原本は?
「エミリアーナ・スペンサー!」
卒業記念パーティーの最中。
突如として響き渡った王太子の怒声に、会場中の視線が一斉に集まった。
名を呼ばれた公爵令嬢エミリアーナは、ゆっくりと顔を上げる。
「貴様は公爵令嬢でありながら、私の婚約者でありながら、メリーに対して数々の嫌がらせを行った!」
王太子の胸に寄り添う、男爵令嬢メリー。
王太子の胸の中で子リスのように震え、今にも泣き出しそうな顔をしている。
「わ、私はただ……。」
「黙れ!」
王太子はエミリアーナの言葉を遮った。
「証拠も証人も揃っている!もはや言い逃れは出来ん!」
その言葉に、王太子の取り巻きたちも声を上げる。
「そうだ!」
「メリー嬢を虐めていたくせに!」
「恥を知れ!」
会場の空気は完全にエミリアーナへの非難一色だった。
(どうして……。)
エミリアーナは唇を噛む。
確かにメリーと仲が良かったとは言えない。
だが、嫌がらせなどした覚えはなかった。
『婚約者の居る殿方に気安く触れてはなりません。名前を呼ぶなど言語両断。』と貴族社会の常識を幾度となく注意して来たぐらいだ。
それをイジメと受け取ったのか?
エミリアーナが反論するが、相手方の声にかき消されてしまう。
この場の誰も、耳を貸そうとはしない。
このまま婚約破棄されるのだろう。
そう覚悟した時だった。
「待たれよ。」
低く、よく通る声が会場に響き、全員が反射的に振り返る。
そこには見慣れぬ異国の装いをした三人の男が立っていた。
一人は長い黒髪を隙なく整えた色白の男。
鋭い眼差しと隙の無い立ち姿から、只者ではないことが窺える。
その隣には柔和な笑みを浮かべた男。
そして少し後ろには白頭巾を被り、杖をついた男が静かに控えていた。
会場に沈黙が落ち、やがて誰かが呟いた。
「……誰?」
すると、その声に続くように。
「誰?」
「誰だ?」
「誰なの?」
会場中の声が見事に揃った。
色白の男は一歩前へ進み出る。
「某は石田治部少輔三成と申します。」
丁寧に一礼する。
「突然参りました無礼、お許し頂きたく。」
さらに隣の男も前へ出た。
「片桐東市正且元にございます。
そして、此方は大谷刑部大輔吉継にございまする。」
白頭巾の男が会場に一礼、且元は柔らかな笑みを浮かべながら続ける。
「王太子殿が申された婚約破棄につきまして、少々確認したきことがございましてな。」
「確認だと?」
王太子が眉をひそめる。
「左様。」
且元は穏やかに頷いた。
「婚約破棄とのことですが、まず公爵家への事前通達は済ませておられますか?」
王太子の顔が固まる。
「……は?」
「両家の合意文書は?」
「……。」
「国王陛下への正式な報告は?」
「……。」
「婚約解消後の持参金や契約の整理は?」
「……。」
会場が静まり返る中、且元は穏やかな笑みを崩さない。
「まだございまする。」
王太子の額に汗が浮かんだ。
その横で三成が一枚の紙を手に取る。
「さて。」
冷たい声だった。
「嫌がらせの証拠がある、と申されたな。」
王太子が反射的に胸を張る。
「ああ!あるとも!」
「ほう。」
「エミリアーナがメリーに脅迫文を送ったのだ!」
「これですぅ!」
三成はその紙を受け取り、見下ろした。
「これ原本ですか?」
「……え?」
「原本でなければ、写し。原本はどちらに?」
「……。」
「筆跡確認は?」
「……。」
「封蝋は?」
「……。」
「保管責任者は?」
「……。」
「証拠保全は?」
「……。」
「第三者による裏付けは?」
「……。」
三成は静かに顔を上げた。
「証人。」
取り巻きたちが一歩前へ出る。
「私たちです!」
「見ました!」
「間違いありません!」
三成は頷く。
「全員、王太子殿のお仲間にございまする。」
「なっ……!」
「第三者証言は?」
沈黙。
その時、後ろで黙っていた白頭巾の男が初めて口を開いた。
