第16話
何度もジェーンが私に何かを言いに来ようとしているのをジェームズが必死に止めている。
周りに視線を移せば、ゼイン殿下とファーストダンスを踊った私に皆が注目しているような気がして私は不意に俯いた。
「大丈夫ですか?」
アークロイド卿の声が優しい。
「どうでしょう? 明日からの皆様の反応が怖いです……ね」
きっと皆、家に帰ったら言うのだろう。
『今日のデビュタントに白いドレスでゼイン殿下とファーストダンスを踊った身の程を弁えない令嬢がいた』と。
「ゼイン殿下は御自分が決めたことはやり通すことを信条にしておりましてね。しかし、貴女に迷惑がかからないよう、手はずは整えているので安心してください」
私はその言葉に顔を上げた。
「どうやって……?」
「まぁ……表立って貴女やフロスト家を非難する者は居ない……ということです。腹の底は分かりませんが」
その言葉に私は些かげんなりした。
「人の口に戸は立てられませんよ?」
「口にするのと思うのでは違います。まぁ、些か居心地は悪くなるかもしれませんね」
人の気も知らないで……そう思ったが、私はこれ以上を口にすることを止めた。このドレスを着ると決めたのも、ここに来ると決めたのも私だ。ダンスも── アッシャー殿下と踊ることになっていたら、私には耐えられなかったかもしれない。ならば逆に良かったと思うようにしよう。
私はアークロイド卿との会話を切り上げ、ふとホールの中央へと視線を向けた。
そこでは満面の笑みでアッシャー殿下と踊るジェーンが居た。
そういえば、この場で令嬢達のダンスの相手をしているのがアッシャー殿下だけだと気付く。
ゼイン殿下は陛下達と共に壇上の豪華な椅子に長い脚を優雅に組んで眺めているだけだ。
「ゼイン殿下は── 」
無意識に口に出た言葉にアークロイド卿が素早く反応する。
「ダンスはあまり好きではないようです」
私は無言で目を見開いた。── なら、さっきまでのあれは何だったのだ──と。
結局あれからゼイン殿下は一度も踊らず。そして私はアークロイド卿のお陰で、誰とも喋らずに屋敷へと戻ってきた。
帰りまで王宮の馬車で送ってもらう特別待遇に、私の心も少しずつ麻痺してしまったようだ。
── が、屋敷の中ではアークロイド卿の威厳も届かない。
「ちょっと! どういうことなの?」
屋敷に入ると直ぐ様ジェーンに捕まった。
「何がかしら?」
すると私とジェーンの間にジェームズが体をなんとか滑り込ませる。
「ジェーン止めろ。アンジェリカは仕方なく── 」
「何が仕方ないのよ! ドレスを贈られて殿下のファーストダンスまで……!」
ジェーンは怒りが治まらないようだ。自分はアッシャー殿下とのダンスに満面の笑みを浮かべ、頬を紅く染めていたくせに、私がゼイン殿下と踊ったことは気に入らないと見える。
「ドレスはお返しすると約束したわ。ファーストダンスに至っては、私がお断りするなんて不躾なことは出来なかっただけよ」
私は自分の肩を掴んでいたジェーンの手をサッと払うと彼らに背を向けた。
「待ちなさい── !」
ジェーンが後ろから手を伸ばした気配がした。
私が振り返ると、怒りの治まらないジェーンが私を掴もうとしている姿とそれを抑え込もうとするジェームズの姿が一瞬で目に入る。
避けなきゃ──そう思った瞬間だった。
「あのー、すみません」
呑気な男性の声がかかる。
ジェーンもジェームズも、そして私も動きを止め一斉にその声の主に視線を移した。
分厚いレンズの眼鏡をかけた人物。── 彼は新しい御者だった。
資金繰りにあくせくしている我が家は使用人の給金を下げた。そのなかで辞める人間が出るのもそれは仕方のないことだ。
辞めた使用人の穴埋めは今居る使用人達で賄うことになり、ますます使用人は離れていった。
さすがに不味いと思った父は給金を元に戻したらしいのだが、それでも使用人は戻ってこなかったという。
ただ御者だけは不在は困るとのことで、募集をかけて雇われたのが、彼、レイドだ。
しかも彼は安い給金で大丈夫だと笑顔で答えたらしい。── 奇特な人であることは間違いない。
「こちら馬車の中に落ちておりましたが── 」
彼が差し出したのは白い無地のハンカチ。
ジェームズは自分の胸ポケットを探ると、自分のハンカチを取り出した。
「俺のじゃないな。ジェーンの物か?」
「私、そんな地味なハンカチ持ってないわ」
「おや? ……ならばこれはどなたの── 」
二人がレイドと話している。私は我が家の馬車には乗っていないので無関係だとその様子を何気なく見ていたのだが、ふと……レイドと目が合った気がした。
彼の瞳は分厚いレンズの向こう側。視線が合ったのかどうかなど確かめようはないのだが、何となくそんな気がした。
すると今度はレイドが小さく頷く。そこで私はハッとなった。
今の隙に部屋へ戻ってしまおう。私はそう気付くと急いで駆け出し屋敷の階段を上る。
未だハンカチのことで三人が話しているのを尻目に、私は自室へと飛び込んだ。




