1.プロローグ
カサカサと足元を動く音に目を開ける。
音の間隔からしてネズミだろうか。目を凝らしても、この暗闇では確証が持てない。なにせ自分の腕が微かに見える程度なのだ。足元なんて分かりやしない。
ネズミ(仮)は背後へ移動したらしい。背中をペチペチと這いずる感覚。
目的のものなど分かりきっている。むしられると僕が怒られるんだと思う一方で、好きなだけ持っていけと投げやりになる自分もいる。結局振り払う腕は動くことなく、背中からブチッと1枚抜ける音が響いた。
闇に伸びる錆びついた檻。この奴隷市場で、子どもは亜人の中でも希少中の希少、有翼人だった。
全種族の中でもエルフに並ぶ容姿を持ち、背中に生えた翼と魔力で、空を自由自在に飛び回るという希少種族。本来捕まるどころか、姿も捉えさせないという彼らだが、子どもは物心ついた頃から奴隷として生きてきた。希少云々というのも、歴代の主人や商人がよく声高に唱えていたから覚えているだけで、本当のところは知らない。
背中の羽がもう1枚引っ張られたところで、ガシャンと重厚な音が響き渡る。壁の蝋に一つ、またひとつと火がつけられ、明かりが子どもの方まで近づいてくる。ネズミ(仮)はいつの間にかいなくなっていた。
どうか僕ではありませんように。そんな願いもむなしく、ランタンと足音は子どもの前で止まる。おい、と圧のある声に、子どもはゆっくり顔を上げた。
「どうですお客さま? 端正な顔立ち、鳥のような翼。まさしく有翼人でございましょう?」
「……」
ローブを被った客に反応はない。商人は吐き気のする笑みから一転、射殺すような目つきで檻の中の子どもを睨んだ。笑えの合図だ。
「これはこれは! お客さまのことが気に入ったようだ! この奴隷、気に入ったお客さまにしか笑みを見せぬのですよ。なんと運がいい!」
「……」
客はこれにも無言のまま。商人は口角を引くつかせると、ゴクリと唾を飲んだ。内緒話でもするように、客の耳元へ背筋を伸ばす。
「ここだけの話、これの分類を観賞用から変更しようと考えているのです」
「……変更?」
ようやく反応を見せた客に、商人は目を輝かせた。声の大きさが一段階上がる。
「愛玩用でございます!」
愛玩、の意味が少年には分からなかったが、客の神経を逆なでしたことは分かった。ローブから覗く茶色の眼が、キッと鋭く尖ったからだ。
「まだ15のメスですがご安心を! 当方は躾に力を入れておりましてね! どのようなプレイでも、」
「黙れ」
客が商人の首を絞め上げる。背筋を伸ばしても埋まらなかった身長差だ。どれだけ暴れようとも、商人の足が地につくことはない。商人の口から泡が吹き出し、手足がだらんと垂れたのを確認すると、客は商人を投げ飛ばした。ぶつかった衝撃で、壁の蝋が商人の頭にポトリと落ちる。
引火し始めた商人には目もくれず、客は檻を瞬きの間に破壊した。
……殺される。
毎日のように死んでしまいたいと願っているのに、いざ死の足音が近づくと本能が生きたいと騒ぎ出す。客が檻の中に入り、一歩、また一歩と近づく度、子どもは鎖を鳴らしながら後退した。
しかし逃げるにも限界はある。背中がトッと土壁を押した瞬間、子どもの全身からぶわりと汗が噴き出した。
笑え、その命令は絶対だ。震えながらも微笑みを絶やさぬ子どもに、客は着ていたローブをふわりとかけた。真白の髪に真白の服、真白の翼を生やした客からは、どこか懐かしい、優しい香りがした。
「……もう大丈夫」
「……」
「もう、無理に笑わなくていい」
真白の客に肩を支えられ、子どもはどうするべきか分からなかった。ただ、何年も感情を忘れていた瞳からは、止めどなく涙が溢れていた。
反応いただけると嬉しいです。よろしくお願いいたします。




