第67話 効率の盾
帝国の回答待ち、二日目。公開枠組みは静かだった。だが、水面下では緊張が走っている。
そのとき、ハルフェンに一人の男が現れた。取り次ぎもなく、会合室の扉が普通に開いた。
「久しぶりですね」
カイ・ルーベルト。動的評価指数の採決以降、前線から一歩引いていた彼が、再び会合室に入ってくる。
「参戦ですか」
エリシアが問う。
「防衛戦でしょう」
即答だった。参戦と防衛戦の違いを、彼は最初の一言で線引きしている。
カイは資料を広げる。持ってきた束は薄い。薄いぶん、詰まっている。
「帝国は公開を読んで、弱点を選択した」
「ええ」
「ならば、弱点を減らせばいい」
単純だが、強い発想だった。攻める側の論理を、そのまま裏返して守りに使っている。
「どうやって」
「効率を、内側に使います」
彼は新しい指標を提示した。
『依存分散指数』
港湾依存率の上限設定。代替経路の構築速度の数値化。中間層の資本耐性の最低基準。
「効率は、淘汰のためだけではありません」
カイは淡々と続ける。話す速度は、初めて会った日と変わらない。
「構造を強くするためにも使えます」
エリシアは資料を読み込んだ。依存率が一定を超えれば、自動で改善勧告が表示される。資本の集中が過度になれば、分散を促す指標が点灯する。
「透明性は、弱点を晒します」
カイは言う。
「だが、同時に改善の方向も示せる」
「一点、足していただけますか」
エリシアは言った。
「任意支出の削減速度を、依存分散指数の分母に入れてください」
カイが顔を上げる。指標の話をしているときに、指標以外の話が挟まったときの顔だった。
「関係がありません。任意支出は構造耐性に寄与しない」
「寄与します」
彼女は二度目の帳簿を卓に置いた。紐は解いてある。
「これは、二度潰れた商会の帳簿です。二度目に、本人が自分で欄を足しています。待った日数、と書いてあります」
カイは、その欄をしばらく見ていた。罫の波打っているところで、視線が止まっている。
「……これは、統計ではありません」
「一件です」
「一件で指標は動かせない」
「動かせません。ですから、欄だけ作ります」
エリシアは言った。
「数字は、あとから入ります。欄がなければ、永遠に入りません」
カイは資料を閉じ、それから開き直した。
「分母には入れません。別欄にします」
彼は淡々と言った。
「入れれば、指数の説明が長くなる。長い説明は、使われません」
「それで構いません」
「一つ、聞かせてください」
カイは言った。
「その欄が埋まるまで、何年かかりますか」
「分かりません」
「では、なぜ作る」
「あなたのお父様の七年が、どこにも残っていないからです」
彼はしばらく黙っていた。焼いた、と言った夜から、この話題は二人のあいだで一度も出ていない。
「……別欄です」
それだけ言って、資料を巻いた。巻いた紙の端が、いつもの揃え方になっていない。
ヴァルドが呟く。
「公開を、攻撃に耐える形にするわけですね」
「そうです」
カイは答えた。効率は刃だ。だが、盾にもなる。
その夜、王宮でレオンハルトに報告が上がった。
「依存分散指数を公開枠組みに追加する提案です」
「帝国への対抗策か」
「直接ではありません。構造の改善です」
王子は頷いた。報告の紙をもう一度読み返し、指標の名を口の中で一度繰り返す。
「理念を曲げていないな」
「ええ」
翌日、公開枠組みに新しい指標案が掲示された。市場は即座に反応する。特定港湾の依存率が可視化され、投資家の一部が自主的に分散を始めた。帝国の選択圧力は、やや鈍った。
イグナーツは報告を受けた。
「……興味深い」
帝国側が選んだ弱点が、即座に補強され始めている。
「彼らは、学習が速い」
側近が言う。
「透明性は適応速度を上げる」
イグナーツは静かに言った。
「戦略としては悪くない」
彼は掲示された指標の末尾に、小さな別欄があることに気づいた。見出しは、任意支出の削減速度。数字は入っていない。
「これは、空です」
「空です」
側近が確認する。
イグナーツは、しばらくその空欄を見ていた。埋まっていない欄を掲示するのは、弱みを一つ増やすのと同じだ。増やしたうえで掲示している。
「空の欄を、公開する国があるとはな」
効率が盾になる回。カイに「別欄です」と二度言わせたのは、彼が折れたのではなく、使われない指標を作らない人だからです。長い説明は使われない。設計者同士の敬意は、だいたいこういう形で出ます。次回、王宮の外交応接室。レオンハルトが上着の内側から、折り目の深くなった一枚の紙を出します。ブックマークと評価は、分母には入れません。別欄で受け取ります。




