【小説⑨発売記念】ウィリアム、いじめられる
【ATTENTION】
こちらは小説9巻の読了後に読むことを推奨としたSSです。
発売日に公開しましたが、皆様のタイミングで楽しんでいただけましたら幸いです。
なお、本日以降に、もう少し大団円っぽいSSもアップ予定です(これで終わりたくない作者の意地)。
ウィリアムは、自分の中で欠けていたフェリシアの記憶を無事に取り戻し、宿敵アルフィアスとの決着もつけて、ようやく通常業務に戻ってきた。
しかし最近、悩んでいることがある。フェリシアに関することだ。
むしろウィリアムが悩むようなことなど、国のことかフェリシアのことしかない。
その中でもうじうじと頭を悩ませるのは、決まってフェリシア関連である。
実は、記憶を失っていた間の記憶があるウィリアムは、アルフィアスとの決着がついたあと、人知れず決意したことがあった。
自分がアルフィアスなんかに記憶を奪われたせいで傷つけてしまったフェリシアへ、ひたすら償いをしようということだ。
ただ、フェリシアは宝石やドレスで喜ぶような人ではない。
愛の言葉はもちろん惜しまないが、惜しまなかった結果、つい先日彼女から「しつこいです!」と怒られたばかりだった。
そこで彼女の喜ぶだろう毒草や珍しい植物、植物に関する希少本などを贈ってみたら、「贈りすぎです!」とこれまた叱られてしまった。
もう何をすれば償いになるのかわからず、公務以外はずっと頭を悩ませている。公務だけは頭を切り替えているのも、記憶を取り戻して間もない頃、フェリシアから喝を入れられたからに他ならない。
(ああ、そうだ。わかっているんだよ。かっこつけて『国』を優先しなきゃならないと言っても、結局本当にフェリシアがいなくなったら何もできなくなることなんて)
誰よりもよく理解している。
しているから、自業自得とはいえ、本当に勘弁してほしい。
というのも――。
「そういえば先ほど、王妃殿下が大層楽しそうにナジス子爵とお話されていたのを見かけました。あんなふうに笑っているところを久々に拝見したからか、城中の者が微笑ましそうでしたよ」
宰相のゴードンが、事あるごとにフェリシアのこういう報告をしてくるようになったのだ。
ナジス子爵はトレドル伯爵家の長男だ。彼はフェリシアが責任者となった組織のメンバーに抜擢された一人であるため、二人が話していてもなんら不思議ではない。
わかっている。これはゴードンが誇張して報告しているだけなのだと。
けれどそう言われてしまったら、己の目で確認しないことには安心できない。
思わず執務椅子から立ち上がりかけたとき。
「陛下。まだ仕事は終わっておりません」
ゴードンの容赦ない追撃がくる。
しばらく睨み合ったあと、ウィリアムは観念したように元の位置に戻った。
公務を投げ出して行ったところで、フェリシアに怒られることは目に見えている。彼女を無駄に困らせたくはないし、仕事をサボる男だと幻滅されたくもないので、ウィリアムは白旗をあげるしかなかった。
そんなやりとりが行われるのは、実はゴードンとだけではない。
ゲイルやライラ、サラまでもが同じような報告をしてくる。
それも、もともと無表情がデフォルトのゴードンとサラ以外は、満面の笑みで。
彼らの狙いはわかっている。
特にサラとライラが、今回のことで一番怒っているということも。
だからわざとフェリシアが他の男と楽しそうに話しているだとか、楽しそうに過ごしているだとかを伝えに来るのだ。
これは、彼女たちからの言外の「しっかり反省してください」というメッセージである。
今回はアルフィアスのせいとはいえ、フェリシアは魅力的な人だから、また同じようなことが起きたとき次もウィリアムの許に戻ってくるとは限らないのだと、ある意味で叱咤激励されているのだろう。
まあ、ゲイルは面白がってそれに乗っているだけだろうが。
「ゴードン、おまえもサラたちに加担する理由はなんだい? 日頃の私への恨みかな?」
「お心当たりが?」
「そりゃあね」
宰相である彼の業務量は並のものではない。
しかも、予定外に新婚旅行が延びたため、たとえ父が代理で公務を行っていたとしても、ゴードンの負担はかなりのものだっただろう。
業務が落ち着いてきたら、まとまった休暇をやらねばならない。
「誠に残念ながら、日頃の恨みとは別の理由です。陛下は王妃殿下の影響を受けすぎるところがありますので、王妃殿下離れをしていただこうかと」
「……なんだって?」
「心を鍛えてください。王妃殿下がいつか愛想を尽かして陛下との離婚を望んだ際、それでも変わらず公務を行えるように」
「…………」
ぐさっと、ここ最近で一番鋭い刃が心臓に突き刺さった。
サラやライラは、フェリシアのためを思って、ウィリアムに警告しているだけだ。
けれどゴードンは違う。
こんなときも『国のため』になることを考えている。つまり、第三者が冷静に見ると、ウィリアムはいつフェリシアに愛想を尽かされ、離婚を切り出されるとも限らない不甲斐ない男というわけである。
