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モンテリア伯爵家が運営する施設の学院には、さまざまな背景を持った子息子女が通っている。この学院では、家庭教師を雇えない家計の苦しい貴族や、貴族にも劣らない教育を子どもに与えたいと考える商人に支持されており、貴族も平民も垣根を越えて学び舎をともにするのが特徴だ。
この学院に入学するために必要なことはただ一つ、一定以上の学力を有していることを証明すること、そして教養に裏打ちされた人格を示すこと。ある者は、自領の農作物を安定的に育てるための肥料を研究した論文を提出したり、またある者は、貿易相手の隣国の社会情勢から次に需要が出そうなものを予測する計算式を証明する論文を提出したり、さまざまである。
しかし、すべての生徒たちが特異な才能を持っているわけではない。そういった場合は、「一般入試」と称したペーパーテストと面接による試験が行われる。その試験にパスすれば、晴れてモンテリア学院の門をくぐることができるのだ。試験の倍率は公表されていないが、毎年合格発表に一喜一憂する家庭が後を絶たない。
さらに、モンテリア学院に入学後は、生徒たちは原則寮に入ることになる。寮生活がそもそも耐えられない貴族は、モンテリア学院の門戸を叩くことはない。こうした制度により、モンテリア学院には、学びに貪欲な生徒が集まる構造となっていた。
マルガリーテ・ベルニエ伯爵令嬢も、「一般入学組」のひとりである。彼女は、ベルニエ伯爵と流浪の踊り子との間に生まれた庶子で、ベルニエ伯爵家にとっては目の上のたん瘤であった。そういった事情から、彼女は半ば厄介払いのような形でモンテリア学院に入学することになった。
マルガリーテの母の出自はわかっていないが、流れるような銀色の髪とすらりと伸びた長身が特徴的な女性であった。そんな母の特徴を譲り受けたマルガリーテは、その美しい髪をいつもひっつめ、背中を丸めるようにして、なるべく人目につかないように学院でも過ごしている。貴族の子息子女はなんとなく近寄りがたく、平民の子息子女はいちおう貴族令嬢であるマルガリーテに必要以上に近づこうとしない。クラスメイトたちから嫌がらせを受けていたわけではないが、マルガリーテは完全にクラスのなかで浮いた存在だった。
しかし、マルガリーテにとって、学院の生活は夢のようである。学院の生徒たちは、いちいち他人の一挙手一投足に目くじらを立てないし、庶子だからと言ってマルガリーテを馬鹿にもしない。目ざわりだと陰口を叩かれることもなく、ひとりの「人間」として接してもらえる。そんな当たり前のことが、マルガリーテにとっては心の底から嬉しかったのだ。
そのうえ、モンテリア学院で無事学問を修めることができれば、およそ就職に困ることはない。モンテリア学院を嫌う保守派の貴族家に雇われようと思わなければ、たいていの就職先は、モンテリア学院の卒業生を温かく迎え入れてくれるのだ。
さらに、成績優秀者ともなれば、王宮文官の道も決して夢ではない。王宮文官のなかには、モンテリア学院の卒業生が多くいる。しかも、高位貴族の縁故採用で登用された文官よりも、はるかに優秀な彼らは、国民の人気も高いのだ。そうした卒業生のネットワークを持てることも、モンテリア学院に入学する大きなメリットだ。とくに、いわゆるコネのない下位貴族や平民にとっては、お金で買うことのできないネットワークである。
そうは言うものの、成績に関しては中の上をさまようマルガリーテにとって、王宮文官はなかなかにハードルが高い。しかし、貴族籍を抜ければ、商家や質屋、貸金屋など近年財の力でのし上がる富裕層に雇われることはそれほど難しくないだろう。ベルニエ伯爵家にとってマルガリーテが目の上のたん瘤であったように、マルガリーテにとっても、ベルニエ伯爵家は決して戻りたいと思える家ではないのだ。
そうして目立たずひっそりと、心穏やかに学院生活を送っていたマルガリーテにとって、ナターシャ・コルヴィンとの出会いは運命を変えると言っても過言ではない、衝撃的なものであった。
ナターシャ・コルヴィンは、春入学の生徒である。モンテリア学院は、多くの生徒が秋入学であるが、家庭の事情により、春入学も生徒数は少ないが受け入れている。秋に入学したマルガリーテたちに遅れて、ナターシャ・コルヴィンもこの春に学院の門をくぐり、マルガリーテと同室の寮生となったのである。
「あたし、ナターシャ・コルヴィンっす!よろしく!」
大きな瞳をきらきらさせて小麦色の手を差し出したナターシャのほほに並ぶそばかすに目をそらし、マルガリーテは、なるべくナターシャと視線を合わせないよう努める。小麦色のくせのあるふわふわの金髪が肩先で揺れるのが、なぜか眩しい。
「マルガリーテ・ベルニエです。よろしくお願いします……」
目の合わない同室の相手に、ナターシャはぐっと顔を近づけてまじまじとその顔を見つめた。地味な眼鏡をかけて表情を隠し、比較的年配の職業婦人が労働のときにするひっつめ髪、猫背でおどおどしているが、コルヴィン商会で美容に関する事業に携わるナターシャはすぐにぴんときた。
――このひと、磨けば光るんじゃないの?
