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*ガゼル*


 階段から落ちそうになる令嬢の身体を咄嗟に引き寄せ、ガゼルはその軽さに驚いた。


「……」


 悪のドマ家の娘。アザリア。世間では聖女だと言われた女が、一体本当はどういう生き物なのか、ガゼルは判断がつかないまま今日まで来てしまった。


「……あ、ありがとう」

「……」


 直ぐに感謝の言葉を吐くアザリア。自然に出るものだ。ガゼルは母の言葉を思い出す。


『ありがとうと、ごめんなさいが素直に言える人に悪い人はいないのよ』


「……」

「え!?」

「疲れているなら少し黙っていろ」


 ひょいっと抱き上げて、そのままガゼルはスタスタと階段を上がる。軽い女性1人、抱き上げたまま登るなどガゼルには容易いことだ。


 階段を登りきると、ドアがあり、そこから外へ出られるようになっている。塔の最上階は、城ほどではないけれど高所であり、街が一望できた。


「まぁ……!」

「……」


 黙って運ばれるままになっていたアザリアは、疲労が回復したのか景色を見て声を上げる。


「……アンタには」

「?」

「この景色がどう見える」


 と、ガゼルは問いかける。


 この場所はガゼルが子供の頃に父によく連れてきて貰った場所だった。


『いいかガゼル。この街を見下ろして、よく覚えておけ。この街に暮らす人間の生活を支え、豊かにすることがハヴェル商会の経営理念だ』

『けいえいりねん?』

『商会を運営するにあたって、基礎、基本……そうだな、根っこになる想いだ』


 一つ一つの家を、行き交う人の顔を見て、そこに笑顔があれば嬉しいことだと父はよく語っていた。


「……」


 強い風が吹く。


 アザリアの髪が風で乱れた。貴族令嬢らしいリボンやレースのたっぷりついた帽子は吹き飛びそうだったので早々に手に持っていたが、無防備な髪は結い上げられていたものがほどける。


 赤い髪が青い空によく映えた。


「……どうって。そうね。そうですね」


 街を見下ろすドマの娘の目から急激に感情らしいものが消えていく。


「…………ドマとしてであれば、あの屋根の一つ一つ、行き交う人の一人一人が、ドマの養分になるための存在。それが、一望できるこの場所は素晴らしいと思います」


 ガゼルは失望した。


 冷たい表情で答えたアザリアは聖女などではなく、悪のドマ家の娘らしいものだ。

 ガゼルは何か期待していたのかもしれない。


 この景色を見て、父と同じような、あるいは、何か“慈悲深い言葉”でも聞けたのなら、ガゼルはアザリアを信用できると思えた。


 妹の思惑通り、この女は“利用する”ための存在だと、そのように決定付けるべきだ。


「ただ」


 アザリアが言葉を続ける。


「あなたがこの景色を私に見せた理由を考えたわ。あなたにとって、この景色がただの景色じゃなくて、この景色を作る全て。街並み。人の営みがあなたにとって“大切”だっていうのなら」

「……」

「“この街の人の生活を支えているハヴェル商会だ”という自負を取り戻す手伝いをするわ」

「……そういう風にしか考えられないのか、アンタは」

「何か気に障りましたか」


 怒気を込めたガゼルの言葉に、アザリアが首を傾げる。


「……もういい」


 ガゼルは自分が、ドマの娘などに期待していたことを恥じた。


 協力者として信用できるかもしれないと、同じ目的を持ち歩むにあたり、信頼できるかもしれないと、その可能性を見出していた。

 だからこの場所で確認をしたかった。それは、間違いだった。


「……何か不満があるのですか?」

「不満?そんなものはない。アンタは、俺と妹を“助けて”くれるんだろう。俺たちを、従業員を、商会を、守ってくれる。そのアンタに、不満などあるわけがない」


 十分だと、ガゼルは吐き捨てた。


 自分で言って、身勝手さも感じていた。十分。そうだ、十分なのだ。

 妹の言う通り、この女の機嫌を取っていれば何も問題はない。何もかも、問題があったとしても、この女と、ドマ家がどうにでも“してくれる”ような、夢のチケットをガゼルは手に入れた。


「……」


 ガゼルは街を見下ろす。

 かつて父に連れて来られた時とは、目線が違う。高さが単純に違う。父の顔を思い出した。


「……」


 ガゼルはアザリアを信用したかった。

 信頼して、そして、どうしたかったのか。


「……」

「ガゼル様、私に……まだ何か、して欲しいことがあるんじゃありませんか?」


 ガゼルにぞんざいに扱われたというのに、アザリアはガゼルに対して無礼とは言わない。ガゼルが黙ったことを「どうかしたのか」と案ずるような様子さえあり、それを自分が何か手伝いができるのではないかと、申し出てくる。


 ガゼルはこの女がわからなかった。


 優しさのようなものを感じさえする。

 だというのに、あのドマの女だとうんざりするような言葉も吐く。


「……」


 ガゼルは手すりを握りしめた。


「……俺は、アンタを共犯者にしたかった」

「共犯者」

「……俺は」


 言葉を言いよどむ。


 商会の事。従業員のこと。父の命。何もかも、これからドマの女の機嫌さえとっていれば上手くいく。


 だけれどガゼルは。ガゼルが望んでいることは、それだけではなかった。


「……父は本当に、愚かなことをしたのか?」


 世間も妹も、そして自分自身も、父の行った愚かな行為を事実と受け入れた。


 だけれどガゼルには、欲があった。

 物的証拠、状況。様々な証言のなにもかもが、父が若い女に溺れたという醜聞を肯定している。


 だというのに、ガゼルは、わかっているのに。


(この景色を見て、この街の豊かさを願った親父を)


 信じたい。

 と、そのように。


 ドマの女を信じられたら、信用できたら、ドマの女でさえ信用できるのなら、この時の父の顔を肯定できると、そのように。




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