その、客観的に見た自分を思い知らされるほうが、サラやライラの仕打ちより心にきた。
「ちなみにですが」
ゴードンがまだ続ける。
「ナジス子爵は王妃殿下を尊敬しているようでして、自宅の自室には王妃殿下の肖像画が飾られているとか」
「は?」
椅子を倒す勢いで立ち上がった。
だからフェリシアのグッズは作らせたくなかったのだと、舌打ちしそうになる。
「陛下。仕事がまだ残っています」
「おまえが私に仕事をさせないんだろう? 自業自得だとわかっているよ。それでも、愛する妻が他の男と過ごす様子を逐一報告されて、いい加減私だって我慢の限界なんだよ」
「王妃殿下は仕事をなさっているだけですが」
「だろうね。聞く相手は皆フェリシアの部下だからね。そう思って抑えているのに――」
本当は、ずっと不安なのだ。
サラたちが警告するように、いつフェリシアに愛想を尽かされ、離婚したいと切り出されないかと心の奥底で怯えている。
だから夜、彼女が消えてしまわないかと不安になりながら眠りにつく。
そして朝、目を覚ますたび、彼女が隣にいるのを認めて安堵する。
これまではフェリシアが隣にいてくれるだけで安眠していたのに、今では彼女を腕の中に閉じ込めなければ眠ることができないなんて、情けなくて仕方がない。
今こうしてゴードンに八つ当たりをしているのだって、止められるものなら止めたいのだ。
それでも、口が勝手に動いてしまう。
「心を鍛えたって意味なんかない。私にとってフェリシアはそんな生易しい存在じゃないんだよ。急所みたいなものだ。鍛えられないんだよ。むしろ私に仕事をさせたいなら、フェリシアを隣に置いてくれたほうが……」
口に出して、ああそれがいいかもしれないと、ふと閃く。
常に視界に入れておけば、仕事もこれまで以上に集中できるだろう。
今までだって何度もそう思ってきたが、理性で止めてきたこと。
(けど、フェリシアに捨てられるくらいなら、もういっそ……)
思考が闇の中に沈み込みそうになっとき、コンコンとノック音が響いた。
ハッと我に返ると、開いた扉からフェリシアの顔が覗く。
「失礼します。お話中申し訳ありません。今お時間大丈夫ですか?」
おずおずと微笑む彼女を見た瞬間、頭の中を満たそうとしていた闇が、急速に晴れていくのを感じた。
「あ、ああ。大丈夫だよ。どうかした?」
「実はウィルに相談が……あら? なんだか顔色がよくありませんわね」
フェリシアの手が伸びてきて、前髪をそっとあげられる。
澄んだ新緑の瞳には、今、ウィリアムしか映っていない。あんなことがあっても変わらず自分を心配してくれる彼女を前にして、胸がきゅっと縮んだ。
フェリシアが手招きするのに合わせて身を屈ませると、彼女が内緒話をするように耳元で囁く。
「もしかして、やっぱり眠れてませんの?」
「……やっぱりって?」
「だってウィル、最近私より早く起きてますでしょ? 夜は遅いのに。……あの、もし私の寝言がうるさいとか、寝相が悪いとかありましたら、遠慮せず言ってくださいね」
予想外な話をされて返答が詰まったら、フェリシアがショックを受けたように口元に手を当てた。
「やっぱり私が寝言を言ってたんですね? すみません……! それ以外ウィルが眠れない理由が思いつかないと思ってたら、本当にそうだったなんて……!」
全く違う心配をして、謝る必要のないことを必死に謝るフェリシアに、思わずぽかんとしてしまう。
さっきまでは今にも心が闇に染まりそうだったのに、フェリシアとほんの少し接しただけで、心は綺麗に洗われてしまった。
まるで、彼女自身が瘴気を祓う浄化薬みたいに。
「――ふ、ははっ」
「ウィ、ウィル? 突然笑ってどうしたんですの」
「いや……こうやって私は『堕ちる』のを防がれていたんだなって、急に実感して」
「?」
「もうほんと、生きるも死ぬも君次第だよ」
そう言うと、フェリシアがとても嫌そうに顔を顰めた。そんな表情すら愛らしいだなんて、もうどうしようもない。
やはり彼女に対する耐性なんて、鍛えられるものではないのだ。
「よくわかりませんけど、人に生死の判断を負わせないでくださいませ。さすがに怖いですわ」
「それでこそフェリシア」
「ちょ、重いっ……なんですか、突然。私相談があって来たんですけどっ?」
体重を預けるようにして抱きしめたら、フェリシアが逃げようとして腕の中でもがく。
こうして抵抗されるのは再会した頃のようだと懐かしみながらも、呆れるゴードンに向けて肩をすくめてやった。諦めろ、と目で訴える。
ちゃんと伝わったらしい彼が、盛大なため息をついて部屋を出て行った。
「……え、閣下、なんか怒ってませんでした?」
「大丈夫。あれは私に呆れてただけだから」
このあともしばらくサラたちの警告は続いたが、前のように闇堕ちしかけることなく乗り越えられたのは、やはりフェリシアのおかげだったのは言うまでもない。




