第76話 凍結要求
広場の集会は、一度では終わらなかった。
二日目には参加者が倍になり、三日目には他の都市でも同じ集会が開かれた。呼びかけた者の名は、どの都市でも出ていない。
掲げられる標語は単純だ。
『失敗に時効を』
『永遠の記録をやめろ』
感情だけではない。元の商団主、元従業員、その家族。公開履歴のせいで再起に時間を要した者たちが、具体的な事例を語った。
「契約は取れた。だが、取引先が過去の失敗を理由に、最終段階で撤退した」
「改善履歴を説明しても、検索結果は変わらない」
検索結果。その言葉に、エリシアは眉をわずかに動かした。並べ替えの順序は、設計のときに三日かけて決めた。決めたときは、公平になるように決めたつもりだった。
公開は正確だ。だが、受け取られ方は制御できない。
王宮では、緊急議会が開かれていた。
「公開枠組みの一時凍結を提案する」
保守派の議員が立ち上がる。
「社会不安の拡大を防ぐためだ」
「凍結は理念の否定です」
反対派が即座に応じる。
「理念より安定だ」
議場は荒れた。理念と安定を並べて置くと、どちらを選んでも半分の議員が黙る。
レオンハルトは静かに両者を見渡す。荒れているあいだ、彼は一度も机を叩かなかった。
「凍結すれば、何が起きる」
誰も即答できない。
「不正の抑止は弱まる」
「市場は不透明になる」
「だが、炎上は止まるかもしれない」
可能性の話ばかりだった。止めた場合に何が起きるかは、止めてみないと分からない。分からないことを、議会は決められない。
ハルフェンの会合室では、緊急の対策案が並べられていた。失敗履歴の表示年限の短縮、個人名の匿名化、改善履歴の優先表示。どれも一晩で書かれたもので、書いた本人が効くと思っていない。
「対症療法です」
アルノーが言う。
「根本は、切り取りができることです」
ヴァルドが続ける。
「画像にすれば、文脈は消えます」
沈黙が落ちる。画像にすれば文脈は消える、という一文に、誰も反論を用意できなかった。
エリシアは、卓上に置いたままの北の州の収量表を開いた。
二十年前の三年目。不正はゼロになっている。数字は美しく、注記も丁寧だ。四年目の頁を開くと、村の名が三つ、消えていた。消えた理由の欄はない。欄そのものがない。
「これは、公開が正しく機能した記録です」
彼女は言った。
「不正はなくなりました。人もいなくなりました。二つは同じ紙に載っていません」
「載せる欄を作りますか」
ヴァルドが聞く。
「作っても、二十年遅い」
エリシアはゆっくりと椅子に座った。二十年遅い、と自分で言ったところで、声がわずかに乾いた。
「凍結案が可決される可能性は」
「五分です」
ヴァルドが答える。五分、という言い方を、彼はもう三度した。
「世論次第で傾きます」
窓の外、広場では再び集会が始まっている。怒号というより、訴えだった。訴えは、退けにくい。
「失敗に終わりを」
「再起に余白を」
エリシアは、初めてはっきりと考えた。
凍結。公開を、一度止める。それは敗北か、それとも責任か。
机の上の記録帳に、指先が触れる。制度は人のためにある。だが、人が制度に傷つくなら。書きかけの行は、そこで止まったままだった。
扉が開いた。
「殿下がお見えです」
レオンハルトが入室する。
「凍結案が正式に議題へ上がった」
短い言葉だった。前置きも、こちらの意向を確かめる問いも無い。
エリシアは静かに立ち上がる。北の州の収量表を閉じ、王子のほうへ滑らせた。
「先に、これを読んでいただけますか」
「何だ」
「不正がなくなった年の記録です」
不正がゼロになった年の表は、誰も読みません。読まれない記録は、たいてい正しい。次の話で、殿下と設計者が、追放の日以来はじめて正面から向き合います。机の上には読み終えた収量表、議題は凍結の是非。ただしエリシアの口から出るのは、凍結という言葉ではありません。




