剣士と拳士
鉄と安酒、そして硝煙の匂いが入り混じる巨大な建造物。
それが、この街ダッシュのならず者と実力者たちが集う吹き溜まり『冒険者ギルド』だった。重厚な木扉を押し開けると、喧騒が熱波のように全身を打つ。
カズマは大きく息を吸い込み、その熱気の中へと足を踏み入れた。
その右腕の甲には、師匠である雷知から授かった、紺色のパーカーの切れ端が、包帯のように固く巻きつけられている。
「次の方、冒険者登録ですね。こちらの魔力測定器に手を置いてください」
受付嬢の事務的な声に従い、カズマはカウンターに置かれた水晶に手を触れた。
カァッ、と淡い光が漏れ、空中にステータスがホログラムのように浮かび上がる。それを見た受付嬢のペンが、ピタリと止まった。
『属性:雷 / 魔力:5』
「……えっと。魔力、ご……?」
受付嬢の困惑した声は、静まり返ったギルド内に妙によく響いた。
直後、酒場スペースから爆発するような哄笑が巻き起こった。
「おいおい嘘だろ! 魔力5って、幼児以下じゃねぇか!」
「属性が雷だろうが、そんなスッカラカンの魔力じゃ火花一つ散らせねぇよ! 帰って畑でも耕してな!」
最新式の魔道アーマーを着込んだベテラン冒険者たちが、ジョッキを片手に腹を抱えて笑う。中には、カズマの右腕を指差して嘲る者もいた。
「なんだその右腕のボロ布? 武器も持たずにそんなもん巻いて、どっか痛いところでもあんのかぁ?」
男の一人がニヤニヤと笑いながら、カズマの右腕の布に手を伸ばそうとする。
「――触るな」
カズマの声は低く、地を這うような殺気を帯びていた。
「俺を笑うのは勝手にしてくれ。だが……この布を笑うことだけは、絶対に許さねぇぞ」
カズマが男を睨みつけた瞬間、彼の右拳から『バチッ!』と鋭い静電気が弾け、空気が微かに焦げた。魔力ゼロに等しい新人とは思えない、一ヶ月の地獄で培った異様な気迫。それに気圧され、男たちは「チッ」と舌打ちをして引き下がった。
その一部始終を、ギルドの片隅の円卓で静かに見つめている男がいた。
燃えるような赤の長髪を後ろで無造作に束ね、腰には純度の高い魔力を帯びた細身の長剣を差している。端整な顔立ちにクールな瞳を宿したその男――魔法剣士のレオンは、グラスの氷を揺らしながら小さく呟いた。
「……魔力5で、あの威圧感。変な奴が入ってきたな」
冒険者ランクは最も低い『E』からのスタートとなる。
カズマが最初に選んだ依頼は「旧市街地下水道の原生生体種(スライムや巨大ネズミ)の駆除」だった。しかし、ギルドの規則により「新人は生存率を上げるため、最初の数回は必ず二人一組の臨時パーティで行動すること」が義務付けられていた。
「お前が俺の臨時パートナーか。よろしくな、俺はカズマだ!」
地下水道の入り口。じめじめとした風が吹く中で、カズマはニカッと笑って右手を差し出した。
そこに立っていたのは、先ほどギルドでカズマの騒動を見ていた赤髪の男、レオンだった。
「……レオンだ。悪いが、馴れ合うつもりはない」
レオンはカズマの手を無視し、冷たく言い放って暗がりへと歩き出した。
「俺はさっさと実績を積んで上に行く。お前は後ろで適当に身を守って、俺の足を引っ張らないでくれればそれでいい」
「なんだあいつ、すげぇツンツンしてんな……。まぁいいか!」
カズマは差し出した手を頭の後ろに回し、気にする素振りもなくその後を追った。
地下水道は、汚水と淀んだ魔力が混ざり合った独特の悪臭が漂っていた。暗闇の中、水滴が落ちる音だけが反響する。
「キュイィィィッ!」
突如、暗がりから犬ほどもある巨大なネズミの群れ――原生生体種が牙を剥いて襲いかかってきた。
「下がるんだ」
レオンが腰の長剣を滑らかに引き抜いた。刀身に青白い魔力の炎が宿り、周囲の温度が急激に上がる。
「――『炎閃』」
レオンが剣を一閃させると、魔力の刃が鋭い弧を描いて暗闇を切り裂いた。巨大ネズミたちは悲鳴を上げる間もなく、一瞬にして黒焦げになり両断される。無駄のない、美しく洗練された魔法剣技だった。
「すげぇ! かっこいいなそれ!」
目を輝かせるカズマに、レオンは剣を振り下ろして血を払い、ため息をついた。
「お前、本当に武器も魔法もなしで来たのか? 命知らずにも程がある。次は……チッ、数が多いな」
通路の奥から、血の匂いを嗅ぎつけた十匹以上のネズミがさらに押し寄せてくる。
「俺にもやらせてくれ!」
カズマが前に飛び出した。
武器はない。魔力もない。だが、彼には最強の師匠に死ぬほど叩き込まれた『静』と『動』がある。
「キュルルッ!」
ネズミの鋭い飛びかかりを、カズマは『静』の極致とも言える脱力で紙一重で躱す。そしてすれ違いざまに、岩石のように硬化させた『動』の拳をネズミの脳天へと叩き込んだ。
ドゴォッ!!
