↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、王宮を出て制度を作り直します ~王国の財政を握っていたのは私でした~  作者: 月守いとは


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
103/135

第104話 選び終えた先に

 それから、季節が一つ巡った。港の風の向きが、去年と同じ時期に同じように変わった。


 港は変わらず動いている。公開枠組みは日常の一部になり、人々はそれを特別なものとして扱わなくなった。誰も名前を呼ばなくなったものが、いちばん長く続く。それが、一つの完成だった。


 ハルフェン本部。エリシアの机の上には、決裁書ではなく報告書が並んでいる。制度の最前線ではなく、少し引いた場所。設計者としてではなく、監査と助言の立場。それが今の役割だった。


「最近は落ち着きましたね」


 ヴァルドが言う。落ち着いた、という言葉を、彼はもう疑わずに使う。


「ええ」


「問題が消えたわけではありませんが」


「消えることはありません」


 エリシアは微かに笑う。消えることはありません、と答えるのに、以前ほど力が要らなくなった。


「それでいいんです」


 問題があるから、選び続ける。


 午後、久しぶりにあの場所へ向かった。最初に追放されて降り立った、港の外れ。今では整備され、穏やかな遊歩道になっている。石畳は新しく、あの日に踏んだ土は一寸も残っていない。


 風はあの日と同じだ。ただ、自分が違う。


「……来ると思っていた」


 振り向くと、レオンハルトが立っていた。驚きはない。ただ、自然に受け入れる距離だった。


「ここに来ると、原点を思い出します」


 エリシアが言う。原点、という言い方を、二年前ならしなかった。


「あの日、何もなかった場所です」


「今は、すべてがある」


 王子が応じる。すべてがある、という言い方に、彼自身は入っていない。少しの沈黙があった。


「制度は安定した。だが、完成ではない」


「ええ。完成はしません」


 それは、もう互いに分かっている。


「だから、私は一歩引きました」


 エリシアが言う。一歩引きました、と口に出すのは、これが初めてだった。


「制度は私のものではないからです」


 王子は小さく頷く。


「正しい判断だ。お前がいなくても動くなら、本物だ」


 風が吹く。灯りが揺れる。


「一つ、報告があります」


 彼女は言った。


「先月、私の綴りに二年ぶりの行が入りました」


「例の、名前が一つの紙か」


「はい。港湾の再教育枠に、本人が申し込みました。四十九歳です」


 二年ぶんの空欄の下に、一行だけ足した。足すのに、四半刻かかった。


「戻ったのか」


「まだです」


 エリシアは答えた。


「申し込んだ、というだけの行です。ですが、空欄ではなくなりました」


 王子は、しばらく海のほうを見ていた。空欄ではなくなりました、という言い方の意味を、彼はもう説明されなくても分かる。


「……もう一度、言わせてくれ」


 静かな声だった。もう一度、と前置きしたのは、一度目が届いていないと自分で思っているからだ。


「私は間違えた。お前を手放したことも、理解しなかったことも」


 エリシアは何も言わず、聞く。遮れば、この人はもう二度と同じことを言わない。


「だが今は」


 少しだけ言葉を選ぶ。選んでいる時間の長さで、用意してきた言葉ではないと分かった。


「お前の隣に立ちたいと思っている」


 命令ではない。提案でもない。ただの願いに近い。願いは、断られる形をしている。


「以前のような関係ではなく、対等な立場で」


 静かな風。エリシアは、ゆっくりと息を吐く。


 あの日は、選べなかった。今は、選べる。


「私は、誰かに選ばれるためには生きません」


「知っている」


 すぐに返る。


「だから、自分で選びます」


 一歩だけ近づく。


「あなたの隣に立つことも、立たないことも」


 王子は微かに笑った。立たないことも、という半分を、彼は聞き流さなかった。


「では、どうする」


 少しの間。そして。


「今は」


 エリシアは答える。


「隣を歩くところから始めましょう」


 婚約ではない。約束でもない。だが、以前より確かな関係だった。名前が無いぶん、壊れ方も決まっていない。


 王子は頷いた。


「それでいい」


 並んで、同じ方向を見る。港の灯り。動き続ける制度。揺らぎ続ける世界。


「公開は正義ではありません」


 エリシアが言う。


「ですが、隠せば責任は消えます。だから私は選びました」


 風が吹く。灯りが揺れる。だが、消えない。


「これからも選び続けます」


 制度も。人も。自分自身も。


 その先に、完成はない。だが、選び終えた場所はある。ここに。


 遊歩道を戻るとき、エリシアはふと足を止めた。


「ひとつ、伺い忘れていました」


「何だ」


「あの整合表は、どうなりましたか」


 王子は、意表を突かれた顔をした。整合表、という言葉が出てくる場面ではなかった。


「……第二案の、か」


「はい。三日後に提出予定だった、北方辺境防衛費の」


 彼はしばらく考えて、正直に言った。


「知らない」


「そうですか」


 エリシアは頷いた。それ以上は聞かなかった。


 王子のほうが、しばらく黙っていた。


「調べる」


 彼は言った。


「時間はかかる」


「構いません」


 二人は、また並んで歩き出した。

本編は、ここで一区切りです。第1話で放り出された港の外れに、最終話で並んで戻ってくる。それだけを決めて書き始めた話でした。ここから閑話が二話挟まります。第105話は王宮に残った書記官マリアンヌの視点、第106話は最終話から半年ほど先の、二人の後日談です。そのあとで第2部が始まります。制度が設計者を必要としなくなったあと、その制度を見張るのは誰なのか。今度はエリシアが、検査される側に回ります。ブックマークと評価は、遊歩道の灯りの油代に回します。どの予算から出ているかは、第106話でエリシアだけが知っています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。