死神の檻 1
歩兵たちが交代で休憩している民家の扉が勢いよく開き、只事ではない様子に室内で休んでいた兵士たち全員の視線がそちらに向く。
そして、まさに扉を開けた張本人たる分隊長が叫ぶ。
「総員配置につけ!! 急げ!!」
それが意味することはただ一つ。遂に敵が来たのだ。
慌ただしく立ち上がり、或いはコップの中身を急いで飲み干し、せっかくテーブルの上で盛り上がっていたカードゲームの札を纏めてポケットに突っ込んで、各々自分の武器を手に取り、兵士たちは持ち場へと走るべく民家から飛び出していく。
"橋の村"は、約15メートル程の石造りのがっしりした橋がかかる村落であり、橋を使わずに村の外側から川に下る分には人間も戦車も問題ないが、村側に登るとなると戦車には無理、人間は一部よじ登れる場所がいくつかと言った形状だ。
川は凍結してはいるが、ガチガチに完全に凍り付いていると言うよりは、どちらかといえば氷が浮いていると言った具合だ。
上に人が足を乗せて踏ん張ると、割れた箇所から水が滲み出てくることがある程度で、渡れなくはないが完全に無作為でずんずん行くにはちょっと怖い。
建物としてはありふれた平屋民家が20軒ほどで、あとは納屋の類が立ち並ぶ。
そのうち完全に川と接しているのは7軒。
橋付近に密集するのが4軒で、残る3軒は少し離れている。
他の建物は、橋を渡ってまっすぐに伸びる道路沿いにずらりと並ぶような形だ。
その密集した場所から離れたところにもぽつぽつと点在する民家はあるが、このあたりに住んでいた人々の生活基盤は、まさにこの川沿いの建物群だったのだろう。
その元生活基盤な建物群たちは、今や敵を待ち構える為の遅滞陣地と化していた。
川沿いの建物には歩兵が隠れ潜み、建物の切れ間には生き延びたⅢ号戦車とⅣ号車が配置され、そして川には鉄条網が投げ込まれている。
村の中には、万が一歩兵が侵入してきても多少は時間を稼げるよう鉄条網や荷馬車の残骸などが置かれており、そして歩兵たちが乗る装甲車やトラックは、全て村の奥に隠され、敵に破壊されて離脱困難とならないよう準備されていた。
牽引対戦車砲はいない。
遅滞作戦である以上、撤収に時間が掛かり過ぎるからだ。
もっとも、突然の無茶ぶり故に想定していた以上にこの場に長居する可能性が出てきた訳だが。
橋を確保せず、村を無視して敵が川をわたる可能性を心配するかもしれないが、それは杞憂だ。
橋があるという事実は、多くの場合はそこで生活していた人々からの重要な情報を軍人たちに教えてくれる。
それは、"この川や崖などは橋をかけないと渡れないほど交通に不便ですよ"と言うメッセージだ。
よくよく考えてみれば当たり前である。
そんな簡単に行き来に困らないなら、橋なんて面倒なもの誰も作らない。
"車両はともかく歩兵なら泳ぐなり、凍った場所を渡ればいいじゃないか"と思うだろうか。
それなら、まず戦車砲の射程外―――生身の人間が相手だから装甲を抜けるか否か考えなくて良いので、とりあえず榴弾をぶん投げるだけ故に3Kmくらいなら届く大砲の射程には入らないのはまず当然。
姿を見られたら戦車や車両で駆けつけられたり、砲兵隊の弾幕射撃が降ってくるので、それも考えると3kmなんて言わずもっと離れなければ。
橋から離れると言うことは、即ち道路から外れると言うこと。
場合によっては道なき道を歩く。
もちろん銃やら弾やらを担いで。
走るなんてとんでもない。
しかも今は雪が積もっている。
さて、迂回を試みた歩兵たちは、いつになったら村に辿り着けるのか?
辿り着いたとして、果たして戦える状態なのか?
