第11話
ジェームズの問に対する答えを有耶無耶にしたまま、私は帰り支度をしていた。
「鍛錬場には行かないのか?」
アダムは既に鍛錬の支度を済ませているようだ。
「うーん。……どうしようかな?」
何となく気が乗らない。でもここでサボると近衛騎士への入団が決まったからと調子に乗っていると思われはしないだろうか。すると、アダムが私の頭に大きな手のひらをポンと乗せた。
「心ここにあらずって感じだな。そんな時は無理するな。逆に怪我に繋がるぞ」
「そうね……」
気づけば学園からは一人、二人と人が減っていた。卒業が決まった彼等は既に自分の未来へと動き出している。
寂しくなった教室をぼんやりと眺めていると、私の気持ちに気付いたアダムが言葉を続けた。
「……俺はもう近衛騎士団の訓練に参加してる」
「え? そうなの?」
私が驚いて聞き返すと、アダムは少しだけバツが悪そうな顔をした。
「抜け駆けしてごめん」
「馬鹿ね、そんなことを気にしているのではないわ。でも皆、色々と既に動き出しているってことよね」
私はがらんとした教室をもう一度眺めた。
ジェームズも例の湖の成分結果を聞きに行くと研究機関へ行ってしまった。教室にはもう私とアダムだけだ。
「お前もどうだ? せめて訓練だけでも参加しないか? 早くから馴染んでいる方が楽だぞ」
アダムの言わんとすることは分かっている。昨晩のレイドの言葉と相まって、私は思わず黙り込んだ。
「……ジェームズと離れ難いか?」
「え? いや……そんなことではないわ。元々卒業したら家を出るつもりだったし」
後ろ盾として伯爵家の地位は守りたいが、フロストの名など、どうでもいい── 前の私ならそう思っていただろうが、今は違う。ジェームズの為にもフロストを守りたいと思う。しかし、私が今出ていくとなると、大変な状況の中、ジェームズに全てを押し付けて、自分だけが逃げるようで後味が悪い。
「何か事情があるみたいだな……だけど、お前はこれから近衛として国に仕える身になるんだ。その為に努力は続けなければならない」
いつもはふざけているアダムが、真剣な眼差して私を見つめる。アダムの言うことは至極最もだと私も理解していた。
「うん……。分かってる。もう学生気分ではいられないって。仕事だものね……それに、私はまだまだ未熟だし」
剣術大会で三位だったとはいえ、上位二人との差は歴然だった。これからも努力し続けなければ、すぐさま私は近衛騎士の中でも落ちこぼれていくだろう。
「そ、そういう意味で言ったんじゃないんだ。ただ……お前のために── 」
「もちろん、アダムの気持ちは分かってるわ。気にかけてくれてありがとう」
私は大きなアダムの手をギュッと握った。
卒業を待たずに王宮へ行くことを考えよう。家を出たからってジェームズとの絆がなくなるわけじゃないし、彼を助けられないわけじゃない。
頭を切り替えた私は、結局アダムと共に鍛錬場へと向かうことにした。
身体を思いっ切り動かしたことで、何となく心のモヤモヤまで晴れた気がした。
私は学園から屋敷へと戻りながら、今後について考える。
「とりあえず二、三日で荷物を纏めて出ていくとして── あ……お父様が留守だわ。でも……別に事後報告でもいいか……」
ブツブツと馬車の中で自分のこれからの動きをシミュレーションしてみる。
あとは……ジェームズにどうやって切り出すか……だ。
「結果……どうだったのかしら?」
研究機関に湖の成分を調べて貰っているはずだ。少し先にある山々に休火山があると聞いたこともある。……期待は膨らんだ。もしあれが温泉と呼ばれるものだったら……。小さな領地だが、観光業を始められるかもしれない。しかしこれはジェームズが伯爵位を継いでから── だ。父にもリンダにも絶対に知られてはならない。
もちろん──ジェーンにも、だ。
ジェームズとジェーン。仲の良い兄妹だったと思うのだが、今はすっかり様変わりしてしまった。ジェーンはジェームズを敵だと思っている節があるし、ジェームズもジェーンの扱いに苦慮している。しかし、二人は間違いなく血の繋がった兄妹だ。
そこまで考えて、ふと私は昔、屋敷で見た男のことを思い出した。……リンダとただならぬ様子だったあの男だ。
あの時に湧いて出た違和感と疑問。ジェームズの髪色に良く似たあの男の正体。結局、幼かった私には手段もなく、あの男を詳しく調べることは出来なかった。── でも、今なら? 近衛騎士になる私になら、何らかの手立てがあるのではないか? そんなことが頭を過る。が、私は小さく首を振ってその考えを頭から追い出した。
調べてどうするというのだ。──もし万が一にでもジェームズやジェーンが……その男の子であったとしたら?
私は憎まれ口を叩きながらも、ずっと私の味方をしてくれていたジェームズの顔と……暗めの赤茶色の髪を思い出していた。
もし……リンダがジェームズとジェーンの出自を偽っていたとして……それを父が知ってしまったらジェームズはどうなるのだろう。
もう止めよう。それを考えても仕方ない。私は……ジェームズの為にフロストを守ると決めたじゃないか。
そんなことを考えているうちに、馬車は屋敷へと到着した。
玄関を入ると、出迎えてくれたマチルダの後ろからある人物が現れる。
「おかえりなさい、アンジェリカ」
リンダが私を、出迎えるなんて……明日はまた嵐になるのかもしれない。
「── ただいま戻りました」
おかえりなさいと言われたから仕方ない。私は何故か自分にそう心の中で言い訳をしていた。
リンダは私の様子など気にすることなく、ニタリと口角を上げた。
「明日、お夕食にお客様をご招待したの。貴女も出席なさいな」
彼等と食卓を囲まなくなって何年経っただろう。お陰でずっと美味しく食事を摂ることが出来ていた。
しかし── 今はそんなことより、彼女の気味の悪い笑顔の方が気になる。ゾワゾワと背中を小さな虫が這い回っているような不快感と気持ち悪さだ。
第六感── いやそんな立派なものではないが虫の知らせとでも言おうか。私はここで『はい』と返事をすることが酷く躊躇われた。