「おらんのやな。」
穏やかな声だった。だが妙な圧があった。
「そら、しんどいなぁ。」
会場の誰もが理由もなく背筋を震わせた。
「第三者証言は無い、と。」
石田三成は淡々と告げると、王太子の顔が引き攣る。
「そ、それは……。」
「では次。」
逃がさない。
三成は手元の書類へ視線を落とした。
「男爵令嬢メリー殿が受けたとされる嫌がらせ。」
「そうだ!」
王太子が勢いよく頷く。
「この女はメリーを虐めていた!」
「そうですぅ……。」
メリーは涙を浮かべながら王太子へ寄り添った。
三成は無表情のまま淡々と続ける。
「被害報告はいつ出された?」
「え?」
「誰に?」
「……。」
「記録は?」
「……。」
「担当者は?」
「……。」
会場が静まり返る。
「無いんか。」
三成は小さく呟いた。
「ならば、ただの口頭報告やな。」
王太子の額から汗が流れる。
その横で片桐且元が柔らかく微笑んだ。
「まぁまぁ、治部殿。」
「なんです?」
「もしかすると、王太子殿は事後報告を予定されておったのかもしれませぬ。」
「ほう。」
三成が王太子を見る。
「では、報告書は?」
「……。」
「作成途中?」
「……。」
「担当者は?」
「……。」
「居らぬのですな。」
且元は優しく頷いた。
「居らぬようじゃのう。」
優しい。だが全然助かっていない。むしろ追い詰めている。
「し、しかし!」
王太子が声を荒げた。
「私は王太子だぞ!」
「存じております。」
且元は即答した。
「だからこそ確認しておるのです。」
「なっ……。」
「王太子殿の一言で婚約を破棄できるのであれば、明日には諸侯らも同じ事を始めましょうな。」
「……。」
「契約も約束も不要になります。」
「……。」
「国として大変困ります。」
会場の貴族たちが頷いた。
その通りだった。婚約とは家と家の契約だ。
感情だけで破棄できるものではない。
「それに。」
且元はメリーを見る。
「男爵令嬢殿。」
「は、はい!」
「仮に王太子妃になられたとして。」
「はい!」
「王家主催の夜会の取り仕切り。」
「……。」
「外国使節の接遇。」
「……。」
「諸侯夫人との折衝。」
「……。」
「王族の婚姻調整。」
「……。」
「王宮人事。」
「……。」
メリーの顔色がみるみる青くなる。
「お出来になると?」
「そ、それは……。」
「学ばれましたか?」
「……。」
「当然、ご存知ですよね?」
「……。」
「やった事は?」
「……ありません。」
且元はゆっくり頷いた。
「そうですか。」
その声は穏やかだったが、会場の空気は重い。
その時、後ろで黙っていた大谷吉継が小さく笑った。
「そら、怒るわ。」
全員の視線が集まり、吉継は肩を竦めた。
「公爵令嬢殿は、その辺全部やるつもりで育てられとったんやろ?」
エミリアーナが思わず頷く。
「はい。」
「せやろな。」
吉継は笑う。
「ほな、男爵令嬢殿。」
メリーがびくりと肩を震わせた。
「なんで王太子妃になれる思ったん?」
会場が凍り付いた。
王太子の取り巻きですら答えられない。
メリーは口を開き、閉じる。何も言えない。
吉継は困ったように首を傾げた。
「いや、嫌味ちゃうんやでぇ。」
絶対嫌味である。
「純粋に気になっただけなん。」
そして、三成が静かにエミリアーナへ向き直る。
「姫君。」
「はい。」
「確認ですが。」
「はい。」
「この国。」
一拍。
「立て直しますか?」
「……。」
「それとも出られますか?」
会場の誰もが息を呑んだ。
三成は本気だった。
王太子、男爵令嬢、取り巻き。
証拠なし、根回しなし、計画なし。
三成の中では既に結論が出ていた。
――これは国の問題である。
エミリアーナはしばらく考え、ゆっくりと微笑む。
「そうですね。」
その笑顔を見た瞬間、王太子だけが、自分がとんでもない崖の上に立たされている事を理解し始めた。