しかも今は冬だ。
濡れた服はそのまま凍傷や低体温症を齎し、命を奪いかねない。
このように歩兵を迂回させると言うのは簡単な話ではなく、ならば車両をとなれば橋をかける工兵部隊が必要となる。
防御とは、これらを加味して地形を選ぶから成り立つし、剣や槍や弓矢で戦争をしていた昔は、そう言った場所には城や砦が建てられていたのだ。
「ティーガーだ!! 戻ってきたぞ!!」
民家の一つ、その屋根の上に登っていた一人が、双眼鏡を片手に指さしながら叫ぶ。
彼の言う通り、2両のティーガーが1列になって橋の村へと全速力で街道沿いに走ってきている。
その距離が近づくと、兵士が数人進み出て、手で橋の方へとティーガーを誘導し始めた。
理由は簡単だ。
対人地雷が仕掛けてあるのだ。
仲間たちに迎え入れられる形で2両のティーガーは橋を渡り、村の中へ。
白色の迷彩はあちこち薄汚れた被弾の跡が残され、この2両が激闘を繰り広げながら戻って来たのだと誰の目にも明らかな状態だった。
一度完全に村を走り抜けたティーガーたちは一旦停止。
フォルカーが下車し、すぐ近くに停車していたⅢ号戦車から駆け寄ってきたヴァルター中隊長に対してこちらからも駆け寄りながら声をかける。
「戻りました中隊長。413号車と414号車、どっちも無事です。敵は戦車3両、トラック2両で追いかけてきてますよ!!」
「よくやったフォルカー。ギガントはどうなった?」
対戦車戦をするには問題だらけなポンコツ一歩手前のKV-2も、積んでる主砲の本来の役割である身動きが取れない陣地を吹き飛ばす分にはむしろ凶悪だ。ヴァルター中隊長が気にするのも無理はない。
「やっこさんなら途中で雪にハマって擱座してましたよ。見た感じでしかありませんが、ありゃ早々すぐには抜け出せないかと」
問題のKV-2は、413号車と414号車による遅滞戦闘の途中、撃破されたKVを躱そうとしてうっかり道路外の急斜面部へと滑り落ち、見事に雪の中へと頭を突っ込んだのをフォルカーが目撃していた。
追撃するに絶好ではあったのだが、413号車はまさに離脱している真っ最中かつ、射撃支援態勢で413号車を援護していた414号車の位置からはギリギリ見えなくなってしまったのでどうしようもなかった。
「成程……クラナッハ少尉が見たと言う3両のKVについては、おそらくお前たちが最初の奇襲した地点から分派した連中で間違いなさそうだ。そっちは安心していい」
「ってことは、敵はKVが6、あとは歩兵ですね?」
フォルカーの背後では413号車がハッチから顔を出した装填手の、414号車が同じくハッチから身を乗り出したレーヴェにより、それぞれ反転して村の方へと向き直る。
その様子にちらっと目をやった後、ヴァルター中隊長は頭を横に振った。
「いや、追加でT-34が2両だ」
「……。なんですって? 一体どこから?」
フォルカーの笑みが真顔になった。
それはそうだろう。
これがまだKVなら落伍した車両が追いついてきたのかとも取れるが、車種が違うと言うことは全く別の部隊が来た可能性もある。
一方でヴァルター中隊長はあくまでも冷静沈着な態度で応じた。
「タンクデサント兵も確認されている。クラナッハ少尉からの伝によれば―――」
その言葉を遮るように遠くで何かを発砲したような砲声の残響、そして何かの飛翔音が聞こえた直後、村の路地の一角が爆発した。
身を竦める二人の前で、更に続く断続的な飛翔音と爆発。
慌ただしく地面に伏せた二人は、爆発音に負けないよう大声でやり取りを再開する。
「見てのとおりだ!! 敵は迫撃砲を引っ張り込んできた!!」
「そいつは豪華なゴールインの祝砲ですね、中隊長!!」
こんな状況でも茶々を入れるフォルカーに対し、ヴァルターも不敵に笑う。
