ユリ、いつもの公園(二)
いつもと同じ時間なのに、公園の木陰の位置がずいぶん違う。徐々に日が短くなっているにもかかわらず、日差しは相変わらず鋭い。
永遠に続くかのような夏休みが終わるまで、十日を切った。
ユリは帽子のつばを何気なく片手で触り、公園で遊ぶ子どもたちを横目で見ながらマミコの話に耳を傾ける。
「でね、納戸に置いてた私のギター、兄嫁に勝手に捨てられちゃってたの! ひどいと思わない? あれ結構高かったのに、さっさと売ってれば良かった……。それにしても帰省ラッシュの新幹線ナメてたわ。今度は絶対指定席を取るわ」
盆はそれぞれ里帰りや旅行などで忙しかったため、例の騒動以来、顔を合わせたのは初めてだった。
ユリの視線の先、公園の隅の落ち葉が少し積もっている場所で、ミズホと子ども三人が土をいじっている。
ミズホは今日、ナントカ装置と言う大仰な物体を持って現れた。そして「まずは土の中の虫たちと仲良くなりましょう」などと言って、装置の説明を早口で始めた。今はそれを実践に移しているらしい。
ユリの夫を追跡した日から、彼女の様子は明らかに違う。彼女から送られてきた動画を見れば一目瞭然だった。
動画を撮るミズホの様子は常軌を逸していたし、「土の中の虫たち」についてもはっきり言って全く興味が無かったが、実害がなく息子が楽しそうにしているから様子を見るに留めている。
「実はね、来週からファミレスで働くことになったの」
マミコは蝉の大合唱に負けず生き生きと話す。
「ユリさんのお陰よ。旦那さんの会社近くのファミレスなの。ほら、例の時に張り込んだところ。ダメ元で応募したら、すぐにでも来てくれって。平日だけでもいいなんて、よっぽど人手不足なのね。英語が話せるのを猛アピールしたのが効いたのかも。ほら、北の方に外資系の大きな工場ができたじゃない? この辺も外国人が増えてるんでしょうね」
仕事を得たことがよほど嬉しいのか、マミコは常にも増して饒舌だ。
「良かったね、頑張ってね」
ユリは心からそう言った。マミコは明らかに専業主婦に向いていない。家に篭ることで溜まった鬱憤を、職場で発散してくれれば愚痴も減るかもしれない。
「そう言えば、旦那さんとはあれからどうなの?」
マミコはさもついでみたいに聞いた。
──本当は最初に聞きたかったくせに。
送られてきた動画の、水を得た魚みたいなマミコをユリは思い出した。
あの日、夫のキョウヘイは、非常に気まずそうに帰宅した(当たり前だ)。
ユリは眠れるはずもなく、食卓に座って待っていた。
「遅かったわね」
「海行ってた」
しばしの沈黙。
「何しに」
「頭冷やして来た……知ってるんだろ」
「動画で見たからね」
キョウヘイはユリの向かいの椅子を引いてドスンと座った。憔悴しきった表情である。
再び訪れた沈黙ののち、キョウヘイは「悪かったよ」とポツリと呟いた。「もうあんなことしないから」
そして、雰囲気を変えるように続けた。
「それにしてもお前の知り合いヤバいな。ユリさん親衛隊とか言ってたけど」
「言っとくけど、私が頼んだんじゃないからね! あの人達が勝手にやったんだからね!」
何故かこちらが弁明するみたいになっている。
「なんかあいつら全員、楽しそうだったぞ」
「人の不幸が楽しいんでしょ」
動画の中でマミコがキョウヘイに言ったセリフ、「ユリさんは大事な仲間だから」。あれは本心からだろうか。
いや、明らかな悪者を糾弾する快感と、自分が「正義」の側にいる陶酔感が言わせたに決まっている。
それにミズホ。彼女は他人に興味がないようでいて、一番ノリノリだった。
「あそこまでするか、フツー? しかも子連れだぜ?」
「あの人達おかしいの! ド厚かましいの! 変態なの! 宇宙人なの!」
夫婦で二人をボロクソに罵った。共通の敵を罵倒していると、キョウヘイとの間に奇妙な連帯感が芽生えた。
「あの時のあなたの顔、ケッサクだったわぁ」
「消してくれ……記憶からも」
なんとなく、もうこの件は終わり、という雰囲気になった。
今回の騒動は(とりあえず)解決したのだから、よしとしよう。マミコが図々しくて良かった。ミズホが変な人で良かった。本当に良かった。──無理やりそう思うことにした。
もちろん、キョウヘイは近い将来また不貞を繰り返すかもしれない。彼の言葉はもう信用できない。ユリだってそこまでお人好しではないし、夫に対する信頼は完全に壊れてしまったのだから。
ビジネスライクに行こう、と思った。仕事をこれまで以上に頑張ろう、とも思った。これから先、何があってもいいように。
ケイタのために、強くならなければ──
強くならなければ、と再び心に念じながら、ユリは答えた。
「お陰様で、夫婦仲は元に戻ったの」
表向きはね、と心の中で付け加える。
「お詫びにって、温泉旅行にも連れて行ってくれたのよ」
「あら、良かったじゃない!」
マミコが「ちょっとつまんないけど」と呟いたのを、ユリは聞き逃さなかった。
つ、ま、ん、な、い?!
開いた口が塞がらなかった。
──私の家庭内のイザコザは、あんたのエンターテイメントじゃない!!
気付けばユリは口走っていた。
「あなたのご主人も、いつ浮気に走っても全ッ然驚かないわよ」
マミコは呆気に取られたようにユリを見た。濃い縁取りの目がさらに大きくなっている。
今までカゴの隅でプルプル震えていたハムスターがいきなり爪を立てやがった。そんな顔だった。
「そしたら、今度は私が話をつけてやるから安心してよね、マミコさん!」
ウインクまでサービスして差し上げたユリである。
ママ友。それは子どもを間に挟んだ関係。
悪い言い方をすれば、子どもを人質に取られた関係。
でも、自分を押し殺すのもほどほどにしないと潰れてしまう。
──たまには好きに行動してもいいじゃないの。
そうユリは思ったのだ。
──それで拗れるのなら、それだけの関係だったってことでしょ。母親だって血の通った、一人の人間だもの。
ミズホとユズルの変人親子は相変わらずナントカ装置に夢中だ。二人のそばで、装置に飽きたらしいケイタが乗っていたブランコを、無理やりハルが奪い取った。
「ハルくん! ケイタに謝りなさいよ!」
初めてユリに怒鳴られ、ハルは一瞬固まった後、「ごめんなさい……」と涙目で謝った。
三人の子どもたち達はまだ年少組の夏休み。卒園まで、残り二年半以上の時間──それはそれは膨大にも思える時間が横たわっている。
──ま、なるようになるでしょ。なるようにしかならないでしょ。
ユリとマミコは蝉の大合唱が降り注ぐ中、不敵に笑い合ったのだった。
完




