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婚約破棄されたので、王宮を出て制度を作り直します ~王国の財政を握っていたのは私でした~  作者: 月守いとは


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第66話 対称という刃

 帝国共同管理案への回答期限、前日。公開枠組みの臨時会合には、参加者が全員揃っていた。


 イグナーツも、いつもの静かな表情で席に着いている。手元には何も置いていない。読むものは全部、来る前に読んできた顔だった。


 エリシアはゆっくりと立ち上がった。手元の資料は伏せたままにしてある。読み上げる文ではないからだ。


「帝国の共同管理案は合理的です」


 否定から入らない。否定から入れば、この先の条件が全部、負け惜しみに見える。


「短期の安定も見込めます」


 イグナーツがわずかに頷く。合意ではなく、話の運びを認めた頷き方だった。


「ですが、前提が非対称です」


 会場が静まる。非対称、という言葉は、この半年ずっと誰かが言いかけては飲み込んできた言葉だった。


「王国は、産業依存率、資本流動、改善履歴を全面公開しています。帝国は、部分参加に留まっています」


 イグナーツの目がわずかに細まった。指摘そのものより、指摘の順番のほうを測っている目だった。


「提案します」


 資料が配布される。


『相互透明性協定(案)』


 条項は簡潔だった。両国の主要産業依存率の同等公開。港湾収支の定期公開。中規模団体の資本耐性の統計共有。緊急時の相互開示。


 そして、五つ目。


 任意支出の一覧と、その見直し履歴。


「共同管理を行うなら、構造も対称にする」


 会場がざわつく。これは拒絶ではない。だが、条件だ。条件は、拒絶よりも断りにくい。


「帝国の透明性が王国と同水準であるなら、共同管理は真に対等になります」


 イグナーツは静かに資料を読んだ。表情は変わらない。ただ、五つ目の条項のところで、頁をめくる手が一度戻った。


「興味深い提案です。だが、帝国は主権国家です」


「王国もです」


 エリシアは即答する。主権という言葉を、こちらから先に使わせない。


「透明性は理念ではなく、選択です。ならば、帝国も選択できます」


 短い沈黙。空気が張り詰める。誰も水差しに手を伸ばさない。


「一つ、確認したい」


 イグナーツが五つ目の条項を指した。


「任意支出とは、何を指しますか」


「止めても、明日は止まらないものです」


 エリシアは答えた。項目の名を挙げるとき、一つずつ間を置いた。


「再教育の枠。保育の補助。互助金。夜間の照明。港が回ることには関係しません。ですから、資金が細ると最初に外れます。外れたことは、どこにも載りません」


「それは、我が国の内政です」


「王国も同じ条項を負います」


 イグナーツは、資料から目を上げた。


「なぜ、この項目を」


「南部第二港の再教育枠が、今期見送られました」


 エリシアは言った。


「貴国の判断には入らない、とおっしゃいました。あちらの運営の判断だ、と。そのとおりです。ですから、どちらの帳簿にも載らない項目を、両方の帳簿に載せます」


 誰も、次の言葉を継がなかった。どちらの帳簿にも載らない、という言い方の意味を、全員がそれぞれの持ち場で数え直している。


「帝国が公開を拒めば」


 アルノーが続ける。声が硬い。理念を材料に使うことに、彼はまだ慣れていない。


「共同管理の正当性は失われます」


 理念を、外交の材料に変えた。変えた瞬間から、理念は守るものではなく、使うものになる。


 イグナーツはしばらく考えたあと、口を開いた。


「帝国は、情報を戦略資源と捉えています」


「王国は、信頼資源と捉えています」


 視線が交差する。戦略資源と信頼資源。同じものを、二つの言葉が別々に持っていこうとしている。


「資源は、対称でなければ均衡しません」


 エリシアの声は静かだった。均衡という言葉を、この日、彼女は三度使った。


 イグナーツはゆっくりと立ち上がる。


「回答は、三日以内に」


 それだけ言って退席した。扉のところで一度足を止め、振り返らずに付け足す。


「あの五つ目は、あなたが考えたものではありませんね」


「はい」


 エリシアは答えた。


「二度潰れた人が、自分で作った欄です」


 扉が閉まった。閉まる音が、いつもより長く残った。


 会合室に重い沈黙が残る。


「……通じますか」


 ヴァルドが小さく問う。会合室に残っているのは、もう二人だけだった。


「わかりません」


 エリシアは正直に答えた。


「ですが、これで一方的ではなくなりました」


 その夜、王宮でレオンハルトが問うた。


「帝国は応じると思うか」


「応じれば、理念を受け入れることになります。応じなければ、透明性を拒む国家と見なされます」


 王子は静かに笑った。笑ってから、報告を持ってきた者に下がるよう告げ、灯りを一つだけ残させた。


「選択を迫ったのか」


「はい」


「ならば、外交は始まった」


 港の灯りが、再び強く見えた。

理念を外交の材料に変える回ですが、変えたのはエリシアではなく、五つ目の条項のほうだと思って書いています。再教育の枠、保育の補助、互助金、夜間の照明。港が回ることには関係のない一覧が、初めて国と国の卓に載りました。カイ・ルーベルトが戻ってきます。参戦ではなく、防衛戦だと言って。ブックマークと評価に、回答期限はつけません。三日を過ぎても受け付けます。

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