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028 アゼートの真意

 ルビオン・バイブル。

 神の教えが書かれているとされる書物であり、聖教会の所持する5大宝物の一つである。

 その昔、聖人オールが肌身離さず持ち歩いたとされるそれは、数百年たった今も朽ちることはなく存在し続けている。


「ハァ……どう考えても無理じゃないか?」


 俺は今、ルビオン・バイブルが入れられたガラスケースの前にいる。

 見た目からして年季が入っているその本は、ともすればビリビリと破れていってしまいそうなほどだ。


 値段を付けることができないほど重要な宝物が入ったそのガラスケースは、屈強な僧兵達に守られている。

 周りには信仰の厚い人々がその宝物を拝んでおり、中には涙する人もいる。


 授業の終わり、俺は2時間ほどかけて、ここ、マルサワタ聖堂までやってきた。

 そして1時間の待機列を並び、ようやくお目にかかった、というわけだ。


「うわわっ!」


 だが、それもつかの間。

 1分もしないうちに拝観時間が終わり、入れ替わりに次の待機者がなだれ込んでくる。


 流れるような人ごみを抜け出し聖堂の外へとやってきた俺。

 辺りは暗くなり始めるころで、今から学園に戻ったとしても夜も深まっているだろう。


「だけど夜飯を抜くのは辛いよな。明日も授業があるし……」


 参拝客や観光客をターゲットとした屋台。そこで売られている串焼きをいくつか買って、路上でかじりつく。

 観光客向けだとしてもなかなかうまいな、などと思いながら今後の事について思いを馳せる。


 (なんにもいい方法を思いつかないから、とりあえず現物を見てみたわけだが……、改めて入手が無理だということが分かっただけだったなぁ……)


 まず前提として金銭での売買ができる品ではない。そして、それほど貴重で需要なものであるがゆえに盗難対策もばっちりである。唯一の救いは一般に公開されていることだけ。だからどうなる、というものでもないのだが。


「どうしてあれを指定したんだよ……。俺が音を上げるのを待つためか? でもそれならもっと難易度の高いものはいくらでもある。俺が最初から拒否しないように、わずかながらでも入手の可能性があるものを選んだのか?」


 まったく理由がわからない。理由はあるのかもしれないし、ないのかもしれない。

 だけどそれをアゼートに問いかけることはできない。あのルビオン・バイブルを手に入れるまでアゼートに関わってはいけないというルールだからだ。


「とりあえず、帰るか……」


 明日の授業の準備もあるため、俺は片道二時間の道を引き返すのであった。


 ◆◆◆


 ――聖ブライスト学園内女子寮


 女子寮の一室。こじんまりとした狭い部屋には机が置かれており、いつから存在するのか分からない年代物の本棚が置かれているだけ。それ以外に何もなく、それでいて勉強目的としてはその他に物は必要なく、落ち着いて一人で勉強するのにはもってこいといえる部屋。


 ――キィ


 扉のきしむ音が小さく鳴る。


 そんな部屋の中にアゼート・クームが入ってきたのだ。


 机のそばにある小さな窓からは月明かりが差し込んでおり、すでに時間は夜半であることを示している。

 この部屋は、相部屋である自分の部屋で夜間に勉強すると同室の子に迷惑がかかるからということで、特別にアゼートが使わせてもらっている部屋なのだ。

 

