第1話 余命二年の旦那様が「運命の嫁を連れてこい」と無茶を言います
「うわあああ! また駄目だったああああ!」
ああ、旦那様は今日もうるさい。放り投げられた紙が宙を舞い、無情にも地面へ落ちていく。読まずとも内容は察しがついた。あれは婚約辞退状だろう。私がお仕えする月の国の領主であるノクト・イーエン様との。
「旦那様、散らかさないでください」
ノクト様の従者であるエクレティカ・テルブルア。つまり私は、床に散らばった手紙を黙々と拾い集める。
「レティ、主人が嘆いているんだぞ? 俺の従者なら、優しく慰めてくれてもいいんじゃないか?」
机に顔を伏せていた旦那様がじとりとこちらを見上げる。慰めてくれ、と言わんばかりの目だ。声だけでなく顔まで騒々しい。可哀想どころか、もうなんの感慨も湧かない。なにせ、これで十二連敗なのだから。
「慰めを望む前に、ご自身の至らぬ点を振り返るのが最善かと」
「だあっ! そんな目で見られたら、見られたら……っ」
眉ひとつ、表情すら動かさずに答えるとノクト様はぽっと頬を染めた。従者として苦言を呈するのも務めだが、この方は厳しくされるほど喜んでしまう性質なのだ。まったく効果がない。
月から舞い降りた精霊を思わせる金の髪、覗く角度で色を変える虹色の瞳。すらりとした体躯に雪のような肌までも兼ね備え、放っておけばご令嬢たちが列をなすはずの美貌をおもちでいらっしゃるのだ、我が主人は……もちろん、口を閉じていればの話だが。
「まあ、結婚は焦ってするものでもないしな」
ノクト様には婚約者がいらっしゃらないので、悠長に構えている場合ではない。彼が結婚を急がねばならぬ理由は、他にもあるのだが──今は考えずにおこう。私は私の務めを果たすだけだ。
「旦那様。贈り物はどうなさいますか」
誰への贈り物か、まだぴんとこない様子の彼に、私は今朝方に届いたもう一通の手紙を差し出す。果ての国からの差出人の名を目にすると、ノクト様の目元が懐かしさにふっと緩んでいた。
「そういえば、あいつも独り身だったな。俺もまだまだ大丈──」
「ご結婚されたそうです」
え、と手紙を握る手に力がこもり、慌てて中身を取り出そうとしている。ご友人の結婚を信じられていない主人に補足を付け加えておかなければ。
「もうすぐお子様もお生まれになるとか」
何度も「は?」を繰り返しながら、食い入るように紙面を睨みつけて読み込んでいた。ご結婚とご出産が同時期とあっては贈り物選びも一苦労だな、と考えていると、ノクト様は低い唸り声を絞り出して涙目で命じる。
「贈り物は奥方が喜ぶものだけにしろ。あいつには黄色のカサブランカだけでいい……他にはなにも用意するな!」
「はあ、本当によろしいので?」
「豊穣祭で会った時はそんな気配なかったのに、抜け駆けしやがって。あんまりだぁ〜っ!」
黄色のカサブランカ──花言葉は裏切りだったか。それを贈られる辺境伯もとんだ災難だ。そんなことを思っていると、先ほどまでばたばたと騒ぎ立てていたノクト様が咳き込み始める。
「旦那様!」
発作だ。咳が止まらない。息をするのもままならぬほどの激しさに、私は常備している主人の薬と水を取った。口に含ませると、ノクト様は胸を押さえてすぐに息を整えた。
「…………たい」
下を向いていらっしゃるせいか、うまく聞き取れない。声を拾おうと顔を近づけた、その時だった。
「俺も運命のお嫁さんと結婚したいっ!!」
至近距離での大音量に耳をふさぐ。それでも鼓膜が破れてしまったかと錯覚するほどだ。迂闊だった。私の鉄壁の表情筋もこの方の声量には負けてしまいそうになる。
しかも、この主人はまた突飛なことを言い出したぞ。運命のお嫁さん、だって?
「命令だ! レティ、俺の花嫁を探してこいっ」
「釣書でしたらこちらに」
ノクト様はぶんぶんと頭を横に振ると、私の肩を掴んで前後に思い切り揺さぶってきた。首が、首がもぎれる。
「運命的な出会いでなければ認めないっ」
「そ、そんな無茶な」
「主人の最期の願いくらい従者なら叶えてくれよ!」
ぐっと喉が詰まった。その言葉に私は敵わない。月の国を統べるイーエン家には代々受け継がれてしまう呪いがある。
月の呪い。国に満ちる膨大な魔力を一身に受け続け、必ず二十五歳で命を落とす。それがこの一族に課せられた宿命だった。もちろん我が主人、ノクト様もこの呪いに蝕まれている。
そして彼は今、二十三歳だ。気丈に振る舞っていらっしゃるが、残された時間はあと二年しかない。イーエンの血が子を残さずに絶えれば、溜め込んだ体内の高い魔力が消滅せずに暴発する。月の国そのものを滅ぼしてしまわぬよう、彼は結婚を急がねばならない。
「承知いたしました」
私は従者となったその日から、最後までこの方のそばに在ると──そう決めていた。彼の願いを叶えることに迷いなど要らない。
自らの恋心に蓋をすることにも慣れた。完璧な従者の仮面をかぶり、私は高らかに宣誓する。
「あなた様の忠実な従者、エクレティカ・テルブルアが必ずや運命のお相手をお連れしましょう!」




