶にとどめた者は誰1人としていなかった。
そして、それと同じような人間が他の数カ所でも同じ作業をしていたことにも。
同日 23:30
突然見ていたテレビが消えたことに警視庁捜査1課刑事・川原一久は驚いた。というより、部屋の電気も消えた。
「チッ、おいおい冗談じゃねぇぞ」と独りごちつつ、手探りで玄関にあるブレーカを訪ねて壁伝いに歩く。
と、足の小指に衝撃が走った。
「うおっ!!!」と悲鳴をあげつつ、咄嗟にしゃがむが今度は頭を何かにか打った。
「ダッ!!」ともはや痛みのオンパレードに怯むが、それでも何とかうずくまる分には成功した。
「...チキショー、50歳独身男をここまでして痛めつけるとは...」
ようやく絞り出した一言を糧にして、諦めずにブレーカまで歩みを進めた。
勤務を終えて自宅に帰宅したのが30分前。既に寮にある食堂の夕食時間を過ぎていたから、コンビニで買った弁当と「からあげくん」でビールと部屋に置いてある芋焼酎を煽りつつ、撮り溜めしておいた「芸能人運動音痴グランプリ」的な内容の番組を見つつ晩酌していたところでこれであった。
暗くて見えないが、ただでさえ人相の悪い彼の表情はさぞかし酷いことになっているだろう。
なんとかブレーカに辿り着き、早速戻そうとするが...下がってなかった。
「なんだ、本当の停電かよ!」と悪態を吐くしかなかった。
なんとか...また同じ場所で足の小指をぶつけて痛みに耐えながら携帯を手に取った時、「あぁこれを照らしながら歩けば...」と気付き、またしかめっ面をしたがそれはともかく、元の席に腰を下ろしてスマホを眺めつつ晩酌を再開した。
とりあえず、飯を腹に詰め込んでから電気の再会を待つが、どうやらすぐには治らないらしい。きっと他の部屋でも俺と同じように起きていた奴は俺と同じように途方に暮れているか、諦めて寝たかのどちらかだろう。
ふと、気になってカーテンを開けた。
「なんだよこりゃ...」と口を開けて見つめてしまう光景があった。
普段、うるさいほど明るい街は今や死んだように暗かった。全てが停電しているのだ。いや、正確に言えば自家発電があるところや非常灯が点いたところ、停電の影響を受けなかった遠くの建物の明かりが見えるが...。
「こいつは!」と異常を察し、すぐにスーツに着替えて愛用する黒いコートを羽織る。そして、携帯の光を頼りに玄関へ進み車の鍵を手に取る。扉を開けると廊下は薄く赤く照らされていた。非常灯が点いたのだ。そこで初めて携帯のライトを消して一目散に駆け出した。
階段を使って6階から降りる。入口の自動扉はやはり開かず、馬鹿力を使って強制的に開ける。駐車場に走り愛車のデミオに乗り込んでからキーを刺し捻る。
軽やかにエンジンがスタートするのと携帯が鳴るのはほぼ同時であった。見ると後輩の芹沢からだった。
「俺だ!」
「先輩大変です。都内の複数箇所で停電が発生しているそうです!」
「んなこと見ればわかるっ!」
「それで、共同溝でなんかあったらしくて、おまけに一箇所どころの騒ぎじゃないそうですよ!今ワンセグで...」
「ちょ待てっ!お前今どこにいんだよ?」
「彼女の家です」
「馬鹿野郎っ!そこまで分かってんならさっさと現場に向かうか本部に来いっ!!今から俺も本部に行く!早く来いっ!!!俺より遅かったらぶっ飛ばすゾッ!」
「は、はいっ!!」
たくっ、先輩の俺差し置いて色恋に走りやがって!