鈍い破砕音と共に、巨大ネズミの頭蓋が陥没し、壁に激突して絶命した。
「……は?」
レオンは目を疑った。魔力による身体強化も一切なしに、ただの純粋な筋力と体重移動だけで、原生生体種を粉砕している。
「よし、次! オラァッ!」
カズマは次々とネズミの群れに飛び込み、あっという間に素手で制圧してしまった。
「どうだレオン! 俺も結構やれるだろ?」
「お前……本当に人間か? まるで魔物じゃないか」
「失礼だな! これでも不器用なりに必死に泥啜って修行したんだぞ!」
ネズミの駆除も終盤に差し掛かった時。
地下水道の壁が突如として凄まじい音を立てて崩落し、大量の土砂と汚水が雪崩れ込んできた。
「なっ……!?」
濛々と立ち込める土煙の中から姿を現したのは、依頼書には載っていないイレギュラー。
全身を分厚い鋼鉄の装甲殻で覆い、車を真っ二つにするほどの巨大なハサミを持ったバケモノ――旧時代の自律兵器の残骸が地下で独自進化した『機甲種・装甲蟹』だった。本来なら、重火器を装備したDランク以上のパーティが対処する相手だ。
「マズい……! なんでこんな浅い階層に機甲種が!」
レオンが即座に魔法剣に最大魔力を込め、装甲蟹の関節を狙って斬りかかる。
ガギィィッ!
だが、炎を纏った一撃は、分厚い金属装甲に弾き返され、虚しく火花を散らすことしかできなかった。
「くそっ、刃が通らない……!」
体勢を崩したレオンに、装甲蟹の巨大なハサミが容赦なく振り下ろされる。
(……避けられない!)
レオンが死を覚悟し、目を閉じたその瞬間。
「――雷鳴拳っ!!」
轟音と共に、黄金の雷光が地下水道を真っ昼間のように照らし出した。
「カズマ……!?」
目を開けたレオンの視界に飛び込んできたのは、カズマの背中だった。彼はレオンの前に割り込み、振り下ろされた鋼鉄のハサミを、雷を纏った両腕の『動』でガッチリと受け止めていたのだ。
「ぐぅぅぉぉぉっ!!」
カズマの足元の石畳が放射状に砕け、ブーツが削れる。常人なら腕ごと潰されている規格外の衝撃。
「何をしてる! 逃げろ、素手で勝てる相手じゃない!」
レオンの叫びに、カズマは血のにじむ口元でニカッと笑った。
「馬鹿野郎! まだ正式な仲間じゃねぇが……俺は、目の前の人間を見捨てるようなダッセェ生き方はしねぇって決めてんだよ!」
カズマの瞳に、気力と精神力という名の「命の熱」が爆発する。
(師匠……俺に力を貸してくれ!)
右腕のパーカーの切れ端が、カズマの感情と共鳴するように強く光った。
「オラァァァァァッ!!」
カズマはハサミを強引に弾き返し、そのまま装甲蟹の懐へ鋭く踏み込んだ。
雷鳴のエネルギーを右拳一点に集中させた、渾身のストレート。それが、分厚い装甲のど真ん中に突き刺さる。
ドゴォォォォンッ!!!
雷の高周波と圧倒的な物理的打撃が金属分子を内側から破壊し、装甲蟹の巨体が木端微塵に弾け飛んだ。
まばゆい光が収まり、黒焦げになった鉄屑の山の上で、カズマが肩で激しく息をしていた。
「……信じられない。お前、その魔法は……」
「魔法じゃない。俺の気力と根性で雷を生み出す、雷鳴拳だ。魔力5でもやれるって証明しただろ? まぁ、燃費が悪くて長くは持たないんだけどな」
カズマはフラフラと振り返り、レオンに右手を差し出した。
「怪我、ねぇか?」
レオンは差し出された手と、カズマの顔を交互に見つめた。
魔法が使えない落ちこぼれ。暑苦しくて、計算高くない馬鹿。
だが、自分には絶対に真似できない「圧倒的な物理火力」と「仲間を庇う熱さ」を持っている。
「……ふっ」
レオンは小さく笑い、戦闘で解けていた赤い長髪を手櫛で束ね直すと、カズマの手をしっかりと握り返した。
「俺はレオン。魔法剣士だ。俺の流儀は『魔力循環』。剣を魔術の媒体にして、遠距離の魔法放射と近接戦闘をカバーする。だが、魔力消費が激しいのが弱点だ」
レオンはカズマの目を真っ直ぐに見据えた。
「俺には、絶対に上のランクに上り詰めなきゃならない理由がある。だから……俺の剣が通じない装甲は、お前がその拳でぶち破れ」
「……! ああ! 任せとけ!」
かくして、魔法が使えない熱血漢の拳士と、冷静沈着なエリート魔法剣士。
決して交わるはずのなかった二人の、泥臭くも最強のパーティが、薄暗い地下水道で産声を上げたのだった。