「全くだな!! こっちも迫撃砲で対砲迫戦を実施させる!! 味方の歩兵の直掩は任せるぞ!!」
「了解です中隊長!!」
フォルカーがティーガーの元に、ヴァルター中隊長がⅢ号戦車にそれぞれ走っていく。
そんな彼らの頭上から、はらはらと白いものが振り始めた。
「……雪か」
ティーガーによじ登りつつ、フォルカーは呟く。
空の曇り具合からしてそれなりに降ってきそうだ。
「こいつは……ちょっと射程確保が厳しいかもな」
●
けたたましいエンジン音が鳴り響く。
今にもエンジンがぶっ壊れそうな悲鳴を上げている中で、KV-2はどうにか道路への復帰を試みていた。
車体側面に括り付けていた丸太やら近くの森から引きずってきた枝葉やらを履帯に噛ませ、汗だくになりながら乗員総出でシャベルやらバケツやらで雪をかき、車体の向きを変えてみたらどうかと左右にうごうごしてみたり。
砲塔の向きを変えてみたら何か変わらないかとぐるぐる回そうとするも、そもそも砲塔が重すぎてびくともしなかったり。
いっそ前には行けないかと勇気ある前進をしてみたら余計にハマりそうになり。
そして遂に"もういい加減無理なんじゃないかなこれ……"と流石に諦観が乗員たちを支配しつつあった時だった。
我らが巨人は、奇跡的な偶然か遂に動いた。
「やった!! やったであります!!」
一同みんなが大歓声をあげる中、車長ナージャ・ポルシェビク―――砲塔から顔を出している18歳の少女は特に大喜びだった。
徴用工として招集されていた工場から前線まで修理完了したKV-2を届けるよう命じられ、ひいひい言いながら1日中ミッションレバーをハンマーで延々とぶん殴り、何回もエンストしながら、それでもどうにかこうにか最前線に辿り着いた。
そんな18歳の彼女を待っていたのは、任務達成に対する労いの言葉ではなく、まさかの出撃命令だった。
困ったのは、そのKV-2に乗るよう命じられた乗員たちである。
同世代の中でも小柄で、見るからに非力そうなちんちくりん。
眼鏡をかけた黒髪ショートヘアの自分たちの娘みたいな年齢、しかもよりによって民間人の女の子と出撃しろといきなり言われては当たり前だろう。
かと言って、まさか歩いて工場まで帰らせる訳にもいかず、政治将校はピストルに手をやりながら睨みつけてくるわで、結局彼らと彼女は出撃してしまった。
だが、ドライバーや装填手は非力すぎる彼女ではとても務まらないし、砲手だって弾を当てるための知識がないから無理だ。
だったら操縦手の隣の車体機関銃手にでも任命するしかないとなった。
だが、今度は行軍途中の機関銃手入れで盛大に暴発させ、危うく手伝おうとした操縦手を撃ち殺しかけると言う超絶不器用の才能を見せつけ、機関銃手を任せるのは危ないとなってしまい、結局予備操縦手席に乗せられた。
とはいえ、流石に彼女を他の予備操縦手よろしく踏みつけにするのは乗員たちも気が引けて、結局は"補助装填手兼車長的な何か"と言う、とりあえず外を見張りつつ装填手を手伝う謎の役職に任命された。
結果的には、これは悪くなかった。
要は帝国戦車兵で言うところの車長ポジションに近い、索敵に専念できる人員を確保できたからだ。
まあ、その分装填手はただでさえ過酷な重労働がめちゃくちゃ大変になったが。
昔話はともかく、KV-2は路傍の坂において斜めに傾いた状態にまで復旧していた。
あとは出るだけである。一時は路傍で雪に埋もれる一歩手前みたいな状態だったのだから大したものだ。
「雪も降ってきたであります!! みなさん、先を急ぐでありますよ!!」
もうすっかり長い付き合いになってしまった乗員たちは、元気娘な彼女の言葉に頷きつつ、KV-2に乗ろうとし―――何やらエンジンと履帯の音が聞こえてきた。
「おっ、ちょうどいいや。引っ張って貰おうぜ!!」
乗員の一人が嬉しそうに言う。
