第28話 断るという決断
王国監査局の廊下は、いつもより広く感じられた。
実際に変わったわけではない。
ただ、クレア・ミルトンの歩く場所が、そこから外れただけだ。
「……辞退、ですか」
人事担当官は、書類を見下ろしながら確認する。
「はい」
それ以上の説明はしない。
求められてもいない。
書類は受理され、形式的な手続きが淡々と進む。
懲罰はない。
評価が下がるわけでもない。
だが――
「当面、重要案件からは外れます」
それは、穏やかな言葉で告げられた。
「理解しています」
クレアは、静かに答えた。
職を失ったわけではない。
だが、核心からは遠ざけられた。
それで十分だ。
昼休み。
食堂の片隅で、同僚が声をかけてきた。
「……後悔してないのか?」
「いいえ」
即答だった。
「むしろ、ようやく自分の位置が分かりました」
同僚は、苦笑する。
「君は、面倒な人間だな」
「よく言われます」
冗談めいた会話。
だが、これが最後になる気がした。
午後。
クレアは、監査局の倉庫に立ち寄った。
廃棄予定の旧帳票。
制度改定前の記録。
誰も見向きもしない紙の山だ。
「……ここに、残っている」
彼女は、黙々と整理を始める。
表に出なかった数値。
途中で消えた試算。
判断されなかった案。
それらは、無価値ではない。
ただ、**都合が悪かった**だけだ。
夕方。
下宿に戻ると、見慣れない封筒が届いていた。
差出人は、学術機関。
だが、文面は簡潔だった。
『記録の保全について、協力を申し出たい』
署名はなかった。
だが、誰の手かは分かる。
「……拾われた」
エリシアの言葉が、胸に響く。
――必ず、誰かが拾う。
その夜。
クレアは、新しいノートを開いた。
表紙に書く。
『制度外記録:王国』
そこには、肩書きも、公印もない。
ただ、事実だけを書く。
これは、仕事ではない。
評価も、報酬もない。
だが――
「……これが、私の役割ですね」
彼女は、ペンを走らせた。
王国の外に立つ者として、
王国を記録する。
それは、孤立ではない。
**立場の変更**だ。
夜更け。
王宮の灯りが、遠くに見える。
かつて、そこに戻る道があると思っていた。
今は、もう思わない。
断るという決断は、
何かを失うことではなかった。
自分が、どこに立つかを、
ようやく選んだだけだ。