 アゼートは硬い木製の椅子に座ると本棚から昨日と同じ本を取り出して開き、続きを勉強し始める。

 文字を読んでは内容をノートにメモし、自身の理解を深めていく。

 ページをめくり、文字に視線を這わせ、意味を理解し、自らの言葉へ落とし込む。

 そして再びページをめくり、文字に視線を這わせ、意味を理解し、自らの言葉へ落とし込む。


 そうしていくらかの時間が経ったころ。


「……ふぅ……」


 部屋に入ってから初めて言葉らしい言葉を発したアゼート。

 だが、それ以上の言葉は無い。

 元々口数が少なく物静かな彼女。さらに一人ということもあり、口から言葉を発する必要もない。


 そんなアゼートはおもむろに机の横にある引き出しに手を伸ばし、それを開くと、中からあるものを取り出した。

 黒い手袋に覆われた手が掴んでいるのは月明かりに反射してキラリと光る一振りのナイフ。


 その鋭く輝くナイフには、それをじっと見つめる彼女の顔が映っている。

 ナイフの輝きに満足したのかしてないのか。アゼートは椅子に浅く座ると、脚を伸ばし……着込んだローブの裾をスルリとめくり上げた。


 ローブの下から現れたのは彼女の足。背の高さと相まってスラリと伸びた足。

 ただ1点、その美しさと相反する点がある。その足は傷だらけなのだ。

 長い足の至る所に傷があり、痛々しい。


 アゼートは自身の足に指を這わせる。

 傷は全てふさがっており、触れても特段の痛みがあるわけではない。分厚い手袋をしているため、その指に傷の凹凸が生み出す感覚は伝わってこないが、滑り具合によって傷のある場所かまだ傷のない場所なのかは判別がつく。

 滑りのいい場所はとても少なく、僅かに残ったその場所に到達したところで肌の上を滑っていた指は止まる。


 そしてアゼートは視線を上げて、手に持ったナイフをもう一度見やる。


「…………」


 無言でその手をクルリと返し、刃を下に向けたかと思うと、そのまま自分の肌に突き立てたのだ。


「っ!」


 小さく声が漏れる。刃は浅くなく突き刺さっており、ここまで呻きを殺したことは賞賛に値する。

 月の光が反射する刃。それが刺さった場所からは血が流れ出しており、日に焼けていない白い肌の上を流れて赤い色を付けていく。


 だが、ナイフはそこで止まらなかった。


「ぅぅっ!」


 彼女はナイフを横へと動かしたのだ。

 傷口は広がり、血は一層に吹き出し始める。


「……っ」


 そこに来てようやく銀色の凶器は白い素肌から離れ去り、音を立てて床へと落ちた。


 血がドクドクと流れ出ていく。

 痛覚が無い場合ではない限り相当の痛みを伴っている光景だ。

 

 例にたがわず彼女も顔を引きつらせている。

 痛いのだ。無理もない。


 痛みから逃れるために彼女が動いた。

 右手の手袋を取ると、痛みの根源である傷に手を当て――


「【手当】っ!」


 治療のスキルだ。簡単な傷なら治してしまうが、この深手ではあまり効果が無い。


「【治癒】っ!」


 効果が無いと悟ったアゼートはさらに効果の高い治療スキルを発動させるが、肉をえぐるほど深く突き刺さった刃が生み出した傷に効果は及ばない。


 痛みに耐え続けながら、なんとかスキルの効果を得ようと試み続けていた彼女だが、徐々にスキルの発動が小さくなっていく。


「……あ、う……っ……」


 だんだんと目がうつろになって、虚空を見ているアゼート。

 脳がリミッターをかけてこれ以上の痛みを感じないようにしたのか、痛みに耐えていた彼女から、ちょろちょろと血以外の液体が流れ出す。


 痛みで意識が放り出される直前。

 ふと彼女の体内を循環する魔力の流れが変わる。無秩序に流れていた魔力が意思をもったように集まり、うねり、体の中を駆け巡っていく。


 そうして神に祈るように顔の前で両手指を組むと、魔力の循環が加速していき――


「【自己再生】」


 自らの再生力を強化するスキルを発動する。

 切り札のスキルの発動で、ゆるゆると傷の端から再生が起こり傷がふさがり始めるが……その進捗は遅く、血も流れ続けている。


 血を流しすぎている。このままでは失血により死に至ってしまう。

 

 アゼートは左手で机の棚をまさぐると、一本の小瓶を取り出し、瓶のふたを抜くと中の液体を患部にぶちまける。


 すると傷は先ほどまで違い、みるみるうちに塞がっていき、最後にかさぶたとなって完全に傷を塞いだ。その跡は脚のいたるところにある他の傷と同じ。


 痛みによって過呼吸になっていた息を整えていくアゼート。


「……だめ……。こんなものでは満足できない……」


 息を整え終えた彼女はポツリと言葉を漏らした。


 そして、のろのろと立ち上がり、いろいろな液体がぶちまけられた床の掃除を始めるのであった。

お読みいただきありがとうございます。

聖堂に走るナオと、奇行に走るアゼートちゃん。

混迷は深まりを見せるばかり。

頑張れナオ・クランク。アゼートちゃんの心を開くのだ!

次回をお楽しみに!

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