「あの、ちょっと、顔が近い、です」
「ああ、ごめんなさいっす!人の肌とかついつい見ちゃって……職業病っすかね~」
ナターシャが商家の娘ということもあり、マルガリーテにとっては商家の話には興味があった。「職業?」と、ふだんなら広げない話を広げてしまったのである。
「あたし、コルヴィン商会では美容に関する事業に携わってて。化粧品とか服飾とか。だからきれいな女性がいると、つい見ちゃうんっすよね」
「へえ……」
ナターシャが「きれいな女性」と言ったのに、マルガリーテはまるで気づいていない。まるで、自分が「きれい」と評されることなど、最初から意識もしていないようだ。ナターシャの心がうずうずとうずく。
「マルガリーテさん、すっごい美人っすね!」
唐突な言葉に、マルガリーテは反応できなかった。何の反応もしないマルガリーテを見て、ナターシャが楽しそうにきゃらきゃらと笑う。
「あなた、今、からかった?」
少しだけ声のトーンを低くすると、ナターシャが慌てて頭を振った。
「違うっすよ!マルガリーテさん、「美人」って言っても何の反応もしないから、めずらしくって」
マルガリーテはナターシャの大きな瞳を見つめるのが怖くなって、やはり彼女のそばかすに目を移す。
――だって、「きれい」なんておかしいから。
ベルニエ伯爵家では、ナターシャは存在を許されない子どもだった。着飾ることは許されなかったし、少し笑えば「笑うな」と言われ、無表情でいても「愛想がない」と詰られる。気づいたときには母は亡く、使用人ですらマルガリーテを嫌厭していた。そんな彼女にとって、「きれい」という言葉は自分から最も縁遠い。
「あたしと違ってそばかすも吹き出物もないきれいな肌だし、背も高いし、髪もきれいな銀髪だし。コルヴィン商会美容部門の広告塔になってほしいっすよ!」
ナターシャはそう言って、やっぱりにこにことマルガリーテを見ていた。ナターシャが笑うたび、肩にかかる金髪がふわふわと揺れる。マルガリーテはナターシャの言葉にやはり何も返せず、目の前で揺れる金髪が眩しくて、目を細めた。
「マルガリーテさあん!」
ナターシャは寮だけでなく、学院のなかでもマルガリーテに声をかけてきた。同じ授業をとっていれば必ず隣に座り、誰かと談笑していても、マルガリーテを見つけたら大きな声で名前を呼ぶ。おかげで誰にも注目されずに過ごしてきたマルガリーテに、ちらちらと視線が集まることもあって、マルガリーテはますます背が丸くなるような気がした。
「……ねえ、あんまり大きな声で呼ばないで」
「なんでっすか?」
「なんでって……」
「だって、マルガリーテさん大きな声で呼ばないと、気づかずにどこか行っちゃうんすもん」
ナターシャの言葉に、マルガリーテの心がちくりと痛む。マルガリーテは、自分のわがままで、彼女に呼ばれても気づかないふりをしていたからだ。
「だって、いつもわたしにくっついてること、ないでしょう」
「え~!マルガリーテさんは、学院でできた初めての友だちだから、特別なんすもん!」
こともなげに言うナターシャの言葉に、マルガリーテの心とほほがじわじわと熱くなった。
――特別。
マルガリーテは、生まれてからずっとある意味「特別」だった。「特別」であることは、悪いことで、隠すべきことだと思っていたのに。
「わたしと仲良くしたって、いいことないわよ?」
どうしてなのか、マルガリーテはナターシャに素直になれない。
「いいことしかないっすよ?だってマルガリーテさんは美人だし、見てるだけで眼福っす!」
ナターシャが人差し指でそばかすに触れる。最近わかったことだが、どうやら照れているときにこのしぐさをするらしい。本人は気づいていないようだ。あんなにも自信満々に「美人」だの「眼福」だのと言っておいて、マルガリーテはなんだかおかしくてくすくすと笑った。
「あー!ま~だ信用してないんすか?マルガリーテさんは美人なんすよ?」
「はいはい、どうもありがとう」
ナターシャのまっすぐな言葉にマルガリーテもだいぶ耐性がついてきて、最近ではあきれながら「ありがとう」と返せるようになった。自分自身の変化に、マルガリーテが一番驚いている。
「あ、そういえば、『冬の祭典』はどうするんすか?」
マルガリーテの体温が少し下がる。「冬の祭典」、一番考えたくない行事だ。
モンテリア学院は、貴族も通う学院ということ、さらに卒業後に貴族家や王宮で活躍する平民もいることから、社交やマナーの授業も行われる。その一環で、冬の社交シーズンにあわせ、学院内でも模擬舞踏会が行われるのだ。そのイベントは「冬の祭典」と呼ばれ、生徒にとっては将来のパートナー探しだと躍起になる者も多い。
いちおう社交やマナーの授業でひととおり学んでいるが、マルガリーテにとって憂鬱なのはそこではない。「冬の祭典」は模擬舞踏会、必ず男女のパートナーで参加する必要がある。しかも、原則は生徒どうしの声かけでパートナーを決めなくてはならない。