そんなことを考えつつ川原はアクセルを踏んだ。
23:50 防衛省
だからと言って俺たちが配備につくのは流石にやりすぎたかと思った。確かに今日は当直だから異変があれば配置に着く、もしくは情報収集に走る。でも、停電くらいで完全武装の隊員を配置・警戒するのは流石にやりすぎか。
今宵の当直である第1高射群第4高射隊隊長・長渕仁三佐は後悔していた。下手すりゃ訓戒もらったりして...と思いつつ。
都内で大規模な停電が発生したと聞いて、空自市ヶ谷基地の今宵の当直勤務であった彼は思わず「総員警戒」を叫んだ。別に停電くらいで腰を抜かしたわけではない。部下たちにとって良い訓練になると思ったのだ。
もしも今この瞬間に賊に襲われたとして、少なくとも市ヶ谷地区に所在する陸海空自衛隊のうち陸海が行動できなかったとしても、空自だけは完全武装の1個小隊+α(36名)が待機している。
実際、長渕自身も上から下まで作業服を着込み、鉄帽と防弾ベストで防護している。腰にはしっかりと幹部の証である9ミリ拳銃を備えている。
他の隊員も拳銃こそないものの『89式小銃』を肩に掛けて警戒している。一括調達で配置された89式小銃。地方の極一部の部隊では今でも“64式”らしいが、大多数の部隊や前線部隊では更新が完了している。
もっとも、銃業者一番の得意先であろう陸自は一昨年から『19式小銃I型(5.56mm)』『19式小銃II型(7.62mm)』という新小銃が配備されている。同期の自衛官に聞いたところ、いわく「SCARライフルの弾倉より前の銃身長とカバーを延長して、もう少し無骨さと日本人らしさを付け足した感じ」だそうだ。
しかし、日付が変わってもやはり何も起こらない。単なる停電、きっとどっかで老朽化した共同溝が陥没したんだろう。それにしても、同時多発的に共同溝が崩壊するなんて考えられないが。
まぁ、それでも結局何も起こらないだろう。あと1時間くらいしたら警戒は解除。当直だから寝ることはできないが、それでもこんな緊張した状況で朝を迎えされるなんて酷だ。確かに「鬼の長渕」と部下に言われるが、俺だって好き好んで.....。
自衛官として“備える”ことは大切だ。PACの電源を入れないだけマシだと思って貰おう。訓戒はないはずだ...。
しかし、その1時間後、まさか第1高射群司令直々に「警戒態勢」が指示されるとは予想していなかった。
そう、これが単なる停電ではないことも。
暗い部屋で光るテレビ。画面には真っ暗な街の空撮を背景に『都内で大規模停電!共同溝で爆発か?』のテロップと画面脇に表示される交通情報が映っている。
「“第2段階”は終了しましたね」
「うむ」と一言つぶやいて彼...この歳にしては髪の量も多く、白髪混じりで七三分けの髪型をした老人は椅子に身を預けた。
とある部屋の一室。本来ならさぞかし広いこの部屋には、テレビの他にたいそう大きな機材、複数名の男女がいるせいで少し狭く感じる。
御殿場の別荘地にあるこの建物。別荘を持つ者達にとってこの時期は決して別荘を使う時ではないためか、近所建物の全てに人の気配がない。だから、この家も目立たぬように目張りをして、中の電気も極力暗くしている。
「...貴方が私にこの話をしてきた時を覚えていますか」
柔らかな声で七三分けの老人が、隣に座る何らかの組織の制服を着た短髪の初老の男に声をかける。
「えぇ、もちろん。覚えていますよ」
「当初話を聞いた時、そんなことができるとは決してありえない、夢幻の話に聞こえた。しかし、貴方の仲間や私の友人達によってここまで来てしまった」
「貴方のおかげもありますよ。貴方が居なければここまでは出来なかったし、もっと血も流れたでしょう」と、過去を振り返るように制服の男が言葉を返す。
「しかし、まだまだ始まったばかりです。これからが大変です。もしかしたら、我々はとんでもない過ちを犯したのかもしれませんし」と制服の男がつぶやく。
「だからこそ、最後までやりきりましょう。中途半端に終わらすのはルール違反です。何より、我々の大義が果たせないまま死ぬことだけは御免です」
その時、ドレッサーの上にあるFAX付きの電話が鳴り響いた。七三分けの老人がテーブルの上に置いた子機を掴む。
「もしもし、僕です。......そうですか緊急の。.....分かりました。それじゃ終わりましたら電話をください。.....えぇ僕は基本ここにいますよ。.....君の方こそ身体に気をつけて。はい、それじゃぁ」
電話を切ってから、七三分けの老人が制服の男を見る。
「どうやらあっちでは予定通り大騒動らしいです。何でも緊急のNSCが開かれるそうで」
「あの首相にしてはずいぶん行動が早いですね。きっと誰からか要請されたんですかね」
「まぁそんなところでしょう。でも、これで事は早く進みそうです」
2人の男は再び画面を見た。今度はアナウンサーが面食らった表情をして原稿を読んでいる。お台場に本社があるこの局は無事に放送できるらしい。
「もし、停電が地方で起きたことならここまで慌てて報道したのだろうか?」と、2人は気付かぬまま同じことを考えていた。