確かにここまで復旧して、あとは馬鹿でかい砲塔のせいでバランスを崩してひっくり返らないよう気をつけるだけとはいえ、牽引して貰えるならありがたい。
ただ、彼らは一つだけ致命的な勘違いをしていた。
もうすでにこの辺りには敵は居ないのだと。
エンジンが聞こえた方角に姿を現したシルエットを見て、乗員一同の顔が凍りついた。
森の切れ間から街道に姿を現した2両の戦車は、当代最強を誇る戦車。
ただ、甚だ残念なことにその"最強"の称号を手にするのは味方ではなく―――
「チ、チーグルだあぁッ!?」
誰かが叫び、乗員全員がKV-2に殺到し、開きっぱなしだった各ハッチから車内へと飛び込んでいく。
チーグルの位置は、右下がりになっているKV-2の車体左前方である。
「嬢ちゃん!! 嬢ちゃん!! チーグル!!チーグルの砲塔の向きは!?」
砲手が叫び、ナージャは敵がこちらに気づいていないことを祈りながらハッチから顔を出してみるが、生憎その期待は裏切られた。
停車した2両のうち、先頭車両の砲塔が明らかにこちらを狙うべく旋回を開始している。
「き、気づかれてます!!」
「畜生ダメだ!! この傾斜じゃそもそも砲塔が回らない!! 俯角も取れなくて敵を狙えないぞ!!」
「操縦手前進!! 前進するであります!!」
「やってる!! やってるんだよくそ!!」
実際、KV-2は動き出してはいた。
しかしそれは、彼らが望むような俊敏な動きとは程遠い。
もう車内は大騒ぎだった。
そして、敵戦車の発砲をナージャが目撃して目を見開いたその時だ。
彼らは不意に浮遊感を感じた。ぐらりと揺れるような感覚。
「ほわああああ!?」
「ひゃああああ!?」
砲手が叫び、ナージャも悲鳴を上げた。
幸運だったのは、装填手が咄嗟にナージャを車内に引っ張り込んだことだった。
●
「……えっと」
目の前の光景にヴォルフはどうしたものかと苦笑いするしかない。
一言で言えば、KV-2はひっくり返ったのだ。
目撃した時点で相当無理のある態勢だったが、どうやらスタック事故でも起こしていたらしい。
ヴォルフたちは知りようがないが、KV-2はかなり危ういバランスで停車しており、脱出にはゆっくり慎重に出ていく筈だったのだ。
それを無理矢理に、しかも一気にエンジンをふかし、焦りのあまり左右に切りまくったものだからたまらない。
元から無理のある設計と言うおまけ要素付きの大重量による荷重に加えて、その勢いだけは無駄にいい感じに履帯がぶん回った結果、ギガントは自らの足場をこれでもかとばかりに破壊した。
そして脱出に盛大にしくじった結果、見事に横転したのだが……
「どうします、小隊長?」
バッヘムも苦笑い気味だ。
そりゃあそうだろう。
敵戦車が横転することで、結果的に中隊随一の砲手が放った必殺の一撃が躱されるなんて、早々経験できることではない。
「構わないさ、放っておこう」
今はそれどころではない。
乾坤一擲の奇襲はここから始まるのだから。
「イェーガー1、こちらフェヒター1。ギガントを……」
撃破と言いかけて取り止める。
あれは撃破とは言わないだろう。
「ん……ギガントが……その、自滅した。繰り返す、ギガントは自滅して戦闘不能を確認」
<<こちらイェーガー1。よくわからんが、とりあえずギガントはもう心配しなくていい。これでよいか?>>
乗員たちが律儀な小隊長の報告と若干困惑気味な中隊長の返事にくすくすと笑う。
「その通り。ギガントは無力化された」
ヴォルフも小さく肩を揺らし、そして一息ついてから乗員たちに気合を入れなおした。
「さて、愉快な出し物はここまでだ。ここからは真面目にいくぞ」
そして白い雪がやや強まりつつある中、411号車と412号車は動き出す。
「フェヒター1、これより作戦を再開する」