ナターシャ以外に同性の友人もいないマルガリーテにとって、異性のパートナーなど夢のまた夢だ。ある意味、将来の就職先を探すよりも難しい。何より、自分の相手をさせるパートナーが申し訳なさすぎて恐縮してしまう。
「当日、病気になったりしないかしら……」
ぼそりとつぶやいたマルガリーテに、ナターシャがきらきらと大きな瞳を輝かせて顔を覗き込んでくる。
「なーに言ってるんすか!せっかくなんだから、ぴっかぴかに磨きましょうよ」
「あのね、パートナーもだけど、ドレスなんて、わたしには準備できないの」
ベルニエ伯爵家からは、学費と僅かな生活費は送られているが、マルガリーテにドレスを用意することはできない。ドレスが用意できない場合は、学院が保有する型落ちのドレスを借りることはできるが、まともな令嬢ならまずそんなドレスは選ばない。
「ちょっとちょっと、コルヴィン商会をなめてもらっちゃ困るっす」
「え?」
「そんなの、あたしが準備するっすよ!」
「だめよ」
間髪入れず否定したマルガリーテに、ナターシャが目をぱちくりさせた。
「そんなお金、わたしにはないのよ」
「お金なんていらないっすよ!」
「そんなの……だめよ。わたし、そういうの嫌なの」
めずらしく語気を強めたマルガリーテを見て、ナターシャは頭のなかでアバカスをぱちりと弾いた。
「だったら、コルヴィン商会の広告塔になってくださいっす!」
「へ?」
思わぬ提案に、マルガリーテは間の抜けた声が出る。
「実は、上質なレースが手に入ったんで、主力商品として売り出したいと思ってて。そのレースを使ったドレスを着て、マルガリーテさんに広告塔になってもらったら……爆売れっすよ」
よだれでも出そうなくらい口もとを緩めるナターシャに、マルガリーテは置いてけぼりである。
「ちょ、ちょっと……」
「うちの両親も、マルガリーテさんが広告塔になるって言ったら、絶対喜ぶっす!」
「いやいやいやいや、わたしなんかが広告塔なんて無理よ」
「無理じゃないっす!眼鏡を外して、髪もドレスにあわせてセットして、化粧も……そんなに濃くなくていいっすけどちゃんとして、背筋を伸ばせば、誰もが振り返る絶世の美女っす!どう考えても惚れない男はいないっす!」
「ナターシャ、あなた、眼鏡をかけたほうがいいんじゃないの?」
「え?視力なら両目ともばっちりっすよ?」
「そういうことじゃなくて」
「さーて、忙しくなるぞ~!あたしちょっと実家に急いで手紙出すんで行きますね!また寮で」
マルガリーテの制止の言葉など意にも介さず、まぶしい金髪を楽し気に揺らしながらナターシャが駆けていく。小さくなるその背中を、マルガリーテはやはりぽかんと見つめることしかできなかった。
――而して、どうやらマルガリーテの心配の一つである「ドレス」は、本人の望んだ形かは置いておき、解決したようだ。しかしながら、大きな問題はまだ残っている。
肝心の、パートナーがいない。
すでに何度も述べたとおり、マルガリーテはナターシャくらいしかまともな話し相手がいない。あとは学院の教師と、授業で一緒になった同級生と一言二言かわす程度である。男性など、言わずもがな、ほぼ話したことはない。なんなら、顔と名前が一致しているひともいない。
しかも、地味で目立たない、仲良くして将来得することもないマルガリーテを、舞踏会に誘おうと思う男性がいるだろうか。
毎年、パートナーがいない生徒は、学院が主催する「くじびき」に参加し、パートナーに決めるという慣例がある。数年前、モンテリア伯爵家の才女と名高い令嬢が、婚約者の浮気が疑われた年の『冬の祭典』に「くじびき」で参加しようとしたことは、もはや学院の伝説となっている。
そんな(いろんな意味で)曰くつきの「くじびき」に参加する以外、マルガリーテがパートナーを見つけることはできないだろう。
マルガリーテは、重い腰をあげ、その「くじびき」に参加することにした。まさかこれが、学院を騒がせる事件になろうとは、このときのマルガリーテは知る由もなかった。
『冬の祭典』まで残りひと月を切ろうかというその日、学院が掲示した「くじびき」の結果は、マルガリーテだけでなく、学院の女生徒たちを震撼した。
【アドリアン・エルムハルト ―― マルガリーテ・ベルニエ】
侯爵家次男、間違いなく学院一人気の貴族子息であるアドリアンのパートナーに、学院一地味で目立たないマルガリーテが選ばれたのである。あまりにも受け入れがたい事実に、気を失う女生徒もいるなか、大きな瞳をきらきらさせてそばかすの少女はあまりにも無邪気にきゃらきゃらと笑っている。
「やったー!これで、当日の視線はマルガリーテさんのものっすね!」
あまりに呑気な物言いに、マルガリーテは一瞬だけ、友人を呪ったのだった。




